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最高裁判所第二小法廷 平成7年(あ)1039号 決定 1998年7月22日

本籍

東京都世田谷区松原四丁目三四番

住居

川崎市宮前区宮前平二丁目八番地四 レックス宮前平四〇一

会社員(元税理士)

伊藤信幸

昭和二二年一月三日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成七年一〇月九日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人市原敏夫、同田堰良三、同鈴木修司の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、所論引用の各判例はいずれも本件とは事案を異にして適切でなく、その余は、違憲をいう点を含め、実質は事実誤認、単なる法令違反、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 河合伸一 裁判官 根岸重治 裁判官 福田博)

平成七年(あ)第一〇三九号

被告人 伊藤信幸

上告趣意書

右の者に対する所得税法違反被告事件について、弁護人の上告趣意は、以下のとおりである。

平成七年一二月四日

主任弁護人 市原敏夫

弁護人 田堰良三

弁護人 鈴木修司

最高裁判所第二小法廷 殿

目次

第一章 本件の争点と上告の趣旨・・・・・・二二七八

第一 原判決の要旨・・・・・・二二七八

第二 上告申立の趣旨・・・・・・二二七九

第二章 上告の理由・・・・・・二二八〇

第一点 著しく正義に反する重大な事実誤認・・・・・・二二八〇

第一 脱税の故意について・・・・・・二二八一

一 被告人らの経歴等・・・・・・二二八一

1 被告人の経歴・・・・・・二二八一

2 伊三郎の経歴、株取引の経験など・・・・・・二二八二

3 ふみ・・・・・・二二八三

4 八重子・・・・・・二二八三

5 光江・・・・・・二二八三

6 和代・・・・・・二二八三

7 ハツ江・・・・・・二二八四

二 小林泰輔、松尾治樹との関係・・・・・・二二八四

1 小林泰輔との関係・・・・・・二二八四

2 松尾治樹との関係・・・・・・二二八五

三 飛島株等の情報入手・・・・・・二二八五

1 蛇の目ミシン株の情報入手・・・・・・二二八五

2 飛島株の情報入手・・・・・・二二八六

(1) 飛島株の情報を聞いた経緯・・・・・・二二八六

(2) 飛島株の値上りの根拠(三社協定)・・・・・・二二八六

(3) 伊三郎との飛島株買付の相談・・・・・・二二八七

四 伊藤の最初の飛島株の買付・・・・・・二二八八

1 二万六〇〇〇株の買付・・・・・・二二八八

2 野村証券作成にかかる伊藤宛売買報告書三通(乙8、伊藤平2・11・8付検面調書添付)・・・・・・二二八八

五 蛇の目ミシンの株券が入った段ボール箱の目撃・・・・・・二二八八

六 日本ファクターからの融資金二億円で飛島株を購入することについての小林との協議・・・・・・二二八八

七 伊三郎と二人で非課税枠目一杯買うこと及び資金繰りの相談・・・・・・二二八九

1 段ボール箱の件の報告・・・・・・二二八九

2 資金繰りの相談・・・・・・二二八九

3 協和ファクターに対する伊三郎の貸付金返済要求・・・・・・二二八九

4 協和ファクターの修正確定申告書(弁一一〇)・・・・・・二二九〇

八 証券金融会社ライフの発見など・・・・・・二二九〇

1 日本ファクターに対する融資実行の催促・・・・・・二二九〇

2 不足金についての証券金融会社の物色とライフの発見・・・・・・二二九〇

3 ライフの五倍融資・・・・・・二二九〇

4 伊三郎の再度の貸付金返済要求と親族に対する保証金貸付の提案・・・・・・二二九一

九 四月一五日頃の伊三郎から親族に対する飛島株購入の具体的な勧誘内容・・・・・・二二九一

1 「一生に一度のチャンス。皆で儲けて不動産を買って、将来安定収入を得よう。」・・・・・・二二九一

2 「株は売らなければ損しない。」・・・・・・二二九二

3 「内需関連株として注目される。」・・・・・・二二九二

4 「俺の財産は三億円ある。」・・・・・・二二九二

5 相続人でない者への勧誘について・・・・・・二二九二

一〇 ふみ、和代、光江の飛島株購入の決断・・・・・・二二九三

1 四月一五日頃・・・・・・二二九三

2 四月一六日頃・・・・・・二二九三

(1) 伊三郎の証券投資ローン申込書(弁一一二)・・・・・・二二九三

(2) ライフは『事業を行っていない女性に口座開設を認めない』こと・・・・・・二二九四

3 四月一七日頃・・・・・・二二九四

(1) 東都信用組合からの融資実行・・・・・・二二九四

(2) ライフへの最初の伊藤の訪問・・・・・・二二九四

(3) 転貸融資は構わないとの回答・・・・・・二二九五

(4) 伊藤の証券投資ローン申込書(弁一一三)・・・・・・二二九五

(5) 親族への報告・・・・・・二二九五

(6) 買付資金の計算と飛島株購入の決断・・・・・・二二九六

4 金銭消費貸借契約証書の作成の確認・・・・・・二二九七

5 口座開設及び売買注文の手続代行の依頼・・・・・・二二九七

6 八重子及びハツ江への飛島株購入を勧める話・・・・・・二二九七

7 ライフとの契約(四月一八日)・・・・・・二二九七

(1) 伊三郎の証券投資ローン取引約定書(弁一一六)、使用印鑑票(弁一一七)・・・・・・二二九七

(2) 伊藤の証券投資ローン取引約定書(弁一一四)、使用印鑑票(弁一一五)・・・・・・二二九八

一一 ハツ江の飛島株購入の決断・・・・・・二二九八

1 四月一七日頃の夜か翌一八日頃、電話勧誘・・・・・・二二九八

2 四月二三日頃、ハツ江宅訪問・・・・・・二二九八

(1) 飛島株情報及びライフの融資システムの説明・・・・・・二二九八

(2) 転貸融資による飛島株購入の勧誘・・・・・・二二九八

3 ハツ江の飛島株購入の決断・・・・・・二二九九

一二 八重子の飛島株購入の決断・・・・・・二三〇〇

1 四月一七日頃の夜、伊三郎からの電話勧誘・・・・・・二三〇〇

2 四月二〇日過ぎ頃、野田の伊三郎宅での勧誘・・・・・・二三〇〇

3 四月二四日か二五日頃、伊藤から八重子への電話勧誘・・・・・・二三〇一

一三 各人の飛島株買付の資金繰りの変更・・・・・・二三〇二

1 伊三郎の要求・・・・・・二三〇二

2 伊藤の資金繰り・・・・・・二三〇二

3 二人の協議結果・・・・・・二三〇三

一四 親族らが飛島株の購入を決意した動機・・・・・・二三〇三

1 ふみ・・・・・・二三〇三

2 和代・・・・・・二三〇三

3 光江・・・・・・二三〇四

4 ハツ江・・・・・・二三〇四

5 八重子・・・・・・二三〇五

第二 右一連の経緯は、不自然であって、虚構であるとの事実認定について・・・・・・二三〇五

一 「自己の収支計算」で株式取引を行う認識・・・・・・二三〇五

二 飛島株取引の勧誘に関する証拠の存在・・・・・・二三〇六

三 飛島株取引の勧誘と名義貸しの依頼との二律背反性・・・・・・二三〇七

四 各名義人の資産、株取引の経験、非課税取引枠限度いっぱいの取引・・・・・・二三〇八

1 保証金とその信用に依拠した取引・・・・・・二三〇八

2 資産、経験など・・・・・・二三〇八

3 確実な飛島株情報及びライフの五倍融資などの特殊事情の存在・・・・・・二三〇八

4 伊藤の資産、経験・・・・・・二三〇九

五 仕手株・・・・・・二三〇九

第三 注文手続、売買報告書の保管などについて・・・・・・二三一〇

一 買注文、売注文、売買報告書・・・・・・二三一〇

二 株式売却益の帰属に関する判例など・・・・・・二三一〇

三 株式の買付意思・手続代行意思、購入原資、注文手続、売却益の管理・精算など・・・・・・二三一一

1 株式の買付意思・手続代行意思・・・・・・二三一一

2 購入原資・・・・・・二三一一

3 株式売買の注文手続・・・・・・二三一二

4 売買報告書の保管、株式売却益の管理・精算など・・・・・・二三一三

第四 各株取引口座の開設手続、注文手続などに関する事実経過について・・・・・・二三一三

一 伊三郎の申込と利用・・・・・・二三一三

1 申込み・・・・・・二三一三

2 利用(保証金の差入と五倍融資)・・・・・・二三一三

二 伊藤の申込と利用・・・・・・二三一五

1 申込み・・・・・・二三一五

2 利用(保証金の差入と五倍融資)・・・・・・二三一五

三 第一証券の口座開設及び飛島株買付・・・・・・二三一六

1 口座開設及び買付状況(別紙取引一覧表)・・・・・・二三一六

(1) 伊三郎の場合・・・・・・二三一六

<1> 口座開設・・・・・・二三一六

<2> 買付及び資金・・・・・・二三一七

(2) 伊藤の場合・・・・・・二三一七

<1> 口座開設・・・・・・二三一七

<2> 買付及び資金・・・・・・二三一七

(3) ふみの場合・・・・・・二三一七

<1> 口座開設・・・・・・二三一七

<2> 買付及び資金・・・・・・二三一七

(4) 和代の場合・・・・・・二三一七

<1> 口座開設・・・・・・二三一七

<2> 買付及び資金・・・・・・二三一八

(5) 八重子の場合・・・・・・二三一八

<1> 口座開設・・・・・・二三一八

<2> 買付及び資金・・・・・・二三一八

(6) 光江の場合・・・・・・二三一九

<1> 口座開設・・・・・・二三一九

<2> 買付及び資金・・・・・・二三一九

(7) ハツ江の場合・・・・・・二三一九

<1> 口座開設・・・・・・二三一九

<2> 買付及び資金・・・・・・二三一九

2 口座開設及び飛島株買付状況の意味・・・・・・二三二〇

(1) 各名義人の口座開設意思及び株式買付意思・・・・・・二三二〇

(2) 口座開設及び飛島株買付の主体・・・・・・二三二〇

四 金消の作成・存在・・・・・・二三二一

1 ふみの場合・・・・・・二三二一

2 和代の場合・・・・・・二三二一

3 八重子の場合・・・・・・二三二二

4 光江の場合・・・・・・二三二三

5 ハツ江の場合・・・・・・二三二四

五 飛島株の株価動向に対する各人の関心・・・・・・二三二五

1 飛島株購入後の株価の動きと、松尾の情報・・・・・・二三二五

2 伊三郎の場合・・・・・・二三二五

3 ふみの場合・・・・・・二三二六

4 和代の場合・・・・・・二三二六

5 八重子の場合・・・・・・二三二七

6 光江の場合・・・・・・二三二七

7 ハツ江の場合・・・・・・二三二七

8 結論・・・・・・二三二七

六 昭和六一年一二月の伊三郎、ふみ、和代、八重子の売却・・・・・・二三二九

1 伊三郎の場合・・・・・・二三二九

2 ふみの場合・・・・・・二三三〇

3 和代の場合・・・・・・二三三〇

4 八重子の場合・・・・・・二三三一

5 光江、ハツ江が昭和六一年一二月には売却しなかった理由・・・・・・二三三二

七 伊三郎と伊藤との株価の推移に対する見込みの相違・・・・・・二三三三

八 昭和六一年一二月の借入金の返済状況・・・・・・二三三四

1 伊三郎への返済・・・・・・二三三四

2 和代への返済・・・・・・二三三四

第五 『損失負担の意思』、『自らの計算・危険負担の意思』と『有効な金消の存在』、『脱税の故意の不存在』について・・・・・・二三三四

一 『損失負担の意思』、『自らの計算・危険負担の意思』について・・・・・・二三三四

二 『有効な金消の存在』、『脱税の故意の不存在』について・・・・・・二三三五

三 確定日付のある金銭消費貸借契約証書の作成経緯など・・・・・・二三三六

1 金消の作成目的など・・・・・・二三三六

(1) 作成目的(原資証明)・・・・・・二三三六

(2) 伊藤の基本的認識・・・・・・二三三七

(3) 結論(金消は架空の書類ではないこと)・・・・・・二三三七

2 各金消の作成経緯に関する関係者の証言要旨・・・・・・二三三八

(1) 伊藤から和代に対する金消(弁一〇四)が真正である旨の証言など・・・・・・二三三八

<1> 和代証言・・・・・・二三三八

<2> 伊藤供述・・・・・・二三三八

(2) 伊藤から光江に対する金消(弁八七)が真正である旨の証言など・・・・・・二三三八

<1> 光江証言・・・・・・二三三八

<2> 伊藤供述・・・・・・二三三九

(3) 伊藤からハツ江に対する金消二通(弁一二七、一二八)が真正である旨の証言など・・・・・・二三三九

<1> ハツ江証言・・・・・・二三三九

<2> 伊藤供述・・・・・・二三四〇

(4) 小林から八重子に対する金消及び伊三郎から八重子に対する金消(弁四六、四七)が真正である旨の証言など・・・・・・二三四〇

<1> 八重子証言・・・・・・二三四〇

(検察官の質問に対して)・・・・・・二三四一

(弁護人の質問に対して)・・・・・・二三四二

<2> 小林証言・・・・・・二三四四

<3> 伊藤供述・・・・・・二三四四

(5) 伊三郎からふみに対する金消二通(弁一二九、一三〇)が真正である旨の証言など・・・・・・二三四五

<1> ふみ証言・・・・・・二三四五

<2> 伊藤供述・・・・・・二三四六

(6) 伊藤から松尾に対する金消(弁一二二)及び小林から松尾の妻に対する金消(弁一二三)の作成経緯についての証言など・・・・・・二三四六

<1> 松尾証言・・・・・・二三四六

<2> 伊藤供述・・・・・・二三四七

(7) 伊藤から小林の妻に対する金消(弁一一八)が真正である旨の証言など・・・・・・二三四七

<1> 小林証言・・・・・・二三四七

<2> 伊藤供述・・・・・・二三四八

3 伊三郎から八重子に対する飛島株取引の勧誘の際は、八重子は『数千株』の意識でいたことについて。・・・・・・二三四八

(1) 原判決の引用供述は当初の話であること・・・・・・二三四八

(2) 八重子証言・・・・・・二三四九

(3) 『数千株』問題の結論・・・・・・二三五二

4 結論(各金消契約書は本物であること)・・・・・・二三五四

(1) 各法廷証言及び伊藤の法廷供述の終始一貫性・・・・・・二三五四

(2) 金消の記載内容及びその実行・・・・・・二三五四

(3) 『偽装工作の協力同意』、『取引主体の確認』に関する検察側の挙証責任・・・・・・二三五五

第六 昭和六二年一、二月の伊三郎、ふみ、和代の飛島株買い戻しについて・・・・・・二三五五

一 右取引は被告人の危険・計算で行われたのか。・・・・・・二三五五

二 買い戻しの事実経過とその理由などについて・・・・・・二三五六

1 当時の株価の動きと情報・・・・・・二三五六

2 ふみ、和代、伊三郎の買い戻しの決意と買い戻しの実行・・・・・・二三五六

(1) ふみの場合・・・・・・二三五六

(2) 和代の場合・・・・・・二三五七

(3) 伊三郎の場合・・・・・・二三五七

3 コスモ証券での口座開設と買い注文・・・・・・二三五八

(1) ライフからの依頼でコスモ証券池袋支店を使用するに至ったこと・・・・・・二三五八

(2) 口座開設手続・・・・・・二三五九

(3) 買い付け注文手続・・・・・・二三六〇

<1> ふみの買い注文について・・・・・・二三六〇

<2> 伊三郎の買い注文について・・・・・・二三六〇

4 購入資金・・・・・・二三六〇

(1) ふみの場合・・・・・・二三六〇

(2) 伊三郎の場合・・・・・・二三六一

(3) 和代の場合・・・・・・二三六一

5 金消作成・・・・・・二三六一

(1) ふみの場合・・・・・・二三六一

(2) 和代の場合・・・・・・二三六二

三 被告人が、自分の判断で(借名取引を)行ったのか。・・・・・・二三六二

第七 昭和六二年三月の飛島株売却と送金、親族らへの売却益の帰属について・・・・・・二三六八

一 『被告人の指示』、『被告人の判断』は本当に正当な認定か・・・・・・二三六八

二 松尾からの売り時の情報と売却の決意・・・・・・二三六九

三 売り注文、及び、売り成立・・・・・・二三七〇

1 伊三郎、ふみ分について・・・・・・二三七〇

2 伊藤本人、和代(第一証券の残り分)、ハツ江、光江分について・・・・・・二三七〇

3 八重子の分について・・・・・・二三七〇

4 和代の日興証券銀座支店における昭和六一年二月買い戻しの三万株について・・・・・・二三七一

四 各人への送金(各人への売却益の帰属)・・・・・・二三七一

1 伊藤から各人への売却したことの報告・・・・・・二三七一

2 伊藤による親族各人の利益計算書の作成、内容の報告・・・・・・二三七一

3 伊藤から親族各人への振り込み口座の問い合わせ・・・・・・二三七二

4 伊藤から親族各人の口座への振り込み(親族らの売却益の取得)・・・・・・二三七三

五 飛島株の売却益の親族各人への帰属・・・・・・二三七五

1 利益の帰属主体特定の判断基準・・・・・・二三七五

2 親族らに利益が帰属したことを示す客観的事実・・・・・・二三七五

(1) 伊藤からの売り時情報の連絡と親族らの売却決意・売却依頼・・・・・・二三七五

(2) 売却成立後の伊藤からの連絡・・・・・・二三七六

(3) 伊藤からの振り込み口座の問い合わせ・・・・・・二三七六

(4) 親族ら各人の銀行口座への振り込みの事実・・・・・・二三七七

3 親族らに利益が帰属したことを示す主観的事実・・・・・・二三七七

(1) ふみの場合・・・・・・二三七八

(2) 和代の場合・・・・・・二三七八

(3) 八重子の場合・・・・・・二三七九

(4) 光江の場合・・・・・・二三七九

(5) ハツ江の場合・・・・・・二三八〇

(6) 結論・・・・・・二三八一

4 取引名義人の親族らがそれぞれ実質的所得者であった事実・・・・・・二三八一

第八 伊藤が親族から売却益を借用した事実は何故無視されるのか(金消は偽装か)について・・・・・・二三八一

一 原判決の内容・・・・・・二三八一

二 伊藤から親族らへの借入申込当時の社会的状況・借入申込の動機・・・・・・二三八二

1 社会的状況・・・・・・二三八二

2 借入申込の動機・・・・・・二三八三

(1) 不動産購入資金として・・・・・・二三八三

(2) 企業買収のための株購入資金として・・・・・・二三八三

三 借入申込(時期・申込の内容・条件)・親族らの心境や反応・貸付の振込・・・・・・二三八四

1 借入申込・親族らの応答・振込・・・・・・二三八四

(1) 伊三郎の場合・・・・・・二三八四

(2) ふみの場合・・・・・・二三八四

(3) 和代の場合・・・・・・二三八五

(4) 八重子の場合・・・・・・二三八六

(5) 光江の場合・・・・・・二三八八

(6) ハツ江の場合・・・・・・二三八九

2 伊藤が借入を申し込んだ際の伊藤や親族らの心境・・・・・・二三八九

四 伊藤が親族らから借入れた際の金消の差入と差入れた理由について・・・・・・二三九〇

1 金消作成と作成の理由・・・・・・二三九一

(1) 金消本文の作成・・・・・・二三九一

(2) 各人との間の金消作成(署名押印)・作成時期等・・・・・・二三九一

<1> 伊三郎の場合・・・・・・二三九一

<2> ふみの場合・・・・・・二三九一

<3> 和代の場合・・・・・・二三九二

<4> 八重子の場合・・・・・・二三九二

<5> 光江の場合・・・・・・二三九四

<6> ハツ江の場合・・・・・・二三九五

(3) 金消差入れの理由・・・・・・二三九五

2 確定日付について・・・・・・二三九六

(1) 親族らからの借入れの金消に確定日付を取った理由・・・・・・二三九六

(2) 確定日付の日付が金消作成の時よりも遅れた理由・・・・・・二三九七

<1> 昭和六二年三月当時、確定日付の必要性の認識欠如・・・・・・二三九七

<2> 昭和六二年一二月頃、確定日付の有用性に気付いたこと・・・・・・二三九七

<3> 『原資』、『原資証明』、『原資証明の意味が多少ある』、『原資証明的』などの意味について・・・・・・二三九八

3 金消の内容についての親族らの納得・・・・・・二四〇〇

(1) 金消の作成・署名・・・・・・二四〇〇

(2) 金消の内容・・・・・・二四〇〇

<1> 金消の内容の全般について・・・・・・二四〇〇

<2> 弁済期・自動更新について・・・・・・二四〇〇

イ 弁済期・・・・・・二四〇〇

ロ 自動更新・・・・・・二四〇一

<3> 金利とその支払時期について・・・・・・二四〇一

五 <1>売却益の殆ど、<2>入金後三日以内、<3>貸付期間、<4>利息支払遅滞について・・・・・・二四〇一

1 『<1>売却益の殆ど』は、金消が偽装であることの根拠になるか。・・・・・・二四〇一

2 『<2>入金後三日以内』は、金消が偽装であることの根拠になるか。・・・・・・二四〇二

3 『<3>貸付期間』は、金消が偽装であることの根拠になるか。・・・・・・二四〇三

4 『<4>利息支払遅滞』は、金消が偽装であることの根拠になるか。・・・・・・二四〇四

5 結論・・・・・・二四〇四

第九 利息支払遅延、ふみに対する抵当権設定の経緯について・・・・・・二四〇五

一 昭和六三年二月末日の金利不払・・・・・・二四〇五

1 金利不払の理由・・・・・・二四〇五

2 昭和六三年二月末日頃の伊藤及びアーバンの資金繰りの状況・・・・・・二四〇五

二 親族らに対する金利支払の延期依頼・・・・・・二四〇六

1 親族らに対して金利を支払えなくなった事情を説明したこと・・・・・・二四〇六

2 確認書の作成・・・・・・二四〇六

3 昭和六三年一二月に確認書を作成していない理由・・・・・・二四〇七

4 確認書の存在と利息支払の姿勢・・・・・・二四〇七

三 ふみに対する抵当権設定・・・・・・二四〇八

1 ふみに対する抵当権設定と抵当権設定仮登記・・・・・・二四〇八

2 ふみについてだけ抵当権設定及び抵当権設定仮登記手続をした理由・・・・・・二四〇八

第一〇 売却益の使途と脱税の故意について・・・・・・二四〇九

一 原判決の認定根拠・・・・・・二四〇九

二 売却益の帰属について・・・・・・二四〇九

1 法律上(実質上)の売却益の帰属・・・・・・二四〇九

2 事実上の売却益の利用・・・・・・二四一〇

3 事実上の売却益の利用と実質上の売却益の帰属との違い・・・・・・二四一〇

4 民事上の事実認定との整合性(各名義人の請求権について)・・・・・・二四一〇

三 脱税の故意について・・・・・・二四一一

第一一 返済は偽装か、雅叙苑マンションの件について・・・・・・二四一二

一 本件脱税の嫌疑が生じた以降の出来事か・・・・・・二四一二

二 光江のマンション購入のための恒陽マンション下見・・・・・・二四一三

三 平成元年三月以降の伊藤及びアーバンの資金状況・・・・・・二四一三

四 光江だけがマンションを購入しようとした理由・・・・・・二四一四

五 親族らに対してマンションで返済することを決心するに至った経緯・・・・・・二四一四

1 平成元年七月以降の伊藤及びアーバンの資金繰り状況・・・・・・二四一四

2 平成元年八月、ふみから叱責されたこと・・・・・・二四一五

六 マンションを転売する方法による返済・・・・・・二四一五

七 光江だけが目黒等でマンションを探していた理由・・・・・・二四一六

1 光江だけが都内でマンションを探さなければならなかった理由・・・・・・二四一六

2 勤め先の王子近辺で探す必要がなくなっていた理由・・・・・・二四一六

八 光江が売買契約締結前に雅叙苑マンションを見ていないこと・・・・・・二四一七

1 雅叙苑マンションを見ないで契約した事情・・・・・・二四一七

2 光江が売買契約後すぐに雅叙苑マンションを見に行っていないこと・・・・・・二四一八

3 光江が一人で雅叙苑マンションを見に行っていること・・・・・・二四一八

九 一〇月一三日の売買契約の締結・・・・・・二四一八

1 最初、アーバンの名前で売買契約をした理由・・・・・・二四一八

2 岡野まやが行って売買契約を締結した理由・・・・・・二四一九

一〇 光江が直接の買主となったこと・・・・・・二四一九

1 光江が瀬戸山から直接雅叙苑マンションを購入することになった経緯・・・・・・二四一九

2 光江の住友銀行からの借入・・・・・・二四二〇

一一 売買契約書の買主名義を変更しなかったこと・・・・・・二四二〇

1 残金決裁までの間に売買契約書の買主名義を変更しなかった理由・・・・・・二四二〇

2 残金決裁の日に売買契約書を差し替えなかった理由・・・・・・二四二二

一二 光江が売買代金全額を支払って所有権を取得していること・・・・・・二四二三

1 光江が売買代金全額を支払っていること・・・・・・二四二三

2 光江が、直接、登記済み権利証の送付を受けていること・・・・・・二四二三

一三 光江が税金及び管理費を支払っていること・・・・・・二四二四

一四 光江が雅叙苑マンションを賃貸していたこと・・・・・・二四二四

1 岡野に対して賃貸した理由・・・・・・二四二四

2 光江が、一時賃貸借契約書を作成して送付していること・・・・・・二四二四

3 光江が賃料を受領していること・・・・・・二四二五

一五 確認書の作成・・・・・・二四二五

1 確認書の作成目的・・・・・・二四二五

2 確認書の内容・・・・・・二四二六

一六 本件脱税の嫌疑が生じた日時との前後関係について・・・・・・二四二六

1 税務調査について・・・・・・二四二六

2 買主を光江に変更したことについて・・・・・・二四二六

3 売買契約書の買主を変更しなかったことについて・・・・・・二四二七

4 売買完了確認書、領収書の名義がアーバンとなっていることについて・・・・・・二四二八

第一二 返済は偽装か、「カテリーナ札幌」購入の件・・・・・・二四二九

一 光江以外の親族らに対して札幌のマンションを転売して借入金を返済することになった経緯・・・・・・二四二九

二 カテリーナの購入手続・・・・・・二四二九

1 伊藤がカテリーナを探してきて親族らに勧めたこと・・・・・・二四二九

2 親族ら全員がカテリーナを購入前に見に行っていること・・・・・・二四三〇

3 平成二年二月中旬に売買契約を締結したこと・・・・・・二四三一

三 管理会社との管理契約の締結・・・・・・二四三一

四 カテリーナの家賃受領・・・・・・二四三一

五 「カテリーナ札幌」を親族らに転売したのは罪証湮滅工作か・・・・・・二四三二

六 残高確認書、精算書の作成と税務調査の前後関係について・・・・・・二四三二

1 作成目的・・・・・・二四三二

2 作成時期・・・・・・二四三二

3 『本件脱税の嫌疑が生じた以降』と言えるか、前後関係について・・・・・・二四三三

第一三 伊三郎の遺産分割協議などについて・・・・・・二四三五

一 原判決の重大な事実誤認・・・遺産分割協議書・相続税申告書は偽装工作か。・・・・・・二四三五

二 伊三郎の死亡と遺産・・・・・・二四三七

1 伊三郎の死亡・・・・・・二四三七

2 伊三郎が、飛島株取引を始める時点において多額の資産を有していたこと・・・・・・二四三七

3 伊三郎が飛島株取引で得た売却益が遺産に含まれていること・・・・・・二四三七

4 検察側の主張・第一審判決と原判決の矛盾点・・・・・・二四三八

(1) 伊三郎の昭和六二年の取引だけが借名取引か・・・・・・二四三八

(2) 昭和六一年及び昭和六二年のすべての売却益は伊三郎の遺産として申告・納税されていること・・・・・・二四三九

<1> ライフの融資枠を利用していることについて・・・・・・二四三九

<2> コスモ証券の取引口座開設及び売買注文を伊藤が行ったことについて・・・・・・二四三九

<3> 伊三郎には、昭和六一年に、飛島株の取引をすべて終了する意思があったかについて・・・・・・二四三九

(3) 原判決の理由付けの不当性・・・・・・二四四〇

三 遺産分割協議がまとまるまでの経緯と内容・・・・・・二四四〇

1 遺族間で円満に遺産分割協議が整ったこと・・・・・・二四四〇

2 八重子及び光江が現預金額を一切相続していないこと・・・・・・二四四一

第一四 東洋リノリューム株の取引について・・・・・・二四四二

一 伊三郎は本当に東洋リノリューム株の取引をしていないのか。・・・・・・二四四二

二 三洋証券株式会社野田支店の検査てん末書・・・・・・二四四二

三 和代の取引・・・・・・二四四二

四 原判決の著しく正義に反する重大な事実誤認・・・・・・二四四三

1 投機的信用取引であるとの事実誤認と判断理由の不備・・・・・・二四四三

2 東洋リノリューム株の売却代金の使途についての事実誤認と判断理由の不備・・・・・・二四四四

3 東洋リノリューム株取引による売却益の利益計算の間違等と判断理由の不備・・・・・・二四四六

五 まとめ・・・・・・二四四七

第一五 東洋電機製造株の取引について・・・・・・二四四七

一 原判決の認定・・・・・・二四四八

二 東洋電機製造株の情報入手の時期・経緯・・・・・・二四四八

三 親族らへの勧めと家族らの意思・・・・・・二四四九

四 被告人や親族らの東洋電機製造株購入資金及び購入・・・・・・二四五〇

1 親族ら各人の東洋電機株購入資金・・・・・・二四五〇

2 親族らの東洋電機製造株売買・・・・・・二四五一

3 借用書を作らなかった理由・・・・・・二四五二

五 仕手筋との交渉経緯(通知書)・・・・・・二四五三

第一六 親族らのその他の株取引状況について・・・・・・二四五三

一 ふみの場合・・・・・・二四五三

二 和代の場合・・・・・・二四五四

三 八重子の場合・・・・・・二四五四

四 剛志の場合・・・・・・二四五四

五 まとめ・・・・・・二四五五

第一七 売買報告書、取引一覧表、収支計算書の交付及びメモの作成について・・・・・・二四五五

一 売買報告書、取引一覧表、収支計算書を交付した時期と交付した理由・・・・・・二四五五

1 伊藤が親族らに売買報告書などを交付した時期・・・・・・二四五五

2 親族らに売買報告書などを交付した理由・・・・・・二四五六

二 メモを作成した経緯と目的・・・・・・二四五七

1 ハツ江の場合・・・・・・二四五七

2 ふみ、光江及び八重子の場合・・・・・・二四五八

三 検察側の推論とそれに対する反論・・・・・・二四五九

1 検察側の推論・・・・・・二四五九

2 それに対する反論・・・・・・二四五九

(1) 和代のメモについて・・・・・・二四五九

(2) 光江及びふみのメモについて・・・・・・二四六〇

(3) 右メモが罪証湮滅工作でないこと・・・・・・二四六一

第一八 査察調査とその後の集まりについて・・・・・・二四六一

一 平成元年一二月一五日の査察調査・・・・・・二四六二

二 親族らの取り調べ状況・・・・・・二四六二

三 伊藤の自宅に親族らが集まった目的と会話の内容・・・・・・二四六二

1 親族らが集まったこと・・・・・・二四六二

2 親族らが集まった理由・・・・・・二四六二

四 株取引が名義借りであることを隠すための口裏合わせの集合か。・・・・・・二四六三

第一九 金利の支払いについて・・・・・・二四六六

一 平成元年一二月に金利を支払っていること・・・・・・二四六六

1 平成元年一二月まで金利を支払わなかった理由・・・・・・二四六六

2 平成元年一二月に金利を支払った理由・・・・・・二四六六

二 平成元年一二月の利息の支払いは偽装工作か。・・・・・・二四六六

(1) 伊藤が、平成元年一二月まで親族らに対してまったく金利を支払っていないこと・・・・・・二四六六

(2) 親族ら全員が金利を受領していること。・・・・・・二四六七

第二〇 国税局に対する上申書、申述書について・・・・・・二四六七

一 作成した理由・・・・・・二四六八

二 作成方法・・・・・・二四六八

1 弁護士田堰が各人から直接事実を聞いて作成したこと・・・・・・二四六八

2 八重子及びハツ江は、査察調査ですべての資料を押収されていたため、その記憶だけに基づいて上申書及び申述書を作成したものである。・・・・・・二四六八

三 内容・・・・・・二四六九

第二一 まとめ・・・・・・二四六九

第二点 憲法違反等・・・・・・二四六九

第一 憲法三八条二項違反(ハツ江、八重子の各検面調書について)・・・・・・二四六九

一 憲法三八条二項の趣旨と原判決の有罪認定の証拠について・・・・・・二四六九

二 伊藤は検面調書でも公判廷でも一貫して犯罪事実を否認していることについて・・・・・・二四七一

三 ハツ江の検面調書は証拠能力がないこと(ハツ江の平成2・11・9付、同日付、同12付、同14付、同日付、同15付、同日付、同日付の各検面調書について)・・・・・・二四七二

1 原判決によるハツ江の検面調書八通の取扱いについて・・・・・・二四七二

2 ハツ江の記憶や認識・・・・・・二四七二

(1) 一貫して名義貸しを否定していたこと・・・・・・二四七二

(2) ハツ江の基本的な記憶や認識・・・・・・二四七二

3 ハツ江の勾留理由開示手続時の状況、及び、そこでの意見陳述内容について・・・・・・二四七三

4 検面調書と矛盾する、大学ノート(甲一二二号証)、国税局に対する申述書(弁七二号証)等の存在とその内容について・・・・・・二四七六

5 ハツ江の勾留中の健康状態について・・・・・・二四七六

(1) ハツ江の健康状態に関する木村智一の証言・・・・・・二四七六

(2) 勾留中、ハツ江の健康状態が極度に悪かったこと・・・・・・二四七七

(3) 「捜査関係事項照会書について(回答)」(控訴審、検察官証拠等関係カード番号3)について・・・・・・二四七八

(4) 弁七〇号証(診断書)について・・・・・・二四七九

(5) 医師仁木義雄作成の回答書(控訴審、弁護人証拠等請求カード番号1。以下、「回答書」という)について・・・・・・二四七九

6 ハツ江が検面調書に署名した経緯(取調検事の偽計による自白)について・・・・・・二四八〇

(1) 取調検事のハツ江に対する態度・検面調書の作成状況・・・・・・二四八一

(2) 取調検事の偽計による検面調書の作成・・・・・・二四八一

7 ハツ江の法廷証言が信用できることについて・・・・・・二四八五

四 原判決引用の検面調書は信用できず、ハツ江の公判廷の証言が信用できること・・・・・・二四八六

1 伊藤がハツ江に飛島株購入を勧めた事実について・・・・・・二四八六

2 飛島株購入資金の借入について・・・・・・二四八九

3 平成元年一一月の飛島株取引経過メモについて・・・・・・二四九一

4 国税局の査察における質問てん末書について・・・・・・二四九四

五 ハツ江の検面調書、公判廷証言についての結論・・・・・・二四九八

六 八重子の検面調書は証拠能力がないこと(八重子の平成2・11・9付、同10付、同12付、同13付各検面調書について)・・・・・・二四九九

1 原判決による八重子の検面調書の取扱いについて・・・・・・二五〇〇

2 逮捕勾留されて八重子はどのように心境が変化したか・・・・・・二五〇〇

(1) 八重子が逮捕される以前の事実認識等・・・・・・二五〇〇

(2) 八重子の逮捕勾留後の心境の変化・・・・・・二五〇〇

3 結論・・・・・・二五〇四

七 八重子の検面調書に信用性がなく法廷証言に信用性があること・・・・・・二五〇六

1 飛島株購入の動機について・・・・・・二五〇六

2 名義貸しの合意と購入原資の金消について・・・・・・二五〇九

3 売買報告書の郵送について・・・・・・二五一一

4 銀行預金口座開設の経緯について・・・・・・二五一一

5 売却益の入金について・・・・・・二五一二

6 売却益の信用に関する金消について・・・・・・二五一四

7 残高確認書について・・・・・・二五一六

8 国税局の査察について・・・・・・二五一八

9 査察後のメモについて・・・・・・二五二一

10 『数千株』問題について・・・・・・二五二二

第二 刑事訴訟法三二一条一項二号違反、憲法三一条違反(正一の検面調書について)・・・・・・二五二六

一 刑事訴訟法三二一条一項二号違反・・・・・・二五二六

二 憲法三一条違反・・・・・・二五二七

三 正一の検面調書の証拠能力がないことについて・・・・・・二五二八

1 原判決の引用・・・・・・二五二八

2 正一の本来の記憶や認識について・・・・・・二五二八

(1) 正一の真実の記憶や認識の内容・・・・・・二五二八

(2) 三ノ上検察官に対する上申書について・・・・・・二五二八

3 八重子の逮捕勾留が正一に与えた影響・・・・・・二五二九

4 正一の方針の変更(第一のチェンジ・マインド)の経緯と三ノ上検察官調書・・・・・・二五三〇

(1) 検察側への積極協力に方針変更・・・・・・二五三〇

(2) 『伊藤家の船』から降りる宣言・「第一のチェンジ・マインド」・・・・・・二五三〇

(3) 三ノ上検察官との面会・・・・・・二五三一

(4) 「第一のチェンジ・マインド」の内容・・・・・・二五三一

5 三ノ上検察官作成の正一の検面調書(高裁・検察側一、二号証)・・・・・・二五三二

(1) 三ノ上検察官作成の検面調書の存在と内容について・・・・・・二五三二

(2) 三ノ上検察官が『三ノ上調書』を作成した理由・・・・・・二五三二

6 有田調書における正一の供述(第二チェンジ・マインド)・・・・・・二五三三

(1) 取調検事の交代と三ノ上調書の意味すること・・・・・・二五三三

<1> 三ノ上調書作成後の取調検事交代・・・・・・二五三三

<2> 取調検事交代の理由・・・・・・二五三三

<3> 内容的に見ても三ノ上調書の信用性が高いこと・・・・・・二五三四

(2) 有田検事による偽計、誤導等、及び、本件に対する正一の認識の変化・・・・・・二五三四

<1> 有田検事の誤導による認識の変化・・・・・・二五三四

<2> 有田検事の偽計や誤導による伊藤に対する不信感の発生・・・・・・二五三五

<3> 有田検事による事実の押しつけ・・・・・・二五三六

<4> 八重子の勾留延長により、検察官の事実の押しつけに抗しえなかったこと・・・・・・二五三六

7 原判決の三ノ上調書と有田調書の比較、引用について・・・・・・二五三八

8 結論・・・・・・二五四一

第三点 判例違反・・・・・・二五四二

第一 はじめに・・・・・・二五四二

第二 昭和六一年一月に購入された伊三郎及びふみ名義の飛島株取引について・・・・・・二五四三

一 原判決の認定事実・・・・・・二五四三

二 原判決の個別認定事実が第一の各判例に違反していること・・・・・・二五四四

1 昭和六二年一月当時、ライフの伊三郎名義の融資枠を利用した株の購入は、実質上伊藤の計算により行われていたとの認定について・・・・・・二五四四

2 株の売却代金が伊藤によって使用されていたとの点について・・・・・・二五四八

3 伊三郎とふみ名義での昭和六二年一月の飛島株購入が第一証券とは別にコスモ証券池袋支店で行われ、その各株取引口座の開設手続、株の買付け、売付けの注文はすべて伊藤が自分の判断で行っているとの点について・・・・・・二五五四

4 昭和六一年に購入した飛島株全部を売却した伊三郎が再度大量の飛島株を購入したというのは不自然であるとの点について・・・・・・二五五五

5 伊三郎の遺産分割協議書及び相続税の申告書について、伊三郎の相続財産とされた債券債務は、同人名義によるライフからの融資金のうちの返済未了分が実質的に同人の負債であるとの前提に、振り分けて計算上整理したという以上のものでないとの点について・・・・・・二五五七

6 被告人が支払うべき相続税が一五五〇万円以上多くなったとしても経済的痛痒を感じるほどのことではないとの点について・・・・・・二五六二

三 昭和六二年一月に購入し、同年三月に売却した伊三郎及びふみの飛島株取引に関する原判決の事実認定が全体として第一記載の各判例に違反していること・・・・・・二五六四

1 伊三郎の右飛島株取引・・・・・・二五六五

(1) 資産、株取引の経験の有無・・・・・・二五六五

(2) ライフの保証金も伊三郎の資金であること・・・・・・二五六五

(3) 伊三郎名義で昭和六一年中に売却した飛島株、昭和六二年四月に購入し、同年七月に売却した東洋電機製造株及び昭和六一年八月及び昭和六二年三月に購入して昭和六二年五月に売却した東洋リノリューム株は伊三郎の取引であることとの整合性・・・・・・二五六六

(4) 伊三郎の株取引の特徴について・・・・・・二五六七

(5) 遺産分割協議書及び相続税の申告書について・・・・・・二五六八

(6) 税務実務に反する事実認定について・・・・・・二五七〇

(7) 伊三郎に関する資金の流れについて・・・・・・二五七一

(8) 伊三郎が伊藤に売却益を貸し付けたこと・・・・・・二五七二

(9) まとめ・・・・・・二五七二

2 ふみの右飛島株取引・・・・・・二五七三

(1) 基本的な考え方・・・・・・二五七三

(2) 資金・・・・・・二五七三

(3) 株取引の特徴・・・・・・二五七三

(4) 昭和六一年中のふみ名義の飛島株取引が起訴されていない事実・・・・・・二五七四

(5) まとめ・・・・・・二五七四

第三 和代名義の東洋リノリューム株取引について・・・・・・二五七五

第四 親族ら名義の東洋電機製造株取引について・・・・・・二五七七

第五 ふみ名義の堺化学工業株取引について・・・・・・二五七八

第六 松尾、小林の検面調書による事実認定の違法について・・・・・・二五八〇

一 原判決の心証形成の方法について・・・・・・二五八一

二 松尾、小林の検面調書による原判決の事実認定について・・・・・・二五八一

三 松尾の検面調書が信用できないことについて・・・・・・二五八五

1 伊藤が松尾の妻に対して飛島株の購入を勧誘した経緯・・・・・・二五八五

(1) 松尾本人に対する飛島株取引の勧め(昭和六一年四月一八日頃)・・・・・・二五八五

(2) 松尾本人に対する飛島株取引の勧めと松尾の購入・・・・・・二五八五

(3) 伊藤・小林間の、松尾の妻にも飛島株購入を勧める相談(四月二四日頃)・・・・・・二五八五

(4) 松尾の妻に対する飛島株購入の勧め(四月二五日頃)・・・・・・二五八六

(5) 松尾の対応・・・・・・二五八七

2 『実質所得者課税の原則』という言葉・・・・・・二五八七

3 松尾証言とその評価・・・・・・二五八九

(1) 松尾の公判廷における証言の内容・・・・・・二五八九

(2) 松尾証言の評価・・・・・・二五九六

(3) 松尾の検面調書の信用性は乏しいこと・・・・・・二五九七

四 小林の検面調書が信用できないことについて・・・・・・二五九九

1 伊藤が小林の妻に対して飛島株の購入を勧誘した経緯・・・・・・二五九九

(1) 小林へのライフ利用の説明(昭和六一年四月一八日頃)・・・・・・二五九九

(2) 小林の発言・・・・・・二五九九

(3) 伊藤の提案・・・・・・二六〇〇

(4) 小林の妻からの返事・・・・・・二六〇〇

2 小林証言とその評価・・・・・・二六〇一

(1) 小林の公判廷における証言の内容・・・・・・二六〇一

(2) 小林証言の評価・・・・・・二六〇三

3 小林の検面調書の信用性に関する結論・・・・・・二六〇四

五 伊藤が小林や松尾に対して脱税指導する理由も必要もないこと。・・・・・・二六〇四

六 伊藤が脱税指導していないこと・・・・・・二六〇六

1 原判決の論理・・・・・・二六〇六

2 小林・松尾の迎合・・・・・・二六〇六

3 伊藤からの助言の無視(松尾、小林の犯罪成否と伊藤は無関係)・・・・・・二六〇六

4 原判決に引用された証言・供述は信用性がないこと・・・・・・二六〇七

七 結論・・・・・・二六〇七

第七 親族らの取調べ状況や公判廷の各証言を無視した事実認定の違法について・・・・・・二六〇八

一 ふみ、光江、和代、智一らの取調べ並びに公判廷の証言・・・・・・二六〇八

二 結論・・・・・・二六〇九

第八 まとめ・・・・・・二六一〇

一 昭和六二年一月に購入された伊三郎及びふみ名義の飛島株取引について・・・・・・二六一〇

二 前記一記載の伊三郎及びふみ名義の飛島株を除く親族ら名義の飛島株取引について・・・・・・二六一二

三 その他の株取引について・・・・・・二六一四

四 関係者の検面調書について・・・・・・二六一五

1 ハツ江、八重子、正一の各検面調書・・・・・・二六一五

2 松尾、小林の各検面調書・・・・・・二六一五

3 ふみ、和代、光江、智一の各法廷証言・・・・・・二六一六

4 結論・・・・・・二六一六

第四点 著しく正義に反する量刑不当・・・・・・二六一七

第一 結果責任を問うものであること・・・・・・二六一七

一 本件発生の主たる原因・・・・・・二六一七

二 有罪とされた徒たる原因・・・・・・二六一七

三 被告人の認識と結果責任・・・・・・二六一八

四 結論・・・・・・二六一八

第二 直後の税制改正によると脱税額は極めて少額であること・・・・・・二六一九

一 原判決の認定した脱税額・・・・・・二六一九

二 直後の税制改正・・・・・・二六一九

1 上場株式等に係る譲渡所得等の源泉分離選択課税・・・・・・二六一九

2 制度創設の趣旨・・・・・・二六一九

三 直後の改正税制により計算した場合の『源泉分離課税額』・・・・・・二六二〇

1 『源泉分離課税額』とこの計算式・・・・・・二六二〇

2 本件各取引に係る全部の株式の売却価額など・・・・・・二六二〇

四 結論・・・・・・二六二一

第三章 むすび・・・・・・二六二一

第一章 本件の争点と上告の趣旨

第一 原判決の要旨

原審の東京高等裁判所は、『被告人及びその家族らの名義で行われた株式取引ののうち、

<1> 被告人伊藤信幸(以下「伊藤」ともいう)の妻伊藤和代(以下「和代」ともいう)、姉本名八重子(以下「八重子」ともいう)、妹白井光江(以下「光江」ともいう)、義母木村ハツ江(以下「ハツ江」ともいう)、の各名義で昭和六一年四、五月に購入され、昭和六二年三月に売却された飛島建設株(以下「飛島株」ともいう)の取引、

<2> 被告人の父親伊藤伊三郎(以下「伊三郎」ともいう)、母親伊藤ふみ(以下「ふみ」ともいう)、和代の各名義で昭和六二年一、二年に購入され、同年三月に売却された飛島株の取引、

<3> 和代名義で昭和六一年八、九月、昭和六二年三月に購入され、同年六月及び一〇、一一月に売却された東洋リノリューム株の取引、

<4> 和代、光江、ハツ江、伊三郎の各名義で昭和六二年四月に、ふみ名義で同年七月に購入され、そのうち同年四月から七月にかけて売却された和代、ふみ、伊三郎名義の東洋電機製造株の取引、

<5> ふみ名義で昭和六二年八月に購入され、同年一〇月に売却された堺化学工業株の取引

については、第一審記録及び証拠物を調査し、原審における事実取調べの結果をも併せて検討すると、第一審判決が、前記<4>の取引のうち、コスモ証券池袋支店の伊三郎名義の取引口座で昭和六二年に行われた東洋電機製造株二万二〇〇〇株の売却が被告人の取引であり、その売却益が被告人に帰属すると認定したのは、事実を誤認したものというべきであるが、これを除く前記の株取引の主体がいずれも被告人であり、その売却益が被告人に帰属し、被告人に脱税の故意があったと認定したのは正当である。』旨の判決を言い渡した。

第二 上告申立の趣旨

原判決は、被告人弁護側の主張には首肯し難い点が多く、従って、同主張を容認しなかった第一審判決は一部の事実誤認を除き正当であるとして被告人に有罪を言い渡したものである。しかしながら、被告人の捜査段階及び公判段階における供述には終始一貫性が認められ、かつ、これを裏付ける多数の客観的証拠が存在しているのに対して、ハツ江・八重子・本名正一・松尾治樹・小林泰輔らの捜査段階における各供述は、任意性、信用性が認められないばかりか、同人らの公判段階における各証言とも明らかに矛盾し、かつ、ふみ・和代・光江の公判段階における各証言並びに多くの客観的証拠に反している。にもかかわらず、原判決の右判断は、検察官が、各名義人の株取引による売却益の外形的な流れ及び右ハツ江らの捜査段階における各供述を根拠に有罪であるとする主張を安易に容認するの余り、証拠の取捨選択及び事実の認定は論理の法則及び経験則によって行わなければならないという判例によって確立されている刑事裁判の基本原則を逸脱して、全証拠を総合して全体的な判断をすることなく、更には、被告人の弁解に沿う客観的証拠の趣旨を無視もしくは歪曲して解釈するなどし、かつ、右ハツ江らの捜査段階における各供述(原判決5丁裏1行目から10丁表8行目記載内容)の任意性及び信用性をことごとく肯定するなど、証拠の評価及びその取捨選択を誤ったものである。その結果、原判決には、憲法違反、判例違反等が認められるのみならず、重大な事実の誤認もあり、これを是正しなければ著しく正義に反するので上告を申し立てた次第である。

以下、上告理由について申し述べるが、事案の性質にかんがみ、まず重大な事実誤認の点について詳述し、次に憲法違反、判例違反、著しく正義に反する量刑不当の各点について論述することとする。

第二章 上告の理由

第一点 著しく正義に反する重大な事実誤認

前記の各株取引の主体は各取引名義人であり、その売却益は各取引名義人に帰属すると認定されるべきものであるところ、特に、原判決が、前記<2>の伊三郎及びふみの各名義で昭和六二目一月に購入され、同年三月に売却された飛島株の取引までも被告人の取引であり、その売却益も被告人に帰属するとの事実認定は、以下に詳述するとおり著しく正義に反する事実誤認である。また、前記の各株取引による売却益が東洋電機製造株二万二〇〇〇株の売却益を除き被告人に帰属するとの点につき、被告人に脱税の故意があったと断定するについては、やはり以下に詳述するとおり合理的な疑いを容れる余地がある。してみると、疑わしきは被告人の利益に、との刑事裁判の鉄則に従い、原判決を破棄のうえ被告人に対して無罪の言い渡しをすべきである。(刑事訴訟法第四一一条第三号、第四一三条)

第一 脱税の故意について

原判決は、被告人に脱税の故意がなかったのに、本件における各株の売却益が被告人に帰属し、被告人に脱税の故意があったものと認定しているが、これは判決に影響を及ぼすべき著しく正義に反する重大な事実誤認である。被告人に脱税の故意があったか否かを認定するに際しては、被告人及びその家族らの名義で行われた株取引の個々の取引態様(購入原資、口座開設、売買注文手続など)、売却益の流れ・使途がどうであったかの他、各名義人の経歴、株取引を行うに至った経緯、動機、目的などが極めて重要である。そこで、まず右の経緯、動機、目的などを以下に詳述する。

一 被告人らの経歴等

1 被告人の経歴

(1) 伊藤は、昭和四六年、明治大学商学部(二部)を卒業後、税理士の資格を取得して、同四八年、税理士登録を行い、税理士業務のかたわら、後述のとおり小林泰輔と共同で、同五九年からは不動産業を営む株式会社アーバンルネッサンス(以下「アーバン」ともいう)、同六〇年からは理化学ガラスの製造業を営む小倉硝子工業株式会社(以下「小倉硝子」ともいう)を経営していたが、同六二年一二月、小林と袂を分かち、単独でアーバンを経営するようになった。

(2) しかし、本件起訴及び長期勾留により、また、いわゆる『バブル経済』の崩壊の影響により、平成三年三月頃以降、伊藤は税理士登録の末消を余儀なくされると共に、その経営するアーバンは事実上倒産し、個人及び法人共に多額の債務超過に陥り破産状態となって、今日に至っている。

(3) 伊藤の家族構成は、妻和代(昭和二六年二月二八日生)との間に、長男剛志(昭和五〇年九月一六日生)、次男彰洋(昭和五二年九月四日)、長女嘉佑子(昭和五四年八月九日)の三人の子供がいる。

2 伊三郎の経歴、株取引の経験など

(1) 伊藤の実父伊三郎(大正一二年生)は、若い頃呉服屋に勤め、リヤカーを引いて商売をしたり、カレー粉などの食品を製造販売する朝日食品株式会社にサラリーマンとして勤務したりしたが、昭和四〇年頃同社が倒産したため、以後自宅で香辛料の加工、卸売営業を一人でやっていた。しかし、荷物を運んだりすることがきつい仕事であるためか、体調を崩し、昭和五六年頃(五八歳当時)、その商売を止めて、以後、悠々自適の生活を送っていた。

(2) 他方、伊三郎は、昭和三〇年頃から死亡(昭和六二年八月)直前頃までの間、盛んに株取引を行っており、一日三回の株式市況のテレビ(一二チャンネル)を必ず見るほか、株式新聞を購読するといった毎日であった。

(3) また、伊三郎は、自分の財産の有利な運用に心を配り、伊藤が経営していた金融会社である株式会社協和ファクター(以下「協和ファクター」ともいう)に対して、昭和五九年当時以降、約六〇〇〇万円を貸し付けて金利を受領していた。このほうが銀行に定期預金の金利よりも高く運用できるからであった。

(4) 伊三郎の資産運用に関する考え方は、昔から「不動産が一番固い」、「株式も長い目でみれば必ず上がる」というもので、その旨の発言を常々していた。飛島株の情報が入ってからは、伊三郎は伊藤に対して、「どんな株でも一〇年持っていれば三倍にはなる。借入金は年一〇%の金利としても一〇年で二・五倍位にすぎない。だから安くなったときに手放さない限り絶対儲かる」と説明していた。すなわち、伊三郎は、株式投資一般についての考え方としては、不動産に対すると同様に、安全な資産運用であるとの考えを持っていたわけである。

3 ふみ

伊藤の実母・伊藤ふみ(大正一四年一一月四日生)は、伊三郎と結婚し、長女八重子、長男伊藤、次女光江の三人の子供をもうけた。

4 八重子

伊藤の実姉・本名八重子(昭和一九年九月一日生)は、高校卒業後東京銀行にしばらく勤務した後、本名正一と職場結婚した。以後、子供を育てながら、専業主婦として今日に至っている。

5 光江

伊藤の実妹・白井光江(昭和二四年三月一〇日生)は、高校卒業後、昭和四六年五月に白井正人と結婚し、子供三人をもうけたが、昭和六三年九月に離婚した。その間、光江は子供三人を育てながら、昭和五七年一月から平成三年三月頃まで伊藤の経営していた会計事務所で働いていた。

6 和代

伊藤の妻・和代は、昭和九年一二月一九日、伊藤と婚姻し、前記のとおり子供三人をもうけた。以後、和代は、育児・家事をしながら、不動産取引主任者の資格を取得し、昭和六二年二月一八日その登録をするなどして(弁一〇三)、伊藤の不動産業の手助けをして今日に至っている。

7 ハツ江

伊藤の義母・木村ハツ江(大正一三年二月二六日生)は、昭和二五年に木村智一と結婚し、長女和代らの子供をもうけた。以後、ハツ江は、育児・家事をしながら、ポーラ化粧品の販売外務員を続けている。

二 小林泰輔、松尾治樹との関係

1 小林泰輔との関係

(1) 小林と知り合った経緯

昭和五四年頃、伊藤の税理士としての顧問先に株式会社小銭ハウジングという不動産会社があった。小林泰輔(以下「小林」ともいう)は同社の専務取締役であったため、顧問先の役員対顧問税理士という関係で知り合いになった。

(2) 小林との共同事業経営

昭和六〇年頃、伊藤は、株式会社アーバンルネッサンス(不動産業、従業員約二名、年商約三〇〇〇万円)、小倉硝子工業株式会社(理化学メーカー、従業員約一一〇名、年商約七億円)の二つの会社を経営し、その株式をそれぞれ一〇〇パーセント保有していた。小林がその頃、株式会社小銭ハウジングを退社したので、伊藤は小林に対し、右二つの会社の共同事業経営へ参加するよう誘い、株式もそれぞれ五〇パーセントずつ分け与えた。以後、昭和六二年一二月頃、伊藤がアーバン、小林が小倉硝子をそれぞれ単独で経営するために別れるまでの間、会社経営のパートナーの関係で付合っていた。

2 松尾治樹との関係

(1) 松尾と知り合った経緯

昭和六〇年九月頃、伊藤は、目黒の不動産購入に関連して、元三井信託銀行員であった不動産仲介業者の森太郎の紹介により、三井信託銀行渋谷支店の松尾治樹(以下「松尾」ともいう)と知り合った。

(2) 三井信託銀行渋谷支店との取引

同年一〇月頃、アーバンは、六億八〇〇〇万円の融資を受けて、目黒の不動産を購入することができた。また、小倉硝子は、設備資金として七億円の融資の申込みをしたところ、同年一一月頃から一二月頃までに、計五億円の融資を受けることができた。

右の融資に関する三井信託銀行の担当者は、いずれも松尾であった。そのため、伊藤と小林とは、今後も事業資金の融資が円滑に実行されることを望み、その頃から殆ど毎日と言っていい程、同行渋谷支店の松尾を訪問するようになった。

三 飛島株等の情報入手

1 蛇の目ミシン株の情報入手

(1) 松尾からの情報入手

昭和六一年二月頃、伊藤は、三井信託銀行渋谷支店を訪問した際、松尾が株式新聞を読んでいたことから株式の話となり、松尾から、蛇の目ミシン工業株式会社の株式(以下「蛇の目ミシン株」ともいう)の取引をやっていること、今からすごく上がるらしいという情報を入手した。

(2) 伊三郎への報告

伊藤は、同日、右の株情報を伊三郎へ報告したところ、伊三郎は、「銀行のそういう株情報というのは非常に堅いんだよな。」などといって興味を示した。

(3) 蛇の目ミシン株の株価動向

一-二週間後、伊藤は、伊三郎から「蛇の目の株すごいね。七〇〇円台だったのが倍の一四〇〇円台になっちゃった。」、「失敗しちゃったな。信幸、買っておけばよかったな。」などと聞かされ、松尾情報の正確さに驚いた。

(4) 別の株情報に関する松尾への依頼

その後、伊藤は小林に対し、蛇の目ミシン株の情報と株価の推移に関する顛末を報告した。そして、数日後(二月末頃)、ともども三井信託の松尾を訪問した際、<1>蛇の目ミシン株を今から買っても間に合うか、<2>情報源はどこかなどの質問をしたところ、松尾は、今から買うのは止めた方がいいこと、情報源は取引先の社長ということのみを回答してくれた。そこで、伊藤と小林は松尾に対し、<3>蛇の目ミシン株のような株情報があったらまた教えてもらいたいと一緒に頼んだ。

2 飛島株の情報入手

(1) 飛島株情報を聞いた経緯

昭和六一年四月初め頃、伊藤と小林は、三井信託の松尾を訪問して、蛇の目ミシン株では松尾が随分儲けたのではないかとの話になった際、松尾から「今度は飛島建設が行くらしいよ。」との株情報を聞かされた。

(2) 飛島株の値上りの根拠(三社協定)

数日後(四月後日頃)、伊藤と小林は松尾に対し、飛島株の値上りの根拠を尋ねた。すると、松尾は伊藤や小林に対し、「コーリン産業が最初に蛇の目ミシンを買収し、次に飛島建設を買収し、最後に藤田観光を買収する。その後、三社間で多数の株式の持ち合いをさせる。その結果、株式市場の浮動株が少なくなるため、三社の株価はそれぞれ相当の高値で安定することになる。他方、三社には業績を伸ばすために協定する構想がある。その三社協定とは、蛇の目ミシンが所有する全国の主要都市の一等地の営業所をビジネスホテル化する。その工事全部を飛島建設が請負い、藤田観光がホテル経営のノウハウを提供する。」という趣旨の話をしてくれた。

更に、伊藤は松尾から「コーリン産業の小谷さんという人は、三〇〇円前後だった蛇の目ミシンの株を何倍にも上げた人なんだ。それで、蛇の目ミシンの個人筆頭株主だった小佐野賢治も一目置く偉い人なんだ。」などという話も聞かされた。

(3) 伊三郎との飛島株買付の相談

同日(四月五日頃)の夜、伊藤は伊三郎に対し、三社協定の話を伝えて飛島株買付の相談をした。すると、伊三郎は伊藤に対し、四季報を見ながら、「今の時代は調度貿易黒字が叫ばれてきて内需拡大の時期だから、これは大変な情報だぞ。」と言って、飛島株の買付を勧めた。

そのため、伊藤は、当時の非課税枠一杯の一九万九〇〇〇株を買付けることを決断した。この決断の動機は、

<1> 松尾情報どおりに蛇の目ミシン株の株価の棒上げを見たことと、松尾情報によればその蛇の目ミシン株を棒上げさせたコーリン産業がまた次に飛島株を買収するということ、

<2> 三社協定の構想という買収の合理的理由があること、

<3> 伊三郎が絶対この株情報は間違いないと、伊藤に対して買付を勧めながら、自らも何とか資金繰りして非課税枠一杯の一九万九〇〇〇株を買付けると決断していたことなどである。

四 伊藤の最初の飛島株の買付

1 二万六〇〇〇株の買付

昭和六一年四月八日、九日、伊藤は、野村証券上野支店に取引口座を開設して、初めて飛島株二万六〇〇〇株を買付けた。この買付資金一〇三八万円余は、伊三郎が伊藤に対して、手持ちのキリンビール株一三九九株の売却代金約一四七万円その他で買付けてくれたものである。また、口座開設の手続や飛島株の買付注文は、伊藤の依頼により伊三郎がすべてを行った。

なお、伊三郎が伊藤に対して買付資金一〇三八万円余を貸付けて先に飛島株を買付けさせた理由は、伊藤が確実な飛島株情報を持ち込んだことに対する父伊三郎の好意である。

2 野村証券作成にかかる伊藤宛売買報告書三通(乙8、伊藤平2・11・8付検面調書添付)

右売買報告書三通の存在は、以上の事実関係の流れの中に位置付けられるものであり、伊藤が昭和六一年四月八日、九日に、初めて飛島株二万六〇〇〇株を買付けた証拠である。

五 蛇の目ミシンの株券が入った段ボール箱の目撃

昭和六一年四月一〇日前後頃、伊藤及び小林は、三井信託銀行渋谷支店において、乗用車のトランクから段ボール箱二、三個を運び出して銀行へ持ち込む松尾の姿を目撃した。松尾の説明によると、同支店がコーリン産業から預かる蛇の目ミシンの株券が中に入っているのであり、四、五千万株の量だとのことであった。伊藤は、この段ボール箱持ち込みを目撃して、飛島株の値上りについて完全な確信を持つに至った。

六 日本ファクターからの融資金二億円で飛島株を購入することについての小林との協議

同日(四月一〇日頃)、伊藤と小林とは、既に申込みをしている日本ファクターから小倉硝子への融資金二億円が実行されたならば、同社が設備資金として使うまで、しばらくの間お互いに一億円ずつ借用して飛島株を買うことを協議し、直ちに同意した。一億円ずつとした根拠は、当時、飛島株が一株四〇〇円前後であったため、非課税枠二〇万株未満の目一杯を買うとそれぞれ約八〇〇〇万円が必要だったからである。

七 伊三郎と二人で非課税枠目一杯買うこと及び資金繰りの相談

1 段ボール箱の件の報告

同日夜、伊藤は伊三郎に対し、段ボール箱を銀行へ持ち込む現場を目撃した件を報告した。すると伊三郎も、松尾の株情報の信憑性に確信を持つに至り、急いで資金繰りをして一九万九〇〇〇株を買付けることを確定的に決意した。

2 資金繰りの相談

直ちに、伊三郎と伊藤とは、飛島株購入の資金繰りの相談をしたところ、二人の買付資金は合計約一億六〇〇〇万円必要であるが、当面二人で用意できる資金は合計約一億二〇〇〇万円であることが判明した。一億二〇〇〇万円の内訳は、日本ファクターからの融資金一億円、伊藤が先日購入した飛島株の株券が約一〇〇〇万円、伊三郎がすぐに崩せる定期預金が約一〇〇〇万円である。

3 協和ファクターに対する伊三郎の貸付金返済要求

当時、伊三郎は伊藤が経営していた金融会社である協和ファクターに対して、約六〇〇〇万円を貸付けていた。そのため、伊三郎は伊藤に対し、この約六〇〇〇万円の返済を要求したが、急な話なので資金繰りとしてはむずかしかった。

そこで、結局、二人がそれぞれ一九万九〇〇〇株を買付けるためには約四〇〇〇万円不足であるため、このとき、伊三郎は伊藤に対し、とりあえず証券金融会社を利用する方法を提案し、伊藤もこれに同意した。

4 協和ファクターの修正確定申告書(弁一一〇)

右修正確定申告書によれば、昭和六〇年九月三〇日現在、伊三郎が協和ファクターに対して五二〇〇万円を貸付けていたことは明らかであり、翌昭和六一年四月一〇日頃現在の貸付金が約六〇〇〇万円に増額していたことは頷ける。

八 証券金融会社ライフの発見など

1 日本ファクターに対する融資実行の催促

四月一〇日過頃、伊藤は小林と一緒に日本ファクターに対し、早く融資実行をしてくれるよう依頼して催促した。その結果、その後の四月二五日、小倉硝子に対して二億円が融資実行された。

2 不足金についての証券金融会社の物色とライフの発見

四月一〇日過頃、伊三郎は、証券金融会社を物色し、新聞の切り抜きやパンフレットや申込用紙などを集め、オリエントファイナンス、ジャックス、ライフ等を比較検討していた。その結果、伊三郎はライフは五倍融資で総額一人五億円までの融資枠の設定に応じることを知った。

3 ライフの五倍融資

四月一五日頃、北区西ケ原の伊藤の自宅において、伊三郎は、伊藤、ふみ、和代、光江らに対し、パンフレット等を見ながら、ライフという証券金融会社があって、保証金を入れると一人最大限五億円まで融資すること、保証金として買付資金の五分の一を入れれば五倍融資をしてくれること、株価が二割以上下がると追い証という追加保証金を入れない限り担保に差し入れてある株券が自動的に処分されることなどを説明した。

4 伊三郎の再度の貸付金返済要求と親族に対する保証金貸付の提案

右のライフの五倍融資の説明に続けて、伊三郎は伊藤に対して次のような要求をし、あわせて伊藤、ふみ、和代、光江らに対して、次のような提案をした。

すなわち、伊三郎は伊藤に対し、先ず、日本ファクターからの融資予定金一億円の中から約七〇〇〇万円を返済せよと要求した。その内訳は、協和ファクターへの貸付金約六〇〇〇万円と伊藤の飛島株二万六〇〇〇株の買付資金についての貸付金約一〇〇〇万円である。その理由は、伊藤が追加的に買付ける予定の飛島株は一七万三〇〇〇株であり、その買付資金は約七〇〇〇万円となるから、ライフの五倍融資を利用すれば保証金約一四〇〇万円あれば足りることとなるからである。

次に、伊三郎は伊藤、ふみ、和代、光江らに対し、各人が飛島株を非課税枠内でそれぞれ一九万九〇〇〇株買付けるための買付資金は、ライフの五倍融資を利用すれば一人当り保証金約一六〇〇万円で足りるから、和代には伊藤が、ふみ及び光江には伊三郎がそれぞれ保証金相当額を貸付け、各人がライフから買付資金を借用して飛島株を一九万九〇〇〇株ずつ買付けることを提案した。

九 四月一五日頃の伊三郎から親族に対する飛島株購入の具体的な勧誘内容

1 「一生に一度チャンス。皆で儲けて不動産を買って、将来安定収入を得よう。」

伊三郎はふみ、和代、光江らに対し、ライフの融資システムを説明し、かつ保証金を貸付けるので飛島株を買付けるよう提案しながら、飛島株情報は一生に一度のチャンスであるから、皆で儲けて不動産を買って、将来安定収入を得ようなどと熱っぽく語った。

伊藤もふみ、和代、光江らに対し、蛇の目ミシン株の値上げ、三社協定の話、段ボール箱目撃事件などを報告し、三井信託銀行渋谷支店の松尾情報の信頼性を語り、伊三郎の提案に対し大いに賛成した。

2 「株は売らなければ損しない。」

また、伊三郎は伊藤ら親族に対し、過去何十年間のデータによれば、借金して飛島株一株四〇〇円で買付けた場合、例えば一〇年後、借金を一〇パーセントの複利で計算した原価は二・五倍の一〇〇〇円前後にしかならないが、株価は三、四倍にはなるから、基本的に株は売りさえしなければ損しない旨の、株式投資の安全性・有利性を強調した。

3 「内需関連株として注目される。」

更に、伊三郎は伊藤ら親族に対し、貿易黒字が騒がれている時期なので、飛島株はこれから内需関連株として注目され、値上りする株であるから銘柄的にも問題ない、とも説明した。

4 「俺の財産は三億円ある。」

そして、伊三郎は伊藤ら親族に対し、仮に飛島株取引で失敗したとしても損失は一人当り二〇〇〇万円前後である。同人の財産は三億円あるから心配することはない、と元気付ける言葉も口に出して、飛島株購入を勧誘した。

5 相続人でない者への勧誘について

因みに、特に重要なことであるが、原判決は、伊三郎が、飛島株が仕手株であるにもかかわらず、『数億円の財産全部を引当てに、さしたる資産や株取引の経験のない親族、殊に自分の相続人とはならないハツ江や和代を含めた親族に、飛島株の購入を積極的に勧めたというのは極めて不自然である』と断言し、このことを根拠に、以上の一連の経緯を虚構であるかの如く認定している(11丁表末行から12丁表4行目)。しかし、伊三郎は、伊藤、ふみ、和代、光江の居る席で、「俺の財産は三億円ある。」と発言していたと言うのであって、損失が発生した場合、自分の相続人とはならない和代やハツ江に対し、「数億円の財産全部を引当てにする。」と約束していたと言うのではない。また、自分の相続人とはならない和代やハツ江に対しては、飛島株の購入を直接もしくは間接的に勧めただけであって、同人らに損失が発生した場合、それぞれの夫(木村智一、伊藤)が支援することは話の当然の前提と見ることが極めて自然である。

一〇 ふみ、和代、光江の飛島株購入の決断

1 四月一五日頃

ふみ、和代、光江は、伊三郎及び伊藤から前記のとおり飛島株の購入を具体的に勧誘されて、それぞれ一九万九〇〇〇株の購入を決心した。

そのとき、各人の買付資金については、ライフへの差し入れ保証金一人当り約二〇〇〇万円が必要であり、かつそれで十分であるところ、その場に居なかった八重子にも勧めるという話が出て、ライフへの差し入れ保証金は、六人分、合計一億二〇〇〇万円で丁度足りるという話であった。

2 四月一六日頃

(1) 伊三郎の証券投資ローン申込書(弁一一二)

この頃、伊三郎は一人でライフへ証券投資ローンの申し込みに行った。

この申込書のうち、本人の収入欄や資産欄の記載を見れば、伊三郎が、同人の発言どおり、資産三億円以上保有していたことや協和ファクターに対して約六〇〇〇万円の貸付金を有していたことが推認される。また、とりあえず定期預金一〇〇〇万円を取り崩して五倍の五〇〇〇万円の融資を希望したこともあわせて推認される。

(2) ライフは『事業を行っていない女性に口座開設を認めない』こと

同日夜、伊三郎は伊藤、ふみ、和代らに対し、ライフで問合せたところ、事業を行っていない女性には口座開設を認めないようだと報告した。

そのため、ふみは、「女って株を買えないのよね。女はいつも馬鹿みるんだから。」などと残念がった。また、和代は、「そんなことはないでしょう。女だってお金さえあれば株は買えるんでしょう。」などと納得しなかった。

そこで、伊藤は、パンフレットにもその旨の記載がないこと、伊三郎または伊藤が各人のために連帯保証人となるか、又貸しをするなどの方法をとれば、ライフは融資に応じるのではないかと意見を述べた。

その結果、伊三郎の意向を受けて、翌日、今度は伊藤がライフへ行って詳しく調べてくることとなった。

3 四月一七日頃

(1) 東都信用組合からの融資実行

この頃、アーバンは、かねてより不動産仕入れ資金として借入れを申込んでいた東都信用組合から金七〇〇〇万円の融資実行を受けた(ライフ池袋借入保証金調達形態図、弁一一一参照)。

(2) ライフへの最初の伊藤の訪問

この日、伊藤は、ライフへ初めて一人で訪問し、溝田支店長及び上野代社員からライフの融資システムの説明を受けた。

(3) 転貸融資は構わないとの回答

その後、伊藤は右両名に対し、飛島株を親族らも買いたいのでライフから融資してもらえないかと頼んだ。すると、上野代は、女性は株で損をすると感情的になってトラブルになることが多いので、事業をやっていない女性には融資していないと回答した。

そこで、伊藤は、更に、伊藤や伊三郎が保証人になるとか、転貸融資をする方法ではどうかと頼んだ。すると、両名は、連帯保証ではまずいが、転貸融資ならば、株券を預かることに同意だけしてくれれば構わないと回答した。

(4) 伊藤の証券投資ローン申込書(弁一一三)

この日、伊藤はライフにおいて、最後に右申込書を作成した。

伊藤は上野代に対し、希望融資極度額として、三億円を申込んだが、二億九〇〇〇万円と記載された。三億円を申込んだ根拠は、同日融資実行された東都信用組合からの七〇〇〇万円のうち五〇〇〇万円をアーバンから借用し、かつ、買付済みの飛島株二万六〇〇〇株の株券約一〇〇〇万円があったので、合計六〇〇〇万円の五倍融資ということである。すると、上野代は、株券については若干掛け目があるので二億九〇〇〇万円にしようということなったのである。

なお、伊藤は、転貸融資は構わないとの回答であったから、自分が追加的に買付を予定している飛島株一七万三〇〇〇株の買付資金約七〇〇〇万円を超えて、希望融資極度額二億九〇〇〇万円で申込みをした。

(5) 親族への報告

この日の夜、西ケ原の自宅において、伊藤は伊三郎、ふみ、和代、光江らに対し、ライフは事業をやっていない女性にはやはり融資してくれないが、伊三郎や伊藤からの転貸融資は認める扱いである旨報告した。

(6) 買付資金の計算と飛島株購入の決断

この時点で、伊三郎と伊藤とは、当面合計一億二〇〇〇万円の保証金が用意できる見込みであった。そのため、ライフの五倍融資を利用して合計六億円の買付資金を確保すれば、当時飛島株一九万九〇〇〇株の買付資金は厳密に計算すると一人当り約八〇〇〇万円あれば足りるので、単純計算で七人分の融資枠があることを確認した。

その結果、

<1> 伊三郎は、この計算を踏まえて、各人に対し、「楽々買える。こんなチャンスは一生に一度しかないから、是非みんな買ったほうがいいよ。」などと勧誘したのである。

また、伊三郎は、「みんなで目一杯買って儲けよう。」、「儲けたら不動産でも買って、家賃収入を得れば一番いいや。」などと発言し、更に、ふみに対し、「俺がライフから借りてお前に貸してやる。だからお前買えるからいいぞ。」などと話しかけていた。

<2> ふみは、「じゃあ私も一九万九〇〇〇株是非買うわ。」と断言した。更に、ふみは、「自分のあり金が一〇〇万円あるからこれも保証金に出すわ。」などとも発言した。

<3> 和代もこのとき、買付資金約八〇〇〇万円を伊藤から転貸融資して貰うつもりで、「私も一九万九〇〇〇株是非買うわ。」と買付意思を確定した。

<4> 光江もこのとき、非常に喜び、この買付資金約八〇〇〇万円を伊三郎から転貸融資して貰うつもりで、「私もじゃ一九万九〇〇〇株買うわ。」と買付意思を確定した。

その際、和代、ふみなどは、電卓をたたきながら、株価が倍の八〇〇円になれば約八〇〇〇万円儲かる、とか、松尾情報では三〇〇〇円まで値上がりするということだが話半分の一五〇〇円としても約二億円儲かる、などと話がはずんだ。

4 金銭消費貸借契約証書の作成の確認

このとき、伊藤は皆に対し、「金額も大きいから、貸借を明確にし、所得の帰属を明確にするために、金銭消費貸借契約証書を作っておいたほうがいい。」、「不動産を買ったあと、必ず税務署から不動産購入のお尋ねという書類が来るから、そのときに、飛島建設の株の購入原資はどうしたかの説明資料すなわち原資証明として、確定日付も取っておいた方がいい。」などと説明した。その結果、伊三郎らはこれを了解し、伊三郎は伊藤に対して書類の用意を依頼した。

5 口座開設及び売買注文の手続代行の依頼

同時に、伊三郎と伊藤は、ふみ、和代、光江らから、口座開設や売買注文などの事務的な手続を依頼されて代行することを了承した。

6 八重子及びハツ江への飛島株購入を勧める話

同日(四月一七日)頃の夜、伊三郎は我孫子の八重子に対して電話を入れ、「すごい儲かる株情報がある。」、「みんな家族で買うんだよ。」、「野田へ来いよ。」などと連絡を入れた。

更に、伊三郎は伊藤及び和代に対して、「川崎のお母さんにも勧めてあげなよ。」などと発言していた。和代、伊藤はもちろん賛成した。

7 ライフとの契約(四月一八日)

(1) 伊三郎の証券投資ローン取引約定書(弁一一六)、使用印鑑票(弁一一七)

昭和六一年四月一八日付であるが、伊三郎は前日夜に伊藤と一緒に作成し、翌一八日に伊藤の分と一緒にライフへ提出したものである。

(2) 伊藤の証券投資ローン取引約定書(弁一一四)、使用印鑑票(弁一一五)

これも同日付であるが、伊藤は前日夜に作成し、伊三郎に翌一八日にライフへ提出してもらったものである。

一一 ハツ江の飛島株購入の決断

1 四月一七日頃の夜か翌一八日頃、電話勧誘

伊藤はハツ江の夫である木村智一(以下「智一」ともいう)に対し、飛島株情報を伝えて購入を勧め、ライフの五倍融資を利用してハツ江にも購入を勧めたいので近いうちに訪問する旨の約束をした。

2 四月二三日頃、ハツ江宅訪問

(1) 飛島株情報及びライフの融資システムの説明

この頃、伊藤と和代は子供三人を連れて、智一、ハツ江宅を訪問した。そこで、伊藤は智一、ハツ江に対し、蛇の目ミシン株の棒上げ、三社協定の話、段ボール箱目撃事件、ライフの融資システムなどを詳しく説明した。

(2) 転貸融資による飛島株購入の勧誘

<1> 伊藤と和代は一緒にハツ江に対し、伊三郎から、ハツ江にもライフから転貸融資をしてあげて、儲けてもらって、それで不動産を買い安定収入を得るようにするといいから勧めてあげなさいと言われていること、伊三郎が皆に勧めて、ふみ、光江、八重子らもみんな買うことなどを説明した。

<2> 更に、伊藤はハツ江に対し、一九万九〇〇〇株ならば非課税枠であること、松尾情報では将来株価が三〇〇〇円くらいになるとのこと、もしハツ江が買うなら伊藤が転貸融資すること、その場合、税務署に対する株取引の原資証明として金銭消費貸借契約証書(以下「金消」ともいう)を作成し確定日付をとること、ライフの金利は立替えておくので売却時に精算すること、売買注文などの手続は代行してあげることなどを説明して買付の勧誘をした。

<3> また、和代もハツ江に対し、和代が昨日一九万九〇〇〇株買って、一日で八〇円値上りしたから現在約一六〇〇万円儲かっていること、蛇の目ミシン株が棒上げしたこと、伊三郎がライフを見つけてきて五倍融資で貸してくれること、ライフは女性には融資しないが転貸融資なら構わないこと、利益があれば智一もゆっくり尺八や邦楽の勉強ができるからいいのではないかなどと、伊藤から転貸融資を受けて飛島株を一九万九〇〇〇株買うことを勧めた。

<4> 智一は、同席のうえ、ハツ江に対し、飛島株は内需関連株なのでこれからよくなるから、非常にいい情報であること、ライフの融資システムは損しても二割だから、賭けてみる価値があること、伊藤がこれだけ勧めてくれるのだから頼むことにしてはどうかということ、などを発言していた。

なお、智一は、飛島株を買うように勧める伊藤に対し、「ちょっと様子をみてから買う。」と回答しながら、ハツ江に対する転貸融資などについてはよろしく頼むと依頼した。

3 ハツ江の飛島株購入の決断

ハツ江は、儲かって不動産を買えれば伊三郎のように安定した家賃収入が入るのでいい、などと言いながら、伊藤からの転貸融資により一九万九〇〇〇株を是非買いたいと決断した。そして、売買注文などの手続を伊藤に依頼した。

この場には、終始、伊藤、和代、智一、ハツ江の四名が同席して協議したものである。

一二 八重子の飛島株購入の決断

1 四月一七日頃の夜、伊三郎からの電話勧誘

伊三郎は、前記のとおり、ふみ、和代、光江らも飛島株一九万九〇〇〇株を買付けることを決断した日のうちに、八重子に対して電話で勧誘した。

2 四月二〇日過ぎ頃、野田の伊三郎宅での勧誘

(1) 伊三郎は八重子に対し、飛島株が伊藤からの情報で値上がり間違いなしの株であること、飛島株は内需関連株でこれから良いこと、老後のために株で儲けるといいこと、資金さえあれば二〇万株未満なら非課税だから買えること、二〇〇〇万円を持参すれば一億円融資してくれるライフという証券金融会社があること、買付資金は伊三郎が用立ててあげてもよいこと、ライフでは二割株価が下がると自動的に処分されること、もし株取引で失敗しても自分にある程度財産があるから大丈夫であること、売買注文等の手続は伊三郎が一任を受けてやってあげること、主人の正一もここで賭をして思い切って買付るように勧めてはどうかということなどを具体的に話して聞かせた。

これに対して、八重子は、伊三郎が大変強気で積極的に勧めてくれるし、香港で主婦が東京からの株情報で大変な利益を上げた評判も知っていたので、買付資金を用立ててくれるならば私も欲しいからお願いしますと頼んだ。そして、八重子は、その場で、伊三郎に対し、取引用の印鑑を持って来ることを約束した。

この時点で、八重子は、伊三郎の財産が三億円位あること、癌のため数年の命であること、自分の相続すべき財産がかなりの額になることを承知していた。

(八重子平3・9・13付法廷証言35丁表から48丁裏まで)

(2) 右の話し合いの席には、ふみの他、たまたま来訪した和代も同席して、伊三郎と八重子との右の話し合いを聞いていた。そこで、和代は、伊三郎が八重子に対し、二〇万株未満は非課税だから目一杯一九万九〇〇〇株まで買えること、こんなチャンスは一生に一度しかないので、目一杯買って、それで不動産に換えておいたほうが安心であること、購入資金については伊三郎が貸してあげるので心配しなくていいことなどを発言しており、八重子は伊三郎に対し、私もよろしくお願いしますと依頼し、手続のための印鑑を持参することを約束していたことなどを確認している。

(和代平4・7・8付法廷証言24丁表から28丁表まで)

3 四月二四日か二五日頃、伊藤から八重子への電話確認

伊藤は伊三郎から、この頃、西ケ原の自宅で、後記のとおりの買付の資金繰りの話しの後、八重子も一九万九〇〇〇株買うから早速に口座開設や買付の段取りを取るようにと指示された。

そこで、伊藤は八重子に対し、その場から電話で、伊三郎から聞いてると思うが飛島株を買うことでいいのか、三井信託の松尾情報であること、蛇の目ミシン株が凄い値上がりをしたこと、株券を銀行へ持ち込む現場を目撃したこと、株価が随分上がってきているので至急証券会社に口座開設すべきことなどを話した。すると、八重子は伊藤に対し、凄い情報であると伊三郎から聞いていること、口座開設にすぐ行ってもいいが、ライフや第一証券を利用する関係で任せたほうが良ければ任せること、手続は全部お願いすることなどを話した。

(伊藤平4・10・22付法廷供述57丁裏から58丁裏まで)

(八重子平3・8・21付法廷証言8丁表から9丁表まで。同平3・9・13付法廷証言48裏から53丁表まで)

一三 各人の飛島株買付の資金繰りの変更

1 伊三郎の要求

(1) 四月二四日か二五日頃、西ケ原の自宅で、伊三郎は伊藤に対し、急に、光江と八重子の買付資金については、伊藤がライフから転貸融資するように要求し、以前の約束の変更を求めた。

(2) 光江や八重子に対する転貸融資は、当初伊三郎が実行するという約束であったが、伊三郎が右のとおり変更した理由は、ライフに差し入れる保証金には金利がつかないので、協和ファクターに対する貸付金をできるだけそのまま残しておこうと考えた結果である。

この時、伊三郎は伊藤に対し、「光江や八重子に対する転貸融資を実行すると自分の利息収入が無くなる。」と言った。更に、当初の約束どおりの実行を求める伊藤に対し、伊三郎は、「西ケ原の自宅も豊島町の八光荘もお前の事業のために担保に入れている。協和ファクターにも六〇〇〇万円も貸付けている。それでお前は儲けている。それに、飛島株も安いときに二万六〇〇〇株買って既に何百万円も利益が出ている。」などと言い返したりした。

2 伊藤の資金繰り

(1) 伊藤は、この時点で、二億九〇〇〇万円のライフの融資枠は、<1>和代一九万九〇〇〇株分約八〇〇〇万円、<2>小林和枝一九万九〇〇〇株分約八〇〇〇万円、<3>松尾治樹一六万四〇〇〇株分約八〇〇〇万円、<4>伊藤自身の一〇万株分約五三〇〇万円などとして、全て使ってしまっていた。

(2) しかし、伊藤は、四月二五日に融資実行される日本ファクターからの融資金二億円のうち五〇〇〇万円を利用することができるので、内一〇〇〇万円を伊三郎からの飛島株二万六〇〇〇株分の借入返済に廻し、残四〇〇〇万円をライフへ追加保証金として差し入れて二億円の融資を受けることができる見込みであった。

3 二人の協議結果

(1) そこで、伊藤は伊三郎に対し、光江とハツ江に対する転貸融資を行うことを約すると共に、伊藤が小林和枝に対して転貸融資済みの約八〇〇〇万円分については、小林に頼めば、見返りとして八重子に対して転貸融資してくれると思うと説明した。(東都信用組合からの五〇〇〇万円の融資金を、伊藤が株価の安いうちに先に借用してライフで利用したので、小林と相談の結果、伊藤が約八〇〇〇万円を小林和枝に転貸融資していた。)

(2) 伊三郎は、この説明を聞いて、伊藤に対し、小林から八重子に対して見返りの転貸融資約八〇〇〇万円を実行してもらい、株価が高くなって一九万九〇〇〇株買付けることができないその不足分については伊三郎から八重子に対して転貸融資すること、伊藤が光江や八重子の口座開設や買付手続については光江や八重子と打合せてやってあげるようにと言い、伊藤もこれを了承した。

一四 親族らが飛島株の購入を決意した動機

1 ふみ

ふみは、当時、主人の伊三郎が癌で先がないこと、自分の老後に子供達の面倒をあてにすることはできないこと、光江が子供三人を抱えて離婚状態なので援助してあげたいこと、八光荘のアパートの改築や西ケ原の自宅の改修もしなくてはいけないこと等の事情があり、飛島株取引で多額の儲けが出ればよいと考えていた。

(ふみ平4・4・9付18丁表から22丁裏まで)

2 和代

和代は、当時、伊三郎からこんな情報は一生に一度のチャンスだと言われ、ふみと電卓を叩きながら、伊三郎や伊藤の前で、飛島株取引で株価四〇〇円が一五〇〇円になれば二億円からの利益が出て、自分だけの財産を持つことができると計算したりしていた。和代は、自分の両親が本当にお金に苦しい思いをしながら自分を育ててくれたことを知っているため、自分の子供達にはお金の心配や苦労をさせたくないとの思いを強くもっていたので、是非ともこの飛島株取引で多額の儲けを得たいと考えていた。

現に、和代は、その頃、伊藤に飛行機事故など万一のことがあった場合、同人は資産もあるが負債もあるので、小さな子供三人を育てて行くためにはそれなりの財産を持たないといけないと思い、独自に収入を得ることができるように、昭和六一年五月頃から勉強を始め翌年一〇月に宅地建物取引主任者の資格を取ったりした(弁一〇三)。

(和代平4・7・8付法廷証言19丁裏から22丁表まで)

3 光江

光江は、当時、小さな子供三人を抱えて夫と別居しており、生活や経済状態が不安定であった。二DKの狭いアパート住まい出もあったため、将来自分の財産としてお金とか不動産を持ちたいとの思いは切実であった。

そこへ、何十年も株取引で儲けてきた実績を持つ父・伊三郎が光江に対し、「絶対これはチャンスだ、大丈夫だ、お前も、」などと強く勧めたので、光江は、慎重かつ堅実な父・伊三郎の言葉により、間違いなく儲かると思い、買うことを決心した。

(光江平4・6・5付法廷証言23丁から24丁表まで)

4 ハツ江

ハツ江は、当時、伊藤や和代から飛島株情報は確実な情報であること、伊藤や和代は勿論、伊三郎、ふみ、光代、八重子らも買っていること、伊三郎も飛島株は値上がり間違いなしの株と言っていること、買付資金も伊藤がライフから転貸融資してくれること等の勧誘を受けた。また、智一もハツ江に対し、同席して、飛島株の買付を頼んではどうかと勧めた。そのため、飛島株取引で多額の儲けを得ることができれば、商売をしている夫・智一に万一のことがあった場合でも、また、自分が現役で働けなくなったときでも、自由にできるお金があれば安心できると思い、この買付を決心した。

(ハツ江平3・11・29付法廷証言10丁表から14丁裏まで。平3・12・20付7丁裏から8丁表まで)

5 八重子

八重子は、香港時代に、自分と同じ年代の人が香港にある日本の証券会社に出入りして、株で儲けて日本人が羨むようなマンションを買ったという事実があったことを聞き、株は儲かるものとして大変興味を持っていた。

そこへ、父・伊三郎から八重子に対し、当時、伊藤からの確実な情報があり、値上がり間違いなしの株である、お前も老後のために株を買ってみたらどうだと勧められた。八重子としては、株取引で儲ければ老後のためにいいと思うと同時に、ボランティア活動の資金として自由に使えるお金が欲しかった。

(八重子平3・8・21付法廷証言25丁裏から26丁表。平3・9・13付法廷証言35丁裏40丁表まで)

第二 右一連の経緯は、不自然であって、虚構であるとの事実認定について

一 「自己の収支計算」で株式取引を行う認識

原判決は、右一連の経緯を抽象的に指摘しつつ、『不自然である』と一方的に断定し、結局、虚構の話であると事実誤認している(原判決10丁裏1行目から12丁表4行目)。原判決の認定事実のうち、『伊三郎の資産を相続できる立場にない和代やハツ江までが、・・・損失が生じた場合には伊三郎の財産を当てにしていた』という点については、そのような約束がないことは前述のとおりであって、かかる事実を認定するに足る証拠は全くない。また、『通常の取引主体であれば当然負担すべき危険を全く負担しないというのは、大規模な株取引を行う者の態度として不自然というほかない。』と指摘するが、各名義人は、儲けの裏側には損失危険が背中合わせであることを意識し、認識しているからこそ、伊三郎や伊藤が積極的に勧誘した結果飛島株取引を行う決断をし、後述のとおり、飛島株取引に必要な口座開設及び買付、金消の作成などを実行したと見るべきである。すなわち、伊三郎の資産を相続できる立場にあるふみ、光江、八重子は勿論のこと、伊藤や智一の支援を期待できる和代、ハツ江も、「自己の収支計算」で株取引を行う認識をもって、飛島株取引の決断をしたと見るべきである。

二 飛島株取引の勧誘に関する証拠の存在

伊藤や伊三郎が、親族らに対して飛島株取引を勧誘したことは、すでに指摘した物証や次の人証に照らして明らかである。

<1> ふみ、和代、光江らに対して勧誘した事実は、伊藤の法廷供述のほか、ふみ、和代、光江らの真摯な法廷証言がある。

<2> 八重子に対して勧誘した事実は、伊藤の法廷供述のほか、ふみ、和代、八重子らの真摯な法廷証言がある。

<3> ハツ江に対して勧誘した事実は、伊藤の法廷供述のほか、和代、智一、ハツ江らの真摯な法廷証言がある。

(ふみ平4・4・9付法廷証言11丁表から39丁裏まで)

(和代平4・7・8付法廷証言2丁裏から35丁裏まで。同平4・7・29付法廷証言1丁表から4丁表まで)

(光江平4・6・5付法廷証言11丁裏から26丁裏まで)

(八重子平3・8・21付法廷証言2丁表から7丁裏まで。25丁表から26丁表まで。同平3・9・13付法廷証言34丁表から62丁表まで)

(ハツ江平3・11・29付法廷証言8丁表から17丁表まで。同平3・12・20付法廷証言3丁裏から8丁表まで)

(智一平4・3・13付法廷証言7丁裏から15丁表まで。同平4・4・9付法廷証言10丁裏から28丁裏まで)

三 飛島株取引の勧誘と名義貸しの依頼との二律背反性

仮に、伊藤や伊三郎が借名取引をしようとしていたのならば、親族らに対して名義貸しを依頼することと、飛島株取引を勧誘するということとは二律背反となる。

要するに、伊藤や伊三郎が親族らに対して飛島株取引の勧誘をしたことが架空の作り話であるとの認定事実は著しい事実誤認であって、各名義人が、伊藤や伊三郎から具体的に勧誘されて買付の決断をしたことは証拠上明らかである。この勧誘の事実の存在は、被告人に脱税の故意がなかったこと、各名義人の飛島株取引が各名義人の収支計算で行われたことの一つの重要な根拠である。

原判決は、伊藤と各名義人との間において、何時、何処で、どのような名義貸しの依頼と合意がなされたかの点につき、一切事実認定をしておらず、後述の事情に基づく資金の流れ・使途という外形的事実を根拠として、結果から遡って、伊藤の脱税の故意を認定するものであって、著しく正義に反する重大な事実誤認である。

四 各名義人の資産、株取引の経験、非課税取引枠限度いっぱいの取引

1 保証金とその信用に依拠した取引

原判決は、『和代、光江、ハツ江、八重子の各名義で行われた飛島株取引は、いずれも伊藤がライフに差し入れた保証金とその信用に依拠して行われた取引である。』旨を認定しており(原判決3丁表3行目から8行目)、そのこと自体は特に争いはないが、結局、この事実のみを切り離して有罪の一つの根拠としていることに重大な事実誤認がある。

2 資産、経験など

また、原判決は、『和代らは、その当時、いずれもさしたる資産は持たず、株取引の経験もなかったが、昭和六一年中に同女らの名義で購入された飛島株は、被告人の名義によるものと同じく、いずれも当時認められていた非課税取引限度枠いっぱいの一九万九〇〇〇株であった。』と認定し(原判決3丁表9行目から3丁裏1行目)、この事実をも有罪の一つの根拠としている(原判決12丁表5行目から6行目)。

3 確実な飛島株情報及びライフの五倍融資などの特殊事情の存在

しかし、当時の伊三郎の説明によれば、借金一億円しても飛島株という財産一億円が増える訳だから何も心配ない、本件の飛島株情報は、一生に一度しかないような値上がり間違いなしの株で、まして時代背景も良いので、尚更心配ないと言うことであった。株購入のための借入金は、金消に明記されているとおり、飛島株を売却したときに返済すればよいのであるから、購入時点で「返済するほどの資力」があったかは特に問題がない。

しかも、伊三郎と伊藤とは、自らも非課税枠の一九万九〇〇〇株を買付けるが親族の皆に対しては、ライフの五倍融資を利用して転貸融資してくれるし、口座開設や売買注文手続などもしてくれるということであった。まして、伊三郎は和代、光江及びふみらに対し、万一失敗しても財産三億円あるから心配するなとまで言って、熱心かつ積極的に勧誘してくれたのである。

親族達は、非常に堅い人間で通っていた伊三郎がこれだけ一生懸命勧めるのだから、絶対間違いない株であると思うと同時に、転貸融資を受けてその株式を買付ようと思ったことは極自然である。

4 伊藤の資産、経験

このように極めて特殊な事情の下で、ふみ、和代、光江、八重子らは勿論、伊藤夫婦や智一からも勧められたハツ江は、それぞれ前記のとおり株で儲けたいとの動機を持っていたのであるから、資産及び経験がないとしても、本件の如く思い切って大量の株取引に踏み切ったことは不自然とはいえず、原判決指摘の前記事実は有罪の理由にならない。伊藤本人にしても、その時点までに、飛島株取引の以前には全く株取引の経験はなく、税理士及び会社経営をしているとはいえ未だ資産というべきものがなかったことに留意すべきである。

(伊藤平4・9・4付法廷供述48丁表から54丁表まで)

五 仕手株

原判決は、『飛島株についての情報は、いわゆる仕手筋といわれる特定の個人が飛島株に狙いを付けて買い占めるという特殊な情報であって、売時期を間違えると多大な損失を被る危険を伴うものであった。また、伊三郎は、株取引の経験があり、飛島株の買占めに先立って小谷が買い占めた蛇の目ミシンの株価が上昇したとの情報を被告人から知らされ、新聞の株式欄でそのことを確認していたとはいっても、過去に右のような仕手株といわれる株の取引経験を有していたとの事情は窺われず、、性格も堅実だったというのであるから、数億円の財産全部を引当てに、さしたる資産や株取引の経験のない親族、殊に自分の相続人とはならないハツ江や和代を含めた親族に、飛島株の購入を積極的に勧めたというのは極めて不自然である。』と認定している(原判決11丁表末行から11丁裏9行目)。

しかし、飛島株は仕手株であるとの話しは、伊三郎、伊藤、その他親族達の間で殆ど出ていなかった。逆に、飛島株は、三社協定の話しもあり、内需拡大の時期で時代背景も良いし、あらゆる条件が全部揃っているので、財産株として価値があるという話しがあったのである。伊藤及び伊三郎間で仕手株であるとの認識があっても、本件の飛島株情報は、一生に一度しかないような値上がり間違いなしの株で、まして時代背景も良いので、尚更心配ないと言うことであった。従って、『仕手株』を理由に、右一連の経緯を虚構の話と決めつけるとすれば、経験則に反する認定である。

(伊藤平4・9・4付法廷供述46丁及び54丁)

第三 注文手続、売買報告書の保管などについて

一 買注文、売注文、売買報告書

原判決は、『被告人は、自分の判断で、第一証券池袋支店で、右和代らの名義による飛島株購入のための買い注文や売り注文を行い(ただし、八重子名義の株の売却については、被告人が小林にその手続を依頼して行った)、また、売買成立後、証券会社から各名義人宛に送付された売買報告書は、被告人が各名義人から交付を受けて保管していた。』と認定しており(原判決3丁裏2行目から6行目)、結局、これらの事実も有罪の根拠の一つとしている。

二 株式売却益の帰属に関する判例など

株式取引による所得が誰に帰属するかの判定は、それを生み出すために費やした勤労それ自体には左右されず、むしろ何人の収支計算の下において行われたのかが問題である。(最高裁昭和三三年七月二九日判決)。本件の各名義人は、飛島株等の株式をそれぞれの買付意思に基づき、買付資金を独自に用意したり、伊藤や伊三郎らから借り受けたりして買付け、これを所有し、その後これを売却したのであるから、各人の収支計算の下において売買されたと見るべきである。たとえ伊藤または伊三郎がその利益を生む原因となる株式の売買注文等の手続きや売買報告書の保管を行ったとしても各人にそれぞれの売却益が帰属すると認定することに差し障りがない以上、これらの手続等を伊藤が行った事実を、脱税の故意の認定の根拠にすることはできない筈である。むしろ、これらの手続の経緯などの事実関係の詳細からは、各名義人の収支計算で売買を行う意思が認定されるのである。

三 株式の買付意思・手続代行意思、購入原資、注文手続、売却益の管理・精算など

1 株式の買付意思・手続代行意思

各名義人の飛島株等の買付意思や伊藤や伊三郎の手続代行意思の存在は、各名義人が飛島株等の株式購入を、伊藤や伊三郎から勧められた経緯、各名義人の購入動機の存在、各名義人の具体的な口座開設の手続及び売買注文等の手続の経緯、各名義人が伊藤や伊三郎から転貸融資を受けて金消を作成した経緯など、後記の事実関係から明らかである。

2 購入原資

原判決は、伊藤や伊三郎以外のふみ、和代、光江、ハツ江、八重子らは、株式購入原資を負担していないと評価しているようである(原判決3丁表7行目から8行目)。しかし、ライフは、当時、『事業をしていない女性には口座開設に応じない』運用をしていたため、右の女性達は、伊藤及び伊三郎から『種銭』を借り入れたうえライフから直接の融資を受けて購入原資とすることができなかったので、伊藤及び伊三郎から転貸融資を受けたのである。

ライフの伊藤及び伊三郎の取引台帳には、括弧書きで転貸融資を受けた各名義人の氏名が記載されていたか、少なくてもライフにおいては株券を担保として預かる必要上からも転貸融資の内容を管理・把握していたものである。この転貸融資に基づき、伊藤及び伊三郎と各名義人との間において貸借の合意ができて金消が授受されたことにより、各名義人の株式購入の原資は正に各名義人が捻出したことになる。

原判決は、この金消は通謀虚偽表示による架空・無効のものであると評価しているが、そのようなことを裏付ける合理的な証拠は存在しない。原判決は、八重子とハツ江の検察官面前調査を指摘し、その内容を援用するが、これらは、後述のとおり、証拠能力も信用性もないものであって、他の証拠に照らせば、これらの金消が有効に存在していたことは、後記の事実関係から明らかである。

3 株式売買の注文手続

株式売買の手続については、伊藤及び伊三郎が各名義人から依頼されて、ライフに対する融資申込みや、ライフと提携して一体となっている証券会社に対する売買の注文手続をしたが、この場合でも、伊藤は、売買一任のような形態ではなく、売買の都度各名義人の株式買付意思を確認したうえ、売買注文を代行したにすぎない。

証券会社からの売買報告書も当然に各名義人宛に郵送され、各名義人は自己が取引をしている銘柄、株数、代金額などをその都度熟知していたのである。

すなわち、伊藤及び伊三郎はその裁量で自由に各名義人の株式取引をしていた訳ではない。また、各名義人は、その意思に基づいて金消により原資を借用のうえ、自らの収支計算の下で各株取引を行っていることを十分認識していたのである。

4 売買報告書の保管、株式売却益の管理・精算など

株式売却益の管理・精算などについても、税理士である伊藤は、各名義人毎の収支計算を個別管理し、正確に精算をしている。そのために、各人から売買報告書の交付を受けて保管していたのである。そして、各飛島株の取引終了後、正確に精算のうえ、妻である和代以外の各名義人に対しては各名義人が日常的に使用している銀行預金口座に振り込んで送金している。その振り込みの時点で、株式売却益の管理及び精算はすべて終了したのである(和代分は別途精算)。

第四 各株取引口座の開設手続、注文手続などに関する事実経過について

一 伊三郎の申込と利用

1 申込み

昭和六一年四月一六日頃、伊三郎はライフに対して、証券投資ローンの申込をし(証券投資ローン申込書、弁一一二)、同月一八日頃、同日付証券投資ローン取引約定書(弁一一六)、使用印鑑票(弁一一七)などを差し入れた。

2 利用(保証金の差入と五倍融資)

(1) 同月一七日、伊三郎は、京葉銀行(野田支店)から定期預金担保で融資を受けた一〇〇〇万円を、ライフに対して、保証金の一部として振込入金した。また、同月二六日、伊三郎は、同月八日、九日に伊藤が飛島株二万六〇〇〇株を購入するに際して伊藤に貸付けた一〇〇〇万円の返済として、伊藤から、八八〇万円と一二〇万円の二口に分けてライフの伊三郎の口座への振込入金を受けた。

(借入保証金調達形態図、弁一一一。伊藤平4・9・29付法廷供述38丁裏から41丁裏まで)

(2) 同月二六日現在におけるライフの伊三郎の口座の保証金残高は右のとおり二〇〇〇万円であるが、その後、伊三郎は、協和ファクターから三〇〇〇万円強の返済を受けて、これをライフの保証金に入れている。

(3) その結果、ライフから五倍融資を受けて、自分自身の飛島株一九万九〇〇〇株分約九二一六万一〇〇〇円(同月二一日、二四日買付)、ふみの一九万九〇〇〇株分約一億〇九八二万五〇〇〇円(同月二四日、二八日買付)、八重子の七万三〇〇〇株分約五五五一万八〇〇〇円(五月七日買付)の合計約二億五七五〇万四〇〇〇円の買付資金を自分自身のため利用し、または転貸融資した。

(伊藤平2・11・10付検面調書添付資料<2>飛島建設株の名義人別の取引結果調査書・以下「別紙取引一覧表」ともいう)

(4) 検察側は、第一審の論告要旨において、「被告人は、伊三郎がライフに融資枠を設定するに際しては、保証金の一部を調達しており、ライフの伊三郎名義の融資枠は、実質的には被告人と伊三郎の『混合口座』と認められる・・・」と主張している(同60頁)。しかし、伊三郎は、調達保証金の全部を、伊三郎の京葉銀行(野田支店)からの借入金、伊藤からの返済金(飛島株二万六〇〇〇株分)及び協和ファクターに対する従前からの貸付金の返済金をもって充当しているのである(協和ファクターの修正確定申告書、弁一一〇)。

伊藤は自分自身の金を伊三郎のライフ口座に入金する理由も必要も全くない。ライフの伊三郎名義の口座は、口座設定の経緯や利用方法や遺産分割協議書(弁一三三)、相続税の申告書(弁一三四)の記載内容などから見て、伊三郎の独自口座であり、『混合口座』などと言われるべきものではない。

原判決は、やはり、伊藤が当初保証金二〇〇〇万円の半分を入金したとの事実を認定し、その上で、ライフの伊三郎名義の口座は、昭和六二年一月当時、実質上伊藤がその計算により自由に利用していたと認定している(原判決12丁表8行目から12丁裏5行目)が、実質的には右の『混合口座』と同じ認定である。

右認定は、ライフの伊三郎名義の口座が同人の生存中は最初から最後まで伊三郎の独自口座であったにもかかわらず、伊三郎が死亡してしまったために十分な反証ができないでいる状況下で、挙証責任を被告人に転換し、「疑わしきは被告人の利益に」の原則を無視したものであり、著しく正義に反する重大な事実誤認である。

二 伊藤の申込と利用

1 申込み

昭和六一年四月一七日頃、伊藤はライフに対して、証券投資ローンの申込をし(証券投資ローン申込書、弁一一三)、翌一八日頃、同日付証券投資ローン取引約定書(弁一一四)、使用印鑑票(弁一一五)などを差し入れた。

2 利用(保証金の差入と五倍融資)

(1) 同月一七日、東都信用組合(銀座支店)からアーバンが不動産仕入資金として融資を受けた七〇〇〇万円のうち五〇〇〇万円を、共同経営者の小林の同意を得て、伊藤が借受け、同月一九日、これをライフの伊藤の口座に振込入金した。

また、同月二五日、日本ファクターから小倉硝子が工場設備資金として融資を受けた二億円のうち五〇〇〇万円につき、共同経営者の小林の同意を得て、伊藤が借受け、同月二六日、前記のとおり八八〇万円を伊三郎に返済してその残金四一二〇万円ライフの伊藤の口座に振込入金した。

(借入保証金調達形態図、弁一一一。伊藤平4・9・29付法廷供述38丁裏から41丁裏まで)

(2) 伊藤はライフに対し、他に飛島株の株券(二万六〇〇〇株)や二〇〇〇万円弱を入金して、保証金合計額として、実質約一億二〇〇〇万円を積んでいる。

(3) その結果、伊藤は、ライフから五倍融資を受けて、別紙取引一覧表のとおり、

<1> 伊藤の一七万三〇〇〇株、九七七四万六〇〇〇円(同月二四日、二八日買付。一〇〇〇円未満切り捨て。以下同様)

<2> 和代の一九万九〇〇〇株、七九六七万一〇〇〇円(同月二二日買付)

<3> 光江の一九万九〇〇〇株、一億二〇七三万六〇〇〇円(同月二八日買付)

<4> ハツ江の一九万九〇〇〇株、一億三三二九万九〇〇〇円(同月二八日、五月七日買付)

<5> 小林和枝の一九万九〇〇〇株、八二一三万八〇〇〇円(四月二二日買付)

<6> 松尾治樹の一六万四〇〇〇株、八〇九二万六〇〇〇円(四月二三日、二四日買付)

以上、合計約五億九四五一万六〇〇〇円の買付資金を自分自身のため利用し、または転貸融資した。

三 第一証券の口座開設及び飛島株買付

1 口座開設及び買付状況(別紙取引一覧表)

(1) 伊三郎の場合

<1> 口座開設

伊三郎は、昭和六一年四月一八日付取引印鑑届兼保護預り口座設定申込書(以下「口座設定申込書」ともいう。弁一二五)を、自ら第一証券株式会社池袋支店(以下「第一証券」ともいう)に提出している。これは直筆かつ実印である。

<2> 買付及び資金

伊三郎は、昭和六一年四月二一日に一〇万株、二四日に九万九〇〇〇株を、自ら注文し、ライフから買付資金の融資を受けた。

(2) 伊藤の場合

<1> 口座開設

伊藤は昭和六一年四月二一日付口座設定申込書(弁一二六)を、自ら第一証券に提出している。これは直筆かつ実印である。

<2> 買付及び資金

伊藤は昭和六一年四月二四日に一〇万株、二八日七万三〇〇〇株を、自ら注文し、ライフから買付資金の融資を受けた。

(3) ふみの場合

<1> 口座開設

ふみは、昭和六一年四月二三日付口座設定申込書(弁八四)を作成し、伊三郎が第一証券に提出している。これは直筆かつ実印である。

<2> 買付及び資金

ふみは、昭和六一年四月二四日に一五万株、二八日に四万九〇〇〇株を、伊三郎に依頼して注文し、伊三郎から買付資金の転貸融資を受けた。

(4) 和代の場合

<1> 口座開設

和代は、昭和六一年四月二一日付口座設定申込書(弁一〇五)を作成し、伊藤が第一証券に提出している。これは直筆かつ実印である。

<2> 買付及び資金

和代は、昭和六一年四月二二日に一九万九〇〇〇株を、伊藤に依頼して注文し、伊藤から買付資金の転貸融資を受けた。

(5) 八重子の場合

<1> 口座開設

八重子は、昭和六一年四月二六日付口座設定申込書(弁一二四)を作成し、伊三郎が第一証券に提出している。これは伊三郎が八重子から口座開設及び飛島株取引のために依頼されて預った印鑑を使用し、伊三郎の指示でふみが代筆したものである。

<2> 買付及び資金

八重子は、伊三郎及び伊藤に依頼して、昭和六一年四月二八日の一二万六〇〇〇株分については伊藤の手配により小林から、五月七日の七万三〇〇〇株分については伊藤の手配により伊三郎から、それぞれ買付の注文手続をしてもらい、かつ買付資金の転貸融資を受けた。

八重子が小林から転貸融資を受けた理由は、伊藤と小林との間で、共同経営のアーバンの資金運用を公平にするために、飛島株の株価が安いうちに、伊藤が小林和枝に対して転貸融資をしてあげたことの見返りであるから、実質的には伊藤が八重子のために転貸融資をしてあげたことと同じ意味である(この場合も、伊藤が小林和枝に転貸融資した金額は、小林が八重子に転貸融資した金額よりも約五六四万円大きいのであって、この辺にも、伊藤と小林との関係や伊藤の人間性がでている。)。

しかし、八重子が伊三郎から転貸融資を受けた七万三〇〇〇株分は、伊三郎が従前から八重子や伊藤に約束していたとおり、伊三郎が転貸融資したものであって、伊藤が融資したものではない。

(6) 光江の場合

<1> 口座開設

光江は、昭和六一年四月二六日付口座設定申込書(弁八六)を作成し、伊三郎が第一証券に提出している。これは直筆かつ実印である。

<2> 買付及び資金

光江は、昭和六一年四月二八日一九万九〇〇〇株を、伊藤に依頼して注文し、伊藤から買付資金の転貸融資を受けた。

(7) ハツ江の場合

<1> 口座開設

ハツ江は、昭和六一年四月二六日付口座設定申込書(弁一〇六)を作成し、伊藤が第一証券に提出している。これは伊藤がハツ江から飛島株取引のための口座開設及び注文手続を依頼されて、会計事務所でたまたま預っていた印鑑を使用し、伊藤の指示で和代が代筆したものである。

なお、この作成日付はゴム印であるところ、同じ作成日付でありながら八重子及び光江のものは手書きである。

<2> 買付及び資金

ハツ江は、昭和六一年四月二八日に一〇万株、五月七日に九万九〇〇〇株を伊藤に依頼して注文し、伊藤から買付資金の転貸融資を受けた。

(伊藤平4・10・22付法廷供述55丁裏から62丁表まで、99丁裏から104表まで)

2 口座開設及び飛島株買付状況の意味

(1) 各名義人の口座開設意思及び株式買付意思

伊三郎や伊藤は他の親族(ふみ、和代、光江、八重子)に対し、飛島株という銘柄、一九万九〇〇〇株という非課税枠の株数、ライフを利用しての転貸融資、買付時期、口座開設などについて詳しく説明し、その口座開設及び株式買付意思に基づいて、右の如き口座開設及び買付の手続をしている。この直筆・実印などによる口座開設及び飛島株買付の状況を見れば、伊三郎及び伊藤が他の親族に飛島株を買わせてあげようとの認識でいたこと、逆に他の親族は自分自身のために飛島株を買付ける認識でいたことが明らかである。

四月二四日から二五日頃、伊三郎と伊藤とが、買付資金の資金繰りを相談し、光江、ハツ江、八重子らに対する買付資金をどちらがどのように転貸融資するかを決定した時点で、株価が急騰してきたため、伊三郎は伊藤に対し、『まだ口座開設の手続をしていない人間にはどんどん連絡して口座開設を代わりにやってやれ』と指示した(伊藤平4・10・22付法廷供述56丁表)。その結果、その場で、和代がハツ江に対して口座開設申込書の代筆の了解をとり、また、伊藤が八重子に対して後述のとおり初めて飛島株取引の件及び口座開設の件で電話連絡を入れている。

(2) 口座開設及び飛島株買付の主体

右の口座開設及び飛島株買付状況と、前記の伊三郎及び伊藤から親族らに対する飛島株購入の勧誘の経緯、親族らの買付動機などと、更に、後記の伊藤及び伊三郎と親族らとの間の金消の作成などとを、連続的に把握し、理解しようとすれば、右の口座開設や飛島株買付の主体は各名義人と評価する以外にない。

四 金消の作成・存在

1 ふみの場合

<1> 貸主伊三郎・借主ふみ間の昭和六一年四月二八日付金消(金額八〇〇三万七二五〇円。弁一二九)が存在する。末尾の貸主欄及び借主欄の署名・捺印は、それぞれ直筆の実印による。

この転貸融資及び金消の作成は、前記のとおり、四月一七日頃の伊三郎・伊藤・ふみ、光江らの話合いのときに決まっていたものである。その後、伊藤は伊三郎からふみの株を買ったから金消を用意してくれと頼まれたので、末尾の署名・捺印以外の部分の手書きをして伊三郎に交付したものである。

金額及び作成年月日は、伊三郎の教示により、転貸融資金額及び買付株式の決済年月日を記載したものである(古屋正孝平2・11・7付検面調書添付の各人の客方勘定元帳参照。以下同様)。

なお、伊藤及び伊三郎は、伊三郎の依頼で金消に確定日付をとっているが、その署名・捺印及びその後の保管には関与していない。

<2> 貸主伊三郎・借主ふみ間の昭和六一年五月八日付金消(金額二九七八万八六〇二円。弁一三〇)が存在する。末尾の貸主欄及び借主欄の署名・捺印は、それぞれ直筆の実印による。

作成の経緯及び内容は右<1>と同じである。

(伊藤平4・10・22付法廷供述97丁裏から99丁裏まで)

2 和代の場合

貸主伊藤・借主和代間の昭和六一年四月二五日付金消(金額七九六七万三二五九円。弁一〇四)が存在する。末尾の貸主欄及び借主欄の署名・捺印は、それぞれ直筆の実印による。

この転貸融資及び金消の作成は、右のとおり、四月一七日頃に決まっていた。金額及び作成年月日の意味は、右のふみの場合と同じであり、以下の場合も同様である。

伊藤は、その後、この金消に確定日付をとり、転貸融資期間中保管し、返済を受けた後は、これを和代に返還した。

(伊藤平4・10・22付法廷供述104丁裏から106丁裏まで)

3 八重子の場合

<1> 貸主小林・借主八重子間の昭和六一年五月二日付金消(金額七六四九万五八七九円。弁四六)が存在する。末尾の貸主欄及び貸主欄の署名・捺印は、それぞれ直筆の実印による。

この転貸融資については、四月二四日か二五日頃、伊藤から八重子に対して口座開設の話しと共に小林から転貸融資を受けることになるかもしれない旨電話で説明済みのことであり、また二八日頃、買付の株数と金額を報告した際にも後日金消を作成するとの話しをし、更に五月七日の確定日付の直前の六日頃、八重子宅を訪問して金消を作成する際にも融資条件などをこの金消の記載に基づいて詳しく説明し、八重子はこれを十分納得して自ら署名・捺印した。

伊藤は、その後この金消に確定日付を取って、転貸融資期間中小林にこれを差し入れ、八重子が返済した後はこれを小林から交付を受けて八重子に返還した。

(伊藤平4・10・22付法廷供述68丁表から76丁裏まで)

<2> 貸主伊三郎・借主八重子間の昭和六一年五月一二日付金消(金額五五五一万八一三二円。弁四七)が存在する。末尾の貸主欄及び借主欄の署名・捺印は、それぞれ直筆の実印による。

この転貸融資については、右<1>の金消を八重子宅で作成した際、伊藤が八重子に対し、非課税枠が一九万九〇〇〇株までのところ、あと七万三〇〇〇株を買うのならば、伊三郎が八重子のために買付資金の段取りをしてあると話した。すると、八重子は非常に積極的に『じゃあ是非残りお願いするわ』と依頼するに及んだので実行された。

この金消は、伊三郎の依頼により、転貸融資日の五月一二日から確定日付の一九日の間に、伊藤が八重子宅に再度訪問して、伊三郎が既に署名・捺印済みのものに八重子の署名・捺印を求めた。

伊藤は、その後この金消に確定日付を取って、伊三郎に渡し、同人は八重子が返済した後にこれを八重子に返還した。

(伊藤平4・10・22付法廷供述76丁裏から88丁裏まで)

4 光江の場合

貸主伊藤・借主光江間の昭和六一年五月二日付金消(金額一億二〇七三万六九八六円。弁八七)が存在する。末尾の貸主欄及び借主欄の署名・捺印は、それぞれ直筆の実印による。

この転貸融資及び金消の作成は、前記のとおり、四月一七日頃に決まっていた。

五月六日の直前頃、伊藤と光江とは、原本一通を作成して、これを伊藤が保管した。

金額及び作成年月日の意味は、和代の場合と同じである。

伊藤は、五月六日、この金消に確定日付をとり、転貸融資期間中保管し、返済を受けた後は、これを光江に返還した。

(伊藤平4・10・22付法廷供述94丁表から97丁裏まで)

5 ハツ江の場合

<1> 貸主伊藤・借主ハツ江間の昭和六一年五月二日付金消(金額六〇七三万一六五〇円。弁一二七)が存在する。末尾の貸主欄及び借主欄の署名・捺印は、それぞれ直筆である。

この転貸融資及び金消の作成は、四月二三日頃、伊藤夫婦がハツ江宅を訪問したときの話合いのときに決まっていたものである。

この金消の確定日付五月七日の直前の六日頃、伊藤はハツ江宅を訪問し、飛島株一〇万株の転貸融資分の金消であることと内容を説明して、署名・捺印を求めた。ハツ江は、他の者の場合と同様、既に証券会社から売買報告書の郵送を受けていたので、伊藤の説明を十分納得してこれに署名・捺印した。

金額及び作成年月日の意味は、他の者の場合と同じである。

伊藤は、五月七日に、この金消に確定日付をとり、転貸融資期間中保管し、返済を受けた後は、これをハツ江に返還した。

<2> 貸主伊藤・借主ハツ江間の昭和六一年五月一二日付金消(金額七二五六万八三九六円。弁一二八)が存在する。末尾の貸主欄及び借主欄の署名・捺印は、それぞれ直筆である。

作成の経緯、内容は右<1>と同じである。

伊藤は、この金消の作成日付の五月一二日から確定日付五月一九日の間に、再度ハツ江宅を訪問し、この金消への署名・捺印をしてもらった。

伊藤は、五月一九日、この金消に確定日付を取り、転貸融資期間中保管し、返済を受けた後は、右の<1>の金消と一緒にハツ江に返還した。

(伊藤平4・10・22付法廷供述88丁裏から94丁表まで)

五 飛島株の株価動向に対する各人の関心

1 飛島株購入後の株価の動きと、松尾の情報

飛島株購入後の株価動向は、当初期待していたように一直線で上昇することはなく、昭和六一年五月末頃から六〇〇円台と七〇〇円台を行ったりきたりする状況が続き(伊藤平4・11・5法廷供述1丁表)、同年一〇月二〇日頃には五〇〇円台で、瞬間的には四〇〇円台まで下がったこともある状況だった(伊藤平4・11・5法廷供述8丁表)。その後、同年一一月ぐらいになって徐々に株価が上がり、一二月には一〇〇〇円近くまで上がった(伊藤平4・11・5法廷供述10丁裏)。

その間、株価が思わしくない時期や、下がった時期には、伊藤が松尾から情報を得ては親族に対して、下がっている理由を説明したり、もうすぐ上がるとの情報を伝えたりしていた(伊藤平4・11・5法廷供述1丁裏、2丁裏、3丁表・裏、4丁裏、7丁裏、8丁裏、9丁表ないし10丁裏等)。

そうした飛島株の株価の変動や伊藤が伝える松尾の情報に対して、親族らは各自以下のとおり、強い関心を持っていた。

2 伊三郎の場合

伊三郎は、新聞やテレビの株式市況放送などで、株価の動向に注意していた。

(ふみ平4・4・24法廷証言6丁表)

(和代平4・7・29法廷証言11丁表)

また、伊三郎は親族の中で一番株価について心配していた。伊三郎は、昭和六一年七月頃から、伊藤に対して「・・・来月上がる、来月上がるって、一向に上がらないじゃないかということで、ちょっといらいらし・・・」たり、さらに八月になると、安く買った分を二万株、三万株という単位で売り始めたりした(伊藤平4・11・5法廷証言2丁表)。

また、八重子が伊三郎の野田の家に行ったりしたときなどには、「・・・とにかく行くと株の話しはよくしていた。その中で、株の情報も一緒にテレビなど見てました・・・」(八重子平3・9・13法廷証言40丁裏)という状況で、伊三郎は非常に株価に注意していた。

(八重子平3・8・21法廷証言19丁表)

(光江平4・6・5法廷証言35丁裏)。

3 ふみの場合

ふみは、飛島株購入後も、夫伊三郎とテレビや新聞で株価の動きに注意していた。同女は、株価の推移をよく覚えているばかりでなく、株価の変動に従って、自分のその時点での儲けなども計算していたこと(ふみ平4・4・24法廷証言6丁表から7丁裏)、また、テレビは一二チャンネルで株式市況の放送をしていたこと、新聞の株価の上がり下がりの見方は白と黒の矢印で示された数字で分かること(ふみ平4・4・24法廷証言7丁裏から九丁表)など、実際に自分自身で株価に注意していなければ分かるはずのない具体的事実を証言している。

また、ふみは、八月頃には和代と同様に、伊藤に対して「株の方は大丈夫なの」と尋ねたりしていた(伊藤平4・11・5法廷供述2丁裏)。

4 和代の場合

和代は、飛島株購入後も株価の動向に興味を持ち、注意を払っていた。すなわち、新聞の株式欄を見るとか、伊三郎やふみが西ケ原にきているときは、一緒にテレビの株式市況などを毎日のように見ながら、株価の動向に注意していた(和代平4・7・29法廷証言11丁表)。

飛島株の株価が上下していた八月頃には、和代は、ふみと同様に、伊藤に対して「株の方は大丈夫なの」と聞いたりしていた(伊藤平4・11・5法廷証言2丁裏)。

5 八重子の場合

八重子も、株価の変動について関心を持っていたかとの弁護人の質問に対して、それを肯定したうえで、時々テレビや新聞で株価の動きを見ていたことや父伊三郎や弟伊藤とも株価について話をしていたことを証言している(八重子平3・10・4法廷証言8丁裏から9丁表)。

6 光江の場合

光江も、飛島株購入後、会計事務所のようの日経新聞でほとんど毎日株式欄を見ていた。また、株価の動きにつき、春に買った当時は伊藤から夏頃には上がると聞かされ、夏になったら秋に上がると聞かされたりしていた(光江平4・6・5法廷証言34丁表)。

7 ハツ江の場合

ハツ江は、株価の変動について、「新聞を見たり、木村が盛んに情報を持ってきてくれるのを気にして聞いていました」と証言しており、更に、常時、どのぐらい儲かっているかもそれらの株情報を元に分かっていたこと、売る当時も事前に今売ればどのぐらい儲かるかも、ある程度の値段は分かっていたと証言している(ハツ江平3・12・20法廷証言10丁表、裏)。

8 結論

(1) 以上のとおり、伊藤以外の親族らは、各自それぞれの立場で、それぞれの方法で、飛島株購入後も株価の変動に対して強い関心を持っており、それぞれに心配したり喜んだりしていたものである。

もし親族らが飛島株売買につき、各自、伊藤に売買名義を貸したにすぎなかったならば、各人がそのように飛島株の株価変動に関心を持つことは考えられない。

(2) 更に言えば、八重子、ふみらは、飛島株で儲けた後はますます株に興味を持つに至り、自ら証券会社に行って独自に口座を開設して株取引をしている。

(八重子平3・10・4法廷証言8丁裏)

(ふみ平4・4・24法廷証言39丁表)

和代も、飛島株以外にも東洋リノリューム、東洋電機製造、永谷園本舗、NTTなどの株を、伊藤に相談したり、自分独自に判断したりして購入し、他方、伊藤に勧められた鬼怒川ゴムや堺化学の株は自分の判断で買うことを拒否したりしている(和代平4・7・29法廷証言44丁裏から58丁裏)。

のみならず、時期は平成二年夏頃ではあるが、当時中学三年生であった伊藤・和代の長男剛志さえも、和代やふみが株に興味をもっているのに刺激されて、自分でも株に強い興味を持つに至り、母親にねだって自分の小遣いで新日鉄の株を一〇〇〇株買った(和代平4・7・29法廷証言59丁裏から62丁表)。これは、ふみ、和代らが飛島株購入以来、子供にさえも影響を与えるほど、株価の動向に常時強い関心を持って新聞やテレビを見たり、常時、株を話題にしていたことを示していることは明らかである。

(3) よって、ふみ、和代、八重子ら親族の者達はそれぞれ、飛島株購入以来、その株価の動向に注意を払っていたばかりでなく、株そのものの魅力に取りつかれるほど興味を持っていたことは明らかである。

これは即ち、親族ら名義の飛島株の取引が名実共に親族ら各自の取引であったことを示している。

六 昭和六一年一二月の伊三郎、ふみ、和代、八重子の売却

1 伊三郎の場合

(1) 伊三郎は、昭和六一年八月から同年一二月にかけて、一九万九〇〇〇株全てを売却した。

(2) 前述した株価動向の下において、親族の中で一番株価について心配していたのは伊三郎であり、前述のとおり、伊藤に対して「・・・来月上がる、来月上がるって、一向に上がらないじゃないかということで、ちょっといらいら・・・」していたが、八月になると、伊藤の反対を振り切って安く買った分から二万株、三万株という単位で売り始めるに至り(伊藤平4・11・5法廷供述2丁表、裏)、結局、別紙取引一覧表のとおり、同年一二月二日頃にかけて一九万九〇〇〇株全部を売却した。

(3) 右伊三郎の昭和六一年四月購入分の飛島株一九万九〇〇〇株の売買は、起訴されていない事実ではあるが、そもそも昭和六一年四月の伊三郎を含む親族らの飛島株購入がそれぞれ伊藤の名義借りであったのなら、伊三郎の分のみを、しかもこのように少しづつ小間切れの状態で売却することは考えられない。

なぜなら、右売却が真実は伊藤の意思に基づいてなされていたと仮定すれば、伊藤は飛島株の値動きをみて心配したがゆえに処分したものとみるほかはない。

しかるに、もし伊三郎を含む親族らの飛島株購入がすべて伊藤の名義借りであったと仮定すれば、自分の分を含めて伊三郎、ふみ、和代、八重子、光江、ハツ江と七人分を各一九万九〇〇〇株づつ合計一三九万三〇〇〇株の大量株数を買っていたことになる。従って、伊藤が真実値下がりを心配して伊藤の意思で損失を防ごうとして売却したのなら、損失を予防する為の売却としては、伊三郎分だけではあまりにも売却数が少なすぎて不自然である。

よって、伊三郎名義の右の取引は伊藤と関係なく、伊三郎自身の取引であり、且つ、伊三郎自身の判断で売却されたものである。

2 ふみの場合

(1) ふみは、昭和六一年一二月一八日(決済日一二月二三日)に、一九万九〇〇〇株全てを売却した(別紙取引取引一覧表参照)。

(2) ふみは、右に述べた伊三郎の売却の時期については知らず、昭和六一年一二月頃に売却したと思っていたと証言している(ふみ平4・4・24法廷証言10丁表、裏)。

しかし、いずれにしても、ふみは、頼りにしている夫伊三郎が飛島株を売ると聞いたので、夫が売るなら自分も売ろうと考えて、売却方を伊三郎に頼んで、昭和六一年の暮に売却したものである(ふみ平4・4・24法廷証言9丁表から10丁裏)。

3 和代の場合

(1) 和代は昭和六一年一二月二四日に、飛島株一九万九〇〇〇株の内、五万株を処分した(別紙取引取引一覧表参照)。

(2) 昭和六一年一二月頃、飛島株の株価が九〇〇円ぐらいまで上がったとき、伊三郎は「ここまで来れば、俺はいいよ」と言った(実際には伊三郎は同年八月頃から分割して売却していたのであるが、そのことはふみも和代も知らなかった)。

そして、ふみも、伊三郎が売るなら自分も売ると言い出した。

それを聞いて、和代は義父母が売るのなら自分も全部売却してしまおうかと思って、夫伊藤に相談した。すると、伊藤はこれから上がるのだからといって売ることに反対した。

そこで、和代は、伊三郎が売るから自分も売らないと心配である反面、伊藤がこれから本当に上がるという言葉にも引きつけられた結果、自分なりに考えたうえ伊藤の反対を押し切って、五万株だけ売却する決心をして、その売却方を伊藤に頼んで売却した。

(和代平4・7・29法廷証言12丁裏から14丁表)。

(3) 和代の五万株の売却は、右のとおり和代自身の判断によるものであり、伊藤の判断で売却したものではないから、伊藤の借名取引ではない。

4 八重子の場合

(1) 八重子は、昭和六一年一二月二四日(決済日一二月二七日)に、飛島株一九万九〇〇〇株の内、七万三〇〇〇株を売却した(別紙取引取引一覧表参照)。

(2) この点について八重子は法廷で「父が大変株価を心配しておりまして、あまり上がらない、上がらないって言っていたんで、弟に父が上がらないと言ってうるさいから、もう売った方が健康のためにいいんじゃないかしらなんて話を弟にしたような記憶がありまして、それから間もなく売られたと思います」(八重子平3・8・21法廷証言19丁表)と証言している。

他方、八重子は国税局に対する上申書(弁五、甲八七)において、売るときは自分の意思に基づいて売却したと述べている。また、上申書作成当時は、「・・・自分はこういう認識でいた・・・」(八重子平3・9・13法廷証言20丁裏)と証言している。

そして、この点について法廷での検察官の尋問に対して『・・・七万三〇〇〇株について父も大分気にしてましたから、それも弟に売った方がいいんじゃないかと私が話しました。ただ最終的にはいつ売ったかというのは、報告書が来てから分かったというように証言しました・・・』と述べ、やはり、八重子自身の意思で売却することになったことを証言している(八重子平3・9・13法廷証言21丁裏)。八重子の処分の意思決定が伊藤と関係なく八重子と伊三郎との話し合いでなされたことは伊藤の検面調書でも述べられているところである(伊藤平2・11・11付検面調書三頁)。

ただし、八重子の場合は一二月に売却した動機が、ふみや和代と若干異なっている。八重子が野田の家までしばしば伊三郎を見舞っていたが、そうしたときに伊三郎夫婦と飛島株の株価の話しをすることが多かったが、そうした状況の中で、伊三郎が株価を心配していたから伊三郎を安心させるためという部分に比重が置かれた結果、自分の株を売却する意思を生じた部分に特徴が認められる。

いずれにしても、八重子自身が自分名義の飛島株の売却を決めた事実は間違いない。

(3) 伊藤は昭和六一年一二月になって七万三〇〇〇株について、伊三郎から「八重子が売ってくれと言っているからそうするぞ」という話をきかされており、事実、八重子の売り注文の具体的な手続きは、伊三郎が行ったもので伊藤ではなかった(伊藤平4・11・5法廷供述12丁表)。この場合、具体的に何時売注文が出されたか、何時売却が成立したかなどは、売買報告書が送付されて知ったというが、売り注文を伊三郎に一任していた以上、具体的な売り注文日を知らなかったことは少しも不自然ではない。

これらのことは、八重子に対して飛島株の購入を勧めたのは伊三郎であり、伊三郎は自分でも八重子に七万三〇〇〇株分の資金を貸していたのであり、且つ、野田の家にいるときに八重子が来るたびに株価の心配をしていたのであるから、八重子は伊三郎を安心させるため、伊三郎に対して売却方を依頼するのが自然でもある。よって、伊藤の右各証言は事実にも適合すると認められる。

5 光江、ハツ江が昭和六一年一二月には売却しなかった理由

(1) 光江は、昭和六一年一二月に、伊三郎から、伊三郎とふみが飛島株を売却したことを聞いた(光江平4・6・5法廷証言37丁表。伊藤平4・11・5法廷供述20丁表)。

そこで、光江は、自分も売った方がいいかと思って伊藤に相談したところ、伊藤が「おやじはあせっている。これから一五〇〇円ぐらいまで上がる」旨説明して売却しない方がよいと助言したので、それに従って売却しなかった(光江平4・6・5法廷証言37丁表から38丁表)。光江は、伊藤と会計事務所で会う機会が多かったので、飛島株の株価の先行きについて、伊三郎よりも伊藤の影響を強く受けていたと認められる。

(2) ハツ江は、昭和六二年の正月前後に伊藤が川崎の木村宅に行った際、株価が上がることについての松尾からの情報を伝え、春まで待とうと言ったので、それに従い、売ることはしなかった(伊藤平4・11・5法廷供述20丁裏)。

ハツ江は、伊三郎と会う機会はさほど無かったので、飛島株が売り時かいなかなどについて、伊三郎の影響を受けることは無く、もともと、飛島株を買ったのは伊藤の情報を信じて買ったのであるから、伊藤の昭和六一年一二月あるいは翌年一月当時も伊藤の情報を信頼して売ることはなかったものである。

七 伊三郎と伊藤との株価の推移に対する見込みの相違

(名義借りの売買でなかったことの一つの証左)

昭和六一年一二月に親族の一部が飛島株の一部又は全部を売却し、他の親族が売却しなかった原因は、伊三郎と伊藤との飛島株の株価の推移に対する見込みの相違に基づくものであった。

すなわち、伊三郎は自分の株取引経験による判断で処分し、伊三郎の株取引の経験を信頼している親族は伊三郎に倣って処分したものであり、伊藤の松尾からの情報を信じる者は、伊藤の説明に従って売らなかったにすぎない。

親族らの名義による飛島株取引が、もし伊藤に対する名義貸しだとすれば、このように点々バラバラの売り方をすることは考えられない。

八 昭和六一年一二月の借入金の返済状況

1 伊三郎への返済

伊藤が伊三郎から昭和六一年一二月に借りた金一億円は、翌昭和六二年一月二七日に内金六〇〇〇万を返済した(甲二八、46頁)。そして、同年三月一一日、残金四〇〇〇万円は、伊三郎と伊藤との金銭貸借の清算を兼ねて返済した(伊藤平4・11・5付法廷供述18丁表)。

2 和代への返済

和代から借りていた金二三一〇万一〇〇〇円(甲二八、38頁)は、昭和六二年三月一三日和代の銀行口座に振り込んで返済した。(甲二八・38頁。伊藤平4・11・5法廷供述16丁表)。

3 もし、伊藤が伊三郎や和代から飛島株を購入するに際して、購入名義を借りていたにすぎないのなら、もともと伊藤に帰属していた金銭なのだから、伊三郎や和代に対する返済は不自然である。

第五 『損失負担の意思』、『自らの計算・危険負担の意思』と『有効な金消の存在』、『脱税の故意の不存在』について

一 『損失負担の一』、『自らの計算・危険負担の意思』について

原判決は、本件の最も重要な争点である『損失負担の意思』、『自らの計算・危険負担の意思』の存否につき、『和代らに真実本件飛島株の取引をする意思があったと認めるには、その取引より生じるかもしれない損失を負担する意思を含む取引をする意思がなければならないが、証拠上その意思があったとは認められない(原判決5丁表末行目から5丁裏1行目)。』とし、その認定根拠としては、主として、八重子、ハツ江、本名正一、小林泰輔、松尾治樹らの捜査段階における検察官調書のうち都合の良い記載部分のみをピックアップしてこれらを援用している。その上で、原判決は『以上によれば、八重子やハツ江は、自らの計算つまり危険負担で本件飛島株を購入する意思を有していなかったと認めるのが相当であり、和代や光江についても、真に買主となって飛島株を購入する意思があったと認めるべき事情は窺われない。』と結論づけている(原判決5丁裏1行目から10丁表末行)。

しかし、右の検察官調書は、その作成経緯から見て、証拠能力及び信用性につき重大な疑義あるものであることは後述のとおりである。この点はしばらく横に置いたとしても、原判決は、本件飛島株取引が伊藤家の親族らによって始められるに至った経緯、その中で、八重子、ハツ江、和代、光江らが飛島株取引を真実行うことを決心した事情・動機・目的などを正当に認定、評価していない。これらの事実関係は、既に詳細に論述したので再説しないが、同人ら及び伊藤の法廷供述その他の物証などから十分に明らかなことである。そして、その物証のうち、とりわけ重要な証拠として金消があるが、原判決は、その存在及び意味を殆ど見落としており、もしくは無視しており、このことが、著しく正義に反する重大な事実誤認を生んでいると言わなければならない。

二 『有効な金消の存在』、『脱税の故意の不存在』について

原判決の右認定は、その論理的な前提として、『伊藤が各名義人との間で作成した確定日付のある金銭消費貸借契約証書は、伊藤の借名取引に伴う事前の仮装行為である』との認定の上に立脚していることは明らかである。要するに、『八重子やハツ江は、自らの計算つまり危険負担で本件飛島株を購入する意思を有していなかった』、『和代や光江についても、真に買主となって飛島株を購入する意思が』なかった、との前提に立脚する以上、右の飛島株購入原資に関する各金消は通謀虚偽表示もしくは各名義人の心裡留保などの事実に基づき無効のものでなければならない。伊藤において、事前の仮装行為として右各金消を作成する認識、これらは通謀虚偽表示もしくは各名義人の心裡留保につき悪意である認識を有していたことを窺わせる事情は全く認められないのであり、そうである以上伊藤の脱税の故意を認定することはできない。本気で金消を締結する意思と脱税の故意とは両立しないのである。

要するに、右各金消が伊藤及び各名義人らの真意によらない事前の仮装行為であるとの事情は、その作成経緯、目的などの事実経過からは全く窺うことができないのである。以下に詳述する。

三 確定日付のある金銭消費貸借契約証書の作成経緯など

1 金消の作成目的など

(1) 作成目的(原資証明)

昭和六一年四月一七日頃、西ケ原の自宅で、伊藤は、伊三郎、ふみ、和代、光江らと話し合い、ライフからの転貸融資で各自が飛島株を購入することを決断した際、税理士としての考えから確定日付のある金消を作成すべきことを助言し、伊三郎らの同意を得た。その後、伊藤は、ハツ江や八重子に対しても同様に助言し、その同意を得た。

即ち、当時、伊藤は、当該飛島株取引により、各自に多額の利益が発生することを見込んでいた。各人がその売却益で不動産を購入した場合、税務署から必ず『お尋ね書』という問い合わせが来て、購入資金の出所を問われる。その場合、各人が原則として無資産・無収入であることもあり、誰かからの贈与金や従前の隠し所得で飛島株を購入したのではないかと疑われることがあり得るものと思った。そのため、各人が、伊藤や伊三郎らから転貸融資を受けたお金で飛島株を買って儲けたことを問題なく説明する資料として、即ち、親族らの株式購入資金に関する『原資証明』として、確定日付ある金消を作成しておけば良いと考えた。

(2) 伊藤の基本的認識

各人との金消は、伊藤や伊三郎が借名取引をしていないことの説明資料として作成されたのではない。伊藤は各人の飛島株売却益が本当に各人の所得であることの説明資料として各金消を作成するよう提案し、実行したものである。

即ち、伊藤は、当時、各人が儲けた利益を各人から借用するつもりは全くなかったので、税務署から伊藤の借名取引ではないかとの疑いを持たれるということは考慮外のことであった。論理的には表裏の関係ではあるが、伊藤の当時の基本的認識としては、あくまでも、各人が税務署に対して株購入資金の原資証明として使用すること、換言すれば誰の金で誰が株取引をして誰が所得を得たのかの説明資料として使用することを目的に作成するという発想である。

(3) 結論(金消は架空の書類ではないこと)

要するに、伊藤や伊三郎が貸主として金消を作成した主たる目的は、伊藤や伊三郎の借名取引に伴う事前の仮装工作ではなく、当該株取引が誰の収支計算で行われるものかを明確にするために作成したものである。もちろん、金額が大きいために貸借関係を明確にしその証拠として作成するという目的もあったが、その点については親族間の信頼関係もあり、それは付随的な目的であった。

(伊藤平4・9・29付法廷供述24丁表から31丁表まで。同35丁裏から38丁裏まで。同平4・10・22付法廷供述117裏から124丁裏まで)

2 各金消の作成経緯に関する関係者の証言要旨

(1) 伊藤から和代に対する金消(弁一〇四)が真正である旨の証言など

<1> 和代証言

伊三郎が、ライフでは女は口座開設できないと言うので、ふみ達とがっかりした。しかし、次の日、伊藤が「転貸融資なら大丈夫だってさ」と言ってライフから帰ってきたので、「うわぁ、じゃ買える」と思った。損することは、自分は考えなかった。

飛島株購入資金は伊藤から借りた。自分宛の売買報告書を見ながらこの金消を作成した。署名・捺印は直筆の実印である。実際の作成日は、一週間か一〇日後である。原本は伊藤が保管して、自分はコピーを貰った。飛島株を売却したときに原本の返還を受けた。

(和代平4・9・4付法廷証言9丁表から11丁表まで。同平4・7・29付法廷証言8丁裏から10丁裏まで。同31丁表から32丁表まで。同37丁表から38丁裏まで)

<2> 伊藤供述

五月六日頃、朝、伊藤から和代に内容を全部説明のうえ作成し、その日のうちに、小林と八重子間の金消(弁四六)及び伊藤とハツ江間の金消(弁一二七)をそれぞれ作成し、翌日その三通に確定日付を取ったように記憶している。

(伊藤平4・9・4付法廷供述41丁裏から56丁裏まで。同平4・9・29付法廷供述3丁表から38丁裏まで。同平4・10・22付法廷供述104丁裏から106丁裏まで)

(2) 伊藤から光江に対する金消(弁八七)が真正である旨の証言など

<1> 光江証言

飛島株を買う話しを何回か一緒にしたときに、和代とふみもそこに居て、皆で買おうという話しになった。自分が損した場合、伊三郎が立て替えてくれると思った。

最初は、伊三郎が保証金を出してくれるということだったので、伊三郎が購入資金を貸してくれると思っていた。その後、理由は分からないが二人が決めて伊藤が転貸融資してくれることになった。

飛島株購入資金は伊藤から借りた。ライフからの又借りなのでライフの金利や返済期限と同じであることなどの説明を受けて、この金消を作成した。署名は会計事務所でした。伊藤に頼まれて隣の公証役場へ行き、伊三郎とふみ間の金消二通(弁一二九、一三〇)と一緒に昭61・5・6付確定日付を取った。原本は伊藤が保管した。

(光江平4・6・23付法廷証言68丁裏から69丁表まで。同平4・6・5付法廷証言24丁表から25丁裏まで。同31丁表から33丁裏まで)

<2> 伊藤供述

印鑑は光江の実印である。形式的な書類であるとの話しは一切ない。光江もこの飛島株を買えたので、これから儲けられると非常に喜んでいた。

(伊藤平4・9・4付法廷供述41丁裏から56丁裏まで。同平4・9・29付法廷供述3丁表から38丁裏まで。同平4・10・22付法廷供述94丁表から97丁表まで)

(3) 伊藤からハツ江に対する金消二通(弁一二七、一二八)が真正である旨の証言など

<1> ハツ江証言

一億三〇〇〇万円前後の株取引と聞いて、多少不安はあった。そんなに借金して実際儲かるのかしらと思ったが、絶対値上がり間違いないという話しだった。伊藤は「お母さん大丈夫ですよ」と力説してくれた。それで、自分は、老後の足しにもなるし、智一も「頼んだら」と勧めるので、伊藤に頼んだ。もしも、損したら、智一が「三〇〇〇万円弱だから、それくらいだったら何とかなるから、お母さん大丈夫だよ」ということを自分に言ってくれた。

伊藤は自分に対し、「伊三郎が『向こうのお母さんにも勧めたらどうか』と言っている」と言ったり、「向こうの人達もみんな買ってるんだから大丈夫」などと再三言って、智一にではなく自分に勧めてくれた。智一は、値下がりして損した場合のことを考えて、様子を見るということだった。

本当はお金を借りていないのに借用書に判子を頼まれたとしたら、押すわけない。智一も、親子の仲でも許されないと思う。

(ハツ江平3・11・29付法廷証言11丁裏から20丁表まで。同平3・12・20付法廷証言8丁裏から10丁表まで)

<2> 伊藤供述

伊藤はハツ江との間で、「お母さんの名義で飛島株を買うからここに名前を書いて判を押してくれますか」とか、「これは実質的にはお母さんの借金ではないですよ」とかの遣り取りは一切していない。ハツ江は、この株を買えたので儲けられそうだと非常に喜んでいた。

(伊藤平4・10・22付法廷供述38丁裏から46丁裏まで。同88丁裏から94丁表まで)

(4) 小林から八重子に対する金消及び伊三郎から八重子に対する金消(弁四六、四七)が真正である旨の証言など

<1> 八重子証言

(検察官の質問に対して)

昭和六一年四月頃、野田で、私は伊三郎から、飛島株の購入の勧誘を受け、「老後のために株を買ってはどうか。買付資金は少しくらいなら出してあげてもいい。取引するなら印鑑をもってくるように。」などと勧められた。

その際、伊三郎は八重子に対し、ライフの五倍融資を利用すること、二〇万株未満は非課税であること、値上がり間違いのない絶対大丈夫な株であること、二割下がるとライフが担保株券を処分すること、主人の正一に賭けをして思いっきりやるよう勧めてはどうか、などと説明したり、勧誘したりした。私は、株取引で損が出れば相続財産がそれだけ削られるという気持ちはあった。

(八重子平3・8・21付法廷証言2丁裏から7丁裏まで)

第一証券池袋支店の私名義の口座開設の経緯は、弟から電話があって、父から聞いたと思うけど、確実な株の情報があると、お姉さんの株だから口座を開設すると、それについては住所を教えてくれないかということだった。私は、自分の株なら自分で池袋へ行くけど、と答えたところ、弟が僕がやっておくからいいよと言うので、頼みました。

その後、弟から電話で、一二万六〇〇〇株買ったという連絡が来た。私は、どうしてそんなに沢山の金額なのかと言ったら、弟はは、一九万九〇〇〇株までならいいんだから、資金のやりくりがついたんだからいいんだよ、と言っていたような記憶がある。それで、私は、本当にそんなに沢山の株大丈夫なのと弟に聞き返したら、弟は、確実な情報なんだから大丈夫だからと言っていたような気がする。

証券会社から売買報告書が来たが、弟から電話で、お金を借りているので、計算するため送り返してくれと言われたから、弟に郵送した。

小林との金消については、株取引の後、弟が我孫子のわが家に来て、今回の株取引については資金を小林泰輔さんから借りたから印鑑押すようにと言うことだった。小林の署名・捺印などは既にあった。金消に記載されている利息の支払時期は、株で得た利益の中から払うものと理解していた。

その後、弟から電話で七万三〇〇〇株を買ったと聞いた。そして、伊三郎との金消を作成した。この時も、弟が持ってきてくれて、この分については父が出してくれたということだった。私が署名・捺印したときは、内容は既に記載済みだったと思う。

いずれの金消も作成日付頃に署名・捺印した。確定日付は弟が取った。

(八重子平3・8・21付法廷証言8丁表から16丁裏まで)

(弁護人の質問に対して)

父は私に対し、ライフに二〇〇〇万円持って行けば一億円だとか、言っていた。父は積極的に勧めてくれたと思う。

私は父に対し、資金がないから買いたくても買えないと言ったところ、父が用立ててあげてもいいと言っていた。それで、「用立ててくれるならそうして欲しい。私もお願いします。」と言った。

父の勧めに乗った当時は、どれだけの株を買うのか具体的な話しはしなかったので、万一損した場合、最大どのぐらいになるのか考えなかった。しかし、一九万九〇〇〇株を私の第一証券の口座で買って、売買報告書が来て、買付株数が分かった時点では、一億二〇〇〇万円の二割で二四〇〇万円ぐらいの数字だなと意識した。大体そういう計算をざあっとしたというか、そんな感じ。

病気の父の積極的な姿勢に応えてあげるというか、私の株として買えるものなら、という思いでいた。

口座開設の件で、弟から電話で住所を聞かれたときに、「飛島株を買う。このあいだお父さんのところへ印鑑持って行った」と答えたかもしれない。

弟が私に対して、「飛島株は絶対確実な情報で、値上がり間違いなしだ」と言っていたのは、口座開設の電話のときではなくて、一二万六〇〇〇株を買えたと電話で報告してくれたときのことだと思う。私が「こんなに沢山の株大丈夫なの」と聞いたときに、そういうことを言っていたと思う。

(八重子平3・8・21付法廷証言32丁表から53丁表まで)

八重子は伊藤から、金消に署名・捺印する際、小林がライフから借りて八重子に貸してくれること、ライフの利息は株が売れたときに精算すること、これは借用書だから小林に渡すということ、資金ぐりの関係で伊藤の仕事仲間の小林が貸してくれたこと、株券はライフへの担保として預けること、などの説明を受けた。金額が大きいことは、株購入のときに分かっていた。

その後、七万三〇〇〇株が買えたときも、弟から私に電話報告があった。売買報告書も来た。このときは、また大きい金額だなと思った程度だった。

この父との金消を作成する際、父がライフから借りて貸してくれたことの説明があった。

お金が出来て、結局、二通の金消分一九万九〇〇〇株の買付についてはそれはそれでよいという意識、気持ちでいた。とにかく父が付いているということで、資金繰りについては、二人で相談してこういう具合になったんだろうと思っていた。伊三郎と小林から借金した、という意識、気持ちはあった。

(八重子平3・10・4付法廷証言1丁裏から13丁裏まで)

逮捕される前は、飛島株一九万九〇〇〇株は自分のもののつもりだったし、そのように主張してきた。株取引をした当時は、自分のものとして買ったということである。

(八重子平3・10・22付法廷証言6丁表から31丁裏まで。特に、7丁表から8丁裏まで、10丁、13丁表から17丁裏まで、19丁表、23丁裏から25丁表まで、26丁裏から28丁表まで参照)

<2> 小林証言

八重子に対する貸付については、私の枠が余っていたので、伊藤さんから、「本名八重子さんの名前で幾ら買うんで、貸して欲しい」と、「その枠を使います」ということでした。それは、本名八重子さんの取引だと思いましたけれども、その時は。

八重子、光江、ハツ江などの取引は、当然各自の取引じゃないかなと思いますけれども、後で考えますと、私と一緒じゃないかなとは思いますけれども。それがどう・・・僕はそこまでは分かりません。

検面調書では、「伊藤さんがそれらの人達から名義を借りて買付けた伊藤さん自身の取引であったと思います。」という記載があるが、それは、あくまでも私個人の立場になってみますと、僕はそうでしたから、多分そうじゃないかなと、憶測だけで話しました。

(小林平3・5・21付17丁表から18丁裏まで。61丁裏)

<3> 伊藤供述

伊藤が八重子に対し、名義を借りて株を買ったから形式的にこの金消を作る類の話しをしたとすれば、八重子には、気の強い真面目な性格の人間だから、税理士のくせに何いってるのかと突っぱねられる。そういう形式的に作る類の話しは一切ありません。

(伊藤平4・10・22付法廷供述48丁表から59丁裏まで。同68丁表から88丁裏まで)

(5) 伊三郎からふみに対する金消二通(弁一二九、一三〇)が真正である旨の証言など

<1> ふみ証言

主人と息子の話しの中で、凄くいい株情報があったので、「お父さん、私もちょっと買いたいんだけれども、買えないかしら」と言ったところ、主人が「お前も欲しかったら買ってもいいんだよ。お金は俺が全部ライフから借りて、また貸ししてやるから、それで買える」と言った。株数は、非課税枠の一九万九〇〇〇株である。主人は、「ライフの金利は高いけれども、短期間に勝負すれば払える」と言っていた。私も、買付資金として一〇〇万円足らずのお金を出した。

当時、主人は、「資金は俺が全部出すから、みんなで買って儲けて、不動産でも買って家賃収入を得よう」と言っていた。息子も、「それじゃ、そうしよう」と言っていた。私は、和代、光江、八重子が飛島株を買ったことは、最初から知っていた。ハツ江は売ったときに知った。

主人は、息子の経営する会社に貸していたお金とか、持っている株を処分してライフに保証金を入れた。

主人は、八重子に対して、電話で勧めたり、野田で直接勧めたりしていた。家が一軒買えるんだよ、という話しが出ていて、八重子にも一九万九〇〇〇株を勧めていると思った。

名義を貸すとか貸してくれとか、という話しは一切出ていない。

(ふみ平4・4・9付法廷証言22丁裏から42丁表まで)

金消二通には、それぞれ主人と私が署名・捺印した。私の口座開設や買付注文の手続きは、主人に頼んだ。

主人は、最初は「一五万株お母さんの買えた」と、二度目には「四万九〇〇〇株、いくらで買えた」などと私に教えてくれた。

主人は、「俺もライフから借りたもんだから、お金はきちんとしておかなくちゃいけない、大金だし、贈与と誤解されてもいけない」と言っていた。

確定日付は主人がやったことで、私は分からない。金消の原本は、主人が野田の家の金庫に保管していた。お金を息子から借りたということはない。

(ふみ平4・4・24付法廷証言1丁裏から6丁表まで)

<2> 伊藤供述

ふみの飛島株取引については、昭和六一年及び六二年共に、伊三郎がライフから転貸融資しているのであって、伊藤はこの購入資金の融資をしていない。

(伊藤平4・9・4付法廷供述41丁裏から56丁裏まで。同平4・9・29付法廷供述3丁表から38丁裏まで。同平4・10・22付法廷供述97丁裏から99丁裏まで)

(6) 伊藤から松尾に対する金消(弁一二二)及び小林から松尾の妻に対する金消(弁一二三)の作成経緯についての証言など

<1> 松尾証言

私は、一六万四〇〇〇株分の買付資金を伊藤から借りた(弁一二二)。妻裕子は、小林から転貸融資を受けた(弁一二三)。

検面調書には、『税務署から妻名義の株式取引も、私の取引ではないかと追及されたとき、「いや、これは妻が最初から借金した金で株を買っていたものです」と主張することができ、しかも契約証書は後でつくったものではないかとの追及をかわすことができることとなり、さすがに税理士の伊藤は細かい点まで対策を考えられるものだと感心しました。』とあるが、それも、後で僕はそういうふうに思ったんですけど、その時点ではそんなふうに思いませんでした。確定日付なんか押さなくても、単純にお金の流れだけ調べれば貸し借りは判明しますから。

(松尾平3・5・8付法廷証言2丁表から8丁裏まで。34丁表から36丁裏まで。52丁表から52丁裏まで)

<2> 伊藤供述

伊藤は松尾に対し、「松尾さんに融資するんだから金消契約を作って確定日付を取りますから」と言ったところ、松尾は勿論結構ですとのことであった。

また、伊藤は松尾と小林に対し、「松尾さんの奥さんが自分でお金を借りて自分のお金で株を買うということですから、それに対応する金消契約を作成して、確定日付を取っておくといいですよ」と助言したところ、「そうしましょう」ということになった。

(伊藤平4・10・22付法廷供述3丁裏から4丁表まで。10丁裏から11丁裏まで。18丁表から19丁裏まで)

(7) 伊藤から小林の妻に対する金消(弁一一八)が真正である旨の証言など

<1> 小林証言

(税務署という言葉は出てませんか。との検察官の問いに)それは金消契約書を作る理由は、要するにもし税務署の調査があったときに、各自がこうして借りて居ると、株を買ったという証明をはっきりするために金消契約をきちっと作って、確定日付を取らなきゃいけないということがありました。

(被告人からこのような話しを聞いて、税務上問題は生じないかという不安は抱かなかったですか。との検察官の問いに)ありません。

(奥さんの名義を借りても、実際は自分の取引なんだから、自分の本来の名義の取引と合算すると非課税枠を超えちゃうんじゃないですか。との検察官の問いに)名義が違えば問題ないと思っていました。

(小林平3・5・21付法廷証言8丁裏から9丁表まで)

<2> 伊藤供述

四月一八日頃、伊藤は小林に対し、伊藤から小林の妻へのライフからの転貸融資分について、金消契約書を作成し、確定日付を取るべきことを助言した。

その理由は、金額が多いので金銭貸借を明確にするためと、株で儲けて不動産を買う場合、税務署から購入のお尋ねが来るから、不動産を買ったお金は誰が誰から借金して株を買って儲けたお金なのか、その説明資料として用意しておくためであることを、合わせて説明した。

(伊藤平4・9・29付法廷供述68丁裏から73丁裏まで)

3 伊三郎から八重子に対する飛島株取引の勧誘の際は、八重子は『数千株』の意識でいたことについて。

(1) 原判決の引用供述は当初の話であること

原判決は、『(八重子は、)原審公判廷においても、「伊三郎から飛島株を私のために買ってくれるような話はあったが、それは数千株位」なら代金を負担してやってもいいという程度の話であり、一九万九〇〇〇株も買うとは思っていなかった。数千株を超える飛島株の取引は伊三郎と弟のものということになると思う」と供述している。』(原判決7丁表7行目から末行)と供述を引用している。

しかし、この供述は、伊三郎から飛島株取引の勧誘を受けた際は、八重子としては『数千株』の意識でいた、という供述であって、証拠の取捨選択が経験則に違反した恣意的なものである例である。

(2) 八重子証言

<1>(検察官の質問に対し)

(振り込まれた八〇〇〇万円は誰のものだと思っていましたか。)私は、・・・最初は数千株かなと思っていたんだけれども、ほんとに単純にこんなに儲かって、やっぱり父と弟が私のために・・・買ってくれたのかと・・・単純にそのときに思ってしまいました(八重子平3・8・21付法廷証言24丁裏)。

(あなたとしては八〇〇〇万円を被告人に貸したという意識が、当時、あったんですか。)はい、そういうことです(同27丁表)。(逆に検察官に対して、貸しているという意識はなかったという話しはしていませんか。)私はずうっと貸し付けたという意識で、逮捕される前まではそういうふうに思って、逮捕されてからも検事さんに、私は自分の株取引で貸し付けたんです、そのように信じておりましたけれども、どのようにしたらいいのでしょうか、と申し上げました(同27丁裏)。

(伊三郎さんがあなたの名義を使って自分の取引をやったんだ、という供述はしてませんか。)そのように供述したかもしれません・・・よく覚えてないですけれど。(供述ではそうなっているんですよ。今のあなたのご説明(七万三〇〇〇株は自分の取引と思ったという説明)は、当初、伊三郎さんは、数千株程度の株数をあなたに買ってくれるのではないかと考えていたという話と、ちょっと矛盾すると思うんですがね・・・)今もお話しましたように、取調べの過程では、これはやっぱり父が私に買ってくれたのかなと、はっきり最初に父と幾ら買うという約束はしたわけじゃないし、私は二、三千株か数千株かなというのは自分でそう解釈していただけで、取調べの過程でそれ(父からの出金)を示されて、やっぱりこれは私のために買ってくれたのかなと、そのように思っておりました(同18丁裏)。(それは、後日、取調べの過程で思いついたことだと言うことなんですね。)はい、そうだと思ったんです(18丁裏)。

(飛島建設株一二万六〇〇〇株が買付けられておるんですが、証人はこの事実をどのようにして知りましたか。)弟から電話で、・・・一二万六〇〇〇株買ったとそういう連絡がありました。そして私はどうしてそんなにたくさんの金額なのと言いました。そうしたら弟は、一九万九〇〇〇株までならいいんだから、資金のやりくりついたんだからいいんだよこれで、というようなことを言っていたような記憶があります。で私は、本当にそんなに沢山の株大丈夫なのと弟に聞き返した記憶があります。そうしたら、大丈夫なんだと、確実な情報なんだからとそこでは言っていたような気がします(同9丁裏)。・・・確かに私はほんとにそのときは単純に、二〇万株未満なら非課税の範囲で法律を犯していないという、そういうことがピンと来て、ああいいんだと、そういうふうに思ってしまいました(同14丁表)。

<2>(弁護人の質問に対して)

(時期を限定しませんけれども、お父さんや信幸さんがあなたに対して、株取引に関し、名義を貸してくださいというふうな依頼をしたことがありますか。)一切ありません(八重子平3・9・13付法廷証言33丁裏)。

(・・・本当にお父さんが数千株ぐらいならということを言ったんですか。)そういうはっきりしたことは父からはなかったと思いましたが、私がそう思ったんじゃないかと思います・・・(48丁表から44丁裏まで)。

(・・・潜在意識が中にあったと、かもしれないと、そういう意味なんでしょうか。)・・・要するに、逮捕されてから、よく今までの自分の意識を振り返ってみたらそういう気持ちがあったと、最初にこんなに大きい株数、あれと思ったところから振り返っていったらそういう気持ちがあったということです(同59丁表裏)。

(潜在意識というのがどうもよく理解できない・・・仮に三〇〇〇株とすると、当時の飛島建設の株単価は六〇〇円前後ですから、・・・株価が二倍になっても利益は一八〇万円くらいにすぎないんですよ、これでは値上がり確実な株だから老後のために思い切って株取引をやるというような話にはならないんじゃないかと思うんですよね。)・・・(答えなし)(同60丁表裏)

(弟さんから一二万六〇〇〇株買ったよという電話連絡があったときに、またその後売買報告書が来た・・・時点で、あなたは弟さんに対してこの株取引は全部私のものだというふうに認めるわけにはいかないと、責任負いませんからね、というふうなことを言いましたか。)いえ、それは言いませんでした。(弟さんやお父さんから数千株を超える取引分は名義を借りているんだからねと、お前の分じゃないよというふうな話もなかったですね。)ええ、ありませんでした。(61丁裏から62丁表)

(株を買うについての資金ということですけれども、小林さんとの間でいわゆる金消契約を結んで、お父さんとの間で同じく金消契約を結んで、つまり、小林さんとお父さんから借金して株を買ったんだと、その借金はいずれもあなたが実質的な借主であるんだ、これも間違いないですよね。)はい(八重子平3・10・22付法廷証言6丁裏)。

(そもそも『数千株』という言葉はどこから出てきたんですか。・・・)・・・数千株というのは、逮捕されて調書を取っている間に、検事とのやりとりの最中に、私がその当時のことをふっとなぜこんな大きな金額なんだろうと思ったですと申し上げましたら、じゃ、あなたは親が子供に貯金をするようなつもりで印鑑を預けたんですね、そうするとせいぜい数千株くらいと思ったんですか、というときにその言葉が出て以来自分ではああそうだったのかな、はっきり数字として表せばそうなるのかなということで、最初の主尋問のときにも数千株という言葉で表現したと思います(同9丁裏から10丁裏まで)。

(調書の作り方で、ほかには感じたことはありませんか。)検察側の見通しというか、ストーリーというか、それがしっかりあって、そこに私が言ったことは聞き入れられなくて、私の言ったことでも聞き入れられることは、検事さんのストーリーに合うことは聞き入れられましたけれども、その時は検察側の主張というのがしっかりとあるんだなと、私ははっきりその時もう自分の主張はやめて、基本的に検察側に従っていこうということになりました。(同24丁表、裏。7丁表から8丁裏、10丁、13丁表から17丁裏、19丁表、23丁裏から25丁表、26丁裏から28丁表まで参照)。

(3) 『数千株』問題の結論

<1> 伊三郎が『数千株くらいだったら(代金)を負担してあげてもいいということを言っていた』との証言部分は、八重子が一度だけ、表現上の言葉使いで誤ったものであり、同人自身が証言の中で訂正しているのである(八重子平3・9・13付法廷証言43丁裏から44丁裏まで)。訂正前の証言部分を都合良くピックアップして引用しているのである。また、原判決は、『数千株を超える部分は自分の株取引ではないと思います。』旨証言していると断定しているが、八重子の法廷証言は、総体において、全部自分の株取引である旨の証言であると評価すべきところ、結局これも強引な引用をして、八重子の証言の評価を誤まらせようとするものである。

<2> 八重子の法廷証言によれば、

イ 『数千株』という言葉は取調べのときに検察官から出てきたこと(但し、八重子の検面調書にはその言葉は見当たらない)、

ロ 潜在意識としての『数千株』は、八重子が野田で伊三郎から飛島株の取引を勧められた時におけるものであること、

ハ 伊三郎の勧めがあったときは、「老後のために株を買ってはどうか」「値上がり間違いない絶対大丈夫な株だ」「ライフの五倍融資を利用する」「非課税枠が一九万九〇〇〇株である」「正一にも勧めてはどうか」などと言われたこと、八重子は、「株で儲けて香港でマンションを買った人がいる」という話しをしたり、株取引で損が出れば相続財産がそれだけ削られるという気持ちを持ったりしていたこと、

ニ 昭和六一年四月二〇日過ぎ頃に伊三郎に対して取引印鑑を渡して、伊藤から口座開設の件で電話を受け、一二万六〇〇〇株買えたとの電話報告を受け、その売買報告書が証券会社から届き、これに基づいて小林と八重子間の同年五月二日付金消(弁四六)を直筆・実印で作成した同年五月七日頃(同日付確定日付あり)までの一連の事実があったこと、

などが明らかである。

右の証言を総合的に評価すれば、仮に、伊三郎から勧められた当初、八重子には『数千株』の『潜在意識』があったとしても、飛島株を購入した時点、遅くとも右の金消を作成した時点では、代理人たる伊藤に対しての追認行為があったと認められ、一二万六〇〇〇株の全部が自分の株取引と認識していたことが認められる。また、これに連続する七万三〇〇〇株も、極めて短い日数内に同様の手順を経ているのであるから、その注文を依頼した時点、遅くともその取引についての同年五月一二日付金消(弁四七)が作成された同年五月一九日(同日付確定日付あり)までの時点では、これも自分の株取引と認識していたと認められる。

4 結論(各金消契約書は本物であること)

(1) 各法廷証言及び伊藤の法廷供述の終始一貫性

ふみ、和代、光江は終始一貫して、本物であると証言している。伊藤の法廷供述も一貫している。八重子の上申書(弁五、甲八七)や法廷証言からも、その夫の本名正一の上申書など(弁四、六、八)や法廷証言からも、また、ハツ江の申述書(弁七二)や法廷証言からも、それぞれの金消契約書は本物であることが窺える。

前記の各人の法廷証言や法廷供述に照らせば、どういう経緯で株式購入資金を借用することになったのか、また、どういう経緯で金消契約書を作成することになったのかが、合理的かつ自然な事実関係として理解することができる。

前記の各金消契約書が、偽装工作のための形式的なものとか、通謀虚偽表示による無効のものとかの事実を推認させるに足る合理的な証拠はない。

(2) 金消の記載内容及びその実行

各金消の第六条(特約事項)には、「本契約書は借主が、株式取得の為、貸主が株式会社ライフより借入した資金を転借するものであって、返済方法、金利、手数料等は借入金額に応じ按分して負担する。」と記載されて、その金消による資金の使途が明記されている。そして、現実にも、飛島株の購入資金として転貸融資されており、また、後日、返済方法、金利、手数料等は、各金消に記載されているとおり、借入金額に応じ按分して負担されたのである。

(3) 『偽装工作の協力同意』、『取引主体の確認』に関する検察側の挙証責任

要するに、前記の各金消契約書が架空のものであるとの点は、具体的な証拠がなく、立証責任が果たされていない。一般的に考えて、多額の借入をする契約書に、直筆で署名し、実印を押捺するような場合、仮に架空のものであれば、借主に不利益が及ばないように『裏念書』の作成などの手立をするのが経験則上通例である。しかも、本件は当事者が複数であるから、もし、架空のものであれば、金消契約書は架空のものである旨の『偽装工作の協力同意』に関する書面や口約束が証拠として出てきてしかるべきである。

また、名義借りの依頼や名義貸しの承諾があったか否かの点についても、『取引主体の確認』に関する裏念書や口約束があった旨の具体的な立証もなく、挙証責任が果たされているとは到底言えない。

結局、伊藤や伊三郎と各名義人間において、前記の如き飛島株取引の経緯を経て、特段不自然な事情もなく金消が作成されている以上、少なくとも伊藤が借名取引をする認識、すなわち脱税の故意を有していたと認定することはできない。

第六 昭和六二年一、二月の伊三郎、ふみ、和代の飛島株買い戻しについて

一 右取引は被告人の危険・計算で行われたのか。

原判決は、『昭和六二年一月に購入された伊三郎、ふみ名義の飛島株の購入資金は、いずれもライフの伊三郎名義の融資枠から調達されているが、その融資枠を利用した株の購入は、当時実質上被告人の計算により行われていたと認められる。また、その株の売却代金も被告人によって使用されていたと認められる。』と認定している(原判決12丁表8行目から末行目)。要するに、伊藤による借名取引と言うのである。しかし、右認定は、結局、取引結果によっては実質上危険負担をする購入原資の捻出者は、ライフに対して借用書を差し入れている伊三郎であるにもかかわらず、結果的な売却益の外形的な流れを殆ど唯一の根拠として、遡って、『被告人の計算により行われていた』と論定しているに過ぎない。それ以外に、「取引口座に開設手続を伊藤が行った」こと、伊三郎が「再度大量の飛島株を購入したというのは不自然である。」ことなどは、以下の事実経過に照らして理由にならない。

なお、売却益の外形的な流れについては、それなりの事情があるのであるから、そのことを持って、伊藤に脱税の故意があったと認定することができないことは後述のとおりである。

二 買い戻しの事実経過とその理由などについて

1 当時の株価の動きと情報

昭和六二年一月五日頃家族で北海道旅行から帰ってきた直後に、伊藤が松尾から聞いた株価予想は、これから春には一五〇〇円までいくということだったので、伊藤は直ちに父母や妻和代に知らせた(伊藤平4・11・5法廷供述21丁表)。

その当時の飛島株の株価は、一株九〇〇円前後であった。また、一月末から二月にかけては、上昇傾向にあったので、伊藤が松尾から年末や年初に聞いていた情報の正確性が認められる状況であった。

2 ふみ、和代、伊三郎の買い戻しの決意と買い戻しの実行

(1) ふみの場合

ふみはその情報を聞くと、夫伊三郎が癌のため先がないことや夫が亡くなればお金しか頼りにならないと思い、この際、儲けられるなら儲けておこうと思って(ふみ平4・4・24付法廷証言15丁裏)、取り敢えず、一〇株買う決心をして同年一月八日に一〇万株を買った。買い手続は夫伊三郎に頼んだ。

(ふみ平4・4・24付法廷証言13丁表)

(伊藤平4・11・5付法廷供述21丁裏)

但し、実際には、頼まれた伊三郎は、更に伊藤にふみのために手続きをすることを依頼しており、買い注文は伊藤が行った(伊藤平4・11・5付法廷供述23丁表)。

(2) 和代の場合

和代の場合も、ふみと同じ情報を伊藤から聞いたが、その後、一月末頃にはふみも伊三郎も再び飛島株を買うと聞き、それに刺激されて、自分も前年暮に処分したときの利益金があるから、それで又五万株買おうと思った(和代平4・7・29付法廷証言16丁表。同17丁表)。資金繰りの関係で三万株を昭和六二年二月九日に日興証券銀座支店で買い戻した(伊藤平4・11・5付法廷供述33丁表)。

(3) 伊三郎の場合

伊三郎は、伊藤から前述した飛島株株価上昇予想の情報を聞いたが、ふみのように直ぐには買い戻しを行わなかった。昭和六二年一月下旬に至るまでは、株価は年末の域を越えていなかったので、もともと株価の動きを一番心配していた伊三郎は警戒していたのである。

しかし、同年一月末頃になると、飛島株の株価が上昇し始めたので、伊三郎も急遽買う決心をして、同年一月二七日に二万七〇〇〇株、一月三〇日に七万三〇〇〇株の合計一〇万株を購入したものである(中塚喜久平2・11・5付検面調書添付、伊藤伊三郎『株式委託買付注文伝票』二葉。甲三〇、31頁、32頁)。

伊三郎が、一旦売却した飛島株一九万九〇〇〇株につき、信頼できる値上がり情報とそれを裏打ちする株価上昇の事実に接した場合、その銘柄で既に利益を得たが更なる利益を求めて大量(と言っても、右売却株数の約半分の一〇万株である。)に買い戻すことは、特に資産と株取引の経験を有する者にとって何ら不自然なことではない。原判決の前記『不自然』との推論は著しく経験則に反するものでありそれこそ不自然である。また、原判決は、『同株の価格が下落しつつある状況の中で』(原判決14丁裏6行目)とするが、これは客観的事実にも反する(別紙取引一覧表のうちNo.13伊三郎欄の売買単価参照)。

3 コスモ証券での口座開設と買い注文

(1) ライフからの依頼でコスモ証券池袋支店を使用するに至ったこと

<1> 伊三郎、ふみが昭和六二年一月に飛島株を買い戻したときの証券会社は、昭和六一年四月に使用した第一証券池袋支店ではなく、コスモ証券池袋支店(以下、「コスモ証券」という)であった。

このように、証券会社を換えた理由は、ライフからの依頼にある。

即ち、伊藤は昭和六一年一一月頃より、ライフの溝田支店長から、第一証券だけでなくコスモ証券とも取引の付き合いをしてやってほしいとの依頼を受けていたが、年が明けて前述のとおり、ふみが飛島株一〇万株を買うことになったので、伊三郎がライフに問い合わせをしたところ、コスモ証券を使用してくれるよう頼まれたらしく、伊三郎が伊藤に対して『お前、コスモに行ってちょっと(担当者に)会ってきてくれ・・・』と言った。そこで、伊藤はコスモ証券に言って、同社の担当者である中塚喜久(以下「中塚」という)に会って挨拶をした(中塚平4・11・5法廷証言22丁裏)。これがコスモ証券と伊藤家との最初のかかわりである。

この点に関しては、中塚も、伊藤がライフの溝田支店長の紹介で取引するに至った旨述べている(中塚平3・3・5法廷証言1丁裏から2丁裏)。

<2> 伊藤は、帰宅後、伊三郎に対しても『・・・じゃあお父さんも挨拶にいってよ』と伝えておいたが、伊三郎は承諾しながら寒さのせいもあってか、行かないうちにふみの一〇万株を買うことになった(伊藤平4・11・5法廷証言23丁表)。

(2) 口座開設手続

<1> 前述したとおり、ライフの依頼と紹介により、伊三郎とふみはコスモに口座を開設して、コスモ証券において前述したとおり飛島株を購入した。

その口座開設の具体的な手続きは以下のとおりである。

<2> 伊三郎及びふみの、コスモ証券の『保護預り口座開設申込書兼印鑑届出書』(中塚平2・11・5付検面調書添付資料参照)の住所、氏名は和代が伊三郎及びふみの依頼で代筆した。そこに押捺してある印影は、伊三郎及びふみの実印によるものである。

<3> 伊三郎及びふみのコスモ証券の口座の開設手続きは、伊三郎やふみが和代に頼み、和代がコスモ証券またはライフに持参して提出した。

なお、和代がコスモ証券またはライフの何れに持参して提出したかについて、中塚は、伊三郎とふみの『保護預り口座開設申込書兼印鑑届出書』をどのような経緯で入手したかとの尋問に対して『多分ライフの上野代という担当者からちょうだいしたものと思います。』(中塚平3・3・5付法廷証言6丁表、裏)と証言しており、あまり記憶にないようであるから、和代はコスモ証券またはライフの何れかに持参したものと認められる。

(3) 買い付け注文手続

<1> ふみの買い注文に付いて

ふみは、伊三郎に買い注文をすることを頼んだが、伊三郎はさらに伊藤に依頼して、伊藤が買い注文をした。

また、伊三郎は、当時、まだコスモの担当者との面識が無かったため、電話での買い注文を受け付けてくれないので、すでに面識のある伊藤に買い注文をするよう依頼した。

(伊藤平4・11・5付法廷供述23丁表)

(中塚平3・3・5付法廷証言11丁裏二、三行)。

<2> 伊三郎の買い注文について

伊三郎のコスモ証券に対する具体的な買い注文は、伊三郎がコスモの担当者との面識が無かったため伊藤が行った。

(中塚平3・3・5法廷証言16丁表)

(伊藤平4・11・5付法廷供述29丁裏)

4 購入資金

(1) ふみの場合

ふみが昭和六二年一月八日に飛島株一〇万株を購入した資金は、ふみが年末に儲けた分を伊三郎に預けたままになっていたので、それを伊三郎に頼んで伊三郎のライフの口座をとおして保証金に充当し、伊三郎にライフから借りてもらった資金を使用した(ふみ平4・4・24付法廷証言15丁表、甲三〇、29頁)。

その後、一月二三日には、ふみは更に九万九〇〇〇株を買い足した。その資金も、右と同様ふみが伊三郎に預けてある資金を保証金として、伊三郎にライフから借りてもらった資金を使用した。

(ふみ平4・4・24付法廷証言13丁表)

(伊藤平4・11・5付法廷供述21丁裏。甲三〇、29頁)。

(2) 伊三郎の場合

伊三郎は、自分の資金をライフに保証金として入れて、ライフから借入してこれを飛島株一〇万株購入の資金とした(甲三〇、31、32頁)。

(3) 和代の場合

和代は、飛島株を買い戻す資金に当てるため、伊藤に対して暮に飛島株を売った利益金二三〇〇万円ぐらいを返してくれるように催促したが、伊藤は小倉硝子の資金に使用していて手元に資金がなかったため、伊三郎に融資を頼んだところ金三〇〇〇万円ぐらいなら貸して貰えるとのことだったのでこれを借り、その範囲で三万株を買い戻した(和代平4・7・29法廷証言16丁裏から17丁表。甲二八、46頁)。

なお、この購入資金について、和代は、伊三郎から自分が借りたと認識していたようであるが(和代平4・7・29法廷証言18丁表)、それは和代の勘違いで、実際には、伊三郎が伊藤に貸し、伊藤がこれをさらに和代に転貸していたものであった(伊藤平4・11・5法廷供述34丁表、裏)。

5 金消作成

(1) ふみの場合

ふみが飛島株買い戻しのために伊三郎から借り入れた資金については、一月八日の取引と一月二四日の取引に応じて、伊三郎ふみ間で金消が二通作成されている。本文は伊藤が頼まれて作成してやったが、貸主借主欄の署名は、伊三郎とふみの直筆である(伊藤平2・11・11付検面調書本文31頁のもの、添付資料<3>、資料<4>)。

(2) 和代の場合

前述のとおり、和代の飛島株三万株の購入資金は、伊藤が伊三郎から借りて和代に貸したものである。そして、この場合は金消は作成されていないが、飛島株を処分したときに返済すること、金利はライフの金利と同じとするとの約束であった(伊藤平4・11・5法廷供述33丁表)。

三 被告人が、自分の判断で(借名取引を)行ったのか。

1 原判決は、伊三郎、ふみ、和代の各口座開設手続、売買注文などすべて、『自分の判断で行っている』(14丁表10行目から14丁裏2行目)とはなはだ強引な事実認定をしているが、これは、右二の一連の事実経過から判断すれば、伊藤が借名取引を行ったとの結論を導き出すための無理な根拠付けであることが明らかである。

そこで、昭和六二年一月のふみ及び伊三郎の飛島株購入が、伊藤の借名取引であると言えるのか否か、特に、検察側の中塚証人の平成三年三月五日付証人尋問調書について、以下詳細に検討を加える。

2 中塚証言には、伊藤が、伊三郎やふみの名義を借りて昭和六一年一月頃飛島株を購入したとも読める部分もあるが、これらの部分は全く事実と相違することは明らかである。

(1) 中塚の証言の内、原判決に一見沿うと思われる要点は、

イ ふみ、伊三郎名義の取引では、売り買いの注文や株数・指値やその訂正・価額の決定も伊藤がしていた(3丁裏、16丁表・裏、19丁表・裏)。

ロ 伊藤以外の者から、その取引に関して連絡はなかった。ふみ、伊三郎とは会ったこともなく連絡もなかった(4丁表、5丁表)。

ハ ふみ、伊三郎名義の口座の取引では、『伊藤が主体・伊藤の取引』だと思った(19丁裏)。

大体注文を発注する方が『主取引者』というふうに我々は認識している(32丁裏)。『伊藤が主取引者』だと思った(37丁裏)。

等に要約される。

(2) しかし、中塚は他方で、以下のとおり、右証言内容と相反し、伊藤の名義借り取引を否定する事実を証言している。

イ 伊藤から、最初に、売買の注文等について、父母から任されていると聞いていた。(5丁裏、18丁裏等。なお間接的な表現として、35丁裏、36丁裏等)

ロ 中塚は、証言の中で『(伊藤が)主取引者』(同37丁表)、『伊藤の取引』(同35丁表)、『(伊藤が)主体者』(同40丁裏)などの言葉を使っている。しかし、それらの意味がいわゆる『名義貸し』とは似て非なるものであることは、以下のとおり中塚の証言自体で明らかである。

ⅰ 『主取引者』に関しては、『主取引者というのは、大体が代理人を立てているとか、稀だが株式投資する人は、自分が主体者であればその方が大体連絡することが多いから、稀に高齢とか株式がよく分からない人がお金の流れは全然別なんだけどということで、ある方に(売り買いの注文を)任せているということはあるから、全部が全部当てはまるというわけではないが、大体株取引では、その主取引者本人から電話をもらうケースが多いので、そう(伊藤が主取引者だと)思った』(同37丁表)と証言し、更に『(主取引者とは実質上の注文主体かとの問いに)ええ、そういうことです』と答え、『(伊藤が主取引者と思ったのかとの問いに)はい』と答えている(同37丁裏)。しかし、続けて『(すると、株の買取代金の支払い義務者は伊藤と思ったのか、伊三郎・ふみと思ったかとの問いに)支払い義務者ということになると、ライフのなかでどうなっているか分からないが、・・・当然その中で、ふみなり伊三郎なりのお金なり担保があって、当然そこから出て来る者と思っていた』(同38丁表)と証言している。

ⅱ 『伊藤の取引』に関しては、『あくまで主観という前提付きだが、株数一九万九〇〇〇株ということを(伊藤が)承知していたこと、・・・伊藤から常に電話を頂戴していたこと、指し値やその訂正等電話で(伊藤と)やりとりしたことで、主観的に(伊藤の取引)じゃないかなぁというふうなことを思った』(同35丁裏)と証言している。

ⅲ 『(伊藤が)主体者』に関しては、『・・・たとえば、夫婦の間でもお金が全然別個だという場合、しかもたとえば、それが奥様であまり証券知識がないという場合、ご主人にお金の運用を任せているという場合がある。・・・そういう意味で・・・主体者が違う場合もある』(同40丁裏)と証言している。

ハ (伊藤の判断で注文を出しているからといって)売買による損得が誰に帰属するかは、もちろん考えていなかった。(39丁裏、40丁表)

ニ 伊藤家のファミリーの資金を伊藤が運用係として運用していた(64丁表)ため、家族の複数の名義で注文がくるんだという程度の認識だった。(68丁表、裏)

ホ 株の買取代金の支払義務者は、ライフの中でどうなっているか知らないが、ふみなり、伊三郎なりのお金なり担保があって、当然そこから出て来るものと思っていた。(38丁裏)

ヘ 伊藤が自分の資産(資金)を使って、伊藤が他人(父母)の名前を使って売買しているというようなことは、当時は分からなかった。(68丁表、裏)

(3) 右に引用した中塚証言は、全体としてみると、伊藤の名義借り取引を否定していることは明らかである。

<1> 『伊藤の取引』等の言葉の意味

中塚証言の中には『伊藤の取引』・『主取引者』・『注文主体』などの言葉があちこちに出て来るが、中塚は、それらの言葉は同じ意味として使用していることは、証言の流れからみて明らかである。

また、中塚は、『伊藤の取引』等の用語を、飛島株売買の注文の具体的内容が伊藤の判断でなされていると思ったという意味でのみ使用していることは、前述した証言の内容から明らかである。すなわち、伊藤からのみ売買の注文を受けていたこと、また、一々父母の指示に基づかずに、伊藤自身の判断で、伊藤が株数・株価・指値等を決めて注文していると思っていたこと等を、それらの言葉で表現しているのである。

従って、中塚がいう『伊藤の取引』などの言葉は、具体的な買い売りの注文手続主体を意味しているだけであって、『名義借り取引』の意味とは全く異なっていることは明らかである。

要するに、中塚の証言をみると、同人が使用した『伊藤の取引』などの用語は、中塚の意識においては、飛島株売買代金の支払義務者や売却益の帰属者と関係のない言葉として使用されている。

<2> 伊藤が、売買株数・株価等を決める権限を与えられていたとの認識

中塚は伊藤から、最初に、父母から飛島株の売買を任されていると聞いていたが、一九万九〇〇〇株の注文を受けたので株数まで任されていると思った。

すなわち、指値や指値の訂正のみならず、株数も含めて伊藤の判断で注文を出せる地位にあると思ったという意味で『伊藤の取引』だと思っていたのであって、損益の帰属主体までが伊藤であると思っていたのではないことは、同証言の流れからみて明らかである。

<3> 購入資金は伊三郎やふみから出ると思っていたこと。

そして、中塚は、株代金支払義務者は、ライフの中に伊三郎やふみのお金なり担保なりがあって当然そこから出てくるものと思っていたのであり、伊藤が注文する状態を、『(伊藤が)主取引者』、『伊藤の取引』、『(伊藤が)注文主体』などといろんな言葉で表現しているが、株購入代金の支払義務者はふみや伊三郎だと思っていた。

<4> 以上を総合すると、中塚の証言は全体として、伊藤の名義借り取引を否定していることは明らかである。

<5> なお、中塚に対する尋問の中で、検察官は『仕手株・・・そういうことも・・・借りている名義じゃないかと思った判断材料になりませんでしたか』といい、中塚は、釣られて『なるとおもいます』などと答えている部分がある(51丁裏)が、証言の中のどこでも、中塚自身は『借名取引』という言葉は使っていない。中塚が、検察官が言わんとする『借名取引』という意味で、『伊藤が主体・伊藤の取引』、『伊藤が主取引者』などの言葉を使用しているのでないことは、右に述べたとおりであり、中塚の証言全体の流れを見れば歴然としている。

(4) その他の反論

<1> 伊三郎、ふみ間の金消は、その年の八月に伊三郎は死亡しているため、確定日付はないが、もし、伊藤の名義借りの偽装工作であったとすれば、この金消には直ちに確定日付をとっていた筈であると考えられる。

<2> 原判決の論理的前提に立てば、右伊三郎・ふみ間の金消は架空のものであり、且つ、伊藤も脱税の故意がある以上は当時から金消が架空であることを承知していたということにならざるを得ないが、伊三郎とふみとが共謀して伊藤のために架空の金消を作るべき理由は考えられないし、伊藤が承知していたとの証拠は一切ない。

また、ふみの購入資金は、伊三郎がライフで調達して借りた金であることは間違いない(甲三〇、29、30頁)。しかも、その当時、ふみは伊三郎に対して昭和六一年一二月に飛島株を処分したときの多額の売却益を預けていたものである。そういう状況の中で、伊三郎がふみに資金を貸した旨の金消が架空だとする原判決の論理は根拠を欠いている。

<3> 一般論としても、もし伊藤が脱税を謀っていることを伊三郎が知っていたなら、税理士の息子のために叱ることはあっても、脱税の協力をするはずもない。

(5) 反論は伊藤の法廷供述の中にもある。

<1> 証券会社の口座開設申込書に使う印鑑は実印である必要はないものであるところ、伊三郎はコスモ証券の口座開設に実印を押している(伊藤平4・11・5法廷供述23丁裏)。また、伊三郎は、几帳面な人柄で実印を預けっ放しにするような者ではない(同24丁裏)。

伊藤も証言しているように、もし、伊藤の名義借りならば、わざわざ実印を使用することもなかったであろう。その都度借用するために不便はなはだしい結果となるからである。

<2> 伊藤は、昭和六一年一月初め頃、伊三郎から『・・・お前、コスモに行ってちょっと会って来てくれ・・・』と言われた(同22丁裏)が、これは、伊三郎が、ふみから飛島株を買い戻す相談を受けたため、ライフに資金繰りの相談の電話などを入れた結果、伊三郎がライフの担当者からコスモ証券を使ってやってくれ、と頼まれた結果であることは間違いない。

すなわち、伊三郎は、伊藤がふみの飛島株買い戻しの意思を知る前に、ふみから買い戻しの相談を受けて、資金繰りを考えてやっていたことを示すものである。よって、この事実からも、伊藤がふみの名義を借りて飛島株を買ったとみることには無理がある。

<3> 甲三〇号証(支払利息調査書)の29、30、31、32頁等によると、伊三郎はライフの伊三郎の口座から、ふみと伊三郎の昭和六二年一月の飛島株購入資金を借りていることが明らかである。ライフの手続きは伊藤の意思でなされたのではなく、伊三郎自らの意思に基づいてなされたものである(同25丁表)。

(6) 以上の次第で、伊三郎、ふみの各実印により開設されたコスモ証券の各口座は、伊三郎、ふみのものであり、同口座における伊三郎、ふみの各資金により購入された飛島株の取引は名実共に両名の取引であって、伊藤が同人らの名義を借りた取引であるとの原判決部分は、特に不自然で強引な著しく正義に反する重大な事実誤認である。

第七 昭和六二年三月の飛島株売却と送金、親族らへの売却益の帰属に付いて

一 『被告人の指示』、『被告人の判断』は本当に正当な認定か

飛島株の売却益の流れ自体については争いがない。問題はその意味内容である。原判決は、『売却益が各名義人の銀行口座に振り込まれ、右各』売却益は、いずれも振込後三日以内に、被告人の指示により、ほぼ全額が被告人の経営する株式会社コスモファイブの銀行口座に振り込まれている。』旨(原判決3丁裏7行目から4丁表3行目)、また『本件で問題となる昭和六二年三月に売却された伊三郎、ふみ名義の売却益のうち六〇〇〇万円が、被告人の判断によりコスモファイブの銀行口座に振込送金されている。』旨(原判決13丁裏7行目から末行)の各間接事実を認定した上で、これを一つの重要な根拠として『以上によれば、本件における各株の売却益が被告人に帰属し、被告人に脱税の故意があったと認定したのは正当である』と結論づけている(原判決20丁表6行目から7行目)。

しかし、『被告人の指示』、『被告人の判断』、という認定はどこから出てきたものか、『右六〇〇〇万円以外の売却益』についてはどうなのか、極めて疑問である。

昭和六二年三月の飛島株売却と各名義人への送金の経緯を見れば、各名義人らに売却益が帰属し、少なくとも、右『被告人の指示』や『被告人の判断』は無く、伊藤に脱税の故意が存在していなかったことは明らかである。以下に売却と送金の経緯を詳述する。

二 松尾からの売り時の情報と売却の決意

昭和六二年二月末頃、伊藤は松尾から一三〇〇円台になったら売ると聞いたので、すぐ伊三郎に相談したところ、伊三郎からも松尾が売り時というならそれに従った方がよいとの助言を受けたので、これに従うことにして、すぐ親族らにもその情報を伝えて売ることを勧めた(伊藤平4・11・5付法廷供述35丁裏、36丁表)。

そして、ふみ、和代、八重子、光江、ハツ江らに対して、松尾からの売り時だという情報を次々に伝えたところ、皆、直ちに売却することを決意し、売り手続きを伊藤に依頼した。

(伊藤平4・11・5付法廷供述36丁表から38丁表)

(ふみ平4・4・24付法廷証言18丁表)

(和代平4・7・29付法廷証言20丁裏)

(八重子平3・9・13付法廷証言21丁裏、同じく平3・10・4付法廷証言20丁表、裏)

(光江平4・6・5付法廷証言40丁表、裏)

(ハツ江平3・11・29付法廷証言24丁表、裏)

三 売り注文、及び、売り成立

1 伊三郎、ふみ分について

伊三郎は、自分とふみの分について、ライフに連絡すると共に、伊藤に指示してコスモ証券に売り注文をだすよう依頼した。伊藤はそれを受けて、伊三郎とふみの分について昭和六二年三月五日、売り注文を出した結果、同月九日すべて売りが成立した。(伊藤平4・11・5法廷供述39丁裏。甲二九、6頁)。

2 伊藤本人、和代(第一証券の残り分)、ハツ江、光江分について

伊藤本人、和代、ハツ江、光江分については、伊藤がライフに売ることを伝えたうえ、第一証券にそれぞれ売り注文の電話を入れた。

伊藤本人と和代分は同年二月二七日、光江とハツ江分は同年三月二日にそれぞれ売り注文の電話を入れた(伊藤平4・11・5法廷供述38丁裏、39丁表。甲29号証4頁)。

その結果、伊藤と和代(第一証券分)の売りは三月二日約定(三月後日決済)、ハツ江と光江は三月三日約定(三月六日決済)となった(古屋正孝平2・11・7付検面調書添付客方勘定元帳)。

3 八重子の分について

八重子は昭和六一年一二月に七万三〇〇〇株を処分していたので、残り一二万六〇〇〇株を三月二日に、伊藤を介して小林に頼んで売り注文を出してもらった(伊藤平4・11・5付法廷供述39丁裏、40丁表)。

その結果、三月三日約定(三月六日決済)となった(古屋正孝平2・11・7付検面調書添付客方勘定元。甲二九、4頁)。

4 和代の日興証券銀座支店における昭和六一年二月買い戻しの三万株式会社について

和代が昭和六一年二月に買い戻した三万株は、同年三月五日に売り注文を出し、同月九日売りが成立した(甲二九、11頁)。

四 各人への送金(各人への売却益の帰属)

1 伊藤から各人への売却したことの報告

伊藤が各人から売却を頼まれて、売り注文を出した結果、それぞれ売りが成立したあと、伊藤は直ちに、各人に対して幾らで売れたか等の報告をした。

(伊藤平4・11・5法廷供述40丁裏)

(ふみ平4・4・24法廷証言19丁表)

(和代平4・7・29法廷証言21裏)

(八重子平3・10・4法廷証言23丁表、裏)

(光江平4・6・5法廷証言41丁裏)

(ハツ江平3・11・29法廷証言24丁裏)

2 伊藤による親族各人の利益計算書の作成、内容の報告

伊藤は親族の飛島株の売却が済んだあと、それぞれの親族の取り分について、ライフからの借入金やライフに対する金利を計算して控除し、各人の収益として引き渡す額を、各人別にレポート用紙で計算書を作成した。

(伊藤平4・11・5法廷供述43丁表、裏。同49丁裏、50丁表。なお、八重子分の計算書については、同証言45丁表から46丁裏にも記載あり)

(八重子平3・8・21法廷証言21丁表)

なお、この計算書を、当時、親族らに交付したかという点については、父母には渡したが、その他の親族には電話等で内容を説明したうえ郵送しようかと申し入れたが、要らないということだったので、当時は手渡さかなった(伊藤平4・11・5法廷供述50丁裏)。

3 伊藤から親族各人への振り込み口座の問い合わせ

(1) 伊藤は、計算の結果、親族各人へ支払うべき各人の利益が確定したあと、直ちにハツ江、光江、八重子らに電話をかけ、各人の振込口座番号を問い合わせた。八重子は、銀行口座がないのですぐ口座を作るということで、事実、同年三月七日付で口座を作って直ちに伊藤に連絡してきた。また、和代には結果を報告しただけで、口座番号はその時点では聞いていなかった。

(伊藤平4・11・5法廷供述41丁表、裏)

(八重子平3・8・21法廷証言20丁裏)

(光江平4・6・5法廷証言42丁表、裏)

(ハツ江平3・11・29法廷証言24丁裏)

(2) また、伊三郎とふみについては、同人らの売却益は伊三郎のライフ口座に入っていたため、その時点では伊藤からの送金の問題はなかったので報告しただけだった(伊藤平4・11・5付法廷供述42丁表)。

4 伊藤から親族各人の口座への振り込み(親族らの売却益の取得)

(1) その後、甲二八号証39頁のとおり、伊藤は次に述べる親族各自に対して、以下のとおり送金した(一〇〇〇円未満切り捨て)。その時点で、親族ら各自が売却益を現実に取得したものというべきである。

<1> ふみについて

昭和六二年三月一一日、滝野川信用金庫西ケ原支店のふみ口座に金一億四七六六万四〇〇〇円。

なお、ふみの売却益は、伊三郎のそれと一緒に伊三郎のライフの口座に入っていたが、伊三郎は昭和六一年一二月にふみと自分が処分した利益金の内から一億円を伊藤に貸し付け、その後、昭和六二年一月二七日金六〇〇〇万円の返済を受けたり(伊藤平4・11・5法廷供述18丁裏)、また、和代の飛島株三万株購入のときに金三〇〇〇万円程を貸したり(同32丁表、裏、33丁表)していたし、その他にも伊藤が経営していた協和ファクターが伊三郎から借入をしていた分もあった。そこで、伊藤と伊三郎が協議して、それら貸借の清算をもすることとし、本来伊三郎が支払うべきふみの分も伊三郎への返済を兼ねて伊藤がふみに送金して支払った(伊藤平4・11・5付法廷供述18丁表)。

<2> 八重子について

昭和六二年三月一一日、三菱銀行柏支店の八重子口座に金二九七万三〇〇〇円と七八七八万九〇〇〇円。

この八重子に対する金二九七万三〇〇〇円の送金も、右<1>のふみの場合と全く同じ理由で、本来なら伊三郎が送金すべきものを、伊藤が送金した(伊藤平4・11・5付法廷供述18丁表。同19丁表、裏)。

八重子が同年三月に売却した飛島株一二万六〇〇〇株の売却益は、金七八七八万九〇〇〇円あった(甲二八、39頁)が、この金額は小林のライフの口座に入金されていたので、伊藤が小林に八重子の口座を教え、小林が同金額を八重子に送金した(伊藤平4・11・5付法廷供述41丁裏。甲一〇七)。

<3> 光江について

昭和六二年三月九日、富士銀行王子支店の光江口座に金一億二四六五万九〇〇〇円。

<4> ハツ江について

昭和六二年三月九日、太神三井銀行川崎支店のハツ江口座に金一億一〇五三万四〇〇〇円。

(2) 和代について

和代の利益金は、昭和六一年一二月に五万株売ったときの売却益や昭和六二年二月に買い戻した三万株の売却益も含めて、全部で金一億五二〇〇万円ぐらいあった(和代平4・7・29法廷証言21丁裏)。

和代は伊藤の依頼で、右金一億五二〇〇万円の内の金一億四八〇〇万円を伊藤に貸したが、その貸す話しをした同年三月一〇日頃(同36丁裏)に、伊藤は、妻和代に対して、この金額を振り込むと申し出たが、和代が『・・・主人に貸すと言ったときに、振り込むと言ったんですけれども、いや、どうせ貸すんだったら、振り込んでもらっても、また振り込まなければいけないし、同じだから、そんなのわざわざしなくていいわよって言って、振り込んでいません。』(同24丁裏)という事情があったために、伊藤から和代の口座に対する振り込みはなされなかった。

伊藤と和代の金一億四八〇〇万円の貸付の日にちは、ふみが伊藤に振り込んだのと同じ六二年三月一二日と合意した(同40丁裏)。そのため、伊藤と和代間の右貸付の金消の作成年月日は同日付になっているのである。

なお、和代は残金約四〇〇〇万円は、伊藤から現実に引き渡しを受けた(同23丁裏、24丁表)。

五 飛島株の売却益の親族各人へ帰属

飛島株の売却益が、親族らの所有として親族らに帰属したことを確認するには、客観的な面と主観的な面とから検討する必要がある。

1 利益の帰属主体特定の判断基準

飛島株の売却益の実質的な帰属が親族各人か、それとも伊藤なのか、即ち、実質的所得者は誰かが本件では究極の争点である。

よって、実質的な所得者を特定すべき判断基準として、売り時の情報を得てから売却し、さらに、売却益が親族らの支配下に入った一連の流れを、客観的及び主観的な両面から観察して、そうした個々的な諸事実の意味を明らかにすると共に、総合的に観察、評価して実質所得者が認定されるべきである。

2 親族らに利益が帰属したことを示す客観的事実

(1) 伊藤からの売り時情報の連絡と親族らの売却決意・売却依頼

<1> 前述したとおり、伊藤は昭和六二年二月末頃、松尾から売り情報を知らされたときに、直ちに、親族らに直接会ったり電話したりしてその情報を伝えて売却を勧め且つ売却意思を確認した。

<2> また、親族の者達も、伊藤からの右連絡に対して、それぞれが自分の判断で、伊藤に対して売却方を依頼した。

<3> 第一審公判廷における検察官、弁護人、裁判所の何れからの尋問においても、親族らの誰の証言によっても、伊藤に対する名義貸しだったことを疑わせるようなやりとりがあった事実は認められない。

<4> もし、伊藤が親族の者達の取引名義を借りていたにすぎないならば、一々売却意思を確認するためのそのような連絡を入れることは考えられない。また、取引株の値段が上がって売り時になったからといって、名義を借りていた六人もの家族らの一人一人に対して、売り時だとの情報をわざわざ伝えるなどということは常識に照らしても考えられない。

このことは、即ち、親族ら名義人は単なる名義人ではなく、真実の取引主体であったことを示しているというべきである。

(2) 売却成立後の伊藤からの連絡

<1> 前述のとおり、伊藤は売りが成立した後に、親族らに対して直ちに連絡していた事実も、伊藤及び親族らの証言から明らかである。

<2> 伊藤が親族らの取引名義を借りていたに過ぎないのなら、このようにまめに連絡することは考えられない。なぜなら、名義借りであったのなら、そのような連絡をすることは親族らに対して「信幸に利用されている」という思いを深めるばかりであって、悪感情を抱かせる恐れがあるにすぎないからである。伊藤は、親族らの意思を尊重するとともに、親族らに一時も早く喜びを伝えたいがために連絡したものである。

現に、和代などは、伊藤からの売り成立の報告を受けて、利益が現実化したことに非常な喜びを感じたことを率直に証言している。

(3) 伊藤からの振り込み口座の問い合わせ

<1> 前述のとおり、伊藤は各人のライフの借金や金利などを計算したのち、各人に対して振込口座を問い合わせている。伊三郎や和代を除く各人は通常自分が使用している銀行口座を知らせた。八重子のみは銀行口座を持っていなかったので至急作った上で伊藤に連絡した。

<2> 各人の証言には、この問い合わせが名義貸しを偽装するための振り込みのためであったことを窺わせるような不自然さは全く認められない。これは、伊藤のみならず、親族各人も売却益は真実家族各人のものであるという意識でいたからである。

(4) 親族ら各人の銀行口座への振り込みの事実

<1> 前述のとおり、伊藤は売却並びに計算したあと、親族ら各人の口座に各人の売却益をきちんと振り込んでいる。

もちろん、この振込は親族らも承知しており且つ当然のことと了解していた振込であることは、親族らの証言から明らかである。

もっとも伊三郎は自分のライフ口座に自分の売却益相当分は入っていたので、伊藤が振込む筋合いではなく、また、和代は振込む以前にそのまま伊藤に貸し付けたので現実の振込みがなかったことは前述のとおりである。

<2> 親族ら各人の銀行口座にそれぞれの売却益が振込まれた時点で、親族らは各自売却益を現実の支配下に置いたものであり、利益が現実に帰属したのである。

3 親族らに利益が帰属したことを示す主観的事実

(売却益に対する親族各人の認識)

親族らが、伊藤から売却の報告を受けたとき、あるいは実際に売却益の送金を受けたときの気持ちや売却益に対する認識は、以下に述べるとおりであり、各自、売却益の帰属主体はそれぞれ自分であると思っていた。

(1) ふみの場合

ふみは、『本当にびっくりした。ほんとうにもうそれこそ、こんな大金が入ってね、これ、儲かってしまった。宝くじにも当たったように、それは感動しました。』と、当時の気持ちを率直に述べている。そして、(金額の)数字が沢山並んでいる通帳も確認した(ふみ平4・4・24法廷証言22丁裏)。

また、別の箇所でも『主人が振り込んでくれましたからね。それで、もう確実にもうかったと思いました。』(同25丁裏)と、売却益が自分に帰属したと思っていた事実を述べている。

(2) 和代の場合

和代は『(儲けが出たということが分かって)本当に数字だけなので、本当に夢のような感じだったので、非常に嬉しく有頂天になっていたような気持ちもあったし、とにかく前々からそれだけのもの欲しいと思っていたものが手に入ったし、主人に万一のことがあってもこれでよかったという思いがあった』(和代平4・7・29法廷証言22丁表)。

また『・・・(売買報告書が来て自分で確認したとき)それを見たときは、数字がばあっと並んでて、何かもう頭の中がかあっとなっちゃったような、すごいそういう感じがあった・・・』(同34丁裏)。

そして、一番、やった、と思ったのは『主人から、売れたぞ、という電話があった時だった』ということで、『その時に、わあっという、すごい嬉しくて、本当、って・・・その時の、要するに、後で売買報告書を見たというよりも、その電話掛かってきて、その主人が、和代売れたぞ、と言ったその時の感激のほうが非常に鮮明に残ってるんですね。』と、証言している。また、伊藤から売れたという電話があったときが一番嬉しかった理由を問われて『・・・やっぱり、売れて始めてお金になるわけだから。で、売れたぞと言って主人もすごく興奮して電話掛けてくれたし、私も電話待っていたし、ほんとにその時の印象がものすごく残っている』とも証言している。(同35丁表ないし36丁表)。

和代の証言内容をみると、実際に経験した者でなければ言えない内容であり、このことは即ち、和代が飛島株の売買を自分自身の売買であると認識していたことを示している。

(3) 八重子の場合

八重子は、検察官の『八〇〇〇万円の送金について主人にどのように話したか』との質問に対して、『・・・株の利益が出たときに主人に、株って大変、すごく儲かるのね、八〇〇〇万円も儲かって、というような話しをした』(八重子平3・8・21法廷証言24丁表)と証言している。

八重子は、逮捕勾留されて慟哭するとともに恐怖狼狽し、逮捕された以上は自分が認識していた事実は間違いで、取調検事のいう事実が本当の筈だという前提を措定し、併せて、起訴を免れ早期釈放を願うあまり、いわゆる『チェンジ・マインド』をして、取調検事のいうとおりの事実が真実であったと信じようと努力していたものである。

その八重子が、検察官の問いに対して答えたこの証言には、当時の本心や率直な驚き、喜びなどがうかがわれ、八重子の記録に基づく有りのままを述べたものと認められる。原判決は、右の証言を恣意的に無視している。

(4) 光江の場合

光江は、『売れた後すぐに・・・(伊藤から)売れたという連絡があった。そして凄いよ、お前、一億円の儲けだよ、これでやったね、とかいう、私もそれを聞いた時、もう嬉しくて胸がどきどきした』(光江平4・6・5付法廷証言41丁裏)。また、『・・・銀行にいくときに自分の通帳を必ず持って行って、記帳することを楽しみに、二、三回記帳した』(同42丁裏)りした旨を述べて、売れた直後の喜び方を具体的に証言している。

また、入金のあと記帳したときの心境については『記帳機に入れると、お金の動きがあるとビビビッと音がする。その金額が、今度こそやったという感じで、自分の通帳に桁違いの数字が入って、やっぱり一億円ぐらいだという感じで、嬉しくて仕方なかった』(同43丁裏)と、待ちに待った大金の入金があったことを直感して、胸が弾んだ状況を端的に証言している。

光江に帰属する売却益でないならば、伊藤が光江に向かって、喜ばせるようなことをいう筈もないし、また、光江自身も何度も記帳をしに行ったりする筈もないことは明らかである。

(5) ハツ江の場合

ハツ江は、検察官の問いに対して、利益が確定して自分の口座に一億一〇〇〇万余りのお金が入ったときは『嬉しかった』と証言しており、また、そのお金は自分が自由に使ってよいお金だと思った、一時的に預かったという気持ちはなかった、と証言している(ハツ江平3・11・29付法廷証言25丁裏)。

また、弁護人の問いに対して、伊藤から振り込むとの連絡を受けた時点では、『(伊藤から)お金を貸してもらって、儲けさせてもらったお金だから、多少お礼をしなければと思って、それを何度も信幸さんに言った』(ハツ江平3・12・20法廷証言10丁裏)と証言している。

或る人の御陰で、当初想像もしていなかった多額の儲けがあったことを知ったときに、『儲かって嬉しい』という感激と同時に、直感的に、お礼もしないで儲けを享受するのは厚かましすぎると、内心で自戒したり遠慮を感じたりすることは、自然な心理の動きとして理解できる。まして、伊藤は、娘和代が可愛がってもらっている婿であるから、もともと、有りがたく思っていたばかりでなく、娘が婿に末永く可愛がってもらうためには、自分は婿に対して図々しい母親であってはならない、という気持ちも日頃からあったことは容易に推認される。従って、ハツ江が『お礼をしなければ』と感じたことは、全く自然である。

(6) 結論

前述のとおり、親族らは、伊藤から各自の売却益が確実に生じたとの連絡を受けたとき、或いは、自分の口座に入金になったときの感激や喜びの様子を、それぞれの立場で証言している。

それらの証言は、真実喜んだり感激した者でなければ到底気付かないと思われる内容にあふれている。名義貸しであったとしたら到底そのような内容の証言がなされるとは考えられない。

そのことは、親族ら各人が、真実、売却益が自分のものとなったという心理状態にあったことを証明しているというべきである。

4 取引名義人の親族らがそれぞれ実質的所得者であった事実

以上のように、親族各自の飛島株取引の売却益が客観的に親族の支配下に入り、且つ、伊藤は親族各自の売却益はそれぞれ親族のものと思っており、親族各自はそれぞれに売却益が自分のものとして自分の支配内に入ったと思っていたのであるから、結局、客観面からみても主観面からみても、飛島株の売却益はそれぞれ親族ら各名義人に帰属したものである。

伊藤が各名義人らに対し、飛島株の売却益を銀行送金したこの時点で、飛島株取り引き及び各名義人との間の精算はすべて完了している。この時点までに、伊藤に借名取引による脱税の故意が認められる合理的な証拠や重要な間接事実はこれを認めることができない。

第八 伊藤が親族から売却益を借用した事実は何故無視されるのか(金消は偽装か)について

一 原判決は、要するに、親族が伊藤に売却益を『貸し付けたというのは、所論のいう情勢を考慮しても解せないことである。』、つまり、借名取引による自分の売却益を取り戻したにすぎず、結局金消は偽装であると認定している。その認定根拠として、<1>売却益の殆どであること、<2>全員が入金後三日以内であること、<3>貸付期間が五年で異議がなければ自動更新であること、<4>利息も査察調査前の約二年間支払っていないことなどを指摘している(原判決4丁裏5行目から5丁表1行目)。

しかしながら、右の問題点は、それなりに理解できる事情や動機があってのことであり、多少の問題があったからといってそれを理由に売却益の借用の事実までを否定しさることは牽強付会の推論と言わなければならない。特に、伊藤は名義人の光江、ハツ江、八重子らに対し、現実に売却益を振込送金しているのであり、借名取引の場合に通常行われるような各名義人の銀行通帳や届出印鑑を自ら保管している事案とは異なる。各名義人は、それぞれ別の世帯を営む成人であるところ、各別の判断で伊藤に対する貸付を実行したのであり、それぞれ貸付債権を有しているとの認識を持っていたのである。以下の貸付の経緯を詳細に検討すれば、右の認定根拠となった問題点はすべて解消されるのである。金銭貸借の事実は存在していたと認めることが合理的である。少なくとも、伊藤が当然の取り戻しであるとの認識を持っていたとは絶対に認められない。脱税の故意が認められない所以である。

二 伊藤から親族らへの借入申込当時の社会的状況・借入申込の動機

1 社会的状況

伊藤や親族らが、飛島株を売却した昭和六二年三月当時の社会状況は、いわゆるバブル時代が最盛期に入ったころであり、株や不動産投資は買いさえすれば儲かるという時代であり、株や不動産の市場は未曾有の活況を呈していた(弁一三一、一三二等)。

飛島株の取引は、親族らが、自分の意思と選択で株の取引を行うに至ったことは、各本人の証言のとおりであり、ことにふみや八重子などは伊三郎が昭和六二年八月に亡くなる以前から、自分自身でも証券会社に走って株取引を行うに至っていたほどである。

(ふみ平4・4・24法廷証言39丁表以下)

(和代平4・7・29法廷証言43丁裏以下)

(八重子平3・10・22法廷証言57丁裏、58丁表)

そうした時代背景のもとに、伊藤は親族らの巨額の飛島株売却益を借りようと思うに至ったのであるが、その経緯を次に述べる。

2 借入申込の動機

(1) 不動産購入資金として

当時は非常に不動産が活況を呈しており、不動産業界は資金さえあれば非常に儲けられる時代だったので、不動産の事業資金はいくらでも多く欲しかった。そのため伊藤は親族らに飛島株売却益の借入を申し込む気持ちになった(伊藤平4・11・5付法廷供述56丁表)。これが、伊藤が親族らに借入を申し込んだ主たる動機である。

もっとも、伊藤は親族らから各自の飛島株売却益の大部分をそれぞれ借りたが、実際には、不動産購入資金に使う前に、次に述べる親族らの東洋電機製造株の購入資金に使用したので、不動産購入資金に直接には利用されなかった。この件りは後述する。

(2) 企業買収のための株購入資金として

伊藤は、昭和六二年三月初め頃、自分や親族らが飛島株を処分した後の親族らの売却益を計算していたころ、心話会の山本善心から、『・・・今度は非常に面白い話しがある。これは企業を買収してしまう話しだが、非常にいい話しだから出来るだけ資金を集めておいてほしいと耳打ちされた・・・』ことがあった(同57丁裏、58丁表)。

(3) 以上のように、伊藤は、主たる動機として、自分の経営する不動産会社の事業資金として、親族らの飛島株売却益を借りようと思いついたが、その他に、右に述べたとおり、山本善心からの企業買収の情報も一つの動機として、親族から借入れしたいと考えた。(同64丁表)。

三 借入申込(時期・申込の内容・条件)・親族らの心境や反応・貸付の振込

1 借入申込・親族らの応答・振込

(1) 伊三郎の場合

<1> 伊藤は伊三郎に対して、昭和六二年三月九日か一〇日頃、借入を申し込んだ(伊藤平4・11・5法廷供述64丁裏)。

その借入申込の話をするとき、伊藤は伊三郎に『不動産業界は非常に景気がいいので、資金さえあれば儲けられるから貸してほしい。定期預金(金利)ぐらいで貸して欲しい』と言った(同65丁表)。

<2> これに対して伊三郎は『この株(飛島株)で儲けたのはお前のお陰のようなものだから、よし、いいや。六〇〇〇万円だけ自分が使うときまでの間、必要とするときは返せ』と言って、すぐ承知した(同65丁表)。

<3> かくて、伊三郎は同年三月一一日に、六〇〇〇万円を伊藤が指定した株式会社コスモファイブの銀行口座に送金して、伊藤に貸し付けた。(甲二八、38頁)。

(2) ふみの場合

<1> ふみは、売却益を振り込まれた昭和六二年三月一一日の夜伊藤から借入の申込をうけた(同72丁表)。そして、翌日の朝、伊藤が出がけにまた借入を申し入れた(ふみ平4・4・24付法廷証言23丁表)。

伊藤は、ふみに対して借入の申込をするとき、『不動産の事業資金として使いたい』、『借用書も入れるから』(伊藤同72丁裏)とか、『儲けた金を貸してくれない?』、『金利払うから』、『要るときはいつでも返すから』などと言った(ふみ同23丁表、裏。同24丁裏)。

<2> 伊藤の借入申込に対して、三月一一日夜のときはふみは、貸すとか貸さないにつき、はっきりした返事はしなかった(伊藤同73丁表)。しかし、翌一二日朝、伊藤が再び借入を申し込んだときには、ふみは『・・・貸してあげるけど、ただじゃいやだよ。銀行の定期預金金利が三・五%だからそのぐらいもらおうや・・・私も早く家をいい適当な不動産があったら買いたいから要るときは返してね・・・』と言った(ふみ平4・4・24付法廷証言23丁表、裏)。

<3> ふみは、同年三月一二日朝は折から野田に帰る日だったので、通帳と印鑑を和代に預け送金手続きを和代に頼んで、同日一億四五〇〇万円を伊藤が指定したコスモファイブの銀行口座に送金して、伊藤に貸し付けた(甲)二八、39頁)。

(3) 和代の場合

<1> 伊藤は和代に対して、昭和六二年三月一〇日頃借入を申し込んだ(和代平4・7・29付法廷証言36丁表、裏。伊藤平4・11・5法廷供述74丁表)。

伊藤は、和代に借入申込みをしたとき、『飛島株の精算書ができたからお前に振り込もうと思う。ところで、不動産の事業資金に使いたいから貸してくれないか』(伊藤同74丁表)と言った。また、『不動産が年二割で上がっており・・・一億の不動産を買えば二〇〇〇万円や三〇〇〇万円すぐ儲かる・・・』(和代同22丁裏)と使用目的を説明した上、『(売却益の)全部貸してくれ』(和代同23丁裏)、『ちゃんと借用証を作るから』(和代同24丁裏)、『銀行の定期預金金利を払う』(和代同25丁表)などと言った。

<2> 伊藤の借入申込に対して、和代は、全額借入申込に対しては『四、五百万円は貸さない』と断り(和代同23丁裏。伊藤同74丁裏)、『私が不動産を買いたいと言ったらすぐ返してね』(和代同25丁表)などと条件をつけた。

<3> なお、その時点では、伊藤から和代に対して和代の売却益はまだ振り込まれていなかったので、伊藤は振り込むと言ったが、そのときは貸すことを丁度承諾したばかりの時だったので、和代が『・・・振り込んでもらっても、また振り込まなければならないし、同じだから、そんなのわざわざしなくていい・・・』といったため振込はされなかった(和代同24丁表、裏。伊藤同74丁裏)。しかし、その金は第一勧業銀行駒込支店の伊藤の口座で通知預金とされた(伊藤平4・11・26付法廷供述25丁表。甲二八、39頁)。

(4) 八重子の場合

<1> 伊藤は、昭和六二年三月九日頃、小林から八重子に飛島株売却益を振り込んだ旨伊藤が小林から連絡を受けたので、伊藤が八重子に振込があったかの確認の電話を入れた際に、八重子に対して借入を申し込んだ(伊藤平4・11・5付法廷供述75丁表)。

伊藤が八重子に売却益をどうするつもりか尋ねると、八重子は定期預金にでもしておくと答えた(伊藤同75丁裏)。そこで伊藤はその際八重子に対して、『定期預金にしておくのなら、銀行金利(定期預金金利三・五%)を払うから事業資金として貸してほしい』(八重子平3・10・4付法廷証言25丁裏、伊藤同75丁裏)、『借用書も入れるし』(伊藤同75丁裏)、『八〇〇〇万円貸してほしい』(伊藤同76丁表)、『とりあえず昭和五九年の伊三郎の手術のときの執刀医への謝礼金三〇〇万円の半分、一五〇万円を下ろしてお父さんに渡してほしい』(伊藤同76丁裏から78丁表)などと言った。但し、執刀医への謝礼金の半分を請求された点については、八重子は法廷証言当時は忘れていた(八重子同22丁表、裏)。

<2> 伊藤の借入申込に対して、八重子は『・・・じゃいいわよ』と快く承諾した(伊藤同76丁裏)。

八重子は、『こんな大きな金額は、私が持っていてもうまく利用できないし、情報をくれた弟の依頼だからということで、私は貸し付けることを承諾しました』と証言している(八重子同26丁裏)。

なお、八重子は伊藤への貸し付けに関して、貸し付けた当時、夫の正一に『・・・株って大変、すごく儲かるのね、八〇〇〇万円も儲かって、というような話をしました。その後、弟が貸し付けてくれって言うんで、今日、三菱銀行の人が飛んで来たんだけれども、これは弟が事業資金として使いたいから貸し付けてくれって言うんで、送金したんだと、その後話しました。』(八重子平3・8・21付法廷証言24丁表)という事実がある。

また、八重子は、逮捕勾留中に取調検事に対して貸しているという意識はなかったと話したことはないか、との質問に対して、『私はずうっと貸し付けたという意識で、逮捕される前まではそういうふうに思って、逮捕されてからも検事さんに、私は自分の株取引で貸し付けたんです、そのように信じておりましたけれども、どのようにしたらいいんでしょうか、と申し上げました。』(同27丁表、裏。同旨・八重子平3・10・22付法廷証言40丁裏)と証言している。これは、八重子が逮捕勾留されて後に『チェンジ・マインド』したり『潜在意識』を生じたりする以前の、現実の認識ないし生の意識であることは明らかである。

従って、八重子が伊藤から借入申込を受けた時点でも、八重子は、飛島株取引は自分の取引であり、その売却益は自分のものであり、従って、自分の売却益を伊藤に貸し付けるのだという意識を有していたことは明らかである。

<3> かくて、八重子は、同年三月一二日に、八〇〇〇万円を伊藤が指定したコスモファイブの銀行口座に送金して、伊藤に貸し付けた(甲二八、39頁)。

(5) 光江の場合

<1> 伊藤は光江の口座に、三月九日に売却益を振り込んだが、その夜、光江に電話をかけて借入を申し込んだ(伊藤平4・11・5付法廷供述78丁裏。光江平4・6・5付法廷証言45丁表)。金額については『切りのいいところで一億二〇〇〇万円貸してほしい』(伊藤同79丁裏)と言った。

伊藤が光江に売却益をどうするつもりか尋ねると、光江は『とりあえず定期預金にしておいて、いずれマンションでも買うつもりだ』と答えた(伊藤同78丁裏)。そこで伊藤は光江に『事業資金に使いたい。銀行金利と同じ三・五%の金利を払う。一年間四〇〇万円ぐらいになるだろう。契約書も作る。光江のいいマンションが見つかったら返す』(光江同45丁裏、46丁表)と言って借入を頼んだものである。

<2> 光江は、『私のためにいいマンションを見つけたら、そのときは返して』(光江同46丁裏)と言って、貸すことを承諾した。

<3> かくて、光江は、同年三月一〇日に、一億二〇〇〇万円を伊藤が指定したコスモファイブの銀行口座に送金して伊藤に貸し付けた(甲二八、39頁)。

(6) ハツ江の場合

<1> ハツ江には三月九日に売却益を振り込んだが、その後、伊藤はハツ江の夫智一及びハツ江に電話して『不動産の事業資金として一億一〇〇〇万円貸してほしいと頼んだ。また、企業買収の面白い話もあるので。借用書も入れるし、必要なときはいつでも資金繰りして返すから』などと言って借入を申し込んだ(伊藤平4・11・5付法廷供述81丁表、裏。82丁表)。また、その際、伊藤はハツ江に対して『三・五%で運用できると思う』(ハツ江平3・12・20付法廷証言12裏)とも言った。

<2> 伊藤の借入申込に対して、智一は『お母さん(ハツ江)さえよければ、自分は構わない』(伊藤同81丁裏)と言い、ハツ江は『私は構わない』(伊藤同82丁裏)と言って、貸し付けを承諾したものである。

ハツ江は承諾する際、『銀行に定期預金するのも同じだし、伊藤の世話になったお礼も兼ねて貸してやろう』と思って、即座に『どうぞお使い下さい』(ハツ江同12丁裏)と答えた。

<3> かくて、ハツ江は、同年三月一二日に、一億一〇〇〇万円を伊藤が指定したコスモファイブの銀行口座に送金して、伊藤に貸し付けた(甲二八、39頁)。

2 伊藤が借入を申し込んだ際の伊藤や親族らの心境

(1) 伊藤が親族らに対して、売却益について『借入の申込』をしたときの伊藤の心情は、伊藤の法廷証言の流れからみて、自分の情報提供のお陰で皆大儲けで感謝しているからすげなく断られることはないだろうという気持ちと、断られたらそれは仕方がない、という気持ちとが混じった心境であったことが窺われる。しかし、伊藤は、親族らのそうした感謝の気持ちが無くならないうちに急いで借入申込をしよう、という心境だった(伊藤平4・11・5付法廷供述83丁表)。

(2) 他方、親族達の心境をみると、親族らは、内心では伊藤の借入申込を必ずしも歓迎していなかったことが証言から窺われる。

ふみは、伊藤が最初に借入を申し込んだときには、承諾の確答を避けた。翌朝再び申し込まれたときも『・・・じゃ、私も、貸してあげるけど、ただじゃいやだよ、と、こう言いながら、でも、銀行の定期預金の金利が三・五パーセントかそのぐらいもらおうやと言ったら、ああ、払うよ、ということで貸すことにいたしまして、・・・』(ふみ平4・4・24法廷証言13丁表、裏)と述べている。これは、ふみが喜んで伊藤に貸したのではなく、いわゆるしぶしぶ貸す決意をしたことをうかがわせるが、同時に、ふみがその売却益が自分のものであるとの認識でいたことを意味している。

和代、光江らも、承諾するにあたっては「必要なときはいつでも返して」と条件を付けている。

(3) また、伊藤自身も親族らに借入を頼むときには、「必要なときはいつでも返す」とか「銀行金利を払う」、「借用書を入れる」などと、親族らが承諾し易い条件を提示している。

(4) これらの親族や伊藤の言動を総合すると、親族らが内心では必ずしも貸すことを喜んでいなかったことが窺われ、他方、伊藤は親族の感謝の気持ちが薄れないうちに、親族が承知し易い条件を並べたてて借金の申込をしていることが認められる。これは即ち、伊藤も親族らも双方ともに売却益が親族らに帰属していると認識していたことを意味している。これら、伊藤や親族の言動や認識を総合的に判断すると、客観的にも主観的にも親族らが売却益の帰属主体であり、親族らの意思で伊藤に対する貸付承諾がされたことは明らかである。

四 伊藤が親族らから借入れた際の金消の差入と差入れた理由について

1 金消作成と作成の理由

(1) 金消本文の作成

伊藤は、親族らから借入の振込を受けた後の一週間前後の頃、伊三郎を除く親族らとの間の金消の本文を、各人別に金額等を記載して作成した(伊藤平4・11・5付法廷供述92丁表から93丁表)。

この点について、ハツ江の証言には、伊藤がハツ江宅に来たときに、ハツ江の目の前で金消の内容を記入したと述べている部分もある(ハツ江平3・11・29付法廷証言27丁裏)。しかし、伊藤は、ハツ江の分も他の親族らの分と全部同一のときに作って持って行ったと証言している(伊藤同94丁表、裏)し、他の親族らもこれと同様の証言をしているから、ハツ江の記憶違いの可能性がある。

(2) 各人との間の金消作成(署名押印)・作成時期等

<1> 伊三郎の場合

伊三郎からの借入については、金消は作成されなかった。その理由は、伊三郎は昔から伊藤を通して協和ファクターに多額の貸し付けをしていたが、伊藤と伊三郎の間では、伊三郎が貸借の状況を手帳につけて確認し合う習慣だったので、本件貸し付けでもその習慣に従って金消を作成することなく、伊三郎の手帳への記載で、相互に貸借を確認しあっていたからである(伊藤平4・11・5付法廷証言71丁表)。

<2> ふみの場合

ふみからの借入の金消の作成は、昭和六二年三月一二日より一〇日か一二、三日後である(ふみ平4・4・24付法廷証言31丁表、裏)。

三月一二日にふみは伊三郎と野田の家に帰ったが、その直後に、伊藤から次回来る時には金消を作成するから実印を持ってくるようにとの電話を受けた。そして、一二、三日して再び西ガ原の家に行ったときに、西ガ原の家で互いに直筆で署名押印して金消を作成した。(同23丁表、裏)

ふみが金消に署名するときは、金消の内容は記載されていたが、伊藤から説明も受け、自分でも読んで納得したうえで署名押印した(同32丁表。33丁表、裏。伊藤平2・11・11付検面調書本文31頁のもの添付資料<9>)。その際、弁済期限は五年となっているが、ふみが要る時はいつでも返すという口頭の約束もした(同33丁裏)。

<3> 和代の場合

和代から伊藤に貸し付けた金消の作成時期は、金消の作成日付である昭和六二年三月一二日より、せいぜい一週間くらい後だった。和代の住所・氏名は和代の直筆である(和代平4・7・29付法廷証言26丁裏)。

なお、和代の金消の作成日付を昭和六二年三月一二日としたのは、和代の場合は、振込という行為がなかったので、伊藤と和代の話し合いで、貸付日はふみが送金したのと同じ日にしようという合意をした結果である(同28丁表)。

和代の場合も、署名するときは、金消の内容は記載されていたが、伊藤から説明も受け、納得したうえで署名押印した(同25丁裏から26丁裏。41丁表等。伊藤平2・11・11付検面調書本文31頁のもの添付資料<10>)。また、その際、金消には弁済期限は五年としてあるが、それ以前に和代が不動産を買うなどするときは返すという口頭の約束もした(同41丁表)。

<4> 八重子の場合

イ 八重子の貸し付けた金消の作成時期は、他の親族らと同じく同年三月二〇日から三月中であり、伊藤が八重子の家に行って八重子の署名押印を得ている(伊藤平4・11・5付法廷供述93丁表、裏。伊藤平2・11・11付検面調書本文31頁のもの添付資料<8>)。期限は五年になっているが、いつでも不動産を買うとか必要なときは返すという口頭の約束もしていた(伊藤同95丁裏、96丁表)。八重子も『利息を銀行金利で払うと、そして将来必ず返すと、そういう話がありました、必ずかえすと』(八重子平3・8・21付法廷証言27丁表)と述べている。

ロ 金消作成の時期については、八重子の記憶は混乱しており、その証言は転々と変化して定まりがない。

ⅰ 法廷では検察官の質問に対して『私の記憶では、父の死亡後だったように記憶しています。』(八重子平3・8・21付法廷証言28丁表)と述べ、更に、伊三郎の死亡後だと思う理由としては『・・・その時にそういうようなことを交わした(父と金消の話をした)記憶があったかないかはっきり覚えていないんで、むしろ、父が亡くなったあとかなあという記憶。単なるそういう記憶です』(同28丁裏、29丁表)と述べている。また『(金消に署名したあと)弟が確定日付を取るとか言ってたんで、そのまま渡したような気がします』(同31丁表)とも述べている。

そして、検察官が金消の確定日付との関係で『すると金消に署名したのは、一二月八日の少し前ということになりますか』との誘導尋問に会うと、八重子は『はい、そうです』と、簡単に答えている(八重子同32丁表)。

これらの証言を総合すると、八重子は金消の作成時期につき、証言時には記憶が混乱して思い出せない状態にあったことを示している。

ⅱ 他方、八重子が作成した上申書(甲八七)には、送金した直後に金消を作成したと記載されているが、この上申書の記載については、『私はそのときはそう思っていたんだろうと思うんですね、なに分にも前の記憶ですから、そのときに直後にもらったような記憶があったんです。』(八重子平3・9・13付法廷証言23丁裏、24丁表)と、証言している。

法廷の証言の時期よりも上申書が作成された時期の方が、一年以上前であることや、上申書作成はその時点での記憶に基づいてなされたことを八重子自身認めていることなどからみて、上申書の記載どおり、昭和六二年三月頃金消に署名押印したのが真実である。

ⅲ 伊藤は『八重子が記憶違いをしている』(伊藤平4・11・5付法廷供述104丁裏)とか、『父が死んだ後、一二月ごろに、確定日付を取るために、姉からこれ(金消)を預かって確定日付を取ったことがあるので、多分その時と姉は混同しているんじゃないかと思います』(同104丁裏、105丁表)などと述べているが、八重子の証言に記憶の混乱が認められること、八重子の上申書の記載が金消の作成は昭和六二年三月となっていることなどからみても、伊藤のいうとおり、八重子が勘違いしていることは明らかである。

ⅳ また、八重子以外の親族らは、一致して昭和六二年三月に金消作成したと証言しているばかりでなく、ふみ、ハツ江のように記憶の根拠がはっきりしている者もいる。そして、八重子の金消だけ他の親族より殊更遅れて作成する理由は考えられない。よって、八重子が伊藤に貸し付けた金消の作成時期は、昭和六二年三月中であったことは間違いない。

<5> 光江の場合

光江からの借入の金消の作成は、昭和六二年三月末頃である。伊藤が金消の本文を作って光江が勤めている会計事務所に来て、その応接間で契約書の署名をした。(光江平4・6・5付法廷証言59丁表、裏。伊藤平2・11・11付検面調書本文31頁のもの添付資料<7>)。

また、その際、金消には期限は五年としてあるが、マンションが探せたら絶対五年以内に返すという口頭の約束もした(光江同59丁裏。60丁表、裏)。

<6> ハツ江の場合

ハツ江との間の金消が作成されたのは、三月中、遅くとも三月下旬頃である。当時は地方選挙期間でハツ江は伊藤が金消を持参してハツ江の自宅にきたので、選挙事務所から急いで帰宅して、金消に署名した。

(伊藤平4・11・5付法廷供述93丁表)

(ハツ江平3・11・29付法廷証言26丁表、裏)。

(伊藤平2・11・11付検面調書本文31頁のもの添付資料<6>)

また、その際、金消には期限は五年としてあるが、一年たたなくても何かの障害があったときは返すという口頭の約束もした(ハツ江平3・12・20付法廷証言14丁表、裏)。

なお、ハツ江は、金消の内容はハツ江が署名するときに記載されたとの証言をしていたが、それがハツ江の記憶違いである可能性があることは前述したとおりである。しかし、いずれにしても、ハツ江は金消に署名する時に、伊藤から金消内容の説明を受け、自分でも読んで納得していた(ハツ江平3・11・29付法廷証言26丁裏)うえで署名したことに間違いはない。

(3) 金消差入れの理由

<1> 伊藤は、伊三郎以外の親族らに借入申込をする際に、誰に対しても、金消を入れると約束していた。親族に対して、大金の借入を申し込むときに、親族の了解を得やすくするために親族が安心して貸してくれる気持ちにさせる一つの条件として『借用証を入れる』と約束した。(伊藤平4・11・5付法廷供述90丁裏)。即ち、金消を入れると言ったのは、借りやすくするための説得の材料、小道具的な意味もあった。

<2> しかし、もちろんそればかりではなく、親族に対して借用証を入れる約束の有無にかかわらず、伊藤は、借りる金額が大きいことや貸借関係を明確にしておくため、金消を作る必要は認識していた(同91丁表)。又、いくら親族とはいっても、伊三郎以外の者からは初めて大金を借りるのだから安心してもらうための礼儀としても金消を入れるのが当然だという気持ちもあった(同91丁裏)。

<3> 伊藤が親族らに対して金消を入れたのは、以上のような理由からである。

2 確定日付について

(1) 親族からの借入の金消に確定日付を取った理由

<1> 和代以外の親族らからの借入れの金消に昭和六二年一二月八日付の確定日付を取った理由は、伊藤が、年末に事業の決算の準備をしていた時に、これらの金消のコピーを見て確定日付を取っていないことに気付き、将来税務調査などで不動産購入資金の資金源を尋ねられた場合などに、説明資料として原資証明的な意味で取っておいた方がよいと考えたからである。

(伊藤平4・11・5付法廷供述105丁表。108丁表。109丁表。111丁裏。112丁表等)

<2> また、和代との間の金消についての確定日付を昭和六三年六月二九日に取ったのは、昭和六二年一二月の段階では取るのを忘れていたが、昭和六三年六月二九日に近い頃、帳簿整理をしていたときに和代が確定日付を取ってないことを指摘したこと、当時の新聞で名義借り株式取引による税務調査の記事が出たことなどのため、取っといたほうがいいんじゃないかということで、同日付で確定日付を取ったのである。

(伊藤平4・11・5付法廷供述107丁裏、108丁表、同110丁表)

<3> 親族らから伊藤への貸し付けの金消の確定日付を取った理由は以上のような経緯によるものである。

(2) 確定日付の日付が金消作成の時よりも遅れた理由

金消が作成された昭和六二年三月より遅れているが、その理由は以下のとおりである。

<1> 昭和六二年三月当時、確定日付の必要性の認識欠如

伊藤は、金消を作成した昭和六二年三月当時は、親族らが飛島株売却益で将来不動産を購入したときなどに、税務署から資金源についての問い合わせがあっても、親族らが飛島株取引で儲けた経緯については、飛島株を購入する資金を伊三郎や伊藤から借りたことを証明する確定日付ある金消があるので、『原資証明』については問題ないものと認識していた。

そのため、昭和六二年三月に親族からの借入の金消を作成した時点では、この金消が、将来親族らが不動産を購入したとき等の税務署からの資金源の問い合わせに関しては、説明材料即ち原資証明的なものとしての意味があるとは意識していなかった(伊藤平4・12・24付法廷供述72丁表)。

そのため、確定日付をとるべきことに思い至らなかったのである。

<2> 昭和六二年一二月頃、確定日付の有用性に気付いたこと

しかし、一二月初旬頃、たまたま親族らからの借入の金消コピーを見て、右(1)で述べた理由で、これらの金消はやはり原資証明的な意味合いがあると考えて、確定日付を取っておいた方がいいと思いついたのである。

即ち、各人が不動産を買った場合に、購入資金を問われたとき、まず、伊藤に貸していた金を返してもらった資金であることを明確に説明できるようにするためには、金消に確定日付を取っておいて方がよりよいと考えたのである。そして、更に、伊藤に貸した金はどうやって取得したのかと問われた場合には、株取引の売却益ということは売買報告書で説明がつくが、更に、購入資金はどうやって調達したのかと問われれば、本来的な意味での最初の確定日付ある金消が原資証明になるという認識でいたのである。

(伊藤平4・11・5付法廷供述112丁表)

(伊藤平4・12・24付法廷供述72丁表)

<3> 『原資』、『原資証明』、『原資証明の意味が多少ある』、『原資証明的』などの意味について

伊藤は、昭和六一年四、五月当時、伊三郎や伊藤が親族らに転貸融資したときの確定日付ある金消のことを『原資証明』であると言うと共に、昭和六二年三月の親族らからの借入の金消に確定日付を取ることの意味について、『原資証明としての意味が多少あるかと・・・』(伊藤平4・11・5付法廷供述108丁表)とか、『原資証明的な意味』(同109丁表)などと、一見曖昧な表現をしているので、この点について説明を加えておく。

伊藤の理解では、本来の『原資証明』は、昭和六一年四月に親族らが飛島株を購入するための資金を伊三郎や伊藤から借り入れた際の確定日付ある金消のことだと思っていた。

(伊藤平4・11・5付法廷供述112丁表)

(伊藤平4・12・24付法廷供述72丁表)

そのため、右証言のときには、昭和六二年三月作成の金消は本来的な意味で原資証明といえるのかと疑問を持ちながら適当な言葉が浮かんでこないために、そのような『原資証明的』などという一見曖昧な表現をしたことは、伊藤の法廷供述の流れからみて明らかである。

即ち、将来親族らが不動産を買うなどしたときの『原資』を説明するとしたら、差し当たっては伊藤に貸し付けていた飛島株取引の売却益がそれに該当と言うことになるだろう。しかし、その売却益を生み出した飛島株売買に於ける株購入資金たる根源的な『原資』は、昭和六一年四、五月に伊三郎や伊藤から転貸融資を受けた借入金であり、且つ、その『原資証明』は、この転貸融資の借入金についての確定日付ある金消である。即ち、親族らが将来不動産を買ったときの資金の出所を順次遡っていけば、最終的にはこの『原資』、つまり昭和六一年四月に伊三郎や伊藤から転貸融資を受けた借入金たる『原資』に行き着く。従来、伊藤は、『原資』ないし『原資証明』というのは昭和六一年四、五月当時の転貸融資における貸金や確定日付ある金消を意味する、と理解していた。

しかし、税務署から不動産購入資金について問われれば、一連の経緯の説明として、伊藤に貸していた金の返済資金で買ったという説明はどうしても必要になる。この場合に、伊藤に貸していた売却益を『原資』、伊藤が借り入れた金消に確定日付を取ったものを『原資証明』と言う言葉で表現したら、昭和六一年四月作成の根源的な『原資』ないし『原資証明』と混同してしまう。

法廷で供述する際、伊藤はこのように迷って混乱した。そのため、伊藤は「親族らが伊藤に貸していた原資たる金」であるということを表現するにあたって、より適格な言葉を思いつかないため便宜的に、『原資証明としての意味が多少あるかと・・・』とか『原資証明的な意味』などの言葉を使って供述したものである。

以上のことは、伊藤の証言の流れからみて明らかである。

3 金消の内容についての親族らの納得

(1) 金消の作成・署名

前述のとおり、親族らから伊藤への貸し付けの金消に署名するときには、金消の内容については、伊藤から個々の親族らに内容の説明があり、親族ら自身も内容を読んで納得した上で署名押印した。

(2) 金消の内容

<1> 金消の内容の全般について

親族らから貸付の振込があって一週間くらい経った頃、貸借金額、貸付利率、金利支払時期、弁済期、期限の利益喪失原因、弁済期更新の特約等の内容を親族各人ごとに、伊藤が伊三郎を除く親族ら五人の分を同じ時に記載して金消を作成した(伊藤平4・11・5付法廷供述92丁裏、93丁表)。

<2> 弁済期・自動更新について

イ 弁済期

弁済期は親族らいずれの金消も五年とされている。

しかし、右弁済期の条項に関しては、各親族との間に、金消締結と同時に口頭の約束で、親族らが不動産を買うなど、いつでも必要があれば返済するとの合意があった。

(伊藤平4・11・5付法廷供述95丁表)

(ふみ平4・4・24付法廷証言33丁裏)

(和代平4・7・29付法廷証言23丁表。同41丁表から42丁裏)

(光江平4・6・5付法廷証言60丁表、裏。61丁表)

(ハツ江平3・12・20付法廷証言14丁表、裏)

ロ 自動更新

自動更新の特約に関しては『弁済期限がきたとき双方に異議がない時は自動更新する』との特約条項がつけられている。

この更新に関する特約の文言は、五年後の弁済期に、更新することについて親族らが異議を述べれば、その時点で貸借は終了し、伊藤から親族らに貸金は返済されることを意味している。

<3> 金利とその支払時期について

金利は三・五%であった。この金利は、親族らがみんな売却益を差し当たっては銀行に定期預金するとのことだが、伊藤の会社にとっては、銀行定期預金相当の金利で借入れ出来れば安いものだった。よって、伊藤は親族らに銀行に定期預金をするぐらいなら、自分に対して銀行定期預金金利で貸してほしいと頼み、親族らがこれを承諾した結果三・五%と定めた。

金利の支払時期は、毎年二月末日と定められていた。

五 <1>売却益の殆ど、<2>入金後三日以内、<3>貸付期間、<4>利息支払遅滞について

1 『<1>売却益の殆ど』は、金消が偽装であることの根拠になるか。

(1) 本件が借名取引だとしたら、いくら名義を借りた相手が親族であっても、名義借料ないし謝礼を支払うのが自然である。

本件では、親族らは伊藤に対して飛島株売却益の殆どを貸し付けており、手元に残った端数の金額のみでは、利益が多額であることに比すると、常識的にみて、名義借りの謝礼としてはあまりにも少なすぎる。

また、親族各人の手残り額を概算で見ると、ふみは二六六万円(売却益の一・八%)、和代は四〇〇万円(同二・六三%)、八重子は二六万円(〇・一九五%)、光江は一六万円(同〇・一二%。金四五〇万円の債務返済分を手残り分として計算すると三・七三%)、ハツ江は五三万円(同〇・四七九%)である。名義借りの謝礼ならば、各人名義の売却益の多寡にかかわらず各人一律に一定金額を謝礼とするか、あるいは、各名義人ごとの利益額に対する一定割合で謝礼金を計算するなど、何らかの規則性があるのが自然である。

右に述べたとおり、本件では、各人の手残り金額が常識的に見て極めて少ないほか、売却益の額に対する手残り額のパーセントが各人ばらばらであって、謝礼額を定めるについての規則性が認められず不自然である。よって、『<1>売却益の殆ど』であることは、逆に借名取引でないことを窺わせ、少なくとも借名取引を根拠付けるものではない。

(2) 因みに、伊藤は、光江の飛島株売却益の中から、一億二〇〇〇万円の借入れとは別に、伊藤の光江に対する従前からの債権である金四五〇万円の返済を受けている。

(伊藤平4・11・5付法廷供述79丁表以下)

(光江平4・6・5付法廷証言55丁表以下)

もし伊藤の名義借取引だとしたら、光江名義の売却益は伊藤に帰属しているわけであるから、その中から光江に対する古い貸付金四五〇万円の返済を求めることは考えられない。飛島株売却益が光江に帰属しているからこそ、その売却益の内から返済を受けたのである。伊藤に、脱税の故意がない所以である。

2 『<2>入金後三日以内』は、金消が偽装であることの根拠になるか。

前述のとおり、伊藤は親族から借金をするためには、売却益送金後あまり日数を置いてからでは親族らの感謝の気持ちも薄れて借入が難しくなると考えたため、事前に借用の申し入れをしたのである。そのため、借用時期が入金後三日以内になったのである。よって、『<2>入金後三日以内』であることは、借名取引を根拠付けるものではない。

(伊藤平4・11・5付法廷供述83丁表参照)

3 『<3>貸付期間』は、金消が偽装であることの根拠になるか。

(1) この点に関しては、前述した「金消の内容」の箇所で述べた「弁済期・自動更新について」の部分の記載が反論となっているのでここに援用し、以下これを補充する範囲で述べる。

(2) 原判決は、『貸付期間を五年とし、さらにその期間は当事者に異議がなければ自動的に更新されるという、通常では見られないような条項を内容とする金銭消費貸借契約を結んで』いるのは『解せないことである。』と言う(原判決4丁裏7行目から10行目)。

しかし、金消を一読すれば明らかなとおり、弁済期と更新の各条項は別個の条項であり、更新するか否かは、貸主の気持ち一つにかかるのであるから、貸主にとっては、更新の特約条項はその記載そのものがないにも等しいといってよい。伊藤は確かに、できるだけ長く借りたいという気持ちで、金消の文案を作成するときに「期限は五年」とした他に「期限が来た時に貸主借主双方異議がない時は更に五年自動更新する」旨の条項を入れたことは事実である。

(伊藤平4・11・5付法廷供述96丁裏)

また、それと同時に、伊藤と親族ら間には、弁済期限に関する金消の記載いかんにかかわらず、親族らが不動産を買うなり必要なときには、いつでも返済する、という口頭の約束が、金消の署名押印と同時になされていたことは前述のとおりである。

親族らも伊藤も、この口頭の合意が真実存在したと各自供述している。

(3) また、期間五年といっても無利息なのではなく、銀行定期預金金利の利息支払い約定もあり、期限の利益喪失約款もあるのであるから、金消の内容自体に限って考えても、貸主の利益が不当に侵害されているとはいえない。

特に、原判決は『通常では見られないような条項』と言うが、伊藤家という親族間の貸借であること、もともと伊藤の株情報などにより得た売却益であることなどから、一見『通常では見られないような条項』もしくは「必要なときにはいつでも返済する」という口頭の約束が金消の署名押印と同時になされたにもかかわらず文面上訂正せずに口頭の約束のままとなっていることは、むしろ自然なことである。従って、このことを借名取引の根拠とすることはできない。

4 『<4>利息支払遅滞』は、金消が偽装であることの根拠になるか。

原判決は、『利息も査察調査を受けるまで約二年間は支払われていない。』とするが、この点も次の「利息支払遅延、ふみに対する抵当権設定の経緯」に関する事実経過を詳細に検討すれば、やむを得ない事情があったことによるものであり、金消が偽装であることの根拠にならないことは明らかである。

5 結論

要するに、伊藤家が、飛島株取引の特別情報に接し、伊三郎と伊藤とが株取引の経験と資金を用立てて、親族に儲けさせてあげようとすることは、必ずしも否定されることではない。その後、儲けた親族が、その売却益を、自ら利用するまでの期間に限り、親族である伊藤を信用し、かつ感謝の気持ちで貸付けを行うということはこれまたあり得ることである。そのような経緯による親族間の金銭消費貸借であるからその内容にも多少通常の場合とは異なるところがあっても不自然ではないところ、原判決は、これを否定し、結局、親族が伊藤に売却益を貸し付けたという事実があったために、遡って、伊藤に借名取引による脱税の故意があったと認定するものであって、著しく正義に反する重大な事実誤認である。

第九 利息支払遅延、ふみに対する抵当権設定の経緯について

一 昭和六三年二月末日の金利不払

1 金利不払の理由

伊藤は、親族らから借り入れた借入金の金利を、その支払日である昭和六三年二月末日に支払っていないが、そのことが親族らの株取引が伊藤の名義借りと認定された一因となっている。

しかし、伊藤が親族らに対して金利を払っていないのは、昭和六二年一〇月頃から、いわゆるミニ国土法が施行されたり不動産融資に対する総量規制が実施されたことに加え、いわゆるブラックマンデーと呼ばれる株の暴落等があったこと等の諸事情から、同人及び同人の経営するアーバンの資金繰りが極端に悪化したためである。

(伊藤平4・11・26付法廷供述28丁3行目から29丁表1行目まで)

2 昭和六三年二月末日頃の伊藤及びアーバンの資金繰りの状況

昭和六三年二月末日頃、伊藤及びアーバンは、不動産を中心として約三五億円の資産を有していたが、銀行等から約二〇億円に及ぶ借入金があり、毎月の返済が約一五〇〇万円にのぼっていた。そして、昭和六二年一〇月頃からの右の如き経済状況の急変のため、昭和六三年三月頃には、銀行に対する金利も支払えない状況となっていた。

そのため、同年五月には、銀行等からあいついで内容証明郵便による催告を受ける状況となり、伊藤は、弁護士に依頼して『借入元利金の返済猶予の件』と題する書面を作成し、元利金の弁済を猶予してもらうために銀行回りをしていた(弁一三七・催告書、弁一三八・借入元利金の返済猶予の件と題する書面、弁一四三号証ないし一四五号証・土地建物登記簿謄本)。

(伊藤平4・11・26付法廷供述29丁から33丁まで)

従って、昭和六三年二月末日に親族らに対する金利を支払うことができなかったのは、伊藤及びアーバンが銀行等に対する金利も支払えない状況にあったためである。

二 親族らに対する金利支払の延期依頼

1 親族らに対して金利を支払えなくなった事情を説明したこと

伊藤は、金利を支払えなくなった理由を昭和六二年の暮れから昭和六三年の三月にかけて親族らに説明しており、そのことは、親族らも公判廷において認めている。

(八重子平3・10・4付法廷証言28丁裏1行目から30丁表2行目まで)

(ふみ平4・4・24付法廷証言49丁6行目から50丁1行目まで)

(ハツ江平4・1・29付法廷証言19丁表3行目から10行目まで)

(光江平4・6・5付法廷証言64丁裏13行目から65丁裏1行目まで)

2 確認書の作成

伊藤は伊藤及び親族ら全員が認めるように、金利を支払えない理由を説明した後の昭和六三年三月頃、同年一二月三〇日まで金利の支払猶予を求める『確認書』(弁四八・八重子分、甲一一七・ハツ江分)を親族らに示し、支払猶予についての親族らの承諾を得ている。

伊藤が、昭和六三年三月頃に右確認書への捺印を求めたのは、一回目の金利支払から遅れたため、ふみや八重子より金利支払の催促を受けたためであり(和代平4・7・29付法廷証言66丁裏10行目から69丁表6行目まで)、伊藤が、同年一二月三〇日まで金利支払を猶予する旨の確認書に判をもらうことによって親族らから金利の支払を猶予してもらうためであった。

従って、右確認書の作成は、専ら右の如き伊藤の都合により作成したものであり、偽装工作として作成したものではない。

3 昭和六三年一二月に確認書を作成していない理由

伊藤は、右確認書で金利支払を約束した昭和六三年一二月にも金利が払えなかったが、その際には確認書を作成していない。

それは、昭和六三年一二月当時には、親族らが、不動産不況が明確となって到底金利が払える状況ではないことを十分に理解していたことや伊藤が胆石の手術で入院したりしていたため、親族らから金利の支払いを強く求められなかったからである。

そして、仮に、同年三月の『確認書』が偽装工作のために作成されたものならば、この時にも確認書を作成していて然るべきである。

4 確認書の存在と利息支払の姿勢

原判決は、右確認書も偽装工作というのであろうか。もし、当初から、伊藤に脱税の故意があったならば、第一回目の金利の支払もしないということは考えられない。仮に、伊藤の資金繰りが悪化したとしても最優先で支払われている筈である。

また、右確認書は、その大部分に伊藤から親族に対する金利が払えない事情説明と支払の猶予を求めるお願いが記載され、その末尾に『上記の内容を承諾しました。』と記載され、親族らの判をもらう体裁となっている。従って、その体裁からも、この『確認書』の目的が、伊藤が金利を支払えないことについて親族の理解を求め、親族らに金利の支払猶予を承諾してもらうことにあったことは明らかである。

更に、ハツ江の『確認書』には判ではなくいわゆる『書き判』が記載されているが、偽装工作であれば、『書き判』ですませることは考えにくい。伊藤の目的が、金利の支払猶予についてハツ江の承諾を得ることにあったことから、承諾した証拠として『書き判』を書いてもらえれば十分だったのである。

要するに、伊藤は、脱税の故意が当初からなかったことの延長線上で当然のことながら利息支払の姿勢を持っていたのである。

三 ふみに対する抵当権設定

1 ふみに対する抵当権設定と抵当権設定仮登記

昭和六三年七月四日、伊藤はふみに対し、ふみからの借入金一億四五〇〇万円を被担保債権とする抵当権を、伊藤所有の野田の土地建物に設定したうえ、同月二三日、その旨の抵当権設定仮登記手続を行っている。この事実は、ふみと伊藤との間の金銭消費貸借が事実のものであることを端的に示しているものである。

2 ふみについてだけ抵当権設定及び抵当権設定仮登記手続をした理由

株で儲けた金だけでなく、伊三郎から相続した三〇〇〇万円まで伊藤に貸し付けていたふみは、昭和六三年二月末日に金利の支払いを受けられなかったことや伊藤が妻の実家に対して援助を行っていたことなどから不安になっていた。伊藤は、昭和六三年七月頃、ふみから『人間だから、生身の体だし、いつ何時飛行機事故だとかで死ぬことがあるかもしれない。』『嫁さん達と争うのは私も嫌だし、何とかしてくれない。』などと強く請求されたため、ふみの要求に応じて、野田の土地建物に抵当権設定及び抵当権設定仮登記手続を行ったものである。

(ふみ平4・4・24付法廷証言51丁表8行目から同丁裏13行目まで)

(和代平4・7・29付法廷証言69丁表7行目から70丁表12行目まで)

(伊藤平4・11・26付法廷供述41丁裏5行目から42丁表1行目まで)

第一〇 売却益の使途と脱税の故意について

一 原判決の認定根拠

原判決は、伊藤が、各名義人の飛島株売却益を、自分の判断で使用したこと、各名義人が株の売却益の使途について関与していないことを、重要な有罪の根拠にしているようである。(原判決4丁表3行目から9行目、12丁裏5行目から14丁表9行目)。しかし、伊藤が各名義人から借用したものを、同人の判断でどのように使用したとしても何ら不自然ではないから、借用の事実(金消の有効性)が認められる限り、原判決の右指摘は有罪の根拠にはならない。

二 売却益の帰属について

1 法律上(実質上)の売却益の帰属

前記の重要な事実関係を総合的に判断すれば、各名義人による飛島株の取引による売却益は、法律上、各名義人に帰属し、各名義人が享受しているといわなければならない。即ち、各名義人は、売却益を被告人に貸付けて、貸付債権(利息請求権を含む)を有していた。その後、後述のとおり、各名義人は、カテリーナマンションの転売に伴う返済や雅叙苑マンション購入時の一部返済などを受け、マンションの賃貸料収入を得ているのである。もし、将来、被告人が約旨に反し、カテリーナマンションの抵当権の抹消が出来なかったり、雅叙苑マンションのローン肩代わり返済などが完了しないまま、競売になるようなことになれば、各名義人は被告人に対して求償権債権や債務不履行に基づく損害賠償債権などを取得することになることは論を待たない。

2 事実上の売却益の利用

確かに、被告人は、各名義人による飛島株等の取引による売却益を借用して、その売却益を事実上利用してきている。しかし、これは、消費貸借という法律上の原因に基づくものであって、当初から売却益が被告人に帰属していたということは言えない。即ち、『事実上の売却益の利用』という観念は、無色透明的に資金の流れを捉えたものであって、そのことだけで、法律的・経済的な評価が決定されるべきものではないことは言うまでもないことである。

3 事実上の売却益の利用と実質上の売却益の帰属との違い

原判決は、被告人が、各名義人による飛島株等の取引による売却益を『事実上利用』(消費貸借)している現象を捉え、売却益は被告人に『実質上帰属』(還流)していると評価している。しかしながら、被告人が売却益を『事実上利用』していることと被告人に売却益が『実質上帰属』していることとは明確に区別されるものである。そして、両者を区別するメルクマールは、被告人と各名義人との間に金銭消費貸借契約が有効に成立し、被告人が親族らに対して金利支払債務及び元金返済債務を負担しているか否かである。

4 民事上の事実認定との整合性(各名義人の請求権について)

(1) 本件では、被告人が借名取引をしたか否かという視点で問題とされている。しかし、各名義人の株取引が被告人の借名取引であるか否かを区別するメルクマールが、被告人が親族らに対して金利支払債務及び元金返済債務を負担しているか否かであるならば、逆にいえば、その区別は、各名義人から被告人に対する金利支払請求及び元金返済請求が認められるか否かにかかっているということができる。従って、仮に、刑事上、各名義人の株取引が被告人の借名取引であると認定される場合は、民事上、各名義人の被告人に対する金利支払請求及び元金返済請求が認められないことになるが、本件刑事事件の一件記録を基に判断する場合、被告人が右請求権を否認したとしても、各名義人から被告人に対する請求が認容されることは明らかである。

(2) 各名義人のうち八重子及びハツ江の二名は、査察調査及び検察庁において耐えがたい取り調べを受け、第一審の法廷証言内容と異なる検面調書を作成されているにもかかわらず、右公判廷において売却益が自らに帰属している旨証言しているが、これを単に親族の情から出た行為と考えることはできない。

右二名は、事実株取引による売却益が自ら帰属しており、被告人に対する貸付により同人に対して金利支払請求及び元金返済請求などの債権を取得したと認識していたからこそ、右公判廷において売却益が自らに帰属している旨証言しているのである。

(3) 従って、民事上の事実認定との整合性を維持する以上、各名義人の売却益が実質上被告人に帰属していると認めることは許されない。

三 脱税の故意について

1 被告人に脱税の故意が認められるためには、自分に売却益を『実質上帰属』させる旨の認識を有していなければならない。しかし、被告人は、飛島株取引開始時において、各名義人から売却益を借り受けるつもりはまったくなかったのであるからその時点においては、売却益を自分に『実質上帰属』させる旨の認識を有していなかったことはもちろん『事実上利用』する旨の認識も有していなかった。

そして、被告人は、各名義人から売却益を借り入れた時点においては、自分が売却益を『事実上利用』するが、売却益は各名義人に『実質上帰属』しているとの認識を有していたのである。

2 そして、被告人は、各名義人からの売却益借入について、各名義人は『株でもうけて、各人がそれぞれ所得を得ましたから、それは今度貸付債権として、私に貸してくれたということですから、帰属はそれぞれ各人に帰属したとわたし、思っていました』と供述し(伊藤平4・12・24付法廷供述67丁裏3行目から7行目まで)、また、被告人が実質的に売却益を使っているのではないかとの問いに対して『最初(各名義人に)現金が入った、(名義人が)自分で貸してくれることになったから、貸付金の財産が増えたわけですよね、各人が。ですから帰属は各人に貸付金で帰属していると私は理解していました』(同69丁裏11行目から70丁表8行目まで)と供述している。

3 従って、被告人は、飛島株取引開始時点だけでなく各名義人からの売却益を借り入れた時点においても、各名義人の株取引による売却益が各名義人に現金ないし貸付債権として『実質上帰属』しているとの認識を有していたことは明らかであり、被告人に脱税の故意は認められない。

第一一 返済は偽装か、雅叙苑マンションの件について

一 本件脱税の嫌疑が生じた以降の出来事か

原判決は、『借金の返済として、平成元年一一月に光江が目黒区内の雅叙苑マンションを購入するに当たって同女に三一〇〇万円を渡し、ふみ、和代、八重子、ハツ江に対しても、平成二年二月に札幌市内のマンション「カテリーナ札幌」一棟を譲渡したことは、本件脱税の嫌疑が生じた以降に行われた出来事であるから、前記の新たな借用の事実(金消の有効性)の証左にならない。』旨断定する(原判決5丁表2行目から9行目)。しかしながら、本件脱税の嫌疑が生じたとされる時期は必ずしも明らかにされていないが、右の出来事の準備には必然的に相当の交渉・準備期間が必要なことは当然のことであり、それらの準備は、本件脱税の嫌疑が生じるかなり前から行われていたものである。その経緯を以下のとおり詳細に検討すれば、右の出来事は、本件脱税の嫌疑が生じる前であることが明らかであり、被告人が各親族らからの飛島株の売却益を新たに借り受けていたことの証左になるものである。以下、雅叙苑マンションの件について詳述し、「カテリーナ札幌」の件については第一二で詳述する。

二 光江のマンション購入のための恒陽マンション下見

1 平成元年三月末頃、光江は、同人が株取引で得た利益でマンションを購入しようと考え、伊藤、ふみ、和代とともに地元の作新不動産からの情報で北区豊島町にある恒陽マンションを下見に行っている。これは、株取引で得た利益が光江のものであることを端的に示す事実である。

(ふみ平4・5・15付法廷証言4丁表13行目から5丁裏12行目まで)

(和代平4・7・29付法廷証言72丁裏13行目から75丁表3行目まで)

(光江平4・6・5付法廷証言81丁裏9行目から83丁裏13行目まで)

2 しかし、光江は、恒陽マンションは外観等が汚いことなどから気に入らなかったために購入しなかった。そして、伊藤は、光江の依頼を受けて飛鳥山スカイハイツの一階にある不動産業者に飛鳥山スカイハイツ等三件の物件を指定して情報提供を依頼していた。

(伊藤平4・11・26付法廷供述43丁から45丁まで)

三 平成元年三月以降の伊藤及びアーバンの資金状況

光江のマンション購入の具体的作業が平成元年三月に初めて行われたのは、この時期にアーバンがイトマンファイナンスから本社ビル隣の土地購入資金の融資を受けられたことにより、、昭和六二年秋頃以来の苦しい資金繰りに多少の余裕が生じたためであった(弁一四三~一四五・土地建物登記簿謄本)。

当時、伊藤は、光江からの借入金一億二〇〇〇万円全額を返すことが出来ないため、イトマンファイナンスから借り入れた金員のうち余裕資金を頭金にしてローンを組んでマンションを購入し、このマンションを、光江からの借入金の一定額を代金額として光江に転売しようと考えていた。

四 光江だけがマンションを購入しようとした理由

他の親族らに対して金利も払っていない状況であったにもかかわらず、伊藤が光江のマンション購入を優先したのは、伊藤に万一の事態が生じた場合のことを心配していたふみから、昭和六三年の夏頃より「ほかの人の分は後にするにしても、光江から借りているお金については早く返してマンションを買えるようにしてやれ」と繰り返し言われていたためである。

(伊藤平4・11・26付法廷供述43丁裏44行目から44丁表2行目まで)

八重子も、伊三郎が死ぬ前に光江にマンションを買ってあげるという話をしていたため、ふみがそれを非常に気にしており伊藤に催促していた事実があったと証言していることからも、右の事実は明らかである。

(八重子平3・10・22付法廷証言61丁表)

五 親族らに対してマンションで返済することを決心するに至った経緯

1 平成元年七月以降の伊藤及びアーバンの資金繰り状況

伊藤は、平成元年六月三〇日になって、昭和六三年三月以降金利の支払も途絶えていた金融機関からの借り入れの洗い換えができ、それ以降は、一時に比べて資金的余裕を有していた(弁一四三~一四五・土地建物登記簿謄本)。

そのため、伊藤は、従前より親族らに対して何とかしなければならないと考えていたところ、ようやく、親族らに対して金利支払及び何らかの返済を行うことが可能となってきた。

2 平成元年八月、ふみから叱責されたこと

平成元年八月、伊藤は、同人が海外旅行をしたり、自宅に庭師を入れたりしているのを知ったふみから、『海外旅行したり庭師を入れる余裕があるなら、皆から借りた金を早く返せ。』と強く叱責された。

そのため、伊藤はふみに対し、光枝に対しては、前から探していた都内のマンションをできるだけ早く探すことを確約するとともに、その他の親族に対して、非常に賃貸率のいい札幌の方でマンションを見つけて皆に転売することを約束した。その場にも和代も同席していた。

(ふみ平4・4・24付法廷証言53丁表12行目から55丁表12行目まで)

(和代平4・7・29付法廷証言75丁表4行目から76丁裏13行目まで)

そして、八重子は、同年八月頃、ふみから伊藤が八重子らについてもキチンとするとふみらに約束したことを聞いている。

(八重子平3・10・22付法廷証言60丁表2行目から60丁裏5行目まで)

六 マンションを転売する方法による返済

1 マンションを転売する方法による返済は、伊藤から親族ら全員に借入金全額を返済することができないため、伊藤がローンを組んでマンションを購入し、それを光江以外の親族に対してそれぞれ転売し、ローンは伊藤が責任をもって返済するというものであった。

そして、前述したとおり、光江以外の親族も、いずれは不動産を購入して不動産収入を得たいと考えていたため、マンションを転売する方法による返済について格別の異論は出なかった。

むしろ、長期間にわたって金利の支払も受けていなかった親族らは、マンションを取得することによって直接賃料収入を得ることができる状態となるため、それを歓迎した。

(八重子平3・10・22付法廷証言60丁裏6行目から61丁裏6行目まで)

2 そして、伊藤は、平成元年九月末か一〇月初め頃、世田谷の自宅において、ふみ、和代、八重子及びハツ江に対し、写真を見せながら、共有で買うのに丁度いい札幌のカテリーナというマンションが見つかったので、このマンションを転売する方法で返済したいと説明している。

(伊藤平4・11・26付法廷供述67丁表10行目から68丁表3行目まで)

(八重子平3・10・22付法廷証言60丁裏6行目から61丁裏6行目まで)

(和代平4・7・29付法廷証言77丁表12行目から同丁裏11行目まで)

(ハツ江平4・1・29付法廷証言26丁裏13行目から27丁表13行目まで)

七 光江だけが目黒等でマンションを探していた理由

1 光江だけが都内でマンションを探さなければならなかった理由

光江は、他の親族と異なって自宅を所有しておらず、将来そのマンションに住むことも考えられたため、都内のマンションを購入する必要があったので、他の親族とは別個に都内のマンションを探していた。

2 勤め先の王子近辺で探す必要がなくなっていた理由

光江は、二DKのアパートに住んでいた飛島株購入時と異なり、平成元年当時は、西ケ原でふみと同居していたため、マンションの当面の購入目的は賃貸用となっていた。

(光江平4・6・5付法廷証言82丁裏10行目から83丁裏13行目まで)

(伊藤平4・11・26付法廷供述58丁裏3行目から59丁裏5行目まで)

また、伊藤が、六本木の本社ビルに会計事務所も移転させることを考えていたことから、同事務所に勤めている光江は、その当時の勤め先である王子近辺に限ることなく六本木近辺でマンションを探してもよくなっていた。

そのため、伊藤は、平成元年三月頃以降には光江のために王子近辺の三件程の物件を候補としていたが、同年八月にふみから強く叱責された後は、当面賃貸用とするのにいいマンションを王子近辺に限らず広く物色していた。

そして、目黒にいい物件が何件か見つかり、そのうちの一つである雅叙苑マンションを光江に勧めたのである。

(伊藤平4・11・26付法廷供述56丁裏7行目から13行目まで)

八 光江が売買契約締結前に雅叙苑マンションを見ていないこと

1 雅叙苑マンションを見ないで契約した事情

光江は、伊藤から目黒にいい物件が何件かあるから一緒に見に行かないかという連絡を受けたが、当時、仕事が忙しく伊藤と時間を合わせることができなかったため、購入決定前に雅叙苑マンションを見ていない。光江は、同人が信頼してマンション探しを依頼していた不動産業を営む伊藤から、最初、『目黒にいくつかマンションが出ているよ』と言われて、そのうちに見にいけばいいと考え、すぐには見に行かなかった。

ところが、予めマンションを見ている伊藤から電話があって『こんないい物件二度とないよ』と勧められると同時に、『他から申込があって早く決めないと、これ、なくなっちゃうかもしれない』とその場で購入するか否かの意思決定を求められたため、雅叙苑の近くの土地感を有していたこと、兄の不動産を見る目を信頼していたこと等から雅叙苑マンションを見ることなく購入することを決意したものである。

(光江平4・6・23付法廷証言6丁裏3行目から7丁表13行目まで)

2 光江が売買契約後すぎに雅叙苑マンションを見に行っていないこと

光江が、雅叙苑マンションを最初に見に行ったのは、平成元年一〇月末頃である。光江は、平成元年一〇月一三日の売買契約後すぐに雅叙苑マンションを見に行っていないが、それは、仕事が忙しかったことと伊藤からローンがなかなか組めなくて駄目になるかもしれないという話があったためである。

(光江平4・6・23付法廷証言7丁裏3行目から8丁裏6行目まで)

3 光江が一人で雅叙苑マンションを見に行っていること

光江は、伊藤からローンが組めるようになったとの連絡を受けた平成元年一〇月下旬以降、二度、雅叙苑マンションを見に行っている。光江は、仕事が終わった後、夜一人で雅叙苑マンションを訪れ、マンションの外観、管理事務所及び駐車場等を確認している(光江平4・6・23付法廷証言8丁裏7行目から10丁裏11行目まで)。このマンションの付属設備まで確認する行為は、まさに自らマンションを購入しようとする者の行為と評価されるものである。

九 一〇月一三日の売買契約の締結

1 最初、アーバンの名前で売買契約をした理由

(1) 平成元年八月、ふみらに対してマンションで返済すると約束した際、伊藤は、親族らではローンを組むことができないと考えており、伊藤または伊藤が経営する会社で購入したマンションを転売する旨約束していたことは前記のとおりである。そして、雅叙苑マンションについても、伊藤は、光江ではローンが組めないと考えていたため、アーバンが買主となって購入して、その後、光江に転売しようと考えていた。そのため、伊藤はアーバンの名前で売買契約を締結した。

(伊藤平4・11・26付法廷供述49丁裏6行目から11行目まで)

(2) 雅叙苑マンションを探していた当時、伊藤は、賃貸率のいい札幌方面で物件を物色していた。

(鍵山平3・6・4付法廷証言21丁裏6行目から22丁表5行目まで)

従って、アーバンが同社の事業目的のために賃貸率の悪い都内でしかも一部屋だけのマンションを購入することは考えられない。

2 岡野まやが行って売買契約を締結した理由

売買契約の締結には、森山と面識を有していたアーバンの代表者である伊藤が行く予定であったが、急用ができて行けなくなったため、急遽、岡野が代わりに行って雅叙苑マンションの売買契約を締結している。伊藤は、自分が急用で行けなくなった時、アーバンから雅叙苑マンションの転売を受ける光江に代わり行ってもらおうと考え、光江に行けるかどうかを確認する前に、森山に対して『白井光江が代わりに行きます』と連絡していた。しかし、光江も都合が付かず行けなかったため、急遽、岡野に代わりに行ってもらった。そして、岡野は、瀬戸山から『白井さんですか』聞かれ、違うと言えずに『はい』と答えている。

(伊藤平4・11・26付法廷供述52丁表10行目から53丁表4行目まで)

(光江平4・6・23付法廷証言15丁表9行目から16丁裏7行目まで)

一〇 光江が直接の買主となったこと

1 光江が瀬戸山から直接雅叙苑マンションを購入することになった経緯

(1) アーバンが瀬戸山からの直接の買主となっていたのは、前述したように、光江ではローンが組めないと考えていたためである。従って、光江が住友銀行からローン借入ができることになれば、光江が買主となって瀬戸山から直接購入することは当然である。

(2) 因みに、住友銀行は光江に対し、購入物件である雅叙苑マンションの他何らの担保及び連帯保証人を付けずに八五〇〇万円の貸し付けを行っている。

2 光江の住友銀行からの借入

(1) 伊藤は、住友銀行の鍵山に対し、雅叙苑マンションは光江が賃貸に出す目的で購入する旨説明した、住友銀行は光江に対して八五〇〇万円の融資を決定している。その融資手続は鍵山と光江との間で行われ、平成元年一一月六日、光江は、合計九〇〇〇万円の借入申込書を提出するとともに、同日、印鑑証明書や住民票を提出している(甲第八九・九〇参照、借入申込書・与信条必要書類徴求管理カード)。そして、住友銀行は光江に対し、平成元年一一月二〇日、八五〇〇万円の融資実行をしている。

(2) 原判決は、この借入行為も偽装工作と認定するか、無視しているということになる訳だが、光江が伊藤のために八五〇〇万円もの大金を借り入れて債務を負担する理由は存在しない。光江は、自分が雅叙苑マンションを購入するからこそ右購入資金の借入をしたのである。

一一 売買契約書の買主名義を変更しなかったこと

1 残金決裁までの間に売買契約書の買主名義を変更しなかった理由

(1) 残金決裁までの間に売買契約書の買主名義を変更しなかったのは、伊藤が鹿児島に住んでいた売主の瀬戸山と契約書を差し換えるのは手続的に面倒であり、残金決裁時に差し換えればいいと考えたためである。

伊藤は、光江が住友銀行でローンを組んで雅叙苑マンションを購入することができることになってすぐ、森山に電話して買主がアーバンから光江に代わることを告げた。そして、その際、伊藤は森山に対し、銀行の方から光江と瀬戸山の売買契約書のコピーの提出を求められていることを告げ、瀬戸山が鹿児島にいて契約書の差し替えが大変だから売買契約書の差し替えは残金決裁の日にすることにして、従前の売買契約書のコピーを使って銀行に提出したと申し入れ、森山から了解を得ている。

(伊藤平4・11・26付法廷供述54丁票12行目から55丁表5行目まで)

(2) 伊藤は、森山に買主の変更を知らせた際、森山からの契約書を訂正する必要があるかとの問いに『とりあえず、当日でよろしいんじゃないですか。』と答え、残金決裁の日に売買契約書の差し替えをする旨を告げていた。

(伊藤平4・11・26付法廷供述55丁裏7行目から56丁表6行目まで)

そして、森山も、伊藤から買主が代わる旨の電話があったときに、売買契約書の訂正についても話があり『訂正には及ばないでしょう』ということなったことを認めている。

(森山平3・6・4付法廷証言19丁表2行目から13行目まで)

(3) 伊藤供述と森山証言は、右電話において売買契約書の買主名義を訂正しないでいいとの話があったとする点において一致している。

しかし、その売買契約の買主名義の訂正についての話が、ローン申込のために残金決済に先立って買主名義を訂正しなくていいということだったのか、それとも、残金決済のときにも買主名義は訂正しなくていいということだったのかの点において食い違いがある。そして、伊藤が、鹿児島にいる瀬戸山の手間を考え、ローン申込のために残金決済に先立って売買契約書は訂正しなくていいと言ったことは合理的理由が認められるが、残金決済のときにも売買契約書を訂正しなくていいと言うことには合理的理由は認められない。また、森山が、雅叙苑マンションの売買手続について、必ずしも明確な記憶を有していないことは森山の証言内容からも明らかである。

(森山平3・6・4付法廷証言17丁表11行目から18丁表5行目まで)

従って、伊藤は、ローン申込のために残金決済に先立って買主名義を変更しなくていいと話したのであり、森山は、買主名義を訂正する必要がなかったという結論的な事実だけを記憶し、どういう意味で買主名義の訂正が話題になり、そして、訂正しないことになったのかについては忘れているのである。

2 残金決裁の日に売買契約書を差し替えなかった理由

(1) 伊藤は、前記のとおり、残金決裁の日に売買契約書の差し替えをする旨を告げていた。そして、伊藤は、当日に契約書を差し換える旨森山に話していたことから、差し替える契約書を持参して住友銀行に出向いており、デリバリーが終わった後、売買契約書を差し替えるつもりであった。ところが、デリバリーが終わった後、伊藤が森山に対して下で待っていてくれと言って、銀行の人と少し話をしている間に、森山と瀬戸山が帰ってしまったため、契約書の差し替えができなかった。

(2) 森山との間でこのような行き違いが生じたのは、住友銀行に対して光江を買主とする契約書のコピーを提出している関係上、銀行員がいる前で明確に契約書の差し替えをしましょうと言うことができなかったことと、森山が契約書を差し換えることを忘れていたために先に帰ってしまったためである。

(伊藤平4・11・26付法廷供述61丁表6行目から同丁裏11行目まで)

一二 光江が売買代金全額を支払って所有権を取得していること

1 光江が売買代金全額を支払っていること

(1) 雅叙苑マンションの売買代金のうち残金一億円は、光江が、瀬戸山ら全員の目の前で支払っている。そして、一億円のうち、八五〇〇万円は住友銀行から光江が融資を受けたものであり、残り一五〇〇万円は、当日、光江が伊藤に貸し付けていた金員の中から返済を受けたものである(弁一四二・預金通帳)。

(2) また、光江は、アーバンが買主として売買契約書を締結したときに支払った手付金一〇〇〇万円を伊藤から返済金として受領している。

従って、光江は瀬戸山に対し、住友銀行から借り入れた八五〇〇万円と伊藤からの返済金合計二五〇〇万円の総合計一億一〇〇〇万円を支払って雅叙苑マンションを購入したものである。

2 光江が、直接、登記済み権利証の送付を受けていること

(1) 瀬戸山から光江に対して所有権が移転された登記済み権利証は、平成二年一月に司法書士から光江に対して直接送付されており、平成二年一〇月二四日に検察庁の捜索差押で押収されるまでの約一〇ケ月間光江が補完していた(弁九三~九五号証・書類送付ご案内、登記簿謄本、封筒)。このことは、押収品目録交付書・番号42(弁九六号証)の記載からも明らかである。

(光江平4・6・23付法廷証言26丁裏5行目から27丁表8行目まで)

(2) 仮に、雅叙苑マンションの買主が光江でなく、伊藤であるのであれば、伊藤が雅叙苑マンション購入後ずっと光江に権利証を預けたままにすることは考えられないことである。従って、雅叙苑マンションの購入後、光江は、自ら所有権移転登記を受けた権利証を所持することによって何時でも雅叙苑マンションを自由に処分できる地位にいたのであり、名実ともに雅叙苑マンションの所有者となっていたのである。

一三 光江が税金及び管理費を支払っていること

光江は、雅叙苑マンションの購入後今日に至るまで、雅叙苑マンションを購入したことにより発生した不動産取得税、固定資産税、管理費及びマンションの外壁工事に要した費用等を自分の収入から支払っている。

(光江平4・6・23付法廷証言34丁表8行目から35丁表8行目まで)

一四 光江が雅叙苑マンションを賃貸していたこと

1 岡野に対して賃貸した理由

光江は、残金決済後間もなく、伊藤からアーバンの従業員の姪にあたる岡野を紹介されたため、すぐに家賃収入が入ることと身元の確かな人であるということで岡野に貸すことにしたものである。

2 光江が、一時賃貸借契約書を作成して送付していること

(1) 光江と岡野とのマンション一時賃貸借契約書(弁九八)は、平成元年一二月一日頃、伊藤が電話で光江と連絡をとりながら確定した内容を岡野が契約書に書き入れて同じ内容の契約書を二通作成したうえ、岡野がそれぞれに署名捺印をして光江に送付し、光江がそれぞれに署名捺印して作成したものである。

(光江平4・6・23付法廷証言30丁表13行目から31丁裏2行目まで)

そして、光江は、平成元年一二月初旬、岡野に対して契約書一通を返送したが、住所を誤って記載したために岡野に届かなかった。即ち、光江は、品川区と目黒区にまたがっている雅叙苑マンションに郵送する場合は住居表示である目黒区ではなく品川区宛に送付しなければならないのに、誤って目黒区宛に郵送してしまったのである。

(2) 岡野の許にあったマンション一時賃貸借契約書(甲一五七)は、光江から平成二年三月下旬に送付されたものであるが、それは、岡野から契約書が届かないとの問い合わせにより住所を間違えたことを知った光江が、平成二年三月、岡野に対し、再度郵送したためである。そのため、マンション一時賃貸借契約書の岡野の住所は目黒区、それを再度郵送した封筒の宛名は品川区となっているのである。

(伊藤平4・12・4付法廷供述74丁裏9行目から75丁表12行目まで)

光江が再度送付した契約書が、光江の署名捺印した契約書をコピーして作成していることは証拠上明らかであるが、それは、一二月に岡野宛に送付して届かなかった契約書を光江が紛失していたため、光江の保存用契約書をコピーして利用したためである(弁第九八、甲一五七)。

3 光江が賃料を受領していること

光江は、雅叙苑マンションの平成元年一二月分の賃料は、岡野から伊藤を通じて現金で受領したが、それ以降岡野とのマンション一時賃貸借契約が終了した平成四年一月分までの賃料は一時賃貸借契約書に記載された富士銀行王子支店の光江の口座に送金されている(弁九九号証)。

一五 確認書の作成

1 確認書の作成目的

伊藤と光江は、平成元年一二月二七日、雅叙苑マンションの購入に関して両者間で確認書(弁一〇〇)を作成している。この確認書は、前述のとおり、雅叙苑マンションが、伊藤から光江への借入金返済のために購入したものであるため、両者間の返済内容を明確にすることを目的として作成されたものである。

そして、光江は、伊藤またはアーバンから転売するという当初の話と異なり、光江自身が住友銀行から八五〇〇万円の借入をしたため、その借入金返済について書類で確認しておきたいと考えて作成してもらったのである。

(光江平4・6・23付法廷証言38丁表5行目から9行目まで)

2 確認書の内容

右確認書には、平成元年一一月一五日付残高確認書を前提とする返済済みの内容とこれからの返済方法が記載されている。そして、既に返済されたものとして、雅叙苑マンション購入の際に支払った手付金一〇〇〇万円、残金決済時に伊藤から返済を受けた一五〇〇万円及び雅叙苑マンションの内装工事費六〇〇万円の合計三一〇〇万円が記載されている。また、これからの返済について、伊藤は、光江の住友銀行からの借入ローンの返済に合わせて光江に対する残債務を返済していくこととし、ローンを完済したときには光江からの借入金も全額弁済することを約束している。

一六 本件脱税の嫌疑が生じた日時との前後関係について

原判決は、光江の雅叙苑マンション購入に伴う返済は、本件脱税の嫌疑が生じた以降の出来事であるから、その返済は偽装のものであるとする。しかし、脱税嫌疑が生じる前後の経緯は次のとおりである。

1 税務調査について

平成元年一一月七日の税務調査以前の同年一〇月一三日に、アーバンは、光江に譲渡する目的で雅叙苑マンションの売買契約を締結していた。

2 買主を光江に変更したことについて

(1) 光江は、平成元年一一月六日には、住民票や印鑑証明書などの必要書類を住友銀行に提出して、鍵山に対して借入の申込をしている(弁八九・九〇、借入申込書・与信条件必要書類徴収カード)。光江は一一月七日の税務調査以前に、住友銀行に対し、雅叙苑マンションの購入資金の借入申込をし、かつ、必要書類を取り揃えて提出していたのである。従って、買主が光江に変更になることは税務調査以前に決まっていたのであるから、税務調査の直後に、買主を光江に変更したということではない。

(2) 森山は、公判廷において、決裁の二日ぐらい前に買主の変更の連絡を受けた旨の証言をしている(森山平3・6・4付法廷証言18丁表7行目から11行目まで)。しかし、森山が、当時について曖昧な記憶しか有していないことは前記のとおりであり、右証言は、森山の記録違いである。伊藤は、住友銀行から光江が融資を受けられることになった同年一一月初旬に、森山に電話を入れて『買主がアーバンルネッサンスから白井光江に代わります』と連絡したものである。

(伊藤平4・11・26付法廷供述54丁表6行目から11行目まで)

3 売買契約書の買主を変更しなかったことについて

(1) 伊藤は、雅叙苑マンションの買主を変更したのが偽装工作であるため、光江を買主とする売買契約書への差し替えをしなかったものであり、光江は、自らが買主という認識を有していなかったため、売買契約書の差し換えを要求しなかったものであるということではない。

(2) 買主の変更が偽装工作であれば、売買契約書の差し換えは不可欠というべきであり、光江が雅叙苑マンションを購入した直接の証拠となる光江を買主とする売買契約書を作成していないのは不自然である。売主側も売買契約書の差し替えに何ら異存はなかったことは森山の証言からも明らかであり、残金決裁後に、売買契約書の差し替えをすることも可能であった。それにもかかわらず売買契約書の差し替えをしていないのは、右売買契約の買主の変更が偽装工作でなかったからである。伊藤及び光江が、売買契約書の差し替えにこだわらなかったのは、この売買契約の目的が光江の雅叙苑マンションの所有権取得にあったからである。伊藤及び光江にとって、雅叙苑マンションの所有権移転登記がキチンと行われることが最大の関心事であったため、売買契約書の差し替えにこだわらなかったのであり、それ以外の理由は考えられない。従って、売買契約書の差し替えをしていないことは、むしろ、売買契約の目的が真実光江の雅叙苑マンション購入にあったことを示すものと評価されるべきである。

また、光江は、当日立ち会っていた全員が見守る中で、雅叙苑マンションの購入代金の残金を支払い、登記委任状及び区分所有者変更届など売主の瀬戸山と同一の用紙に、所有権者として署名捺印し、自分が所有者となった権利証が直接送られてくることを確認している。そのため、光江は、雅叙苑マンションの所有権者となることに関して何ら疑問や不安を有していなかった。従って、信頼する伊藤に売買契約手続を任せていた光江が、売買契約書の差し替えを求めなかったとしても何ら不自然ではない。

(光江平4・6・23付法廷証言42丁表6行目から43丁表12行目まで)

4 売買完了確認書、領収書の名義がアーバンとなっていることについて

(1) 平成元年一一月二〇日の残金決済の日に作成された売買完了確認書、領収書の名義がアーバンとなっているのは、雅叙苑マンションの実際の買主がアーバンだからであるということではない。

(2) 売買完了確認書や領収書の名義がアーバンとなっているからといって、それだけで雅叙苑マンションの実際の買主が光江でなくアーバンないし伊藤であると断定することはできない。売買完了確認書、領収書の名義がアーバンとなっているのは、売買契約書を差し換える前にそれらを作成したために、伊藤が、売買契約書と食い違う内容の書類にしないで、とりあえずアーバンの名前で作成しておいた方がいいと考えたためである。即ち、売買完了確認書は買主がアーバンとなっている売買契約書に対応するものであり、領収書は手付金についての領収書の宛名がアーバンとなっていたため、いずれもアーバンにしておく方がいいと考えたものである。

(伊藤平4・11・26付法廷供述56丁表11行目から同丁裏3行目まで)

そして、光江は、所有権移転登記手続の登記委任状及び雅叙苑マンションの管理組合宛の区分所有者変更届など、瀬戸山との間で後に差し替えることができない書類には全て瀬戸山とともに署名捺印している。このように、伊藤は、瀬戸山との間で差し替えるべき書類についてだけアーバンの名前としているがこの事実は、逆に、残金決済後に売買契約書を差し替えるつもりであったという伊藤の主張を裏付けるものである。

第一二 返済は偽装か、「カテリーナ札幌」購入の件

一 光江以外の親族らに対して札幌のマンションを転売して借入金を返済することになった経緯

平成元年八月、伊藤がふみから早く金を返せと叱責され、光江以外の親族らに対して、賃貸率のいい札幌の方で良いマンションを見つけ、そのマンションを転売して返済することになった経緯は前記第一一、五、六のとおりである。

二 カテリーナの購入手続

1 伊藤がカテリーナを探してきて親族らに勧めたこと

(1) 伊藤は、平成元年九月末か一〇月初め頃、札幌の不動産業者の紹介によりカテリーナを見つけ、伊藤の自宅において、ふみ、和代及びハツ江に対してカテリーナの写真や物件案内を見せて、ふみらが共同で購入しないかと勧めた。

八重子は、その場所には居なかったが、やはり、同じ頃、伊藤は、八重子の自宅に写真や物件明細書を持って行って説明している。

(2) 説明した内容は、四億円位の部屋数二七戸のマンションで、札幌の駅から非常に近く、建てて一年位であること、賃貸率がよく一人当たり月額三〇万円から三五万円の収入になることなどである。

(3) また、伊藤は、カテリーナに約四億円の抵当権が設定されること及び五年位の間にその抵当権を必ず消すことなどを説明した。元々、皆に現金で一括返済できない状況の伊藤が、ローンを組んでマンションを購入し、それを転売して返済するという話だったため、抵当権付となることは親族らも了解しており、そのことについて特に問題は生じなかった。

(伊藤平4・11・26付法廷供述67丁裏10行目から69丁裏6行目まで)

(ふみ平4・4・24付法廷証言56丁裏2行目から57丁裏12行目まで)

(和代平4・7・29付法廷証言77丁裏1行目から83丁表3行目まで)

(八重子平3・10・22付法廷証言60丁表2行目から同丁裏11行目まで)

(ハツ江平4・1・29付法廷証言26丁裏13行目から30丁裏11行目まで)

(4) そして、平成元年一〇月頃、ふみ、和代、八重子及びハツ江はカテリーナを購入することを決意し、伊藤は、国土法の届出などカテリーナの購入手続を進めていった。

2 親族ら全員がカテリーナを購入前に見に行っていること

ふみ、和代、八重子及びハツ江は、平成二年二月中旬頃、それぞれの費用で札幌までカテリーナを直接見に行っている。これは、同人らが自ら所有者となる意識を明確に有していたことを示すものである。

3 平成二年二月中旬に売買契約を締結したこと

ふみ、和代、八重子及びハツ江が、伊藤からカテリーナの転売を受けたのは平成二年二月九日から二五日の間であり、伊藤と親族らとの間において売買契約書が作成されている。

伊藤は、平成元年一一月三〇日住友銀行からの融資金でカテリーナの代金決裁をし、同日付で、伊藤を権利者とするカテリーナの所有権移転登記手続申請を行い、同年一二月中旬頃、右登記手続が完了した。

しかし、同月一五日の査察調査により金消契約の資料などがすべて押収されたり、国土法の届出をしたりしていたため、伊藤から親族らに対する転売は翌年の二月中旬頃となっている。

三 管理会社との管理契約の締結

平成二年二月、八重子とふみは、二度札幌に行っている。一度目は、カテリーナを実際に見るためであり、二度目は、カテリーナの管理についてパブリック不動産システム株式会社と管理委託契約を締結するためであった。

そして、八重子とふみの二度目の札幌行きの費用は、八重子が開設した三菱銀行我孫子支店の『カテリーナ札幌』という口座に、ふみ、和代、ハツ江及び八重子が五万円ずつ振り込んでそれぞれ負担している。

(ふみ平4・4・24付法廷証言63丁表9行目から65丁表2行目まで)

(和代平4・7・29付法廷証言107丁)

四 カテリーナの家賃受領

伊藤からふみらがカテリーナの転売を受けた平成二年二月以来今日に至るまで、ふみらは、カテリーナの家賃を受領しているが、これは、ふみらがカテリーナの真の所有者だからである。

五 「カテリーナ札幌」を親族らに転売したのは罪証湮滅工作か

1 マンション転売の方法による罪証湮滅工作は、平成元年一一月に既に調査が開始されている税務調査に対する偽装工作とはなり得ない。何故なら、既に開始された税務調査に対応する偽装工作としては、直ぐに実行できるものでなければならないところ、マンション転売の方法は、伊藤への登記移転手続や国土法の届出などのために日数を要することが明らかであるからである。

伊藤が、この時期に、伊藤への登記手続や国土法の届出手続などの日数をかけてマンションを転売することにしたのは、前記のとおり、それが親族らの要求だったからである。

2 また、仮に、カテリーナの転売が罪証湮滅工作であるならば、査察調査で厳しい取り調べを受けた親族らが、札幌に行ったり、パブリック不動産との間で管理委託契約を締結するなどして、さらに、積極的に加担することは考えられない。何故なら、普通の主婦である八重子や化粧品の販売員であるハツ江らにとって平成元年一二月一五日の査察調査での突然の厳しい取り調べは、想像を絶する地獄のような体験だった筈だからである。

六 残高確認書、精算書の作成と税務調査の前後関係について

1 作成目的

伊藤が残高確認書(弁四九・八重子分)及び精算書(弁五四・八重子分、甲一一五・ハツ江分)を作成したのは、光江が雅叙苑マンションを購入し、光江以外の親族らが伊藤からカテリーナの転売を受けることになったため、親族らとの間で借入金の残高確認をする必要があったからである。

2 作成時期

(1) 伊藤は、平成元年一一月一日、親族らからの借入金の計算資料として精算書を作成し、それに基づいて残高確認書の原稿を作成した。

そして、その後間もなく、それぞれの親族らに対し、精算書を交付して説明するとともに残高確認書にそれぞれが署名捺印している。

(2) カテリーナ購入資金の正式の借入申込書は、平成元年一一月二日頃(鍵山恒存検面調書添付資料<8>・一時保管品明細カードによれば、同月二日に住友ローン契約書、保証委託契約書、抵当権設定契約書等の書類が伊藤から住友銀行に提出されている)、雅叙苑マンション購入資金についての借入申込書は、同月六日にそれぞれ提出されている。

従って、その直前の同月一日頃には、光江及びその他の親族が雅叙苑マンション及びカテリーナをそれぞれ購入すること並びに同月中旬以降には融資実行がなされることが予定されていたので、伊藤と親族らとの間で残高確認をする必要が生じていた。

そのため、伊藤は、精算書(弁五四、甲一一五)の右肩に記載されている『平成元年一一月一日』に、同月一五日を基準日とする残高確認書(弁四九)を親族らに対してそれぞれ作成した。

(伊藤平4・11・26付法廷供述72丁表5行目から74丁表6行目まで)

(光江平4・6・23付法廷証言38丁裏13行目から39丁まで)

(和代平4・7・29付法廷証言83丁から84丁裏5行目まで)

3 『本件脱税の嫌疑が生じた以降』と言えるか、前後関係について

原判決は、雅叙苑マンション及び「カテリーナ札幌」の購入は、『本件脱税の嫌疑が生じた以降の出来事』と言うが、次の<1>、<2>の事実経過に照らし、明らかな事実誤認である。

<1> 伊藤が、親族らとの間で残高確認書を作成したのは、前記のとおり、平成元年一一月一日頃には、光江及びその他の親族が雅叙苑マンション及びカテリーナを購入すること並びに同月中旬以降には融資実行がなされることが予定されており、伊藤と親族らとの間で残高確認をする必要が生じていたからである。

<2> そして、以下述べるように、伊藤が、初めて王子税務署の株取引調査の開始を知ったのは、平成元年一一月中旬頃であるから、「株取引調査を知った後になって、罪証湮滅工作として、同月一五日の確定日付がある残高確認書を作成した」ということはあり得ない。

イ 王子税務署に勤務していた大竹勝之(以下「大竹」ともいう)は、平成元年一一月四日に王子会計事務所に架電した上、同月七日に資産税係の武藤とともに臨場調査している。

しかし、同月七日の臨場調査において、伊藤は、大竹から株取引についての調査を受けていない。

大竹は、臨場調査にあたり、北野統括官から株取引について前面に出さないで伊藤と接触するようにとの指示が『あった』と証言した上、臨場調査において、親族の名義を借りて株取引をやっているんじゃないかというふうな話題は『出していません』と証言し(大竹平4・12・24付法廷証言10丁表9行目から11丁裏2行目まで)、また、倉持章(以下「倉持」ともいう)は、当日の臨場調査について、株の話は本当に一切『出なかった』ことに『間違いない』と証言している(倉持平4・12・24付法廷証言8丁裏11行目から9丁まで)。

(大竹平4・12・24付法廷証言10丁表9行目から11丁表4行目まで)

(倉持平4・12・24付法廷証言4丁)

(伊藤平4・12・24付法廷供述2丁表12行目から3丁表3行目まで)

ロ 大竹は、同月一五日に、王子税務署において、伊藤から株取引について説明を受けたと証言し、伊藤は、同月中旬頃、ライフから株取引について調査しているとの連絡を受けて、初めて王子税務署の株取引調査開始を知り、同月二〇日頃、王子税務署において、大竹に対して株取引について説明したと供述している。

(大竹平4・12・24付法廷証言5丁表6行目から同丁裏4行目まで)

(伊藤平4・12・4付法廷供述48丁表6行目から50丁裏11行目まで)

しかし、大竹は、査察部の要請により平成二年一一月七日に作成した報告書(東京国税局林田洋二郎宛)において、臨場調査した日を『平成元年一一月一〇日』と記載するなど、同人の右調査に関する記憶は曖昧なものもしくは不正確なものであり、直ちに信用し難い。

ハ 仮に、大竹の証言どおり、伊藤が王子税務署に行った日が同月一五日だとしても、伊藤が王子税務署の株取引調査の開始を知ったのは、同月一五日であるから、その日のうちに、親族らからの借入金について精算して残高確認書を作成した上、親族らから判をもらい、さらに、確定日付をとることができないのはいうまでもないことである。

<3> 従って、伊藤と親族らとの残高確認書作成のための一連の行為は、王子税務署の株取引調査を知る前のことであり、偽装工作とは到底言えない。

第一三 伊三郎の遺産分割協議などについて

一 原判決の重大な事実誤認・・・遺産分割協議書・相続税申告書は偽装工作か。

原判決は、予め一方的な結論を求めるばかりに、証拠の評価を著しく誤り、結局のところ、遺産分割協議書・相続税申告書を偽装工作であるとしているが、これは原判決の著しく正義に反する極めて重大な事実誤認である。心証形成の不合理な点が判例違反であることについては後述するものとし、ここでは、特に一点だけ指摘する。

原判決は、『所論は、被告人が売却益を新たに借り受けたことは、被告人が、雅叙苑マンション購入の際の三一〇〇万円の返済や「カテリーナ札幌」一棟を譲渡したことからも明らかであると主張するが、これらの出来事は、本件脱税の嫌疑が生じた以降に行われたものであるから、所論の事実の証左となるものではない。』旨断言する(原判決5丁表2行目から9行目)。しかしながら、この判断理由が理由になっていないことは、右第一一、一二記載のとおりである。ところで、右の遺産分割協議書の協議・作成や相続税申告書の作成・提出は、本件脱税の嫌疑が生じた遙か以前の出来事である。従って、同じような論理展開、推論をするならば、右遺産分割協議書・相続税申告書は、購入原資が伊三郎によるライフからの借用金であることとあいまって、昭和六二年一月に購入された伊三郎名義の飛島株の売却益が、伊三郎の判断・計算による伊三郎の所得であると認定すべき重大な証拠である。

なお、右に関連して、原判決は、伊三郎の独自取引を認めると他の名義人の取引にもドミノ倒し的に影響してきて判決文が書きにくくなるためであろうか、第一審判決でさえ伊三郎の取引であると認めていた取引をも含め、起訴できなかった『昭和六一年に購入、売却された同人(伊三郎)や株式会社でっち亭、ふみ、八重子、石橋寛子名義の飛島株の売却益の一部であり、その取引自体被告人が右の者らの名義で行った可能性が極めて高く』(原判決15丁表1行目から5行目)などと、極端に強引な事実認定をしている。右のような認定を裏付ける証拠はなく、全くの憶測と言わなければならない。例えば、株式会社でっち亭はその売却益を収入として税務申告しており、また、石橋寛子は購入原資の金消その他各名義人と同様の形式での取引であったが同人から被告人が売却益を借用していないため起訴できなかったのである。憶測を根拠にして、本件脱税の嫌疑が生じた遙か以前の出来事である右遺産分割協議書・相続税申告書の証拠評価を誤ったものであり、著しく経験則に違背した心証形成である。

以下に遺産分割協議書の作成や相続税申告書の作成の経緯を述べるが、これを詳細に検討すれば、昭和六二年一月に伊三郎及びふみ名義で購入された飛島株取引による売却益は同人らに帰属していることが明らかである。

二 伊三郎の死亡と遺産

1 伊三郎の死亡

伊藤の父伊三郎は、昭和六二年八月一八日、死亡している。

2 伊三郎が、飛島株取引を始める時点において多額の資産を有していたこと

伊三郎の相続税の申告書(弁一三四)及び遺産分割協議書(弁一三三)から、伊三郎が北区西ケ原等に多数の不動産を有していただけでなく、多額の預金及び貸付金等を有していたことが明らかである。

飛島株の取引を家族らに勧めるにあたり、伊三郎が「俺には三億の資産がある」と発言したことは、多くの証人が証言するところであるが、右遺産内容は右発言内容を裏付けるものである。

そして、株取引開始時の伊三郎の資産関係が記載された伊三郎の証券投資ローン申込書(弁一一二)や協和ファクター決算書(弁一一〇)ともその内容において整合性が認められる。

3 伊三郎が飛島株取引で得た売却益が遺産に含まれていること

伊三郎の相続税の申告書及び遺産分割協議書には、伊三郎の飛島株取引による売却益の全てが遺産として記載されている。伊三郎が飛島株取引を始める前の流動資産と相続時の流動資産を比較検討して飛島株取引の売却益が相続財産に含まれている事実は伊藤の法廷供述のとおりである。

そして、相続税の申告書及び遺産分割協議書に記載されている伊三郎から伊藤に対する六〇〇〇万円の貸付金は、伊三郎の飛島株取引による売却益約六五〇〇万円のうち伊藤が借りた六〇〇〇万円である。

(伊藤平4年11月26日付法廷供述26丁から27丁まで)

4 検察側の主張・第一審判決と原判決の矛盾点

(1) 伊三郎の昭和六二年の取引だけが借名取引か

検察側は、昭和六一年中の伊三郎の飛島株取引は同人の取引であるが、昭和六二年の飛島株取引は借名取引であると区別し、昭和六二年における伊三郎の飛島株取引だけを起訴したと第一審の論告要旨で主張している。そして、その根拠として、伊三郎名義のライフの口座は昭和六二年以降は『混合口座』と認められ、そのライフの融資枠を利用していること、コスモ証券の取引口座開設及び売買注文を伊藤が行っていること並びに伊三郎には、昭和六一年中に飛島株の取引をすべて終了する意思があったと認められることを上げており、第一審判決もほぼそのとおり認定した。しかしながら、原判決は、昭和六一年中の伊三郎の飛島株取引も伊藤の取引である『可能性が極めて高い』(原判決15丁表、5行目)として、このことをもって、相続税の申告書及び遺産分割協議書の存在を無視する根拠とした。

ところで、原判決は、右の如く昭和六一年中の伊三郎の飛島株取引も伊藤の借名取引の『可能性が極めて高い』と理由を述べながら、前頁の3項では、伊三郎が昭和六一年に飛島株を独自取引していたことを認定している(原判決14丁裏3行目から5行目)。これは明らかに前後の判断理由の齟齬である。

なぜ、このような明白な齟齬が生じたかについては、推測するに、原判決の担当裁判官が、伊三郎の独自取引を根拠付ける遺産分割協議書・相続税申告書の証拠評価を否定しようとするあまり、伊三郎その他名義の昭和六一年中の飛島株取引を全て伊藤の借名取引の可能性が高いと言わざるを得ない苦悩の結果である。後述のとおり、伊三郎は、昭和六二年五月頃にも、独自に東洋電機製造株や東洋リノリューム株の取引をしていたことは証拠上明らかである。要するに、原判決は、遺産分割協議書や相続税申告書の証拠評価を恣意的に誤ったことは明白である。

(2) 昭和六一年及び昭和六二年のすべての売却益は伊三郎の遺産として申告・納税されていること

<1> ライフの融資枠を利用していることについて

ライフの融資枠を利用して購入しているのは昭和六一年の飛島株取引もまったく同じである。伊三郎は、翌六二年の飛島株取引も前年と同じく同人の金を保証金とするライフからの借入資金で購入しているのであるから、その購入資金は伊三郎が自ら用立てたものである。そして、昭和六一年及び昭和六二年のすべての売却益は伊三郎の遺産として申告され、それに対応する相続税が支払われている。従って、飛島株取引に関する購入資金も売却益も伊三郎のものであることは明らかである。

<2> コスモ証券の取引口座開設及び売買注文を伊藤が行ったことについて

証券会社に対する電話での売買注文が面識のある者しか行うこたができないことは前記のとおりである。従って、コスモ証券の中塚と面識を有していた伊藤が伊三郎を代行して電話による売買注文をしただけである。そして、伊三郎が自らライフに連絡していたことは前記のとおりである。

<3> 伊三郎には、昭和六一年に、飛島株の取引をすべて終了する意思があったかについて

そもそも、伊三郎は値上益を目的として飛島株取引を開始したのであるから、さらに値上がりするのであれば買い戻す意思があったと考えるべきである。そして、伊三郎が、昭和六一年限りで、すべての飛島株取引終了しなければならない理由はまったく存在していない。従って、検察側の主張を認めて、伊三郎に飛島株取引を二度としない意思が認められるとした第一審判決は全くの憶測である。ところが、原判決は、昭和六一年の取引も被告人の取引だった可能性が高いと推論して右の問題を一気に排除してしまった。

(3) 原判決の理由付けの不当性

原判決は、昭和六一年の伊三郎名義の飛島株取引さえも、伊藤の借名取引である可能性が極めて高いと強引に踏み込んだ点で、著しく正義に反する極めて重大な事実誤認をしている。伊三郎は既に死亡しているため、同人は直接全く反論できないが、一件記録を見れば事実誤認が明らかである。それとも、原判決は、伊三郎が当初ライフで口座を開設するために作成提出した実印・直筆の証券投資ローン申込書、実印・直筆の証券会社への口座開設申込書、その他の物証すべてが、被告人の借名取引による脱税行為への加担だったと言うのであろうか。相続税の申告書及び遺産分割協議の存在については、第一審判決も言及できなかったので、弁護側がこの点を控訴審で指摘したため、これらの証拠価値を否定するための理由として強引に踏み込まざるをえなかったと思われるが、著しく正義に反する重大な事実誤認である。

三 遺産分割協議がまとまるまでの経緯と内容

1 遺族間で円満に遺産分割協議が整ったこと

遺産分割協議が、三回程度の円満な話し合いにより、遺産分割協議書記載の内容で合意に達したことは、ふみ、八重子、光江の法廷証言から明らかなとおりである。

2 八重子及び光江が現預金類を一切相続していないこと

(1) 八重子及び光江は、北区豊島町にある八光荘の土地のそれぞれ二分の一を相続しているだけであり、それ以外に何ら遺産を相続していない。そして、八光荘の建物はふみが単独相続し、八光荘の家賃をふみが受領するため、八重子と光江は何ら現金類を取得しない遺産分割となっている。

(2) しかし、仮に、八重子と光江の飛島株取引が伊藤の名義借りであり、二人の二億円を超える売却益が全て伊藤のものであれば、このような遺産分割を八重子と光江が了承することは考えられない。何故なら、八光荘の土地と建物は、その名前のとおり、伊三郎が八重子と光江に残してやると常々言っていたものであり、八光荘の土地しか取得できない遺産分割は、両名の株取引が伊藤の名義借りであれば、不満こそあれ、進んで合意する内容ではないからである。

(3) また、親族ら全員の株取引が伊藤の名義借りならば、伊藤は、株売却益だけで約八億円という伊三郎の遺産をはるかに上回る資産を取得していることになるが、そのような状況において、八重子と光江がこのような内容の遺産分割を了承することは到底考えられない。特に、光江は、二人の子供を抱えて離婚し、遺産分割協議時には、狭いアパートで生活している状況にあったのであるから、全く現金類の相続を要求していないのは極めて不自然である。

(4) 八重子及び光江が、八光荘の家賃を含めて一切の現預金類を相続していないのは、両名が飛島株取引において多額の売却益を取得していたからであり、その他の理由は考えられない。

(5) さらに、伊藤に比して八重子と光江の取得財産が割合的にもかなり少ないことは、相続税の申告書(弁一三四)のうち相続税がかかる財産の明細書の各遺産の価額からも明らかである。八重子及び光江は、飛島株による多額の利益を得ていたために、このような割合の遺産分割協議を了解したのである。

第一四 東洋リノリューム株の取引について

一 伊三郎は本当に東洋リノリューム株の取引をしていないのか。

原判決は、『伊三郎は同株(東洋リノリューム株)を購入していない』旨を指摘している(原判決17丁表6行目)。しかし、これは、以下のとおり、証拠上明らかな事実誤認である。

二 三洋証券株式会社野田支店の検査てん末書

原審で取り調べた大蔵事務官早川正作成の三洋証券株式会社野田支店の検査てん末書(原審・弁一号証)により、正確な売買の経緯が判る。被告人は関与していなかったことであるが、右資料によれば、伊三郎は、東洋リノリューム株を、八六年(昭和六一年)八月二八日(約定日は二五日)に四〇〇〇株を三二三万五四〇〇円で購入し、八七年(昭和六二年)三月五日(約定日は二日)に一万株を七二七万一二〇〇円で追加購入し、この合計一万四〇〇〇株を、同年五月一三日(約定日は八日)に一一七二万六二五〇円で売却し、結局一二一万円余の売却益を得た(右てん末書のうち「顧客口座元帳」三通の「イトウイサブロウ」欄参照)。この売却代金について、昭和六二年五月一三日付けの一二一一万〇一二五円の伊三郎直筆による証流書が右てん末書に綴じられている。よって、原判決の『伊三郎は同株(東洋リノリューム株)を購入していない』旨の指摘は、重要な事実誤認であり、伊三郎が、当時、独自の株取引をする意思と事実があったことは明らかである。

三 和代の取引

和代は、飛島株、東洋電機株のほか、昭和六一年八、九月頃伊三郎及び一部は翌年になって伊藤から融資を受けて伊藤が松尾から情報を得てきた東洋リノリューム株を一〇万株を買って、翌昭和六二年六月ころから一一月頃にかけてばらばらと売り二〇〇万円ほど損をした(和代平4・7・29付法廷証言44丁裏、45表)。

四 原判決の著しく正義に反する重大な事実誤認

1 投機的信用取引であるとの事実誤認と判断理由の不備

原判決は、『さしたる資力のない和代が、被告人と同時期に、しかも、同株を購入していない伊三郎から多額の借金を重ね、投機性の高い信用取引の方法で八万九〇〇〇株もの東洋リノリューム株を購入したとは考えられず、和代自身、その疑念に対して合理的な説明をしていない。』と判断理由を指摘している(原判決17丁表5行目から8行目)。しかしながら、この判断理由は意味不明であり、理由になっていない。なぜならば、<1>伊三郎が東洋リノリューム株を購入していた事実は、右二記載のとおりであって明白な事実誤認である。次に、<2>『伊三郎から多額の借金を重ね』とあるが、伊三郎と和代の直筆による金消が明確に一本作成されている(金額七七六七万三〇七七円。その第六条には「ライフより借用した資金を転貸しする」旨が明示されている。伊藤・平2・11・12付検察官面前調書添付の金消ご参照)。そして、<3>重要な判断理由として、原判決は『投機性の高い信用取引の方法八万九〇〇〇株を購入した』としていえるが、そのような事実は全くない。原判決は『和代名義で、ライフの伊三郎の融資枠を利用し、昭和六一年八、九月に信用取引の方法で八万九〇〇〇株購入された』(原判決16丁裏7行目から8行目)とするが、事実は、ライフから伊三郎が借金をして、それを和代に転貸融資して、和代が現物取引の方法で購入したものである。大蔵事務官林田洋二郎作成の「有価証券売買益(雑所得)調査書」(甲二八。以下「調査書」ともいう)の一二丁の記載一覧表によれば、「株式現物取引損益計算合計表(六二年分)」として、東洋リノリューム株の売株数が「二六万株」と記載されており、「株式信用取引損益計算合計表(六二年分)」には同銘柄の記載はない。その他同銘柄を親族の誰かが信用取引したとの証拠はどこにもない。更に、<4>原判決は、『被告人名義でも、信用取引の方法で、昭和六一年八、九月に六万株、昭和六二年三月と五月にそれぞれ五万株の合計一六万株が購入され』とするが(原判決17丁表1行目から2行目)、投機性が高いと言われる信用取引の方法ではない。ライフから借用した資金で、現物取引の方法により購入したものであって、株券を担保としてライフに預ける方法であるから、これは『信用取引の方法』ではないことが明らかである。

2 東洋リノリューム株の売却代金の使途についての事実誤認と判断理由の不備

原判決は『和代名義で取得、売却された右一〇万株の売却代金は、住友銀行下高井戸支店の被告人の預金口座に入金されており、被告人と伊三郎間に右売却代金について消費貸借契約が行われたり、以後和代がこれを使ったことを窺わせる資料はない。』と判断理由を指摘している(原判決17丁表9行目から末行目)。しかしながら、この判断理由も意味不明であり、証拠資料や弁護側の主張・立証事実を誤解しているものと思われる。事実経過は以下のとおりである。

前記「有価証券売買益(雑所得)調査書」(甲二八)四五丁の「飛島建設株売却に関する資金の移動状況(その8)」記載から明らかなとおり、和代が、その名義で、ライフからの伊三郎の転貸融資の方法で(右1<2>の金消による)、昭和六一年八、九月に現物取引の方法で八万九〇〇〇株を購入した。その後、昭和六二年一月八日、伊三郎は、ライフからの転貸融資は金利が高いこともあり、現金七七六七万余を用意して、ライフからの和代への転貸融資分を返済した。その結果、東洋リノリュームの株券は、ライフから『現物品受』できたのである(原判決は、この言葉に惑わされて『信用取引』であったと誤解したものと思われる)。和代は、伊三郎に対して前記金消を差し入れたまま現物品受けしたその株券を保有した。和代は、更に、昭和六二年三月に現物取引の方法で一万一〇〇〇株を追加購入した。この購入原資である代金八八八万四八〇〇円は(『八八四万円余』ではない。調査書三〇丁一番上段、四〇丁一番下段の<7>、四五丁中段の<7>各参照)、和代が飛島株を売却したことにより取得した売却益が伊藤のライフ口座から伊藤の第一勧銀駒込支店の伊藤の預金口座に送金されてプールされていたものから拠出したものであって、実質上和代の原資である。その結果、和代名義の東洋リノリューム株は一〇万株となった。その後、右和代名義の東洋リノリューム株は原判決指摘のとおり昭和六二年六月から一一月にかけて売却されており、その売却代金は住友銀行下高井戸支店の被告人の預金口座に入金された。この入金額について、原判決は『被告人と伊三郎間に消費貸借契約が行われていない』ことを問題としているが不当な判断理由である。なぜならば、伊藤は、伊三郎が、昭和六二年一月八日、東洋リノリューム株をライフから『現物品受』するためにライフへ現実に返済した金七七六七万円余について、同年三月一一日、ふみの滝野川信用金庫西ケ原支店の普通預金口座に伊三郎に代わって同年三月に売却したふみ名義の飛島株の売却益全額金一億四七六六万四〇〇〇円を送金しているからである(右調査書三九丁参照)。つまり、本来、ふみの右売却益は、ライフの伊三郎口座から転貸融資したものであるから、そのシステム上売却代金・売却益ともに伊三郎が保管していたものであるが、、伊藤は、和代の伊三郎からの借入金右七七六七万円を和代に代わって返済するためにふみへ送金したのである。この時点で、前記伊三郎と和代間の前記金消は返済によってその目的を終了したことになる。

以上の経緯であるから、和代名義の東洋リノリューム株一〇万株の売却代金について、『被告人と伊三郎間に右売却代金について消費貸借契約が行われていない』ことは当然のことで原判決の正当な判断理由にならないことは明らかである。

また、原判決は『以後和代がこれを使ったことを窺わせる資料はない。』と指摘するが、右経緯のとおり、東洋リノリューム株一〇万株の売買では、ライフの利息・手数料などの経費を含めれば損が生じているのであり、売却代金そのものは当初は伊三郎(ライフからの転貸融資)、後日伊藤から拠出されているのであるから、和代の手許に残らなくて当然であり、これまた原判決の正当な判断理由にならないことは明らかである。

3 東洋リノリューム株取引による売却益の利益計算の間違等と判断理由の不備

原判決は、遺産分割協議書及び相続税申告書の真偽に関連して、『右六〇〇〇万円は、被告人がライフの自分の融資枠を利用し、昭和六一年に値上りを見込んで信用取引により購入した東洋リノリュームや御幸毛織の株の品受代金に充てられ、右各株の売却代金が証券取引の保証金としてライフの口座に入金されている(この時点での計算上の売却益は五八六〇万円余)ことからすると、被告人とライフとの間で精算することが予定されていたものと考えられるのであるから、被告人が六〇〇〇万円を遺産分割協議の遺産に組み入れ、これを相続して同人との貸借関係を精算した形式を整え、その分を相続税の対象としたからといって、経済的には痛痒を感じるほどのことはない。』(原判決16丁表5行目から裏3行目)と判断理由を指摘しているが、全く意味不明である。

先ず、<1>「信用取引」という用語や意味は前述のとおり誤りである。原判決は、ライフを利用した取引を信用取引と混乱しているものと思われるが、その意味内容は全く異なるものであることは明らかである。次に、<2>御幸毛織株の取引名義人は(株)でっち亭であり、もともと本件の問題となっていないものである(前記調査書四五丁、波線枠一覧表の末段参照)。そして、<3>原判決の右趣旨は、意味不明であるが推測するに、多分、伊三郎から借用した六〇〇〇万円で『五八六〇万円余』を計算上儲けたのであるから『一五五〇万円』の納税は経済的には通痒を感じないであろうとの相対的な通痒論を述べようとしているものと思われる。しかしながら、相対論の是非はともかくとして、右の計算上の儲け『五八六〇万円余』は誤りである。なぜなら、この金額は、前記調査書四一丁記載の一覧表のうち、現物品受の東洋リノリューム一四万株(イ.買付資金一億二三三一万八〇〇〇円)と御幸毛織二万五〇〇〇株(ロ.買付資金四五六二万四〇〇〇円)の合計金額と、その後の東洋リノリューム一九万株(ハ.売却代金一億五三三一万二〇〇〇円)と御幸毛織五万株(ニ.売却代金七四二三万七〇〇〇円)の合計金額との差額に過ぎない。即ち、ハ.+ニ.-イ.-ロ=五八六〇万余となるのであるが、この計算式の買付株数と売却株数は違うのであり、また、松尾治樹名義の株も入っているのであるから、右の計算上の儲け『五八六〇万円余』の指摘は、全くの計算ミスである。要するに、伊藤と和代名義の東洋リノリューム株合計二六万株の売買による計算上の儲けは、合計で一二八九万八九二〇円であり、そこから金利・手数料が引かれることになるのである(前記調査書一二丁。銘柄欄六行目参照)。因みに、御幸毛織株は、五万株の買付資金が八九四〇万九〇〇〇円(前記調査書四一丁。波線枠内の下から二、三行及び枠外右側の記載参照)であるところ、売却代金が七四二三万七〇〇〇円であるから、一五一七万二〇〇〇円の損が発生しているのである。

五 まとめ

要するに、東洋リノリューム株取引に関する原判決の事実認定及びこれを根拠とする判断理由は、誤解に基づく支離滅裂な論理であると言わなければならない。

第一五 東洋電機製造株の取引について

一 原判決の認定

原判決は、伊三郎名義の東洋電機製造株二万二〇〇〇株については伊三郎の独自取引であると認定し、その部分に限って第一審判決を破棄したのであるが、その余の各名義人による東洋電機製造株の取引については、『実質的には被告人の取引であり、その売却益も被告人に帰属したものと認められる。』とし、その根拠として、『和代名義による同株の購入資金は前記の飛島株の売却益の一部が充てられており、ふみ名義による東洋電機製造株の購入資金も、右和代名義で取引された飛島株の売却益が充てられていること、しかも、右各親族らが同株の売却代金を最終的に処分した形跡が窺われないこと、さしたる資力のない右親族らが、被告人や伊三郎から多額の借金を重ねて大量の東洋電機製造株を購入したとみるのは不自然であること』を指摘している(原判決17丁裏10行目から18丁表10行目)。

しかしながら、右の各根拠はいずれも右事実認定の根拠たりえないことは、前記の各親族らによる飛島株購入の経緯及び被告人が各親族らから飛島株売却益を借用した経緯の外、以下に詳述する東洋電機製造株購入の経緯に照らせば明らかであり、結局、著しく正義に反する重大な事実誤認である。

二 東洋電機製造株の情報入手の時期・経緯

1 伊藤は昭和六二年二月から三月五日前後の頃、経営者グループの心和会の山本善心から、『東証一部の会社で非常に技術力を持った会社の浮動株をあと二〇〇万株買収すれば、実質的にその会社の企業支配ができる。伊藤さんも出来るだけ多く買えば、役員になったり、メリットがあるから、出来るだけ資金を集めといてよ。』という話を聞かされた(伊藤平4・11・5付法廷供述58裏、59丁表)。

その話を聞いて、伊藤は、自分の会社でその会社の株を買えば自分たちが役員にもなれるし自分の会社としてもメリットがあるかと思い、興味を感じた(同60丁表、61丁表)。

2 山本から企業買収の話を聞いて間もない頃は、丁度、家族らに飛島株売却益を送金すると共に、伊藤が親族らに売却益の借入申込をした頃だった。そのため、伊藤は、ハツ江には借入申込の理由として不動産購入資金のほかに、企業買収の話もあるから、ということも言った(同82丁表)。

3 その後、同年三月後半になると、山本はその会社名が東洋電機製造(以下「東洋電機」ともいう)ということを教えてくれた。そのころから、実はあと二〇〇万株の浮動株を買い集めると、それを小谷が高く買い取ってくれるのだ、というふうに山本の話が少し変わってきて、当初の企業買収の話が企業買収を手伝う話になったので、伊藤は自分が経営する会社で買ってもメリットがないので、会社では買わないことにした。(同59丁裏から60丁表)。

なお、伊藤が親族らから金を借りた同年三月一〇日ないし一二日当時は、東洋電機製造という銘柄は聞いていなかった。

4 そのため、伊藤は自分の会社で持たない株なら、親族らに情報を流してやってみんなで儲けようと思うに至った(同62丁表)。

三 親族らへの勧めと家族らの意思

1 そこで、伊藤は昭和六二年三月末頃、親族らに対して、小谷が東洋電機の株を買い占めてその株を或る企業に売却する予定であること、市場で小谷が一八〇〇円で買ってくれるので今は安いから買った方がいいことなどを説明して、購入を勧めた。勧めた相手は、伊三郎、ふみ、和代、ハツ江、智一、、八重子、光江と全員である。

(伊藤平4・11・26付法廷供述1丁裏、2丁表)

(1) 伊藤は、八重子にも電話で勧めたが、八重子は、私はやらないと言って断った(同2丁表)。

(2) ハツ江は、自分が伊藤に貸してある資金一億一〇〇〇万円の範囲内で買うことを伊藤に依頼した(ハツ江平3・11・29付法廷証言35丁表。伊藤同3丁表)。

(3) 伊三郎は、野田の三洋証券で一人で買った(伊藤同2丁裏)。

因みに、原判決は、伊三郎が、昭和六二年四月一日、東洋電機株を三万株購入した事実等を認め、第一審判決の一部を事実誤認としている。なお、原判決の発想は、第一審の事件記録中、伊三郎名義の東洋電機製造株の『売り』はあるが『買い』がないという形式的な点に着目したものである。

(4) 光江は、伊藤から東洋電機株を勧められた当初は『そんないい話あるわけないじゃない』ということで一旦は断った。しかし、その後、伊藤から二、三回電話で勧められている内に買う気持ちになった(光江平4・6・5付法廷証言70丁裏、71丁表)。

(5) 智一は、伊藤から資金の融資を受けて自分で買って、自分で売った(智一平4・3・13付法廷証言28丁表、裏)。

2 このように、親族らは自分自身の意思で自分の取引として東洋電機株を買う決心をしたのであり、伊藤や伊三郎が勝手に家族らの名義を使って自分のために取引したものではない。

四 被告人や親族らの東洋電機製造株購入資金及び購入

1 親族ら各人の東洋電機株購入資金

各人の東洋電機株の購入資金は、伊藤と伊三郎とが相談して、二人がライフから資金を借りて転貸融資をすることにした(伊藤平4・11・26付法廷供述2丁裏)。但し、親族らはこの時点では、伊藤に貸し付けた自己資金をそれぞれが一億円以上有しており、実質的にはライフの保証金相当額は親族各人の資金で賄える状態にあった。従って、原判決が、『右親族らにはさしたる資力がない』とする点は誤りである。

2 親族らの東洋電機製造株売買

(1) 伊三郎は、野田の三洋証券で同年四月末か五月頃、自分の資金で東洋電機株を二万二〇〇〇株購入した。

(伊藤平4・26付法廷供述2丁裏。甲二八、38頁)

ところで、原審で取り調べた大蔵事務官早川正作成の三洋証券株式会社野田支店の検査てん末書(原審・弁一号証)により正確な売買の経緯が判る。被告人は関与していなかったことであるが、右資料によれば、伊三郎は、同年四月一日に三万株購入、同月七日に三万株売却、同月八日に三万株購入、同年五月一四日に八〇〇〇株売却、その結果、二万二〇〇〇株が残った。伊三郎によるこの頻繁な取引の事実からも、伊三郎が、当時、独自の株取引をしていたことが明らかである。

(2) 和代は、一九万九〇〇〇株の東洋電機株を購入した。その資金は伊藤が融資した(伊藤同3丁裏。和代平4・7・29付法廷証言46丁裏、47丁表)。

和代が、伊藤に貸している金を返してもらって購入しないで、同人から借りて購入したのは、借りたり貸したりでごっちゃになってはいけないので、借りは借り、貸しは貸しとしてすっきり分かるようにするためだった(和代同47丁表)。

和代は二〇〇〇万円くらい損をした(和代同51丁裏)。

(3) 光江は、昭和六二年四月初め頃、伊三郎からライフを通して転貸融資を受けて、東洋電機株を一九万九〇〇〇株購入した(光江平4・6・5付法廷証言70丁表、同74丁裏。伊藤平4・11・26付法廷供述8丁裏、9頁表、裏)。

光江は二〇〇〇万円ぐらいの売却益が出た(光江同76丁裏、77丁表)。

(4) ハツ江は、昭和六二年四月頃、東洋電機株を六万六〇〇〇株購入した(ハツ江平3・11・29付法廷証言34丁表)。資金は伊藤から借りたが、株数については、ハツ江はハツ江が伊藤に貸してある(一億一〇〇〇万円の)範囲でと頼んだ(ハツ江同35丁表。伊藤同3丁表)。

ハツ江は二七〇〇万円ぐらい損失を被った(ハツ江同36丁表)。

(5) 智一は、伊藤から資金を借りて昭和六二年四月頃、やはり、東洋電機株を買った(智一平3・11・29付法廷証言28丁表)。

(6) ふみは、短期で勝負すればよいという伊三郎の助言で、信用取引で昭和六二年七月頃に、八万株買って直ぐ売り八〇〇万円ほど儲けた。

(ふみ平4・4・24付法廷証言43丁表から44丁表)

(伊藤平4・11・26付法廷供述13丁表)

ふみが信用で東洋電機株を購入するについては、伊三郎は自分が野田の三洋証券で買っていた東洋電機株を、ふみのために信用保証金の足しにいれてやった(伊藤同12丁表)。伊三郎及びふみの独自取引と認めるべき所以である。

3 借用書を作らなかった理由

(1) 伊藤がライフを通して親族らに転貸融資した東洋電機株の購入資金については金消を作成しなかった。

その理由は、親族らはすでに飛島株の売却益を伊藤に貸し付けており、万一、東洋電機株で損が出たとしても二割下がるとライフの方で自動的に東洋電機株を売却して精算するので、損失の最大限は購入価額の二割であるが、その程度なら親族らが伊藤に貸し付けている金額の範囲内なので、結局、伊藤はいつでもその損失立替分を返してもらえる。そういう考えで金消は作成しなかったのである(伊藤平4・11・26付法廷供述7丁表から8丁裏)。

因みに、原判決はライフを利用した取引を『信用取引』と誤解しているようであるが、ライフは、右の如き証券担保金融業者であって、証券会社ではない。

(2) 右(1)の点にも、伊藤や親族ら双方が、飛島株の売却益は親族ら自身に帰属するものを伊藤に貸し付けているのだという自覚を持っていることが表れているというべきである。

五 仕手筋との交渉経緯(通知書)

東洋電機株の株は偽情報であることが判明した。そのため伊藤は、親族らを代表して山本善心らと協力しながら仕手筋に対して内容証明郵便(甲一二〇)を送るなどして、損失の拡大を防止するよう努めた。その内容証明郵便を出すに当たっては、智一に電話して、内容証明郵便に智一やハツ江も連名で名前を連ねる承諾を求め、その承諾を得てから内容証明郵便を仕手筋に送ったりした。

なお、智一はその事実をハツ江ががっかりしたりしてはいけないと思って殆ど伝えなかった(智一平4・3・13付法廷証言30丁表)。従って、ハツ江は内容証明郵便のことは知らなかった(ハツ江平3・11・29付法廷証言36丁表)。

第一六 親族らのその他の株取引状況について

親族らは、飛島株取引で莫大な儲けをしたため、すっかり株取引の魅力に憑かれたものまで出てきた。

一 ふみの場合

ふみは、昭和六二年五月頃から、自分一人で野田の東武証券や池袋の大和証券などに出掛けて口座を設けて、独自に株取引を始め、日立製作所、川崎重工、神戸製鋼所等々多くの銘柄の株取引をしてきた(ふみ平4・4・24付法廷証言39丁表以降)。

また、伊藤からの勧めもあって、伊藤に売買注文手続きを頼み、伊三郎の遺産相続金を使って堺化学の株を信用で買ったりもしている。なお、堺化学を処分した元金三〇〇〇万円と東洋電機株の売却益約八〇〇万円、堺化学の売却益約六〇〇万円の合計約四四〇〇万円は、伊藤に借入を頼まれたので、そのまま伊藤に貸し付けている(同44丁表から48丁裏)。

二 和代の場合

和代は、飛島株、東洋電機株のほか、前述のとおり、昭和六一年八、九月頃伊三郎及び一部は翌年になって伊藤から融資を受けて、伊藤が松尾から情報を得てきた東洋リノリューム株を一〇万株買って、翌昭和六二年六月ころから一一月頃にかけてばらばらと売り二〇〇万円ほど損をした(和代平4・7・29付法廷証言44丁裏、45丁表)。その他、伊藤から得た情報や独自の判断などで、永谷園本舗(四〇〇万円ぐらい損)、NTT等の株を売買している(同44丁表。同55丁表から58丁表)。このことからも、和代が、自分の意思と興味で自分の取引として飛島株取引を行った結果、すっかり株取引が面白くなった結果であることは明らかである。伊藤が、和代の借名取引により、永谷園本舗、NTT等の株を売買したと認定することは、その各株数や銘柄からして、不自然きわまりない。

三 八重子の場合

八重子も、飛島株取引後に、自分で自宅近くの柏市の三洋証券に行って口座を開き、自分自身で取引するに至っている(八重子平3・9・13付法廷証言57丁表、裏。八重子平3・10・4付法廷証言27丁裏)。

四 剛志の場合

伊藤と和代の長男剛志は、和代とふみが株の話を何時もしていたため、すっかり刺激を受けて、中学生の頃、自分でも貯めていた小遣いで株を買いたいと言い出したので、和代が自宅近くの黒川木徳証券に連れて行った。そして、剛志は自分で口座開設手続きをして新日鉄の株を買った(和代平4・7・29付法廷証言60丁表から62丁表)。

五 以上のように、和代、ふみ、八重子ら主婦三人のみならず子供までが、このような株取引に強い興味を持つに至った理由は、当時の風潮だけでなく、和代らが飛島株を購入してから売却までの間、その取引を自分のものと自覚しつつ、新聞やテレビなどで株価の動向に一喜一憂してきた興奮と大きな売却益が魅力となって、本当に株取引にひかれるようになったからであることは明らかである。

もし、飛島株取引が伊藤に対して取引名義を貸していたにすぎないならば、結果として幾ら儲かったと聞いても、それまで全く株などに縁ののなかった平凡な主婦が三人も株取引に熱中し、自分自身で証券会社まで出掛けていく程夢中になったり、子供に影響を与えるほどの状況になることは考えられない。

第一七 売買報告書、取引一覧表、収支計算書の交付及びメモの作成について

原判決は、右の点については特に触れていないが、事後工作との評価を受ける恐れがあるところ、逆に、当初から脱税の故意がなかったことを根拠づけるものであることを明らかにするため、以下に詳述する。

一 売買報告書、取引一覧表、収支計算書を交付した時期と交付した理由

1 伊藤が親族らに売買報告書などを交付した時期

伊藤が親族らに売買報告書(甲九一、九二、一一七)、取引一覧表(弁五一、甲一一七)及び収支計算書(弁五二、五三、甲一一五)を交付したのは、平成元年一一月下旬である。

伊藤が、売買報告書を保管していたのは、親族らの株取引に関する計算をすべて任されていたためである。

(八重子平3・8・21付法廷証言15丁裏)

伊藤は、同月中旬頃、ライフの五十嵐から税務署が親族らの株取引を調べに来たとの電話連絡を受けたため、同月二〇日頃、取引一覧表や収支計算書などを持参して王子税務署に説明に行き、借名取引ではないと説明し、その後の同月下旬頃、親族らに対しても税務署から問い合わせがあるかもしれないと考え、親族らのところに行き、売買報告書、取引一覧表、収支計算書などを交付している。

(伊藤平4・12・4付法廷供述2丁裏5行目から3丁裏13行目まで)

2 親族らに売買報告書などを交付した理由

(1) 伊藤が、親族らに売買報告書、取引一覧表及び収支計算書などを交付したのは、飛島株取引の開始から約三年半が経過していたことから、親族らの記憶を喚起しておく必要があると考えたからである。

伊藤は、平成元年一一月二〇日過ぎ頃から同月下旬頃に、親族らを訪れ、売買報告書、取引一覧表及び収支計算書などを交付し、税務署から株取引について問い合わせがあるかもしれないことを告げて、税務署にキチンと説明できるように当時の記憶を思い出しておいて下さいと言った。

(伊藤平4・12・4付法廷供述3丁表)

(八重子平3・9・13付法廷証言5丁裏3行目から7丁裏2行目まで)

(ハツ江平3・12・4付法廷証言53丁表12行目から55丁裏6行目まで)

(2) その際、伊藤は、親族らに対し、伊藤が作成した取引一覧表を交付するとともに、『この売買報告書などを見ながら自分で書くとよく思い出しますから、事実をよく確認しておいて下さい』と行って、銘柄などの項目と罫線だけの表を交付している。右取引一覧表の書き直しは、親族らの記憶を喚起するために伊藤が勧めたものであり、口裏合わせのために伊藤が指示したものではない。そのため、もちろん、伊藤が親族らに対して、伊藤作成の取引一覧表を破棄するような話は一切していない。

そして、伊藤から右のように言われたハツ江が書き直したものが、甲第一一六号証の取引一覧表である。

(ハツ江平3・11・29付法廷証言40丁裏13行目から41丁表3行目まで)

(伊藤平4・12・4付法廷供述6丁表12行目から同丁裏13行目まで)

二 メモを作成した経緯と目的

伊藤は、平成元年一一月二〇日過ぎ頃から下旬頃に、売買報告書、取引一覧表及び収支計算書などを交付した際、税務署から聞かれるポイントを各人に説明している。

1 ハツ江の場合

(1) ハツ江から『税務署からどういうことを聞かれるの』と訊ねられたため、伊藤はハツ江に対し、税務署から聞かれた場合に答えるべきポイントを<1>から<4>としてメモ(甲一一四)に書いて説明した。

すなわち、<1>は購入意思、<2>は資金、<3>は手続、<4>は売却益の帰属を表すものであり、このような点が税務署から聞かれますよという意味で、伊藤はその場で書いて説明したのである(伊藤平4・12・4付法廷供述3丁裏1行目から4丁表6行目まで)。

(2) そして、伊藤は、ハツ江に当時の株取引のことを聞いてみたところ、『非常に断片的な答えが色々返ってきたもんで、私がそこで、いわゆる税務署に説明するにおいて、時系列的に説明しやすいように、私がそのときは、確かこういうことだったですね、ということで思いつくまま』に<1>から<11>のメモ(甲一一四)を作成している。

後者のメモは、あくまでハツ江の記憶を喚起するために伊藤の記憶と推測に基づいて作成したものであったため、ハツ江が最初に株取引を勧められた場所など事実と違う記載がなされていた。

(伊藤平4・12・4付法廷供述3丁裏1行目から6丁表5行目まで)

(ハツ江平3・12・20付法廷証言24丁裏6行目から25丁裏10行目まで)

(3) 右メモは伊藤の記憶と推測により作成されているため、査察調査の後、ハツ江が、自らの記憶に基づいて株取引のことを記載した大学ノート(甲一二二)の内容とは、伊藤がハツ江に飛島株取引を勧めた場所などいくつかの事実関係に相違点が認められる。

そして、右大学ノートの内容は、その後に作成されたハツ江の国税局宛申述書の記載内容及び公判廷におけるハツ江の証言内容と基本的に同一である。

仮に、右メモが、口裏合わせのための偽装工作として作成されたものであれば、ハツ江が、右メモ内容と相違する事実を主張しているのは不自然である。

右メモは、前記のとおり、あくまでハツ江の記憶を喚起するために伊藤が作成したものであるため、ハツ江は右メモ内容に拘束されることなく、ハツ江の記憶に基づく事実を大学ノートに記載したり、申述書や公判廷で供述しているのである。

2 ふみ、光江及び八重子の場合

伊藤は、やはり同じ頃、ふみ、光江及び八重子に対しても、税務署から聞かれるポイントについて説明しており、ふみらはそれぞれ伊藤から聞いた説明をメモ(甲一〇五、一五一、一五二、一五三、一五四)している。

三 検察側の推論とそれに対する反論

1 検察側の推論

検察側は、第一審の論告において、『自分の意思で飛島建設株を購入したのであれば、自分自身のことであり、当然のことであるから、そのことをわざわざメモに記載する必要はないにもかかわらず、和代、光江及びふみの三名はいずれも、「自分の意思で飛島建設株を買った。」旨の記載のあるメモを作成しており、和代ら三名の自分の意思で飛島建設株の売買取引を行った旨の証言は措信できない』と主張する(論告要旨29頁)。但し、第一審判決・原判決ともに判断理由中には触れていないが、念のため以下反論する。

2 それに対する反論

(1) 和代のメモについて

<1> 和代は、「自分の意思で飛島建設株を買った。」旨の記載のあるメモを作成していない。検察側が指摘する和代のメモとは、和代の手帳(甲一四九)に記載されている内容を指すものと思われるが、そこには「自分の意思で飛島建設株を買った。」などという記載はない。そして、右和代の記載は、その手帳に記載されている前後の日付から、平成元年一一月二〇日過ぎ頃に作成された他の親族らのメモとまったく異なった時期である昭和六三年七月一六日から同年一一月一七日までの間に記載されたことが明らかである。

<2> 検察側は、右和代の記載を、同人の証言を措信できない理由として揚げているが、公判廷に証人として出廷した和代に対し、右手帳を提示してその記載の経緯を追及していない(右手帳は、伊藤に対する検察側の反対尋問に際して提出された)。従って、検察側の右推論は、一方的な推測にすぎず何ら根拠のないものである。

<3> 右和代の手帳のうち取引内容の一覧メモ部分は、その内容から、和代の昭和六三年四月までの株取引を和代自身が整理したものと認められるところ、昭和六三年七月から一一月までの間に自分の同年四月までの株取引を手帳に記載して整理することは自然なことである。

また、昭和六三年一一月に、胆嚢の摘出手術のため入院していた伊藤は、病院で和代と株取引について話をしているのであるが、その頃に和代が伊藤との会話内容をメモしていたとしても不自然ではない(伊藤平4・12・4付法廷供述68丁裏7行目から12行目まで)。

(2) 光江及びふみのメモについて

<1> 光江のメモ(甲一五四)及びふみのメモ(甲一五一)は、平成元年一一月二〇過ぎ頃から同月下旬頃に、伊藤が親族らに対し、売買報告書、取引一覧表及び収支計算書などを交付し、税務署から株取引について問い合わせがあるかもしれないことを告げて、税務署から聞かれるポイントを説明した際に、光江及びふみがメモしたものである。伊藤が、口頭で説明した内容をそれぞれがメモしたため、右メモの文字は走り書きで読みにくいものとなっている。

<2> 右メモには、いずれも『どうしてもほしかった』とか『どうしても買いたかった』などの類似した表現が認められるが、それは、伊藤が税務署から聞かれるポイントとして親族らに同じように説明したからである。

<3> 検察側は、右メモを、光江及びふみの証言を措信できない理由として揚げているが、公判廷に証人として出廷した同人らに対し、右メモを提示してその作成経緯を追及していない(これらも、やはり伊藤に対する検察官の反対尋問に際して提出された)。従って、検察側の右推論は、一方的な推測にすぎず何ら根拠のないものである。

<4> 逆に、ふみの手帳(甲一四九)には、昭和六三年から平成元年にかけてふみが、川崎重工、安川電気、神戸製鋼、石原産業、富士通ゼネラル、井関農機及びにっかつなどの多数銘柄の株取引を行い、一二九三万五〇〇〇円を出資していたことを示す記載がなされている(手帳の表紙の次頁のコピー参照)が、これは、ふみが、昭和六三年以降、自ら主体的に売買注文などの手続まで行って多額の株取引をやっていた事実を端的に示すものである。

(3) 右メモが罪証湮滅工作でないこと

伊藤は、ハツ江については時系列にそった一一項目のメモを作成しているが、他の親族に対しては右の如き簡単なポイントの説明をし、それをメモさせているだけである。しかしながら、仮に、親族らの株取引が借名取引であったのであれば、右の如きメモの内容程度で税務署の調査を誤魔化せるものでないことは、税理士でなくても容易に判断できることである。従って、仮に、検察側が主張するように、ハツ江に対する一一項目のメモが税務署に対する口裏合わせとして作成されたのであれば、他の親族らに対しても少なくともハツ江と同じ程度のメモが必要だった筈である。

しかし、ハツ江以外の親族らについては、検察側の提出にかかる前記の如きメモ(記載)以外に何らのメモも存在していない。このことは、伊藤が親族らに対して借名取引を隠すための口裏合わせとしてメモを交付したり、税務署に対して虚偽の内容を回答するよう指示していないことを示すものである。

第一八 査察調査とその後の集まりについて

原判決では触れていないが、検察側は査察調査後の集まりをもって口裏合わせの事後工作と主張するので、そうではないことを、事実経過をもって以下簡単に説明する。

一 平成元年一二月一五日の査察調査

平成元年一二月一五日、伊藤は、国税局の査察調査を受けた。当日、伊藤は王子税務署の大竹と会って、株取引のことを説明する約束になっていたところ、突然査察調査を受けたものである。

二 親族らの取調べ状況

当日の査察調査は、午前八時頃から伊藤の自宅、会社及び会計事務所並びに親族らの自宅などにおいて行われた。

そして、八重子、光江及びハツ江は国税局に連れていかれ、午後一〇時過ぎまで『名義貸しをしたんじゃないか』と怒鳴られたり机をたたかれたりして取り調べを受けた。

また、ふみと和代は、ふみは午後九時頃まで、和代は午後一二時頃まで、それぞれの自宅等で取り調べを受けた。

三 伊藤の自宅に親族らが集まった目的と会話の内容

1 親族らが集まったこと

査察調査の数日後、伊藤夫婦、八重子夫婦、ふみ、光江及びハツ江が松原の伊藤の自宅に集まっている。集まることについての連絡は、ふみに対して八重子がし、その他の親族らに対しては和代がしている。そして、和代は、その際、親族らに対し、国税局でサインした質問顛末書の内容についてメモを書いてくるように頼んでいる。これは、伊藤が査察後に相談した弁護し田堰良三(以下「田堰」ともいう)の指示によるものである。

2 親族らが集まった理由

この集まりは、伊藤が親族らに対し、査察調査を受けることになった事情を説明したり、親族らが伊藤や他の親族らに対し、査察調査を受けた内容を報告するために集まったものである。そして、関係者全員にとって、査察調査を受けるということは大事件であるから、親族らが集まったのは当然である。もちろん、当日、伊藤と親族ら間において名義借りを隠すための口裏合わせなどは一切行われていない。

(正一平3・7・16付法廷証言2丁から5丁表5行目まで)

(和代平4・7・29付法廷証言92丁表3行目から99丁表11行目まで)

(ふみ平4・5・15付法廷証言9丁表6行目から12丁裏13行目まで)

(八重子平3・9・13付法廷証言17丁表4行目から18丁表9行目まで)

(光江平4・6・23付法廷証言46丁から50丁まで)

四 株取引が名義借りであることを隠すための口裏合わせの集合か。

右集合が口裏合わせの集合でないことは、以下の発言内容などから明らかである。

(1) 当日の集まりの具体的内容は、次の親族らの証言のとおりである。

<1> 伊藤の発言

伊藤は、親族らに対し、査察調査を受けたことについて皆に迷惑をかけたと謝り、自分は伊三郎と一緒になって皆のためにやってきたのであり、皆からの借入についても皆の承諾を得ているのだから脱税なんかではない。

従って、従来通り説明しておいてくれれば、問題のない取引であると親族らに説明した。

(ふみ平4・5・15付法廷証言9丁表6行目から12丁裏13行目まで)

(和代平4・7・29付法廷証言92丁表6行目から93丁表2行目まで)

(八重子平3・9・13付法廷証言17丁裏1行目から6行目まで)

<2> ハツ江と八重子が事実に反する調書をとられたと発言したこと

ハツ江と八重子が事実に反する調書をとられたと発言している。

そして、ハツ江は、査察調査官に怒鳴られたり机を叩かれたりして長時間取り調べられたため、胸が苦しくなり、頭が痛くなって真っ白になってしまい、査察調査官がいう通りの調書にサインしてしまったと皆に話し、それを聞いたふみと光江は、ああいう取り調べの状態では仕方ないわよねと言って慰めている。

(和代平4・7・29付法廷証言95丁表8行目から97丁表9行目まで)

(ふみ平4・5・15付法廷証言10丁裏2行目から11丁裏3行目まで)

また、八重子は、『査察官が入ってきて、開口一番に、正直に言わないとあなたの旦那さんの仕事にも影響しますよ。』とびしっと言われ、『自分の心に反することを書かれた』と発言し、伊藤に対し『あなたが金利も支払わないからこんなふうに疑われちゃったのよ』と責めている。

(和代平4・7・29付法廷証言93丁裏13行目から95丁表4行目まで)

(ふみ平4・5・15付法廷証言11丁裏)

<3> 正一が金で解決すべきであると発言したこと

正一は、当日、仕手戦の参加については社会倫理上好ましくないということ及び同人が勤めている銀座支店の取引先の例を出して、税金を納めれば済むということであれば、『例えば奥様のお名義については認めていただけなくて、という段階で、税金を納めれば済むということであれば、それはそれで一つの解決方法ではないだろうか』と発言している。

(正一平3・7・16付法廷証言4丁裏2行目から同丁裏11行目まで)

それに対して、伊藤が『そのケースとは事情が全く違う。自分の意思に反して妥協することはできない。』と言い、『伊三郎と自分が皆にもうけさせてやりたいと思って一生懸命やった結果こんなことになって、おれは悪いことはしていないから、とても金では払えない』と非常に憤慨していた。

(和代平4・7・29付法廷証言93丁表3行目から同丁裏12行目まで)

(ふみ平4・5・15付法廷証言12丁)

(八重子平3・9・13付法廷証言17丁裏9行目から同丁裏13行目まで)

(2) 親族らは、査察調査で聞かれた内容を、弁護士田堰に相談するために、事前にメモを作成して持参したり、当日メモ書きしたりしている(弁五六・八重子の『株取引の経緯について』と題する書面)。

親族らが事前に作成して持参したり、当日作成したメモは、検察の捜索差押により押収されている。仮に、親族ら間において口裏合わせが行われたのであれば、質問顛末書以外の内容が記載されたメモが作成されていなければならないが、そのようなメモが存在しないことは明らかである。

(3) 従って、査察後の集まりは、伊藤が親族らに対し、査察調査を受けることになった事情を説明したり、親族らが査察調査を受けた内容を報告するために集まったものであって口裏合わせのためのものではないことが明らかである。

(4) さらに、右集まりにおいて、誰一人として親族らの株取引が伊藤の借名取引である旨の発言をしていない。しかし、仮に、親族らの株取引が借名取引であったならば、査察調査を受けた直後の集まりにおいて、誰からも借名取引であることを伺わせる旨の発言がなされないということはあり得ない。このこと一つとっても、本件株取引が伊藤の借名取引でないことは明らかである。

第一九 金利の支払いについて

一 平成元年一二月に金利を支払っていること

1 平成元年一二月まで金利を支払わなかった理由

平成元年六月三〇日の借入金の洗い換えにより、伊藤は一時期の資金繰りの苦しい状況を脱したが、平成元年一二月まで親族らに対して金利の支払をしていない。それは、ふみから金を早く返すように叱責された平成元年八月までは、やっと銀行関係の元利金が精算できたことでホッとしていたためであり、それ以降同年一二月までの間は、親族らとの間でマンションで返済することが決まったために金利だけを先に返すことに思い至らなかったためである。

2 平成元年一二月に金利を支払った理由

平成元年一二月に金利の一部を親族らに支払ったのは、国税局の査察調査を受けたこと、その直後の親族らの集まりの中で八重子から「あなたが金利も払わないからこんなことになったのよ。」と責められたこと、伊藤自身が、多少の支払ができる状況になっていたことなどから、伊藤は金利を支払ったものである。

(伊藤平4・12・4付法廷供述24丁表4行目から11行目まで)

二 平成元年一二月の利息の支払いは偽装工作か。

右の利息の支払は、本件査察調査後の出来事であるから、積極的な無罪の証拠とは評価されないとしても、以下の事情から偽装工作と評価すること誤りである。

(1) 伊藤が、平成元年一二月まで親族らに対してまったく金利を支払っていないこと

イ 仮に、原判決が認定するように、伊藤が、偽装工作として親族らからの飛島株取引の売却益借入に関する金消を作成し、確定日付までとっていたのであれば、右借入金が親族らのものであると説明するための最も簡単かつ効果的な方法は、右金消に基づく金利の支払であったことはいうまでもないことである。従って、原判決が『税理士としての知識や経験を悪用しての所得秘匿の手段・態様が巧妙なものである』と指摘しているが(原判決21丁裏3行目から4行目)、もし、脱税の故意をもって事前の周到な準備のもとに計画的に敢行された脱税事犯であるならば、伊藤が親族らに対し、平成元年一二月までまったく金利を支払っていないことはむしろ不自然である。

ロ そして、平成元年六月三〇日以降、伊藤の資金繰りはいくらか好転し、同年一〇月から一一月には少なくとも光江に対する返済金に充てた金三一〇〇万円を有していたのであるから、その金額をもって金利支払に充てることは十分可能であった。

(2) 親族ら全員が金利を受領していること。

イ 査察調査において、親族らが国税局の査察調査官から厳しい取り調べを受けたことは、親族ら全員が認めている。にもかかわらず、普通の主婦や勤め人である親族らが、査察調査後、金利支払のための振込先口座を教えるなどして積極的に偽装工作に協力することは考えられない。

ロ 査察後の集まりにおいて、『着地点が大事である。』と金で解決すべき旨の意見を述べていた正一の妻の八重子を含む全員が金利を受領していることは、株売却益が真実親族らのものであり、伊藤に対する貸付金の金利を受領することは当然という意識があったからである。

(3) 従って、平成元年一二月の金利支払は、従前の約定を実行したものと理解されるべきであって、査察調査を受けたための偽装工作というべきものでないことは明らかである。

第二〇 国税局に対する上申書、申述書について

一 作成した理由

査察調査の後、八重子は上申書(弁三二)を提出し、ハツ江は申述書(弁七二)を提出している。

八重子とハツ江が、上申書または申述書を提出することにしたのは、国税局で事実と異なる質問顛末書をとられたことから、キチンと本当のことを報告しなければならないと考えたからである。

(八重子平3・9・13付法廷証言18丁裏11行目から19丁表6行目まで)

(ハツ江平3・1・29付法廷証言14丁表11行目から同丁裏1行目まで)

(伊藤平4・12・4付法廷供述26丁裏3行目から27丁表4行目まで)

二 作成方法

1 弁護士田堰が各人から直接事実を聞いて作成したこと

上申書及び申述書の原案は、いずれも弁護士田堰の事務所で作成された。それらは、いずれも、同田堰が、伊藤に対し、口を挿まないようにと注意したうえ、直接八重子及びハツ江から聞いたうえ事実をまとめて口述し、それを伊藤が筆記する方法によって作成されている。その上で、同田堰がワープロを打ち、本人らが内容を確認したのである。

(八重子平3・9・13付法廷証言19丁裏2行目から20丁表2行目まで)

(ハツ江平3・1・29付法廷証言14丁裏6行目から15丁裏7行目まで)

(伊藤平4・12・4付法廷供述27丁表11行目から28丁表3行目まで、29丁6行目から30丁3行目まで)

2 八重子及びハツ江は、査察調査ですべての資料を押収されていたため、その記憶だけに基づいて上申書及び申述書を作成したものである。

そして、弁護士田堰は、八重子の上申書には正一が関係している事実が記述されていることから、慎重を期すために正一にもその内容を確認して貰っており、正一が記憶にないから削除願いたいと申し出た部分(飛島建設株一九万九〇〇〇株)について訂正した上、八重子が署名捺印している。

その内容が、それらの作成時における八重子及びハツ江の記憶に基づくものであったことは、公判廷において八重子及びハツ江が認めるところである。

(八重子平3・9・13付法廷証言20丁裏2行目から6行目まで)

三 内容

その内容は、資料がなく記憶に基づくものであるために、年月日や金額などに多少の誤りがあるものの、八重子及びハツ江が公判廷で証言している内容と事実関係において基本的に同一である。

(八重子平3・9・13付法廷証言20丁裏7行目から24丁裏12行目まで)

第二一 まとめ

以上第一ないし第二〇によれば、特に、被告人の父伊三郎及び母ふみの各名義で昭和六二年一月に購入され、同年三月に売却された飛島株の取引は、実質的に伊三郎及びふみの取引であり、その売却益も同人らに帰属したものと認められる。また、本件における各株の売却益が被告人に帰属することについて被告人に脱税の故意があったと断定するについては合理的な疑いを容れる余地があり、『疑わしきは被告人の利益に』の刑事裁判の鉄則は厳守されるべきである。

第二点 憲法違反等

第一 憲法三八条二項違反(ハツ江、八重子の各検面調書について)

一 憲法三八条二項の趣旨と原判決の有罪認定の証拠について

1 憲法三八条二項は、「強制、拷問若しくは脅迫による自白又は」不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることはできない。」として証拠能力を否定している。

そして、判例は「捜査官の偽計により被疑者が心理的強制を受け、その結果虚偽の自白が誘発されるおそれのある場合には、その自白は任意性に疑いがあるものとして証拠能力を否定すべきであり、このような自白を採用することは本条二項に違反する」としている(最大判昭45・11・25刑集二四-一二-一六七〇)。

2 ところで、憲法三八条二項でいう「自白」には、共犯者の自白を含むものと解される。なぜなら、自白偏重を防止する趣旨からいって、本人の自白と共犯者の自白とのあいだに差異はないからである(団藤「新刑事訴訟法綱要」二二三頁)。

そして、共犯者の自白を被告人の補強証拠とできるかの問題については、賛否両論あるが、最高裁判決は補強証拠として採用することは自由心証主義の範囲内の問題だとしながらも「・・・憲法三八条二項のごとき証拠能力を有しないものでない限り・・・」との条件を付している(最大判昭33・5・28判例時報一五〇号四二九〇頁)。

3 したがって、本件でいえば、被疑者として取調べを受けたハツ江、八重子の各検面調書に任意性が認められなければ、そもそも証拠能力が無いものとして、原判決は事実認定のために右証拠を採用することは許されないものである。にもかかわらず、原判決は、ハツ江、八重子の検面調書を重要な証拠として、同人らのみならずそれ以外の親族についてまで伊藤の借名取引を認定している(原判決5丁裏1行目から9丁表3行目)。この証拠採用は憲法三八条二項違反である。以下、ハツ江、八重子の検面調書に証拠能力がないことを述べる。

二 伊藤は検面調書でも公判廷でも一貫して犯罪事実を否認していることについて

1 伊藤は平成二年一〇月二三日に所得税法違反の嫌疑で逮捕されたのち、同年一一月一三日起訴され、引き続き勾留されたが平成四年三月五日に保釈された。

その間、逮捕されてから起訴されるまで二一日間にわたって、東京拘置所において、東京地検特捜部の検察官から連日長時間にわって厳しい取調べを受けた。

しかし、伊藤の検面調書における供述は、一貫して親族らからの借名取引を否定し、基本的に法廷で否認の供述をしたのと同じ供述をしていた。このことは、伊藤の検面調書を通覧すれば明らかである。

2 伊藤の検面調書と法廷供述との内容が一致することの意味について

マスコミを騒がす多くの事件を見るに、有名無名を問わず、社会的地位の如何を問わず、また、法的知識の如何を問わず、一旦、東京地検特捜部に逮捕された者が、本当は有罪であるにもかかわらず最後まで否認しとおすという例は寡聞にしてあまり知らない。

伊藤は、全く善良で真面目な市民であり、前科前歴もなく、税理士として依頼者などに対し過去に脱税指導などしたこともなく、また、伊藤が経営している会社が過去に脱税などの違反を犯していた事実もない。

従って、伊藤が、もし本当に借名取引をしていて脱税の事実があったのなら、二一日間にわたり特捜部検事の厳しい取調べに耐え得たはずがない。

伊藤が法廷でも一貫して供述しているとおり、伊藤や伊三郎には、真実、名義借り取引の事実はなく、本件飛島株等の取引は親族ら自身の取引であったからこそ、取調検事の圧力に耐えて真実を訴え通すことができたのである。

三 ハツ江の検面調書は証拠能力がないこと(ハツ江の平成2・11・9付、同日付、同12付、同14付、同日付、同15付、同日付、同日付の各検面調書について)

ハツ江の各検面調書は証拠能力がなくこれを証拠として採用することは憲法三八条二項に違反する。

1 原判決によるハツ江の検面調書八通の取扱いについて

原判決は、7丁裏から9丁表にかけてハツ江の検面調書を引用して事実を認定している。ハツ江の検面調書は八通あるが、これらはいずれも同女が被疑者として逮捕勾留されている間(平成二年一一月一日逮捕、同月一五日釈放)に作成されたものである。

そこで、それらの検面調書はいずれも証拠能力がないことに以下に述べる。

2 ハツ江の記憶や認識

(1) 一貫して名義貸しを否定していたこと

後述するとおり、ハツ江は勾留中極度に体調が悪かったが、それにもかかわらず、取調べにおける検察官とのやりとりでは、一貫して名義貸しをを否定していた。『(逮捕後の取調べで)・・・私は事実をちゃんと説明しました。・・・』(ハツ江平4・1・29付法廷証言45丁裏、46丁表等)と証言しているとおりである。

(2) ハツ江の基本的な記憶や認識

勾留理由開示手続調書(弁一四七)や申述書(弁七二)、大学ノート(弁一二二)、及び、同女の公判廷における証人調書等に記載されたとおりである。

ハツ江は、平成二年一一月八日の勾留理由開示の裁判手続に出頭した際、後日、第一審公判廷で証言したことと基本的に同一の意見を述べており、また、それ以前の平成二年一月に国税局に対して申述書を作成して提出しているがその内容も同様である。更に、ハツ江は、それ以前の平成元年一二月一五日に査察があったのちの正月前後の頃、自分の記憶を喚起するために大学ノートに一連の事実を記載しているが、その内容も第一審公判廷証言と基本的に同じ内容である。

これらの意見陳述や書面の内容は、ハツ江が自由意思に基づいて述べたり書いたりしたものであり、例えば、伊藤がハツ江のために作成したメモ(甲一一四)などとも違った事実の記載もある(ハツ江平3・12・20付法廷証言19丁裏以下)ことからみて、真実、ハツ江がそのとおりに記憶認識していたことは明らかである。それらは、細かい記憶違いなどは別として、いずれもハツ江の第一審公判廷証言と基本的に同一の内容である。

(3) ハツ江の法廷における証言は具体的であり、喋った内容が首尾一貫しており詳細でもある。また、検察官の主尋問や裁判所の補充尋問に対しても、首尾一貫してはきはきと証言している。その陳述内容も検面調書と異なって自然であり説得力があったことは、その証言調書からも明らかである。

3 ハツ江の勾留理由開示手続時の状況、及び、そこでの意見陳述内容について

(1) ハツ江は、平成二年一一月八日、東京地方裁判所における勾留理由開示手続のため、東京拘置所から押送されてきた。その法廷で、ハツ江は二人の女性拘置所職員に両側から脇を支えられて入廷したが、単独で歩行することができず、手を放すとフワッと後方へ倒れるような状態であった。

出廷したハツ江は、体は衰弱を極めていたが、そこでの供述は第一審公判廷における同女の証言と同様の内容であった。これは、実施に自分が体験したことによる記憶だからこそできたことであったと言わなければならない。

当日の状況は、左記に引用するハツ江の第一審公判廷証言のとおりである。

(ハツ江平4・1・29法廷証言44丁表以降)

(弁護人問)一一月八日に勾留理由開示の手続きでこの裁判所に来たことがありましたね。

(答) はい

(弁護人問)その日は非常に辛かったということですが、その前の日もやっぱり辛かったですか、体が。

(答) はい、そうです。

(弁護人問)ここの裁判所に来ることについて、松井検事さんから何か言われたことがありますか。

(答) はい、裁判所に行きますとテレビ局とか、新聞社とか、家族の人達が皆傍聴に来てますからっていう話がありました、前の日に。だけれども、私はとにかく自分の・・・名義貸しましたということで大分気になっていましたので、ですからどうしてもその名義貸しと、お金を貸しましたということは、やっぱりここまで来ないと裁判官に分かってもらえないので、何がなんでも行かなきゃという気持ちがありましたから、誰が裁判所に来ていようが、そこの意味だけは私は言わなければと思いましたから、検事さんが言ってくれても私は耳にしませんでした。

(弁護人問)きちんと自分の考えを言われたように、私共見受けたんですけれども、そのときは気分はどうだったんですか。

(答) そのときはこちらの看守の方に手を貸してもらってここまで来て、そして名義貸しはしていない、お金は私のお金です。貸しました、ということだけを言って、あとは私も何を言ったか覚えがないんです。

(弁護人問)具合はよくなかった、そう喋っていながら。

(答) はい、そうです。

(2) 勾留理由開示手続きにおけるハツ江の意見陳述(弁七一号証)

ハツ江が右勾留理由開示裁判所手続きに出頭した際に述べた意見陳述は左記のとおりであった。

この度の事件で、伊藤信幸が脱税したとも思っていませんし、私が名義を貸して助けたとも思っていません。

株の売買については、私はよく分からないので伊藤信幸に一任しましたが、株の儲けは私の口座にちゃんと送金されたいますから、その所得は、私のものと思っています。その金を伊藤に貸したことについても借用書を貰っています。

このことについては取調べでも話しましたが、もし、これと違う調書が作成されていたとしたら、それは私の真意と違います。

今、私が述べたことが真実です。

(3) ハツ江が、右のような意見陳述を公開法廷で行いながら、他方で、翌日の一一月九日から釈放日の一一月一五日までの間に、突然正反対の検面調書八通が作成されたことは全く不合理である。これは、取調検事が、ハツ江の心身の状態が極度に悪化している状況に乗じて、自ら創作した調書にサインだけさせたものと判断せざるを得ない所以である。

特に、ハツ江が、高血圧症、自律神経失調症等の病気の状態で、その意見・事実認識・態度等を変更すべき合理的事情が存在しない以上、ハツ江の右意見陳述の内容は軽視できないことである。勾留理由開示手続での公開法廷における裁判官面前調書の記載内容を度外視して、密室で作成された検面調書八通の証拠能力を認めることは出来ないものと思料する。

4 検面調書と矛盾する、大学ノート(甲一二二号証)、国税局に対する申述書(弁七二号証)等の存在とその内容について

(1) ハツ江の第一審法廷証言は、ハツ江自身が、平成元年一二月一五日の国税局の査察の直後頃作成していた大学ノートや平成二年一月一〇日に作成した国税局宛の申述書等と、その内容が基本的に完全に合致している。

(2) 右大学ノートは、ハツ江の第一審法廷証言の公判の検察側から突然提出されたものであり、ハツ江自身はそのノートのことを忘れていたのであるが、もしこの大学ノートが架空の事実を記載していたものであるとしたならば、第一審法廷で同じ内容の証言が、大学ノートの提出以前に出来る筈がないことは明らかである。

また、第一審法廷証言が架空の事実の証言であったとしたら、大学ノートの記載内容とあちこちで決定的な食い違いが生じているはずである。

(3) ハツ江が、国税局に真実を訴えるために、弁護人田堰良三に依頼して作成した申述書は、査察のあと何の資料もなしに、ハツ江自身の記憶のみに基づいて作成されたものである。しかるに、その内容は第一審法廷証言と基本的に合致しており、八通の検面調書とは内容を全く異にする。

5 ハツ江の勾留中の健康状態について

(1) ハツ江の健康状態に関する木村智一の証言

<1> ハツ江には元々高血圧症という持病があった。このことは、ハツ江の夫智一の法廷証言からも明らかである(智一平4・3・13法廷証言39丁裏以降)。また、自律神経失調症なる病気は、ハツ江はこれが初めての経験であった。

さらに釈放後のハツ江が、不眠、吐き気、食欲不振、眩暈、体がだるい、歩行も暫くはつかまり歩きをする状態だったこと等の病状だったことについては、智一の法廷証言から明らかである。(智一平4・3・13法廷証言41丁裏以降)

<2> ちなみに、ハツ江が第一審の法廷証言中に血圧が上って証人尋問が中断したことがあるが、このことからも同女の持病の程度が分かる。

即ち、平成三年一二月二〇日の法廷で、ハツ江は証言中に生欠伸を繰り返し始め、傍から見ていても、明らかに尋問を継続することは無理と思われた。そのため、証言の途中であったが、直ちに休憩を頂き約一時間休んだ後、裁判所の診療室で診断を受けたところ、血圧が一七〇ほど迄上昇していた。ゆえに、法廷で気分が悪くなったその時点ではもっと血圧が高かったものと推認される。

(2) 勾留中、ハツ江の健康状態が極度に悪かったこと

ハツ江は勾留中、体調が非常に悪く健康状態は取調べに耐えうる状況ではなかった。ハツ江はもともと高血圧の持病があったことは右のとおりであるが、平成二年一一月八日の勾留理由開示手続では法廷への出入りは単独歩行が出来ず、拘置所の二人の女性職員に両脇を抱えられて歩行する状態だった(智一平4・3・13付法廷証言36丁裏)。

拘置所においても、ことに右勾留理由開示頃から極度に体調が悪くなって『頭が重苦しくて胸がむかむか』する(ハツ江平4・1・29付法廷証言43丁裏)し、吐き気、食欲不振、めまい、動悸、倦怠感などの症状があり(同41丁表以降)、そのため、ハツ江は取調べ中にはお題目を唱えるなどして我慢しているのがやっとの状態だった(同66丁裏)。そのため、拘置所内においては投薬も受けていたが、症状はあまり変わり映えしない状態だった(ハツ江平4・1・29付法廷証言42丁表、裏)。

以下詳細に述べる。

(3) 「捜査関係事項照会書について(回答)」(控訴審、検察官証拠等関係カード番号3)について

<1> ハツ江が、勾留中、心身の状態が極めて悪化していたため投薬を受けていたことは、検察官の照会に対する東京拘置所長の平成七年五月二四日付「捜査関係事項照会について(回答)」(以下「捜査照会回答」という)に明らかなとおりであり、要旨は左記のとおりである。

「病名は高血圧及び不眠であり、次のとおり投薬した。」

高血圧については、平成二年一一月二日(入所翌日)の健康診断の結果、血圧が一八〇-九八と高血圧を示したため、アデラート(降圧剤)一錠を一日二回、セルシン(安定剤)二mgを一日三回投与した。

不眠については、同年一一月九日の診察時に不眠の訴えがあり、ベルザリン(眠剤)一〇mgを一日一回追加投与して経過観察した。

その結果、血圧が一三二-七四と良好になった。

入所後、降圧剤、安定剤及び眠剤の投与を継続することにより、全身状態は安定した状態で推移した。

<2> 捜査照会回答には、「継続して」投薬がなされたと記載されているが、これは、ハツ江が勾留中ずっと心身の容体が悪かったことを示している。特に、右「不眠の訴え」と、最初の「自白調書」の作成日付が同一日であることにご注意願いたい。

<3> 捜査照会回答の末尾には、入所後降圧剤、安定剤、眠剤の投与を継続することにより、全身状態は安定した状態で推移した、とあるが、これは普通の状態まで回復したことを意味するのではく、改善されたとしても次に述べる弁七〇号証の状態まで改善されたというにすぎず、むしろ改善以前のハツ江の状態が如何に悪かったかを示しているものである。

(4) 弁七〇号証(診断書)について

<1> 弁七〇号証(診断書)は、ハツ江が、同年一一月一五日に釈放された翌一六日に川崎医療生活共同組合、大師病院の医師仁木義雄の診察を受けた際の診断書であるが、それによると当時のハツ江の健康状態は、高血圧症や自律神経失調症と診断され、吐気、食欲不振、不眠、眩暈、動悸、全身倦怠感等を訴え、通院加療を要する状態であった。

しかし、常識としても、医学的に見ても、釈放の前に安定していた状態が、釈放された翌日、突然、右のように悪化することは考えられない。

<2> したがって、真実は、勾留中も継続して一一月一六日と同程度かむしろそれよりも劣悪な症状であったことが推認される。

加えて、捜査照会回答上、診察したことが明記されているのは一一月二日と同月九日の二回だけである。よって、本当に適切な病気治療が行われたか、無理な調書作成が行われなかったかについては極めて強い疑問がある。

(5) 医師仁木義雄作成の回答書(控訴審、弁護人証拠等請求カード番号1。以下、「回答書」という)について

<1> 回答書は、弁護人が仁木医師に対して、捜査照会回答及び診断書(弁七〇号証)に基づき、勾留当時のハツ江の健康状態について種々質問したことに対する同医師からの回答書であるが、それによると略左記のとおりである。

「弁七〇号証の症状は、同年一一月一六日から治療を初めて、同月二四日に至ってやや改善をみている。よって、右診断書記載の症状は勾留中より継続して存在していたと考えられる。同年一一月九日、同月一二日、同月一四日、同月一五日時点で心身状態が安定した状態で推移したとは考えられない。

また、同年一一月一六日の受診時には、勾留中の心身の疲労がつよく、全身倦怠感、食思不振、不眠はその後も継続し、一一月二二日より点滴によりようやく改善の傾向を示していた状況であった。

高血圧は強い緊張、不安等によるものと思われ、不眠の訴えもこのためと思われる。過度の緊張、不安及び睡眠不足があれば、心身の状態は不安定なものとなり、記憶喚起等については不十分なものと思われる。」

<2> 右の次第で、勾留中のハツ江の病気の症状は、捜査照会回答の内容からは判然としないが、回答書及び弁七〇号証(診断書)からみて、取調べに耐えられないほど劣悪な状態であったことは明らかである。

6 ハツ江が検面調書に署名した経緯(取調検事の偽計による自白)について

(1) 取調検事のハツ江に対する態度・検面調書の作成状況

取調べや検面調書作成の様子は、『(取調検事はハツ江に対して)それこそ体はどうですかって気遣ってくれましたし、私の母と同じ歳でとても他人ごととは思えないと、優しくいろいろやってくれました。・・・(取調べの時間は)あまり長くなかった。検事さんは、私の体を気遣って、ハツ江さん、大変なようだから、ハツ江さんのいうことを聞いていると時間もないし、事が運ばないので、言ったとおりのことを書いて来ましたからっていうのがずうっと続きました。そして書いたのを読み上げてくれて、そしてじゃここにサインして下さい。ということでした。・・・私は、事実をちゃんと説明しました。だからハツ江さんが言ったとおりに書いて来ましたからということでしたから、もう間違いなく私の言うとおりに書いて下さったと思っていました。』(ハツ江平4・1・29付法廷証言45丁裏、46丁表)という状況であり、また『・・・(調書を自分で読んだことは)ありませんでした。』(同45丁裏)、という状況だった。

(2) 取調検事の偽計による検面調書の作成

検察官提出の検面調書八通は、平成二年一一月九日から同月一五日の間に全て作成されている。

ハツ江は、勾留中の検面調書作成当時は、前述のとおり高血圧、不眠、自律神経失調症等のため、吐気、食思不振、不眠、眩暈、動悸、全身倦怠感等の強い諸症状に悩まされ(ハツ江平4・1・29法廷証言41丁表以降)、検面調書を読み聞かされるとき、取調検事の声は聞こえてくるけれども、ハツ江は苦しさのあまりお題目を唱えていた状態で、内容を理解できない状態であった。(ハツ江平4・1・29法廷証言66丁裏)

しかして、ハツ江の右の事情を総合すると、右の取調べや検面調書の作成状況は、ハツ江の健康状態が前述のとおり極端に悪かったこと、取調検事の優しい言葉によりハツ江が取調検事をすっかり信頼していた様子が見られることなどからみて、取調検事が、ハツ江の心身の状態が悪く理解力も皆無に近い状態に乗じて、ハツ江が供述した内容と全く異なる調書を予め作成し、これをあたかもハツ江の供述どおりに作成したかのごとく誤信させた上、これらの検面調書に署名させたものであるといわざるをえない。これは捜査官の偽計によりハツ江が自由意思を無くした状態で虚偽の自白調書が創作されたものと言うべく、任意性がないものとして証拠能力が否定されるべきことは明らかである。

(3) 特に重要なことは、八通の検面調書のうち、肝心の飛島株の購入の経緯が記載されている調書は、釈放前日たる一一月一四日付の二通に至って初めて登場していることである。

このことは、伊藤が逮捕勾留された平成二年一〇月二三日以降、又、ハツ江も逮捕勾留された同年一一月一日以降一一月一三日までの二〇日間は、結局、取調検事の気に入るハツ江の供述が得られなかったこと、並びに、勾留期限があと一日に迫ったので、検察官は、ハツ江の実際の供述などには構っていられなくなったこともあり、ハツ江の心身が極度に悪い状況を奇貨として、これに乗じて、自ら虚実とりまぜて創作した調書に署名させたものであると断定せざると得ないものである。

すなわち、ハツ江の平成二年一一月一四日付の検面調書二通は、本文だけでもそれぞれ二八丁と二七丁の分厚い調書である。このような長い調書が、一日の内に、病気のハツ江を尋問しながら、ハツ江の居る前で作成され得ることは考えられない。仮に数日をかけて作成されていたとしても、ハツ江が、前記のごとき病状下で、本文二八丁と二七丁の大部の調書を、正常に理解し、納得し、判断したうえ、署名・指印したと認めることはできず、結局、これらの調書は検察官の創作によって作成されたものと断言せざるをえない。

(4) 以上の点に関して、原判決は、『ハツ江は、平成二年一一月一五日付検察官調書(甲一四三)において、調書については中身をよく聞き、納得してから署名するよう弁護士に言われており、検察官調書に署名したのは、その内容が納得できるからであると供述していることにかんがみると、ハツ江の右各検察官調書は、所論にもかかわらず、取調べに耐えられないほど悪化した健康状態のもとで検察官に迎合して作成されたものとは認められない。』(原判決8丁裏6行目から11行)と述べている。

<1> しかし、右原判決の論旨は全く納得できず理由になっていない。なぜなら、検面調書に記載されている「・・・調書については中身をよく聞き、納得してから署名するよう弁護士に言われており、検察官調書に署名したのは、その内容が納得できるからであると供述していること・・・云々」という文言自体も含めて、弁護人らは、ハツ江の検面調書の作成そのものが、ハツ江の心身が最悪の状態下で取調検事の偽計、創作によってなされたと主張しているのであり、且つ、逮捕勾留中のハツ江の健康状態が極度に悪かったことを証明する診断書等客観的な証拠も存在しており、また、次に述べるとおりハツ江の公判廷の証言が信用できる状況も在るのであるから、検面調書の記載自体から検面調書の任意性や内容の真実性を認めることはできないはずである。

当の検面調書以外の、ハツ江の法廷証言や他の証拠によって、検面調書の作成がハツ江の任意の供述に基づいて作成されたという説明がなされなければ論理的にも経験則にも、その検面調書の任意性が認められることはあり得ないといわなければならない。また、取調検事が、将来、任意性や内容の真実性などが争いになりそうな検面調書を作成する際に、原判決が指摘するような記載部分を虚実とりまぜて創作することはむしろ当然と言わなければならない。よって、原判決の論旨は不合理であり、何人といえども到底納得できる説明ではないといわなければならない。

<2> また、右の点についてハツ江は公判廷の証言で左のとおり証言している。

(ハツ江平3・11・29付法廷証言66丁裏以降)

(検察官問)(検面調書の作成時の状況について)声が聞こえてくるけれども、内容が分からないというのは、どういう状態なんでしょうか。

(答) ですから、自分の体を気遣って、ああ、おなかが痛い、それであんまりつらい時はお題目をあげてましたから。だから、もう検事さんは私の言うとおりに書いてきましたよと何度も言ってくれましたので、私は、ですから、弁護士さんの事務所でそれを見た時に、本当にこの内容のことを読んでくれたのかなあということが、まず私は信じられませんでした。検事さんが読んでくれたんですね。だから、それを分かってサインしたんでしょうと検事さんはおっしゃるんでしょう。だけれども、私はその時は検事さんがハツ江さんの言うとおりを書いてきましたからね、と言ってくれましたから、聞こうと思っても、自分の体をわずらって、だからそこらへんは私はよく内容が分からなかったけれども、検事さんが言ってくれたのを信用して、じゃサインしてと言われて、もう何のこだわりもなくサインして拇印を押したという記憶があるんです。

(検察官問)調書に署名する際の心構えを、弁護人のほうから教えてもらっていたようなことはなかったんですか。

(答) ですから、前に、調書に判をする時は、よくその内容を、って言われていたんですけれども、その時はとてもとても自分の体だけをあれして、考えられなかったんですね。

右証言は具体的であり自然である。虚偽の証言をしていることを窺わせる部分は皆無である。弁護士からの注意などについてもありのままを証言している。

したがって、このような証言やこれを裏付ける前述した診断書等もあるのに、これを無視して、単純に「調書については中身をよく聞き、納得してから署名するよう弁護士に言われており、検察官調書に署名したのは、その内容が納得できるからであると供述していることにかんがみると、・・・云々」などと、形式的なつじつまを合わせた原判決の証拠の取捨選択や事実認定は到底経験則に合致しているとは認められないというべきである。

7 ハツ江の法廷証言が信用できることについて

(1) 全体的にみて、検面調書に比してハツ江の法廷証言は、宣誓の上、公開法廷で交互尋問の方法により行われ、その証人調書は、捜査主体たる検察官が密室で作成する検面調書とは作成方法が違い、信用性の状況的保証に格段の差異が存在する。

検察官は法廷において、多項目、長時間にわたる主尋問、、再主尋問を行った。

また、法廷証言は、検察側の主尋問、弁護側の反対尋問、検察側の再主尋問、裁判所の補充尋問等、尋問や証言はあらゆる角度・視点からなされている。そして、それにもかかわらず証言内容は一貫している。これは、ハツ江の証言が、真実、ハツ江が経験したことから得た記憶に基づいているのでなければ、到底ありえないことである。

(2) 証言内容の理路整然性、供述態度の真摯性

ハツ江の検察官の主尋問に対する法廷証言は、高齢で且つ四、五年も以前の事実であるにもかかわらず、その具体的内容において理路整然としており、その供述態度において真摯な姿勢が認められた。

もちろん、ハツ江は検察官のみならず弁護人や裁判所からの質問に対しても、真摯な態度で、知るかぎり、思い出すかぎりの事実を証言していたことは、その証言態度・内容から明らかである。

検察官は、ハツ江が知らない間に録音された、被告人とハツ江間の会話の録音テープを尋問直前に検察庁でハツ江に聞かせたうえ、法廷においてこのテープの内容等について尋問したり、ハツ江が作成していたがそのことを本人が忘れていた大学ノートを突然提出して尋問したりした。しかし、ハツ江は、それらに対しても思い出して筋道の通った説明をした。ハツ江が真実を証言していることは、それらに関連する証言態度や証言内容からも明らかである。また、ハツ江の証言は、多岐且つ長時間にわたったにもかかわらず、終始一貫して自然な事実であり整然としている。

(3) 以上の次第で、ハツ江の法廷における証言の内容は、検面調書の内容と異なった真実を語っていることが明らかである。

逆に、八通の検面調書は、いずれもハツ江の心身劣悪状態において、検察官によって虚実とりまぜて創作されたものであり、且つ、文章そのものはハツ江自身の供述に基づいているのではなく、ハツ江の真実の記憶・表現・叙述の殆ど全てを無視して、取調検事が想像と創作によって作成し、検面調書にまとめ上げたものであることは明らかである。

四 原判決引用の検面調書は信用できず、ハツ江の公判廷の証言が信用できること

原判決が引用する検面調書に対応するハツ江の証言を指摘して比較し、その公判廷の証言の方が検面調書よりも信用できることについて、以下論述する。

1 伊藤がハツ江に飛島株購入を勧めた事実について

(1) 原判決は「昭和六一年四月か五月ころ、信幸(被告人)が和代や子供たちを連れて私宅に来て、私の夫木村智一に『○○建設株が上がります。これは確実な情報です』と話したが、その株の取引を私に勧めたことはない。」(同判決7丁裏2行目から4行目)と引用して、伊藤がハツ江に飛島株購入を勧めたことがないと認定していることは明らかである。

(2) 右引用部分に対応する公判廷の証言は以下のとおりである。

なお、伊藤が妻和代や子供達を連れて川崎のハツ江宅を訪れたことは争いがない。

<1> 伊藤がハツ江に飛島株の購入を勧めた経緯について、検察官の主尋問に対して次のように証言している。

「昭和六一年四月頃、信幸さんが蛇の目ミシンの情報を提供してくれた人の話で、今度飛島建設株が値が上がるからどうですか、ということで話に見えました。」(ハツ江平3・11・29付法廷証言8丁裏)、「値上がり間違いないからお母さんも買いませんかということでした。」(ハツ江平3・11・29付法廷証言9丁裏)と、伊藤一家が来たときの伊藤の最初の提案について述べている。

<2> 次に、伊藤が勧めた相手はハツ江と智一のいずれだったのかとの検察官からの質問に対して「私に勧めに来たんです。」(ハツ江平3・11・29付法廷証言10丁裏)と明確に述べており、更に、「二〇万株以内なら非課税で大丈夫だからということで、それでお金のほう信幸さんが心配してあげたから(注・心配してくれるから、の誤記又は表現の誤り)、お母さん、じゃこんなに勧めてくれるんだったら頼んだら、ということを木村(注・ハツ江の夫智一のこと)が言ってくれたもんで。」(ハツ江平3・11・29付法廷証言11丁表)と、購入を決意するに至った直接の動機、切っ掛けについて具体的に述べている。

<3> また、最初、伊藤はハツ江に勧めたのか智一に勧めたのかとの検察官の再度の質問に対し「私に言ってきてくださったんです。ということは、信幸さんの兄弟とか、向こうの両親も買っておりましたので、それで向こうのお父さんが値上がり間違いないということだから向こうのお母さんにも勧めたらどうですか、ということだったんです。それで私に勧めてくださったんです。向こうのお父さんが川崎のお母さんにも勧めたらどうですか、ということでしたので。」(ハツ江平3・11・29付法廷証言14丁表)と、具体的にその背景まで加えて述べている。

(3) 弁護人の意見

<1> 右ハツ江の検察官の質問に対する一連の証言は、ごく自然であり、最初の質問に対しては、単に「私に勧めに来たんです。」と答えたのに、検察官がその証言では納得しなかったのか、再度同じ質問をしたため、ハツ江は、伊三郎がハツ江にも勧めるように言ってくれたから、伊藤が勧めに来たという経緯に立ち入って説明したものであり、その尋問と証言の流れは自然である。

<2> この伊三郎がハツ江にも勧めるように言ったことは、伊藤自身が供述や和代の証言等とも一致している。また、飛島株の情報が入ったすぐあと、伊三郎が伊藤やふみ、和代、光江らに対して、「一生に一度のチャンスだ。」だとして、みんなの老後のためにみんなで買おうと提案した一連の経緯の中で伊藤や和代が伊三郎からいわれたもので、このことは伊藤や和代も公判廷でそれぞれ証言しているところであり、親族みんなが興奮して飛島株を購入するに至った当時の状況の流れとしても自然であり、ハツ江の右証言が信用できることは明らかである。

<3> 要するに、前述のとおりハツ江の検面調書はいずれも検察官によって虚実とりまぜて創作されたものであるから当然のことではあるが、原判決の引用部分は具体性もなく信用できないことは明らかである。

なお、伊藤がハツ江ではなく智一に飛島株一九万九〇〇〇株の購入を勧めたということを認めるべき証拠は皆無である。

2 飛島株購入資金の借入について

(1) 原判決は「その後しばらくして、信幸は、『お母さん(ハツ江)の名前で飛島株を買うから名前を書いてくれ』と言って書類を出したので、信幸が私の名前で同株を買うのだろうと考え中身を良く見ずに署名して印鑑を押したが、自分が信幸から借金をすることになるなどとは思いもよらないことであり、同株が値下がりした場合にその損害を私が被らなければならなくなるという考えは毛頭なく、株が値上がりしたとしても私が儲かるというような感じは持っていなかった。」(同判決7丁裏4行目から10行目)という検面調書の記載を引用している。

(2) 右引用部分に対応するハツ江の公判廷の証言は左のとおりである。

<1>(ハツ江平3・11・29付法廷証言17丁表から18丁裏)

(検察官問)証人が飛島建設株の株取引をすることを被告人に承諾した後、被告人が何らかの書類を持って来て、証人がそれに署名押印したようなことはなかっったですか。

(答) ということは、私が株を買うときに借りたお金の借用証ですか。

(検察官問)そういうものに署名しているんですか。

(答) はい。

(同証言18丁表)

(検察官問)株は二回に分けて買いましたよね。

(答) はい、そうです。一〇万株と九万九〇〇〇株と。

(同証言19丁表)

(検察官問)ところで証人はこれらの書類に署名されたときに、内容を読みましたか。

(答) はい、信幸さんがよく説明して、お母さんこうですよ、ということで署名しました。

(検察官問)これは幾らのお金を借りる借用証なんだ、というようなことが十分分かりながら署名した、ということで間違いないですか。

(答) はい、そうです。・・・

(検察官問)持ってきて、確定日付が押してあるのを見て、初めてあなたは、ああ、こういうことをしたのかと分かったと、こういうことになるの。

(答) はい、そうです。

(検察官問)あなたはこれを署名したときに、確定日付が必要だと、自分で考えたわけではないんですか。

(答) ないです。

<2> ハツ江が、自ら借金をして飛島株取引をしているという認識でいたことは、次の証言から分かる。

(ハツ江平3・11・29付法廷証言18丁裏)

(弁護人問)飛島建設の株を買った後、株価は変動していたわけですけれども、株価にはあなた自身も注意していたんでしょうか。

(答) はい、新聞を見たり、、木村が盛んに情報持ってきてくれるのを気にしていました。

(3) 弁護人の意見

<1> ハツ江が飛島株購入資金を伊藤から借入する際の、金消契約書作成の経緯についての証言は、自然であり真実性に溢れている。

また、ハツ江が自分の株取引であることを自覚していた様子は、株価の変動について注意していたことを具体的に証言しており、これも何ら不自然なところはない。

右のごとく、ハツ江は検察官からの問に対しても弁護人の問に対しても、自然で具体的な証言をしていることから明らかなとおり、ハツ江の公判廷の証言は信用できることは間違いない。

<2> また、ハツ江が飛島株購入の決断をしたこと、購入原資を伊藤から借用して金消を作成したことなどの経緯の詳細は、前記第一点 第一 一一(22頁から24頁)、第五 三 2(3)(67頁から68頁)などに述べたとおりである。ハツ江の法廷証言は、伊藤の法廷供述のほか、和代、智一の各証言によっても明らかに裏付けられている(31頁から32頁)。

3 平成元年一一月の飛島株取引経過メモについて

(1) 原判決は「平成元年一一月ころ、信幸から売買報告書を預かった際、『お母さんも飛島建設株の取引経緯について税務署から事情を聞かれるかも知れないのでよく思い出してほしい』と言って、その経緯を記載したメモを渡してくれたが、その内容は私が同株取引に関係したこととは違っていた。」(同判決7丁裏10行目から8丁表3行目)と引用している。

(2) 右に対応するハツ江の公判廷の証言は以下のとおりである。

<1>(ハツ江平3・11・29付法廷証言42丁裏から43丁表)

(検察官問)今覚えていいる範囲で、どういう話が出たか話してください。

(答) これは概略ですよ、いつごろってもう大体三年四年も前のことでしたので、飛島建設の買いのあったころですね、それでその概略を最初に書きまして、お母さん、このころに株を買ったんですよ、ということ。それから・・・信幸さんから借りて買いましたということ、資金の面ではね、株を買った時には信幸さんが貸してくれて買ったということ

(検察官問)被告人は、何のためにこのようなメモを作って証人に渡したんだと思いましたか。

(答) ですから、大分前のことで、私がよく忘れっぽいことを知ってましたので、お母さんこうですねということで説明しながら書いてくれたんです、そのメモ用紙は。

(検察官問)被告人が株取引についてどこかから調べられているんだと、こういう話は出ませんか。

(答) そうです。証券会社のほうに調べが入っているので、もしお母さんのほうに来る可も知れませんからと言う事で、それで教えてくれたんです。

(検察官問)証券会社を調べているのは、どこだと思いました。

(答) ・・・税務署じゃないですか。

(検察官問)お母さんのほうにも調べに来るかもしれないから、じゃ、何のためにあなたはそのメモを渡されるわけですか。

(答) ですから、記憶が定かじゃないので、お母さんちゃんと覚えときなさいよ、ということでした。

(検察官問)調べられたらこういうことだったんだから、このとおりに話してくださいと、そういうことになるわけでしょう。

(答) はい、そうです。

(ハツ江平3・11・29付法廷証言47丁裏から48丁表)

(検察官問)こういうメモに書いてもらわなければ、当時あなたは自分でも分からなかったということがあるんじゃないですか。

(答) いいえ、そんなことはありません。信幸さんそんな心配してくれなくてもいいのにって、私は言ったように覚えています。これを書いてくれたときは。

(検察官問)そう言うのに、あえてまた被告人は書いたと、こうなるわけ。

(答) そうです。私の取引ですもの。私はそんな大事なことを忘れませんよ。でも、心配してくれるのはありがたい、と思った。別にそんな悪い解釈はしませんでした。

(検察官問)わざわざ書いてもらわなくたって、あなた、この程度のことは頭に入ってましたか。

(答) はい。

(3) 弁護の意見

ハツ江の右証言内容は、原判決が引用した検面調書の記載のうち、「その内容は私が同株取引に関係したこととは違っていた。」との部分を除いて、内容的には一致している。

そして、右の検察官の質問に対するハツ江の証言の流れをみれば同女が正直に答えていること、記憶もしっかりしていること、供述内容が自然であること等は明らかである。

また、ハツ江が自分の取引についてありのままを、ほぼしっかり記憶していたことは他の箇所の証言や大学ノートの記載等からも明らかである。

以上のことからみて、検面調書の右「その内容は私が同株取引に関係したこととは違っていた。」との記載は、取調べの時点でハツ江の右供述は、取調検事が工作しにくいために、一応は、ありのままを記載したうえで、最後にそのような文言を捏造することによって、全体としての検面調書の記載を伊藤を起訴できる体勢に創造したものと断定せざるを得ないのである。弁護人が「虚実とりまぜて」ハツ江の検面調書を「創作」したと繰り返し述べる所以である。

4 国税局の査察における質問てん末書について

(1) 原判決は「平成元年一二月一五日、国税局の人が私宅に捜索差押えに来て、その後国税局で株取引について追及されたが、信幸から渡されたメモの内容をしっかり覚えておらず、元々信幸が持ってきた書類に署名してやっただけで詳しい取引内容を知らなかったので、本当の記憶に基づいて話した」(同判決8丁表3行目から6行目)と引用している。

(2) 右引用部分に対応するハツ江の公判廷における証言は左のとおりである。

(ハツ江平3・11・29付法廷証言53丁表)

<1>(検察官問)この飛島建設株の取引については、どのように説明しましたか。

(答) これは私が頼んで買ってもらったものですと、そしてそのお金、そんなにないでしょうと言われて、ああ、これは信幸さんが貸してくれるということで、ライフで借りましたと、そしてその利益が一億円なにがしになって、それは私のもうけですって、ちゃんと申し上げました。

(検察官問)今のメモに書いてあるような内容を話したとこういうことですか。

(答) そうです、事実ですから話ました。

(検察官問)質問てん末書に署名しましたね。

(答) はい。

(検察官問)その内容覚えていますか。

(答) はい、最初私はそういうふうに何回も査察官の方に申し上げました、だけれども、査察官がそんなことないだろう、とにかく私の言うことは本当に信じてくれなかったんです。。ですからその都度返事してるのに、なぜ私の言ったことをこういうふうに信用してくれないのかなと思って、あんまり言われて、同じことを繰り返し引っくり返し言われて、ああこんなに言っても分かってもらえないなら仕方がないと思って、私はそのとき胸が痛くて、頭はぼうっとして、風邪気味で血圧は上がってましたし、ですからああもういい、そのときに係の方が、サインすれば早く帰れるんだからサインしなさいと言われて、だったら早くこの場から逃れたい、その気持ちが先でした、体がとても大変でしたから。それで帰って、一人になっていろいろ考えたときに、ああ大変なことを言ってしまったと、私は本当に一人で歩きながら考えて、家に帰りました。

<2>(ハツ江平3・11・29付法廷証言54丁表から裏)

(検察官問)質問てん末書の内容ですけれども、要するに、被告人に頼まれて株取引に名義を貸しました、こういう内容になっているでしょう。

(答) はい。それは全く事実と違います。

(検察官問)あるいは一億一〇〇〇万円の株式売買益は、私のものではありません、被告人のものです。こういう内容でしょう。

(答) そうです。

(検察官問)じゃ、どうしてこういう質問てん末書に署名したんですか。

(答) ですから再三査察官に言いました、私は。だけれども、そんなことはないでしょう、あなたがそんなお金で返せるわけないでしょう、何回も同じことを言っても、ああ、これだけ言っても信用てもらえないんなら仕方がない、早く帰りたい、もうこんな重大なことになるとは思いませんから、そのときは私が本当にああ、後でまた話し合えばいいということで、全くそのときはもうサインすれば帰っていいですよと言われて、そしてサインして帰ってきてしまったんです。それで一人になって考えたときに、ああ大変なことをしたと思いました。

(検察官問)取調官の言葉の意味が分からなかったなんてことは、なかったですか。

(答) ・・・は、ありませんでした。

(検察官問)じゃ、名義貸しという言葉の意味も分かってましたね。

(答) 名義貸しについては、もうその時点では頭の中ぼうっとして、私名前なんか貸してないのにと思ったんですけれども、名義貸しって、はっきりそこまで名義貸しましたね、と言われたら分かったんですけれども、気力がないと言えば、うそだそんなことはないと言われるかもしれないけれども、そのときはそう思ったんです。

(ハツ江平3・11・29付法廷証言55丁裏から56表)

(検察官問)名義貸しというのは名前を貸すことなんだと分かったのは、いつでしたか。

(答) 後です、一人になって考えたときです。

(検察官問)その日のうち。

(答) そうです。帰りに、それこそ一〇時過ぎだと思います、一人になって帰るときに、私、どういうことを聞かれたんだろうといろいろと思い出したときに、ああ名前なんか貸してないのにえらいことを言っちゃった、でも本当に重大なこととは思いませんでしたから(注・質問てん末書にサインした時の意味であることは明らかである)、そのとき(注・帰りに一人になったときの意味)に痛切に思いました。

<3>(ハツ江平3・12・20付法廷証言32丁裏)

(弁護人問)(事実と違う質問てん末書にサインしたため、伊藤に)どんな迷惑がかかると思ったんですか。

(答) 迷惑って、また私の言ったことに対して信幸さんがいろいろと、私は、ああ信幸さんがちゃんと説明してくれるからと思ってましたけれども、でも私がそうしたことに対して足を引っ張るようなことになってしまって申し訳ないな、というようなことも考えました。

(弁護人問)でも、あなたがその事実と違う質問てん末書にサインしたから、もしかして信幸さんは逮捕されるんじゃないかとか、そういうふうなことは当時考えましたか。

(答) 考えませんでした。

(弁護人問)じゃ、信幸さんがどっさり税金を取られるんじゃないかとか、そういうことは考えましたか。

(答) そこまでは考えませんでした。でも、ちゃんと書類もあることですし、分かってもらえると思いましたから、今日こんなふうになるということは更々思っておりませんでした。

(3) 弁護人の意見

<1> 右ハツ江の証言の流れをみれば、一見して、同女が真実正直に答えている様子が明白に認められるというべきである。検察官の質問でいえば、質問てん末書の作成過程や内容についてもあらゆる角度からの、また、別のことを聞かれたあとで再度前の質問を繰り返えされても、一貫した証言をしている。このことは、真実ハツ江が記憶していた事実をありのままに述べているからであることは経験則上明らかである。

<2> また、国税局の査察官の取調べ態度や状況、それに対して長時間取調べを受けた者の切羽詰まって、精神的に疲れ果ててもうどうでもいいという投げ遣りの心理、サインすればすぐ帰してやるとの査察官の言葉、査察取調べ中「名義貸し」という言葉について注意散漫であった様子、更に言えば査察官はハツ江の心労困憊の状況の中であえて「名義貸し」という刺激的な用語を用いることなく、作成完了した書面にただサインすればすぐ帰れることを繰り返し強調して抵抗するハツ江にサインする気持ちにさせた状況、そのあげく、あとで伊藤から説明してもらえばいいやと内心で自己妥協する心境等々が明白に現れており、実に自然で説得力がある。真実取調べを受けた者でないと到底供述できない供述である。

これらのことからみても、ハツ江の証言は真実を述べていることは明らかである。

よって、ハツ江の公判廷の証言は十分に信用できるものであり、原判決の引用する検面調書は不自然で抽象的であり信用できないことは明らかである。

五 ハツ江の検面調書、公判廷証言についての結論

(1) ハツ江の法廷証言は具体性があり、真実体験したうえの記憶に基づくのでなければ証言できない内容に満ちている。

しかるに、ハツ江の検面調書の内容は、ハツ江の法廷証言や勾留理由開示手続調書(弁一四七)や申述書(弁七二)、大学ノート(弁一二二)などの内容と全く異なっている。また右検面調書はいずれも勾留理由開示手続翌日の一一月九日以降の作成日付であり、前述のとおり同女の体調が最悪の中で作成されていること、しかも、検面調書の多くの部分は記載内容からみてハツ江の実際の供述が無くても取調検事が他の資料や想像により創作が可能であることなどが認められる。以上を総合すると、ハツ江の実際の記憶や実際の供述に基づいて作成されたものではなく、取調検事の偽計と創作に基づくものであることは明らかである。

(2) 以上の次第で、ハツ江の検面調書はいずれも証拠能力がないことは明らかである。よって、このような自白を証拠とすることは憲法三八条二項に違反するものというべきである。このことは最高裁判所の判例(最大判昭45・11・25刑集合二四-一二-一六七〇)も認めているところである。

(3) また、原判決が引用した検面調書とそれに対応するハツ江の公判廷における証言の比較検討をしていないこと、また、具体的な事情を述べて名義貸しを否定している他の親族らの証言を無視していること等、右検面調書にはその証拠評価についての幾多の疑問があるのに、これをなおざりにして右検面調書を根拠に伊藤の有罪事実を認定した原判決は、経験則に反する恣意的な証拠採用、証拠評価に基づく心証形成によって行われ、ひいては判決に影響を及ぼすべき著しく正義に反する重大な事実誤認が生じていることも明らかであるから、前記第一点で詳述したとおり、刑事訴訟法四一一条三号によっても破棄されなければならない。

六 八重子の検面調書は証拠能力がないこと(八重子の平成2・11・9付、同10付、同12付、同13付各検面調書について)

八重子の検面調書は証拠能力がなくこれを証拠として採用することは憲法三八条二項に違反する。

1 原判決による八重子の検面調書の取扱いについて

原判決は、5丁裏から7丁表にかけて、八重子の検面調書を引用して事実を認定している。八重子の検面調書は四通あるが、これらはいずれも同女が被疑者として逮捕勾留されている間(平成二年一一月一日逮捕、同月一五日釈放)に作成されたものである。

そこで、それらの検面調書はいずれも証拠能力がないことについて以下に述べる。

2 逮捕勾留されて八重子はどのように心境が変化したか

(1) 八重子が逮捕される以前の事実認識等

八重子自身が逮捕される以前の八重子の認識は『(株式購入資金は八重子のものであり、売却益も八重子のものということになると、買った飛島株一九万九〇〇〇株も八重子のものと)・・・逮捕される前は自分はそのようなつもりでおり、またそのように主張して参りました』(八重子平3・10・22付法廷証言7丁表)という状況であったので、八重子は、逮捕前の三ノ上検察官の取調べに対して『要するに共犯なんていう事実は私は全然認識がないということ、自分の覚えている限り説明・・・』し、検面調書は『一通か二通』作った記憶がある、ということであった(同25丁表、裏)。

(2) 八重子の逮捕勾留後の心境の変化

八重子は、逮捕勾留された後、取調検事の言う事実を認めようという気持に心境が変化したのであるが、その原因や過程は以下のとおりである。

<1>イ 八重子は同年一一月一日に逮捕されて、『・・・ほんとに驚きまして、それで、これまでどおり主張していたらほんとにあなたも逮捕(この「逮捕」の言葉は「勾留」の言い違いと思われる)、起訴されますよということを検察官から言われ・・・これは大変なことになったと思って、これは自分が知っていると思っていたこと以外に、やっぱり事実は違っていたのかなあと思うようになりました。』(同14丁表)という心境になってきた。

実際、名義貸しとされる女性の追加的な逮捕は稀なケースであるため、当時のマスコミ報道でも、八重子らの逮捕は異例のこととして扱われた。平凡善良な一主婦である八重子が心から驚き、恐れ、検察側に迎合しなければどんな目に合わされるかもしれないと言う気持ちになっても不思議ではない出来事である。

ロ 『・・・母や妹や弟の奥さん・和代さんとか、そのお母様の木村さんとか、五人を全部私が中心になって操ってるというようなことを言われて、本当にびっくりしました。そのように検察官側は理解しているのかと思って、大変驚きました。』(同16丁表)と、証言している。

このことは、取調検事が非常に強力な偽計を用いて八重子を脅したり、困惑させていたこと、八重子がその結果驚愕、恐怖して、取調検事に迎合するに至った一要因をなしていることを示している。

<2>イ 収益金について『・・・自分がそういうふうに(自分のものの意味)信じていたことは違っていたのか、それじゃ検事さんのいうとおりに考えなければいけないのかなと、そのときにもう自分の心理状態としては逮捕されてパニック状態にありましたから、ああそういうことですかと答えた記憶があります。』(八重子平3・9・13付法廷証言55丁表)、また『(買付資金を自分で出し、売買注文手続を自分で行い、儲けた金は自分で管理した新日鉄や三菱電機の株取引が)そういうのが、あなたの株取引ですよという説明を受けました(同58丁表)、『(本件のような飛島株で儲けたと言っても、これはあなたが儲けたというわけにはいかないということだったのかとの問いに)そうですね、そういうことでした。』(同58丁表)などと証言している。

このように、取調検事は、株取引の損益が誰に帰属するかの法律上の要件について、法律を知らない八重子の無知に乗じて誤導し、誤解を植えつけている。右検察官の八重子に対する説得の内容はまさに偽計そのものであり、八重子が真実の主張を諦め、検察官の言いなりに迎合するよう強要された所以であることは明らかである。

ロ 『(検面調書の作り方について、ほかに感じたことがあるかとの弁護人の問いに)検察官の見通しというかストーリというかそれがしっかりとあって、そこに私が言ったことは聞き入れられなくて、私の言ったことでも聞き入れられるということは、検事さんのストーリーに合うことは聞き入れられますけれども、その時は検察側の主張というのがしっかりあるんだなと、私ははっきりその時もう自分の主張はやめて、基本的に検察側に従っていこうということになりました。』(八重子平3・10・22付法廷証言25丁表、裏)と証言している。

これは、検察側が先入観に基づき予め組み立てたストーリーを、強引に八重子に押しつけることによって、検面調書を作成したことを示している。

<3> 一一月六日に面会にきた正一から『(主人は)新聞で全国版にも写真入りで報道されて、もう大変なことになってしまったと、自分の銀行生活もおしまいだとか、会社にも出られないし、子供たちも大変な思いをしていると、そういう話をまず最初に聞かされました』、『もう主人も涙を流しておりましたから、もうほんとうに大変なことになってしまったと、私も思いました。(主人に)大変申し訳ないと思っております』、『(主人に申し訳ないと思って)自分が信じていたことが違っていたんだということで、これからはきちんとじゃあ検察側の言うとおりにしようと思いました』(同24丁裏、25丁表)、主人正一の銀行員としての人生は『(妻の逮捕が)・・・報道されたということが非常にもう致命的という思いがいたします』(同25丁裏)と証言している。

こうして、八重子は、自分の逮捕が夫正一の銀行員としての人生にも致命傷になりかねない、また、子供達に対しても絶大な困惑を与えているという大きな心配を抱くに至ったことは明らかである。

そのため取調検事の言うとおりの調書を早く作成してもらって一日も早く釈放されることしか苦境から脱出する方法はないと考えて、『・・・検事さんのおっしゃるとおり基本的には従っていこうと』(同17丁表)考え、『弁護士も解任し』(同27丁表)、『(取調検事に)早く調書を作って下さいと、そして早く出して下さいということを頼みました。』(同21丁表~22丁裏)、という経過をたどって、八重子は、取調検事のいう通りの検面調書に署名するに至ったのである。

<4> 飛島株取引に関し、当時香港にいた夫正一にも連絡しなかった理由として、『自分の株取引ではないから』という八重子の心の動きが記載されている検面調書があるが、取調べ時に八重子がそのように言わなければ、こういう記載は出来ないんじゃないか、との趣旨の検察官の尋問に対して、「逮捕されてからその理由付けとかそういうことは、まるっきり今までとは違った、反対の側から書いていると思います。その(株取引)当時、そういう認識(注・名義貸し)があれば、私は、そんなところに加わって自分まで逮捕されるなんていうところまでいかなかったと思いますから。」とか、「調書を作るときには、私がそんなふうに(注・『自分の株取引ではないから夫に連絡しなかった』云々の意味)言ったことを書いてくれたわけではありませんから。検事さんが文を作りましたから。」と証言している。

また、検事の検面調書の文章の作り方で特に印象に残っていることがあるか、との弁護人の尋問に対し『私の今まで思っていたことは、私自身ももう主張することは無理だろうと思ったのであきらめたので、検事さんのおっしゃるとおりなんだろうということで、基本的に不満な点もそのまま、そういうことなんだろうということで作った記憶があります。』と証言している。

<5> 「私が逮捕されてしまい、ここまできたら弟のことをかばいきれないと思い本当のことを述べようと決心した。」(八重子平2・11・10付検面調書四項)との部分につき、八重子の公判廷の証言は「本当のことというのは、検事さんがおっしゃることが本当のことだったんだとそのときには思わざるを得なかったので、そういう文章になっていると思うんですが、そのときも私から本当のことを申し上げますというようなことでお話したことではありません。」(八重子平3・10・22付法廷証言49丁裏から50丁表)ということである。

3 結論

(1) 以上のとおり、八重子の検面調書はいずれも、検察側が作ったストーリーを検察官の巧みな偽計や強要により押しつけられて署名した検面調書であり、八重子は、その記載が自分の実際の経験に基づく記憶と一致しない部分が多々あることを認識しながらも、やむをえず署名せざるをえなかったものであることは明らかである。よって、それらの検面調書の記載は、いずれも任意性があるとは到底認められず、証拠能力を有しないものである。

(2) また、八重子が国税局に対して提出した上申書(弁三二)の記載は、基本的に、同女の第一審の法廷証言と内容的に一致している。そして、八重子は、右上申書の作成当時には、その時の記憶に基づいて作成したものであることを証言している。

このことからみても、八重子の法廷証言や上申書の方こそが任意にされたものであって、これに真向から反する同女の検面調書の内容が、単に証拠能力が認められないのみならず真実と相違していることも明らかである。

(3) 更に、八重子は、その夫正一と共に、実質的には検察官側の証人である。両名は、伊藤や母ふみや妹光江等も含めて伊藤家の者とは一線を画し、八重子が釈放された以来、八重子や正一が法廷で証言するまではもちろん、今日までいわば絶縁状態であった。八重子や正一は、検察官から事件についての話を禁止されていたことはもちろん『家族と連絡をとる時には事前事後に検事に報告するように』と警告を受けていた(八重子同27丁裏、28丁表)ので、真面目な二人は、まさに忠実に検察官の言いつけを守ってきた。もちろん、伊藤家の者達も、仮にも罪証湮滅などを疑われることを恐れて、八重子らと交渉することを避けてきた。

このような立場にいる八重子であるから、もし、八重子の検面調書の内容が、本当に八重子の記憶や認識に基づいて作成されていたのであれば、八重子はその記載どおり法廷でも証言したはずである。

八重子が、偽証罪の追及を受ける危険を冒して、検面調書四通の記載内容に相反する証言をしたのは、結局、法廷証言の内容が真実だからである。(なお、次に検討する正一の検面調書と法廷証言の関係についても全く同じことが言える。)

(5) 以上の次第で、原判決が証拠としている八重子の検面調書は、いずれも取調検事の偽計によって強力な強要を受け、自分や夫や家族を守るべく早期釈放を願って、共犯として虚偽の自白を誘発されたことは明らかであり、従ってその自白は任意性がなく証拠能力を否定されるべきであり、このような検面調書を証拠に採用した原判決の判断は、憲法三八条二項に反するものである。このことは、最高裁判所の判例も認めているところである(最大判昭45・11・25刑集二四-一二-一六七〇)。

七 八重子の検面調書に信用性がなく法廷証言に信用性があること

原判決が引用した八重子の検面調書の部分につき、公判廷ではどのように証言しているかを以下に分節して検討する。その結果、原判決が引用したそれぞれの供述部分は、証拠の取捨選択ならびにその評価を誤っており、結局、信用性のみならず任意性も認められない供述の引用であることが明らかである。

1 飛島株購入の動機について

(1) 原判決は「昭和六一年四月下旬ころ、弟(被告人)から電話で『第一証券池袋支店にお姉さん(八重子)の口座を作る』と言われたが、私は名前を貸すだけだと思ったので弟に手続を任せることにした。その後まもなく弟から電話で『お姉さんの口座で飛島株を一二万六〇〇〇株買ったから』と言われた。」(同判決5丁裏3行目から6行目)と引用している。

(2) 右部分に対応する八重子の第一審の公判廷の証言は、以下のとおりである。

<1> 第一証券池袋支店に八重子の口座が開設された経緯について、八重子は検察官の主尋問に対して次のように証言している。

「弟から電話があって、父から聞いたと思うけれども、確実な株の情報があると、お姉さんの株だから口座を開設すると、それについては住所を教えてくれないかという電話がありました。私は自分の株なら自分で池袋に行くけどってそこで答えた記憶があります」。すると伊藤は、「ついでがあるから僕がやっておくからいいよと言うんで、私は頼む形になりました」。飛島株購入の話は父からあったのに口座開設は伊藤から電話があった理由については、「父の体の調子の良くないこともあったりして、また野田の家に住んでましたから、・・・弟が代わってやってくれているものと思いました」ということであった。(以上、八重子平3・8・21付法廷証言8丁裏から9丁表)

<2> 八重子が飛島株を購入するに至った動機等につき、八重子は検察官の主尋問に対して以下のように証言している。

(何がきっかけで飛島株の買付けが行われるようになったのですか)との問いに対して、「私が野田の家に再三訪ねていっているときに、父から弟からの確実な情報があると、値上がり間違いなしの株であると、お前も老後のために株を買ってみたらどうだと、そういう話がありました。」(八重子平3・8・21付法廷証言2丁裏)

<3> (ライフの話は出ていましたか)との問いに対して、「ライフの話は出ていました。資金はどうするのかと父に聞きましたら、ライフという証券会社があって、そこでは五倍融資で借りられるということを聞きました。」(八重子平3・8・21付法廷証言3丁表)

<4> (損が出たとき、及び、その負担者)について、「父との話で、私が損することだってあるでしょうと言ったときに、値上がり間違いない、これは絶対大丈夫だって、大変強気というかそんな感じを受けました。」、「証券会社は二割まで下がると(注・二割下がると、の意味)自動的に株券を担保にしてあるんで売ってしまうんで、損しないように売ってしまえばいいというようなことを言ってたので、私は自分に負担が掛かってくるという考えはありませんでした。」(八重子平3・8・21付法廷証言4丁表)、(株取引で損が出れば、相続財産がそれだけ削られるという気持ちは)「当然ありました。」(八重子平3・8・21付法廷証言4丁表)

<5> (父の申し出に承知したのか)との問に対して、「・・・その後父から電話があって、お前も株取引やるなら印鑑持ってこないとだめだぞと言うので、急いで届けたような記憶があります。」(八重子平3・8・21付法廷証言5丁裏から6丁表)

<6> (印鑑を届けた当時、飛島株一九万九〇〇〇株全部の取引は誰の取引だと思っていたか)との問に対して、「届けた当時、ですから父が言ってくれたその分は、私のものになると思いました。」(八重子平3・8・21付法廷証言7丁表)

<7> (昭和六一年四月二八日約定で、飛島株一二万六〇〇〇株が買付けられているが、証人はこの事実をどのようにして知ったか。)との問に対して、「弟から電話で、資金のめどが付いたとか言っていました。一二万六〇〇〇株買ったとそういう連絡がありました。そして私はどうしてそんなにたくさんの金額なのと言いました。そうしたら弟は、一九万九〇〇〇株までならいいんだから資金のやくりりがついたんだからいいんだよこれで、というようなことを言ってたように記憶があります。で私は本当にそんなにたくさんの株大丈夫なのと弟に聞き返した記憶があります。そうしたら大丈夫なんだと、確実な情報なんだからとそこでは言っていたような気がします。(八重子平3・8・21付法廷証言9丁表から裏)

また、八重子の飛島株購入株数に関する同女の認識については、別のところで、「私の株取引としては説明をそのように(一九万九〇〇〇株)受けていないので、最初に弟から一二万六〇〇〇株と聞いたときに、ちょっと驚いたことをはっきり記憶しておりますから、その後に一九万九〇〇〇株になると聞いたときに、ああこれは大きい金額だけれども、確かに法律の範囲内であるからいいのかなと思って、そしてそのままいいんだろうということで信じてきました。」(八重子平3・10・22付法廷証言8丁表、裏)

(3) 弁護人の意見

<1> 右<1>の記載から明らかなとおり、原判決が引用する「弟(被告人)から電話で『第一証券池袋支店にお姉さん(八重子)の口座を作る』と言われたが、私は名前を貸すだけだと思ったので弟に手続を任せることにした。」との検面調書の記載は、明らかに公判廷の証言と真向から矛盾している。

そして、公判廷の八重子の他の証言を通覧すると、八重子が特に伊藤を弁護しようとする意識で供述をしているとは認められないこと、検面調書作成段階でどのように検察官の言うとおりに認めようと決心したかの説明は具体的であり説得力があること、更に、前述した八重子の検面調書の任意性が認められない事情等を勘案すると、原判決が引用した検面調書の記載は到底信用ができないことは明らかである。

<2> 右(2)<1>ないし<7>の八重子の各証言から明らかなとおり、八重子に飛島株購入をすすめたのは伊藤ではなく伊三郎であり、この時点で、八重子が伊藤に飛島株取引のために名義を貸したことを窺わせる事実は全く認められない。

<3> また、右に述べた八重子の証言の流れからみると、八重子は、当初は自分が何株を買うことになるのかについての認識は定かでなかったようであるが、飛島株一九万九〇〇〇株が購入されてからの認識は、自分が買ったものであるというものであったことは明らかであり、伊三郎が自分のために買ってくれたと言う認識はあっても、自分の名義を伊藤に貸したという認識があったことは全く認められない。

2 名義貸しの合意と購入原資の金消について

(1) 原判決は「同年五月上旬ころ、弟が私の家に来て、『飛島株をお姉さんの名前で買ったが、そのお金をライフから小林の名前で借りたので、小林とお姉さんとの貸借契約書を作る』などと言ってきた。私は小林とは面識がなく、弟が弟の取引として小林の名前でライフからお金を借り、私の名義で飛島株を買ったものと思っており、それで損をしても私が負担するようなことは起こらないものと思っていた。」(同判決5丁裏6行目から11行目)と引用している。

(2) 右部分に対応する八重子の公判廷の証言は、以下のとおりである。

<1> 八重子は右の検面調書の部分に関して公判廷において、「弟からは一切そのような説明は受けませんでしたから、そのときは私は、私が小林さんからお金を借りるという説明を受けましたから、そう思っていたんですけれども、要するに私、逮捕されてから、私の知らないところでそういうふうに(注・検事がいうとおりにの意味)なっていたんだろうということで、検事さんのおっしゃるとおりに認めて書きました。」(八重子平3・10・22付法廷証言37丁裏)と、証言している。

<2> 右に続いて、『弟が弟の取引として小林の名前でライフからお金を借り、私の名義で飛島株を買ったものと思っており、それで損をしても私が負担するようなことは起こらないものと思っていた。』との検面調書の文に関して、「これは完全に私が主張していたこととは違って、弟の取引だということだからそういうふうになるんだと、その場では(注・取調べの時の意味)それなりに自分でそのように解釈をいたしました。」(八重子平3・10・22付法廷証言38丁表)と証言し、さらに、『小林から七六〇〇万円余りも借りるという気持ちは全くなかった』との検面調書の記載に関しては「・・・私はそこまではっきり申し上げた記憶はありません。、取調べの過程でそういう文章が出来たんだろうと思います。」(八重子平3・10・22付法廷証言38丁表、裏)と証言している。

(3) 弁護人の意見

原判決が引用している八重子の検面調書の右の部分は、八重子自身も証言しているとおり、逮捕・勾留された以降、八重子が検察官のいうとおりに従っていこうと決意したために、検察官が創作作文したものであることは明らかである。

3 売買報告書の郵送について

(1) 原判決は、「第一証券から私宛に郵送された同株の売買報告書は、弟の要求により弟に郵送した。」(同判決5丁裏11行目から6丁表1行目)と引用している。

(2) 右部分に対応する八重子の公判廷の証言は、以下のとおりである。最初に購入した一二万六〇〇〇株とその後で購入した七万三〇〇〇株の双方について、売買報告書は第一証券から八重子宛に送られてきたあと、「弟からその後電話で、こちらでいろんなお金を借りているものだから、(利息などいろんな)計算をしなくちゃいけないんで、送り返してくれるようにという電話を受けました。」ので伊藤に郵送した。(八重子平3・8・21付法廷証言9丁裏から10丁表。同15丁裏)と証言している。

(3) 弁護人の意見

原判決は、あたかも八重子が単に名義を貸していたにすぎないので、売買報告書は自分には関係ないから伊藤の要求に従って伊藤に送ったかのごとき供述部分を引用している。しかし、事実、飛島株購入資金はライフから五倍融資で借りていたものであり、実際に利息等の計算をするうえで必要だったのである。その計算を伊藤がやったからといって伊藤がみんなから名義を借りていたことにならないことは自明の理である。

4 銀行預金口座開設の経緯について

(1) 原判決は「昭和六二年三月上旬ころ、弟から電話で右株を売却して代金を振り込むための私の銀行口座を教えてくれと言われたので、三菱銀行柏支店の我孫子出張所に自分の口座を作り、その口座番号を電話で弟に教えた。」(同判決6丁表1行目から4行目)と引用している。

(2) 右部分に対応ないし関連する八重子の公判廷の証言は、以下のとおりである。

「それ(売買益)はまとめて弟が後で全部入金してくれると思いましたので、そのこと(注・売却益につき伊三郎又は伊藤に尋ねたか否か)は私の方からは尋ねなかったように思います。」、「弟から電話がありまして、大分上がったんでそろそろ売ろうと思っていると、他の人も売るからということで、連絡がありました。」、「(売るに際し売却益送金に関して)私名義の口座があるかと、私は口座がないので口座を開くようにという指示がありました。」、「(口座を開いたのは)三菱銀行柏支店我孫子出張所です。」(以上いずれも、八重子平3・8・21付法廷証言20丁表、裏)

(3) 弁護人の意見

原判決は、いかにも八重子が伊藤に名義を貸しているため没主体的に、伊藤のいいなりに銀行口座を開いたかのごとき事実を摘示している。しかし、銀行口座を開設するに関しては、右(2)の証言のような背景があってのことであり、そこからは、八重子が飛島株の売却益は自分に帰属するものであることを自覚している様子がはっきりしているというべきである。

5 売却益の入金について

(1) 原判決は、「三月九日に七八七八万九八四〇円が、同月一一日に二九七万三〇二五円が私の口座に入金されたが、私は、同月九日、弟の指示で一五〇万円を払い戻して弟に渡し、同月一一日か一二日ころ、弟から電話で八〇〇〇万円をすぐコスモファイブに振り込むように言われた。コスモファイブは弟が経営する会社であり、右の金も弟のものなので、弟が自分の会社のために使うのだと思い、同月一二日に八〇〇〇万円を富士銀行王子支店のコスモファイブの口座に送金したが、その当時、右八〇〇〇万円を私が弟に貸した形にするなどという話は出ていなかった。」(同判決6丁表4行目から10行目)との検面調書の記載を引用している。

(2) 右部分に対応する八重子の公判廷の証言は、以下のとおりである。

<1> 「(伊藤から貸してくれという言葉が出たか?)私は出たように思います。というのは、三菱銀行の人が・・・預金してくれないかといわれたとき、このお金は弟の方へ貸付金として送らなきゃいけないんだという、そういうことがあったので、その場で三菱銀行の人にはこれは預けてはいけないんだという記憶が私の中にあるんです。」(八重子平3・8・21付法廷証言21丁裏)、「(返済条件についてその際話が出たか?)いいえ、その(弟からの借入申込の)電話のときには銀行に預金するよりは自分に貸し付けてくれれば銀行金利と同じようなのを払うと言っただけで、そういう返済条件とかそういう話は、電話でしたから出ませんでした。」(八重子平3・8・21付法廷証言22丁表)、「(三月一二日に八〇〇〇万円送金の経緯?)先程も申しましたように貸付金として送金しました。」「(送り先は)コスモファイブという会社名で富士銀行の王子支店だったように記憶しております。」(八重子平3・8・21付法廷証言23丁表)。

<2> 「(正一に)私は株の利益が出たときに主人に、・・・八〇〇〇万円も儲かって、というような話をしました。その後、弟が貸してくれと言うんで、今日、三菱銀行の人が来たんだけれども、これは弟が事業資金として使いたいから貸してくれって言うんで、送金したんだと、その後話しました。」(八重子平3・8・21付法廷証言24丁表)、「(振り込まれた金銭の所有者について)私はそのときほんとに単純に、最初は数千株かなと思っていたんだけれども、ほんとに単純にこんなに儲かって、やっぱり父と弟が私のために、父の財産が抵当に入っているから、もしかしたらこれは私のために買ってくれたのかと、ああそうだったのかと、単純にそのときに思ってしまいました。」(八重子平3・8・21付法廷証言24丁裏)、「弟のほうから利息を銀行金利で払うと、そして将来必ず返すと、そういう話がありました、必ず返すと。」(八重子平3・8・21付法廷証言27丁表)などと証言している。

(3) 弁護人の意見

右一連の八重子の公判廷での証言は、原判決が引用する検面調書の記載とは真向から反対である。しかし、証言の方は、いろいろな角度からの尋問にもかかわらず、全て納得のいく自然な内容である。

八重子は、飛島株購入の話が出た当初から、絶対に儲かる株であるとの伊三郎や伊藤の話を相当に信じていたこと、老後の蓄えにする目的があったこと、損したら伊三郎の遺産からの貰い分がそれだけ減ることを認識していたこと、損するとしてもせいぜい二割だから損しないように売ればいいという伊三郎の言葉を信じていたこと等からみて、真実の気持ちとして伊三郎の世話で自分が買うのだという気持ちが明確だったわけであり、伊三郎から勧誘を受けた当初は確定的な株数は曖昧ながら儲けを老後の蓄えにする程かなりの株数を買うとの認識があったことも明らかに認められるのである。そして前述したとおり、結局一九万九〇〇〇株が購入された以降は、伊三郎や伊藤にくどくどと確認はしていないものの、自分がこの全部を購入したものという認識はあったことは明らかである。

6 売却益の借用に関する金消について

(1) 原判決は「昭和六二年一一月終りか一二月上旬ころ、弟から、右八〇〇〇万円は私の金ということにして弟に貸し付けた形にしてもらう、そのために契約書を作ると言われ、その結果作ったのが同日付の金銭消費貸借契約書である。」(同判決6丁表10行目から6丁裏2行目)と引用している。

(2) 右部分に対応する八重子の公判廷の証言は、以下のとおりである。

<1> 右金消契約書を作成した時期については、「私の記憶では父の死後だったように記憶してます。」(八重子平3・8・21付法廷証言28丁裏)と証言しているものの、「・・・父がどんどん容体が悪くなっていく状態だったので、私自身が父に代わって病院に・・・丸山ワクチンをとりに行ったりとか、いろいろ慌ただしくしてましたので、その時にそういうようなこと(注・金消契約書のこと)を交わした記憶があったかないかはっきり覚えてないんで、むしろ、父が亡くなった後だったかなあという記憶。単なるそういう記憶です。」(八重子平3・8・21付法廷証言28丁裏から29丁表)と、記憶はあいまいである。

<2> また、金消契約書を作成したときの伊藤とのやりとりについては、検察官の主尋問に対して「弟がそれを持ってきて、姉さんに前、貸し付けてくれといって送ってもらった(貸付金についての)書類を作っていなかったから、というようなことを言っていたような気がします。」(八重子平3・8・21付法廷証言29丁表・裏)、また、契約書作成にあたっての注文はつけたかとの尋問に対しては、「きちんとやってくれるようにということは言ったと思います。」、更に、八重子は何のためにこんな契約書を作ると思ったかとの質問に対して、「弟が貸し付けてくれといったそのままになっていたので、ああ、きちんと書類として残しておかなきゃいけないんだろうということで、私も慌ただしくしていてうっかりしてしまったと思って、また、弟がきちんとしてくれるんだろうと思って作るんだろうとその時思いました。」(八重子平3・8・21付法廷証言31丁表)と証言している。

<3> 八重子から伊藤に返済を請求する気持ちはあったか、との質問に対し、「私はほんとにきちんとしてほしいという気持ちはあったんですけれども、父が亡くなる前に、弟がきちんとやってないとか・・・言っていたことがあって、それが父の病状に良くないと分かったんで、また、・・・お前貸したお金の金利をちゃんと払え、なんていうのは私の性分としてやりたくないことでして、嫌だなと思いながら、直接弟に請求したことはありません。そのかわり母(ふみ)に対しては非常に、何でこんなだらしないことをやってるのだろうかと、母と大げんかした覚えがあります。」(八重子平3・8・21付法廷証言33丁裏)と証言している。

(3) 弁護人の意見

<1> 八重子の右各証言は、検面調書に比べて供述が非常に具体的で自然でもあり、そこからは、原判決が引用している「・・・弟に貸し付けた形にしてもらう、そのために契約書を作ると言われ、・・・」たというような状況とは全く異なり、伊藤と八重子間の真意に基づく金消契約書が作成されたことが明瞭に認められる。

<2> また、金消契約書の作成時期については、八重子は父伊三郎の看病などの方に気をとられていた時期であることもあって、実際にはよく記憶していないことが明らかに認められる。

<3> いずれにしても、右金消契約書が作成された時期は、本件で国税や検察庁が調査に入る遙か以前であり、また、検察官や原判決などは、金消契約書の類はすべて脱税の擬装工作であるという前提に立っていることは明らかであるところ、もし、脱税対策として虚偽の金消契約書を作成するのなら、送金がなされた昭和六二年三月一二日に作成し、且つ、確定日付もその至近日で取っているはずである。このことと八重子の証言を併せて見れば、原判決の重大な事実誤認はますます明らかである。

7 残高確認書について

(1) 原判決は、「平成元年一一月一五日、弟が残高確認書というのを持ってきて、うちにも税務署の調査が入るかも知れないので、飛島株のことを思い出しておくように言い、私がよく覚えてないと言うと、『株の取引は、一人につき年間一銘柄二〇万株、取引回数が五〇回までなら税金がかからない。姉さんの名義での飛島株の取引は、お父さん(伊三郎)と小林がライフから借金して、それを自分が借りて買ったもので、その契約書もあり、公証役場で確定日付をとった。自分はお姉さんから頼まれて売買の手続をやっただけで、お姉さんは儲けた八〇〇〇万円を自分に貸してくれた』と言ったが、事実とは違う。」(同判決6丁裏2行目から9行目)と引用している。

(2) 右部分に対応する八重子の公判廷の証言は、以下のとおりである。

右に関連する八重子の公判廷の証言は八重子の平3・8・21付証人尋問調書39丁表から42丁表、及び、平3・9・13付証人尋問調書1丁表から7丁表にかけて記載されている。

それによると、右原判決引用部分の最後の文章「・・・事実と違う。」との部分を除いて、概略、同じ内容の証言をしている。

(3) 弁護人の意見

<1> 右原判決の引用部分のうち、最期の「・・・事実と違う。」との部分を除くと、法的にみても社会常識的にみても何ら違法性・不当性は認められず、何ら有罪を認定する根拠とは成りえないというべきである。

<2> 一介の主婦である八重子が約二年半前の本件飛島株取引に関連する複雑な資金繰りや、非課税条件等や貸借関係などの具体的な詳細を記憶していることの方が不思議であるといってよい。

ゆえに、伊藤が八重子に対しても税務署からの問い合わせがあるかもしれない状況が生じれば、事実を思い出しておくように助言して、税理士でもある伊藤が記憶している要点について再確認も兼ねて説明することも当然のことである。

ただ、本件では、原判決や検察官は、伊藤が八重子らから名義借りをして飛島株取引をしたものであるとの強い推測・思い入れに立っているから、伊藤の八重子らに対する右の説明や助言が、あたかも真実に反する口裏合わせの擬装工作であるとして牽強付会の事実認定をしているにすぎない。

<3> また、八重子の公判廷の証言のうち、(1)で指摘した部分を読むと、伊藤と八重子間の「残高確認書」をめぐるやりとりが、自然なものであり、到底偽証をしているとは認められないのである。

<4> 要するに、原判決の右引用は、八重子の当該供述部分(「事実とは違う」)がどのような経緯により、検察官が創作したかの検証をすることなく、無批判に引用したものである。

8 国税局の査察について

(1) 原判決は「平成元年一二月一五日、弟の脱税容疑で国税局の査察があり、私も国税局に呼ばれて係官から事情を聞かれ、弟から飛島株の取引が私の取引だと説明されていたし、近いうちに右株の売却益を札幌のマンションという形でくれると言われていたので、右株取引は私の取引であると説明したが、同株の購入資金の調達方法、証券会社への具体的注文等について殆ど答えられず、右株取引は弟のものであると認めざると得なかった。」(同判決6丁裏9行目から7丁表4行目)と引用している。

(2) 右部分に対応する八重子の公判廷の証言は、以下のとおりである。

<1> 国税局の査察において、八重子は係官から「資金が自分のものではなくて、金額がまず大きいしということで、資金もない主婦が借金をして株取引をすることは常識的にはおかしいと、それから貸付金についても利息が払われていないから、これはあなたのものではないと言われました。」(八重子平3・9・13付法廷証言15丁表)

<2> 取引の細かいところまで説明を求められたが、八重子のそれに対する答えは「・・・父と小林泰輔氏から借りて、そして私は購入したということですね、それで一九万九〇〇〇株を購入したと、そのように答えたと思います。」というものであり、取引内容についてあまり細かい答えができなかったのではないかとの質問に対しては「そうですね、細かいことは、金額の細かいところまでははっきりは答えられなかったと思います。」と答え、その年の一一月一五日に伊藤から渡されたいろいろな明細書とか覚えていなかったのかとの問に対しては、「先程もお話しましたように、私はもう株のことは終わったと自分では思っていたものですから、また税務署からそんな調べが入るなどということはないんだろうと、きちんとやってあることですからなんだろうという思いがありましたので、一応さっと目を通したのですが、きちんと覚えておかなかったんですね。ですから細かいことは答えられなかったと思います。」(以上、八重子平3・9・13付法廷証言15丁表から16丁表)と証言している。

<3> 査察日に作成された質問てん末書の内容や、それに署名したことについては「これは査察官からあなたの株取引とは言えないのではないですか、と言われたので、外から見たらそうなんでしょうかとそのように答えましたら、私の取引ではありませんという文章でまた署名をしてきたように思います。」(八重子平3・9・13付法廷証言16丁表)

(3) 弁護人の意見

<1> 原判決が検面調書を引用している部分のみによっても、そこから八重子名義の飛島株取引が伊藤に名義を貸していたものという認定はできないし、また、間接的にでもそうした認定の根拠には成りえないものというべきである。なぜなら、前述してきたように、本件では八重子は伊三郎や小林から借入れして飛島株を購入していること、そうした借入手続やライフとの交渉、株購入手続、売却益からライフに支払う金利の計算や支払い等は全て伊三郎及び伊藤に任せていたのであるから、八重子自身が細かいことを一々記憶していることの方がむしろ不自然といってよい状況だったものだからである。

しかし、ここまで検討してきた証言の流れから明らかなとおり、八重子が伊三郎や伊藤にそうした手続を任せたことは、伊三郎、伊藤らの相談に始まって親族らにも老後のためなどに儲けさせてやろうと勧誘するに至った経緯に鑑みればごく自然なのである。

<2> もし真実伊藤が八重子らの氏名を借りて脱税をしていたものであり、その擬装工作をしていたのなら、もっと徹底的に真実を記憶させていたはずである。伊藤も八重子も、自分達が違法な行為をしているという認識が全くなく、単に税務署からの問い合わせがあるかも知れないという程度の認識でいたから、伊藤も徹底して記憶を求めることがなく、八重子も伊藤から預かった書類をいい加減に目を通していたにすぎないことも明らかである。

よって、八重子が査察の際に、係官に対して細かいことの説明ができなかったことは、むしろ、彼らの潔白を意味していることは容易に認められるはずであるというべきである。

<3> 要するに、右原判決の引用は、経験則や条理に反して、恣意的に証拠の取捨選択を行ったものであるが、結局のところ、信用性も証拠能力もない共犯者の自白を恣意的に引用したと言わなければならない。

9 査察後のメモについて

(1) 原判決は「同月一六日ころ、夫正一と一緒に弟宅に行くと、母(ふみ)、妹(光江)が居て、国税局での事情聴取の内容をメモしており、後から来たハツ江も『信幸さんに申し訳ないことをした』と言って、国税局で弟に不利な供述をしたことを謝っていた」(同判決7丁表4行目から7行目)と引用しているが、これは、原判決が、査察後に親族が集まって口裏を併せるための打ち合わせをしたという事実を推定しているものであることは明らかである。

(2) 右部分に対応する八重子の公判廷の証言は、以下のとおりである。

「その日は、翌日とにかく私はもう突然の査察でびっくりしましたので、とにかく訪ねていくからという約束をして、翌日訪ねていきました。」、「その日国税の査察官から聞かれた質問事項をメモしておきました、で、私の答えたことを書いておきました。」、「(メモは)・・・弟からそういうふうにメモしておくようにと言われたのかもしれないですね。」、一二月一六日の親族らの集まりで弟は、「とにかくみんなに迷惑をかけて申し訳ないと謝っておりました。これは・・・みんなのものなんだからきちんと答えて・・・何と言っていたか・・・これは脱税ではないということを言っていたかと思います。はっきり覚えておりませんが。」、「(正一は)・・・会社でも同じようなケースがあって、これはもう国税の査察が入ったらきちんとそのまま認めてやったほうがいいというような発言をちょっと話していたような気がします。」。この正一の発言に対して伊藤は「これはきちんと皆の収入になっているし、利益が皆のところに入っているんだからそのケースとは違うし、もうきちんとしてあるからこのまま主張していきたいというようなことを話していた。(以上、八重子平3・9・13付法廷証言16丁裏から18丁表)

(3) 弁護人の意見

<1> 査察の翌日頃、親族が伊藤の家に集まったことは事実であるが、この集まりは、伊藤が親族らに対して査察を受けた事情を説明したり、親族らが伊藤や他の親族に対して査察を受けた状況を報告するためである。

親族らにとって査察調査を受けるなどということは、親族全体にとっての大事件であるから、親族らが集まったのは当然のことというべきである。

もちろん当日、伊藤と親族らのあいだで、名義借り取引を隠すというような口裏合わせなど一切行われていない。このことは、右八重子の公判廷の証言からも明らかであるし、他の親族の証言からも明らかである。

<2> 親族らが集まった当日のメモは、伊藤が、査察を受けたことについて、弁護士田堰良三(本件弁護人の一人)に報告・相談したため、田堰が伊藤に、親族らに査察官からどのようなことを尋ねられたかについて各自にメモを作成しておかせるよう指示していたので、伊藤から更に他の親族に依頼して作成されたものである。右の指示は、弁護士がこのようなケースの相談を受けた場合の当然の指示であり、これらメモは、親族ら間における口裏合わせなどの資料ではないのである。

そのことは弁護人らは第一審の弁論でも指摘していることなのであるが、それを調べもせずに、単純に検面調書を信じて、いかにも疑わしいことのように引用する原判決の判断は全く事実誤認といわなければならない。

10 『数千株』問題について

(1) 原判決は以上に関連して、八重子の第一審公判廷の証言のうち「伊三郎から飛島株を私のために買ってくれるような話はあったが、それは数千株位なら代金を負担してやってもいいという程度の話であり、一九万九〇〇〇株も買うとは思っていなかった。数千株を超える飛島株の取引は伊三郎と弟のものということになると思う」(同判決7丁表7行目から10行目)という部分を引用している。

(2) 右部分に対応する八重子の公判廷の証言は、以下のとおりである。

<1> 右原判決の引用は全く経験則や正義に反する恣意的なものである。原判決が引用している公判廷の証言は正確にいうと左のとおりである。

(検察官問)そうしますと、証人としては数千株の範囲ではお父さんに任せて、自分自身の株取引が行われると、このように考えておったわけですか。

(答) はい、はっきりじゃないですけれども、そのときそういうことかなと思いました。

(検察官問)そうしますと、それを超える分の取引、これについては誰の取引だと思ったんですか。

(答) 父とか弟のものかと、そういうことになると思います。只、そのときにどうなのかなという疑問のほうが強く、今から聞かれれば、そういうことが潜在意識の中にあったのかなということです。(八重子平3・8・21付法廷証言14丁裏から15丁表)

(3) 弁護人の意見

<1> 原判決の引用は、八重子が当初、未だ飛島株の購入されていない段階において伊三郎から、非課税枠やライフを通した資金繰り等を聞きながら、飛島株購入を勧められた時点での認識であることは、右証言の証言調書中に占める場所からも分かる。それにもかかわらず、八重子は数千株ということ自体「はっきりじゃないですけれども、そのときそういうことかなと思いました。」というのであり、原判決が引用しているように断定しているのではない。

また、数千株を超える部分は「父とか弟のものかと、そういうことになると思います。」というが、この表現や論法は、数千株という以上、それを超える部分は論理的に伊三郎や伊藤のものといわざるをえないとの証言にすぎない。真実、父や弟のものと顕在意識の中で信じていたのであれば、端的に、「数千株を超える部分は父と弟の物です」と答えるはずであり、また、そのような答え方をしても何ら不自然ではないのである。

しかし、八重子が伊三郎から飛島株購入を勧められた当初といえども真実そのように思っていたわけではないために「只、そのときにどうなのかなという疑問のほうが強くて、今から聞かれれば、そういうことが潜在意識の中にあったのかなということです。」などと、複雑な表現をしているのである。

なぜなら、まず、ここでいう「疑問のほうが強くて」というのは、伊三郎は一体何株自分に買ってくれるのだろう、という疑問が当初からあったことを示していることは明らかである。

次に「今から聞かれれば」というのは、逮捕勾留されて取調検事から散々脅しや偽計をかけられて、検察官のいうことの方を自分が信じていたことよりも信じようと心変わりをした、その後である現時点(証言の時点)のことを意味していることも明らかである。

さらに「そういうことが潜在意識の中にあったのかな」という意味は、潜在意識の中では自分の分は数千株だったのかなということ、すなわち、数千株を超える部分は伊三郎や伊藤のものということになるのかな、という単なる論理を意味していることは明らかである。なぜなら「潜在意識」などという観念を持ち出してまで、「数千株を超える部分は父や弟のもの」だという結論を導くということは顕在意識の中では、一九万九〇〇〇株はすべて自分のものだったという意識でいたことを意味するからである。

そして、八重子は、取調検事のマインドコントロールが抜けないままに、又、他の親族らとは絶縁状態のままに、検面調書と異なった証言をしたときに検察から偽証罪などとしてどんな処分を受けるかもしれないという恐怖と戦いながら、公判廷で真実義務を尽くすには、「潜在意識」と「顕在意識」を心の中で使い分けするしか方法がないというせっぱ詰まった心境で供述していることは明らかである。一九万九〇〇〇株が購入された時点以降自分のものと認識していたという真実を曲げることもできないため、八重子はそういう二律背反の中で、第一審公判廷では、「潜在意識」としては数千株、「顕在意識」としては一九万九〇〇〇株だったのであるから、本当に自分が認識していたのは、どちらも本当であるとも言えるという解釈のもとで、真実は一九万九〇〇〇株全部が自分の顕在意識たる気持ちとしては自分の取引と認識していたことを訴えたくて、あえて「潜在意識の中では数千株」と思っていたなどと、複雑極まる証言をしていることが認められる。

<2> また、検察官の論理的な質問の結果の答えであることも明らかである。すなわち、潜在意識の中とはいえ、数千株と認めた以上は、それを超える部分は伊三郎や伊藤のものと認めざるをえない、という心理による証言である。

八重子は、一九万九〇〇〇株を自分が購入したと認識していた旨の証言を至る箇所でしているにもかかわらず、原判決は、八重子が公判廷で述べた一部分のみを取り出して、八重子の飛島株取引数に関する認識が、当初から最後まで数千株であったかの如く認定しているものであり、到底合理的な証拠の取捨選択ならびにその評価とはいえない。

<3> しかし、八重子の証言の流れを見れば、前述したとおり、八重子は、数千株を超える部分が最後まで伊三郎、伊藤のものであったなどと認識していたわけではなく、一九万九〇〇〇株が購入された後は、それが自分の取引として購入されたものであるとの認識でいたことは明らかである。ただ、これも前述したところであるが、その最終的な確信は、売却益が自分の銀行口座に振り込まれたときだったというにすぎない。

<4> この『数千株問題』については、前記第一点 第五 三3にも、金消が偽装工作ではないとの視点から詳述したとおりである。

<5> 要するに、公判廷の証言内容を検討することなく、公判廷の証言の内のほんの一部分のみを取り出して、事実認定の根拠とする原判決のやり方は、経験則や条理に反して、証拠の取捨選択ならびにその証拠評価を誤っている。

つまるところ、いわゆる虚偽排除説に立脚しても、前記六の八重子の検面調書の作成経緯の違法性と右1ないし9に各引用された供述部分の虚偽性に照らせば、結局、証拠能力も信用性もない証拠による裁判ということになる。

第二 刑事訴訟法三二一条一項二号違反、憲法三一条違反(正一の検面調書について)

一 刑事訴訟法三二一条一項二号違反

1 刑事訴訟法三二一条一項二号は、『検面調書につき、その供述者が公判期日において、前の供述と相反するか若しくは実質的に異なった供述をしたときは、証拠とすることができる。但し、公判期日における供述よりも前の供述(検面調書)を信用すべき特別の情況の存するときに限る。』旨規定している。

2 本件、正一の検面調書は、弁護人らの特信情況が存在しないとの詳細な主張を無視して、正一が公判期日に前に作成された検面調書の供述と相反するか若しくは実質的に異なった供述をしたときに当たるとして、第一審において証拠とされ、原判決もこれをそのままと踏襲して、伊藤の有罪認定の証拠として使用されているものでる。

3 しかし、正一の検面調書には、後述するとおり供述に任意性が認められず、その他特信情況は認められない。のみならず虚偽排除の考え方からいっても、正一の検面調書の内容は他の客観的な証拠から認められる事実とは、重要部分で異なっているのであるから、正一の検面調書を引用して事実を認定した原判決には、刑事訴訟法三二一条一項二号違反がある。

二 憲法三一条違反

1 憲法三一条は「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない」として、法定手続の保障を規定している。この規定の趣旨は、適正な訴訟手続による刑事裁判を受ける権利を当然に意味していることは争いのないところである。このことは、デュープロセスすなわち事実の認定過程の公正を求めるものである。

2 ここから、参考人の検面調書についても任意性を必要とすることは当然の帰結である。なぜなら、被告人や被疑者の検面調書は任意性を求めながら、参考人の検面調書に任意性を要しないとすることは、検察官の偽計や脅迫等によって作成された参考人の検面調書のみによって有罪を認定できることになり、到底正義にかなった手続とはいえないからである。

のみならず、強大な公権力を有する検察官は、その予見する方向に向かって、参考人(多くは、取調べを受けるのは初めての小心な市民)を脅かしたり梳かしたりして思い通りの内容の検面調書を作成することが容易であり、虚偽排除、実体的真実追求の観点から見ても、特に検察官の当初の予見が真実と異なっているときは、その参考人の検面調書の内容も真実とは異なってくる恐れが大きいからである。

よって、刑事訴訟法三二一条一項二号に違反して証拠能力のない参考人の検面調書によって事実認定することは、単に法律違反にとどまらず、ひいては事実の認定過程の公正を求める憲法三一条にも反するものというべきである。

三 正一の検面調書の証拠能力がないことについて

1 原判決の引用

原判決は、9丁表において、正一の検面調書を引用して事実を認定している。

よって、そもそも正一の平成2・11・13付と同15付各検面調書(以下「正一の検面調書」ともいう)には、刑事訴訟法三二一条一項二号記載の特信情況が認められず証拠能力がないことについて、以下、その理由を述べる。

2 正一の本来の記憶や認識について

(1) 正一の真実の記憶や認識の内容

正一は、本件飛島株購入当時は香港にいたため、八重子の飛島株購入の経緯は直接見聞きしておらず、昭和六一年七月二五日に帰国した後、伊藤や八重子から聞いたことが、検面調書作成以前において、正一が本件飛島株取引に関して知る知識の全てであったことは明らかである。

(2) 三ノ上検察官に対する上申書について

八重子の飛島株売買について正一が承知していた内容は、正一が作成して平成二年一一月四日東京地検特捜部の三ノ上検察官宛に提出した上申書(甲八八、弁六)に記載されたとおりであった。

この上申書は、正一が平成二年一一月三日以前に三ノ上検察官の取調べを受けた際のやりとりについて「(同検事と)会話した内容を、自分で思い出すままに書いたつもりですので、その段階ではそれが正しいと思って書いておりました。」(正一平3・6・19付法廷証言55丁裏)というものであり、また、この上申書に嘘を書く訳がなかった事情としては、「・・・検事さんとの質問と回答の内容をリピートしただけだから、そこに嘘・・・を書いても上申書として受け付けてくれるはずがない。ですから嘘は書くつもりはもちろん無い・・・」のであり、更に「(三ノ上検察官に喋った内容は)嘘を言ったという意識はありません」と証言し(正一平3・7・16付法廷証言50丁表)、そして「(上申書は)自宅で作った」が「(作成するには)誰とも相談していない」(正一平3・7・16付法廷証言46丁裏)と証言している。

また、後述するとおり、三ノ上検察官作成の正一の検面調書が存在すること、その内容が正一の法廷証言や上申書と基本的に同一内容であると認められることなども、右上申書の内容が正一のありのままの記憶や認識に基づいて作成されたことを裏付けている。

これらの事実は、後日有田検事の取調べを受け、第一審判決や原判決で事実認定に供された本件正一の検面調書の作成が、特に信用すべき情況で作成されたことに疑問を抱かせるものである。

3 八重子の逮捕勾留が正一に与えた影響

正一は、昭和三八年三月、福島県立会津短期大学を卒業して(株)東京銀行に入社し(正一平3・6・19付法廷証言末尾添付「本名正一略歴」)、その後、真面目一途に刻苦勉励して同銀行本店第八営業部長まで昇進した努力家であるが、妻八重子が逮捕され全国版の新聞で写真入りで報道されたことで、当然のことながら大変な衝撃を受けて悩み、平成二年一一月六日に東京拘置所で八重子に面祭した際『・・・自分の銀行生活もおしまいだとか、会社にも出られないし、子供達も大変な思いをしている・・・』(八重子平3・10・22付法廷証言25丁表)と『もう主人も涙を流して』(同25丁表)八重子に訴える状況だった。

そうした状況の中で、正一は、自分の銀行における地位や家族を守るため、妻八重子の一日も早い釈放を実現したいとの一念から、本来自分が認識していた事実を曲げて、検察官に迎合して検察官のいうとおりの事実を認める検面調書が取られるに至ったのである。その経緯は以下に述べるとおりである。

4 正一の方針の変更(第一チェンジ・マインド)の経緯と三ノ上検察官調書

(1) 検察側への積極協力に方針変更

八重子が逮捕勾留された後、正一は、妻八重子の『逮捕』を目のあたりにしたこと、加えて弟正二から「・・・このまま伊藤家の船に乗っていたのでは・・・八重子自身が起訴される・・・」と言われたこと(正一平3・6・19付法廷証言64丁表)、「二〇万株までだったら非課税という税制があるから一九万株だったらいいんだというぎりぎりの接点で戦って行くという伊藤家の船には乗って行けません」こと(同63丁裏)等を理由として、以後は本名家は伊藤家とは独自に、「八重子を一日も早く釈放してもらうために伊藤家の船から降ろしていただきたい」(同63丁表)と考えるに至り、八重子の早期釈放のために、伊藤家と訣別して、独自に検察側の捜査に積極的に協力する方針に変更することを決心した。

(2) 『伊藤家の船』から降りる宣言・「第一のチェンジ・マインド」

そこで、正一は、平成二年一一月六日の午前二時頃という異常な時間に、母親や実弟本名正二と共に、ふみ宅を訪れ、それまでの八重子の弁護人を解任すること、以後は伊藤家の船から降りて別行動を取ることを宣言した。そして、正一は検察側に認識どおりに供述して協力しようと決めたこの方針の変更を「チェンジ・マインド」と表現している(正一平3・6・19付法廷証言61丁裏~63丁裏。チェンジ・マインドの語につき同64丁裏)。

(注・「第一のチェンジ・マインド」、「第二のチェンジ・マインド」の用語について。

後述するとおり、正一は、その後、有田検事の取調べの段階になってからは、検察側への単なる協力のみならず、取調検事の考えどおりに作成された検面調書の内容を承認、署名することに方針を更に変更するに至っている。よって、正一は二回にわたって方針を変更したと認められるので、便宜上、一一月六日頃の方針変更を「第一のチェンジ・マインド」、有田検事の検面調書作成に至ってなされた方針変更を「第二のチェンジ・マインド」と呼ぶことにする。

(3) 三ノ上検察官との面会

かくて、正一は、同一一月六日の朝、妻八重子のために新たな弁護人を選任することもなく、三ノ上検察官に会っている(同65丁表)。

正一は、同日、ふみ宅で「・・・八重子は名義も貸していない、悪いことは何もしていない・・・」と言い(ふみ平4・5・15付法廷証言15丁表)、更に「検事に会って八重子を釈放してもらう(ふみ同15丁表。光江平4・6・23付法廷証言53丁表)と発言していたことからみて、正一が三ノ上検察官に会った動機・目的が八重子の早期釈放にあったことは明らかである。

この行為は、当時、八重子の逮捕勾留という検察側の圧力により、正一の心が如何に混乱していたかを示すものである。

(4) 「第一のチェンジ・マインド」の内容

この段階での正一のチャンジ・マインドは、伊藤家の船から降りて検察側に積極的に協力しようという気持ちに方針を変更しただけであって、正一の気持ちとしては、『八重子は名義も貸していない、悪いことは何もしていない』のだから、検察側から目の仇にされている伊藤家と絶縁して、検察官に対して敵対しない誠意を示したうえで事実どおりを訴えれば、必ずや検察官の誤解が解けて八重子は直ちに釈放されるであろう、という考えであったことは間違いないところである。また、三ノ上検察官作成の検面調書について次に述べるところもこれを裏付けている。

要するに、この段階では、事実内容についてまでも検察官のいうとおりに認めよう、というのではなく、単にありのままの事実を全て検察官に話して、八重子の早期釈放を計ろうと決心したにすぎないことを注目しなければならない。

5 三ノ上検察官作成の正一の検面調書(高裁・検察側一、二号証)

(1) 三ノ上検察官作成の検面調書の存在と内容について

正一については、同一一月七、八日頃(正一平3・7・2付法廷証言41丁裏)、三ノ上検察官の取調べによって作成された検面調書(以下「三ノ上調書」という)があり、且つ、その内容は後日有田検事が作成した正一の検面調書(以下「有田調書」という)と異なり、基本的に正一が法定で証言したところや前述した上申書と同じである(正一平2・11・15付検面調書三項参照)。このことは、控訴審における弁護人側からの証拠開示請求にもとづき提出された三ノ上調書を通覧すれば明らかである。

(なお、弁護人らが証拠能力を争っている検面調書、すなわち原判決が事実認定に供している検面調書は、三ノ上調書ではなく有田調書である。)

(2) 三ノ上検察官が『三ノ上調書』を作成した理由

三ノ上調書の作成当時、同検察官は、検察側の筋書きや八重子らの取調べ状況を当然熟知していたはずであるから、もし正一が嘘を供述していると思ったら、三ノ上検察官は、当然、そのような検面調書は取らなかったはずである。

従って、三ノ上検察官は、他の証拠に照らして、正一が真実を供述していると思ったからこそ、三ノ上調書を作成したことは明らかである。三ノ上調書は、正一の当時のありのままの記憶や認識に基づいて作成されたものであると評価しうる所以である。

6 有田調書における正一の供述(第二のチャンジ・マインド)

(1) 取調検事の交代と三ノ上調書の意味すること

<1> 三ノ上調書作成後の取調検事交代

平成二年一一月一三日付検面調書では、取調担当検事が三ノ上検察官から有田検事に交代している。

検察側が、正一が「第一のチェンジ・マインド」をして、三ノ上検察官のもとに飛び込んで行ったときに驚喜歓迎し、そして、間もなくして作成された三ノ上調書の内容を知ったときに驚愕狼狽した様子は容易に想像される。

その後、正一は、三ノ上検察官と交代した有田検事の取調べを受け、同検事によって、ここで証拠能力が問題となる検面調書が作成された。

<2> 取調検事交代の理由

正一の「第一のチェンジ・マインド」後における、この取調検事の交代の理由は不可解である。仮に、三ノ上調書の内容が検察側にとっては虚偽であると考えるのなら、引き続き三ノ上検察官が正一を取り調べれば済むことである。

それまで継続して正一を取り調べた三ノ上検察官を交代させる必要があるとすれば、それは、三ノ上検察官個人は、一一月六日以降の正一の供述事実を真実であると判断していたためであることは間違いない。そのため、検察側は、後述する偽計や不当な誤導による事実の押しつけをしてでも検察側に都合のよい検面調書を取るために、取調検事の交代をしたものと解釈するほかはない。

<3> 内容的にみても三ノ上調書の信用性が高いこと

以上の通り、三ノ上調書は、正一が検察側の捜査に積極的に協力すべく第一のチェンジ・マインドをした後、且つ、後述する検察官による誤導、事実の押しつけなどがなされる前に録取されたものであり、正一の当時の真の記憶や認識が録取されている蓋然性が高く、従って、信用性も高いのである。その内容は、前記の上申書や正一の法廷証言とも基本的に同一である。

(2) 有田検事による偽計、誤導等、及び、本件に対する正一の認識の変化

<1> 有田検事の誤導による認識の変化

ⅰ 正一は、有田検事の取調べについて「(それまで正一が知らなかった情報を有田検事から与えられたことも)チェンジ・マインド(注・『第二のチェンジ・マインド』の意味)の大きな理由の一つでございます。より具体的に言えば、一番ショックだったのは、・・・八重子の株取引の収益が八〇〇〇万円だと八重子から聞いてずっとそれを信じてきていたのに、有田検事から「証券会社の現物を見せてあげてもいいけれど、実際の収益は九四〇〇万円上がっている、さらに、株の収益のかなりの部分が信幸君の自宅資金に回っているという事実を見せてあげてもいいというお話をいただきまして、やはり信じていた八重子の説明と大分違うという現実を見せつけられました。」(正一平3・7・2付法廷証言4丁裏)と証言している。

ⅱ 正一の平成2年11月13日付検面調書20丁表に、「検事さんから、・・・借入金の返済や利子を差し引いた純利益は約九四〇〇万円になると教えてもらいました」とあることから、有田検事が正一にそのとおり指摘したことは明らかである。

しかし、八重子の純利益は甲一〇七、一〇八、弁五二、五三などから明らかなとおり、八一九一万二八六五円である。従って、収益金が九四〇〇万円であったという有田検事の指摘は事実に反しており、この指摘は明らかな偽計であり誤導である。

また、八重子の収益金が松原の伊藤の自宅資金に使われたとの有田検事の指摘についていえば、伊藤自身も飛島株売却により一億五〇〇〇万円程度の売却益を得ており、必ずしも八重子の収益金の使途がそこに限定されたわけではないのであるから、これまた偽計であり誤導である。

ⅲ しかし、正一は、ことに八重子の勾留が延長されたのちには、有田検事の偽計や誤導に導かれるままに、第二のチェンジ・マインドをし、それにもとづいて有田調書は作成された。その有田調書の作成時の様子について、正一は、「・・・(有田)検事さんの調書が始まって、検事さんから現実に今まで信じていたことと違った内容の物を見せられる、説明を受ける、あるいは私自身の錯覚や誤解している点も相当あったことに、検事さんの説明あるいは書類の提示で私の誤解であることもありましたもんですから、追加していただいた点や削除した点等々もたくさんありました」(正一平3・7・2付法廷証言5丁裏)と証言している。

<2> 有田検事の偽計や誤導による伊藤に対する不信感の発生

正一は、右のような有田検事の偽計や誤導により、伊藤に対して不信感を抱くようになり、それに反比例するように、有田検事の言うことに盲目的に従うようになり、その結果正一の有田調書が作成された。その様子は、次に述べる正一の証言が如実に示している。

即ち、正一は、その辺の消息について「(今まで、信幸や八重子の言うことを信用していたけれども、自分自身こんなひどい目にあってと)憤慨した大きな理由であることは間違いありません」(正一平3・7・2付法廷証言52丁裏)とか、「(今までの信幸の話が信用できなくなり、検事のいう方が正しいんだと気持になった)大きな理由であったことは間違いありません」(同53丁表)などと証言している。

<3> 有田検事による事実の押しつけ

有田検事は、さらに、誤導によって検察官の主張する事実が事実であるかの如く誤信させて伊藤に対する不信感を抱かせた上、検察官のいう事実が真実であるからそれを思い出してくれと強要し、有田検事の主張どおりの事実を記載した検面調書を録取した。

このことは、正一が「チェンジ・マインドした内容(注・これは流からみて第一のチェンジ・マインドであることは明らかである)を、有田検事の前で淡々とお話したつもりですので、今言われたような、(有田検事から)思い出してくれということで随分悩まされてことはありました・・・」(正一平3・7・2付法廷証言2丁表)と証言していることからも明らかである。

<4> 八重子の勾留延長により、検察官の事実の押しつけに抗しえなかったこと

ⅰ 正一が、検察官に迎合して、検察官が主導的に作成した検面調書に署名した重要な背景として、八重子の勾留延長がある。

有田調書二通(平成2・11・13付と同月15付)は、いずれも、正一が八重子の勾留延長を知らされた後、且つ、伊藤が起訴された日である平成二年一一月一三日以降に録取されたものである。

このことは、右各有田調書の作成日付のみならず、正一が「(八重子が勾留延長されたことは)有田検事から聞きました。一一月一三日付の有田調書に署名したのは、やっぱり夜の九時は過ぎていたんじゃないでしょうか。」(正一平3・7・16付法廷証言36丁裏、37丁表)と証言していることから明らかである。

ⅱ 正一は、伊藤家の船から降りて積極的に検察側に協力することにより、八重子の起訴を免れて早期釈放を実現できると考えていた。そのために、「第一のチェンジ・マインド」までして、積極的に自分の記憶や認識していた事実を述べていたのであるが、八重子の勾留延長を知って、非常なショックを受けたことは容易に想像される。

そして、有田検事は、そのようなショック状態にある正一に対して、八重子の勾留延長直後の同年一一月一三日及び同月一五日に、前述したような偽計や誤導、事実の押しつけに基づく調書を作成したものである。そして、正一が、そうした偽計や誤導や事実の押しつけに抵抗することができずに「第二のチェンジ・マインド」をして、八重子逮捕前の自らの記憶や認識と異なる供述内容の検面調書を取られたことは明らかである。

この検面調書の文章がどのように記載されたかにつき、正一は、「(検察側が主導的にこういう文書を作ったのかとの問いに対し)ですから、全体が、一言一句私が発言してそれを調書にしたということではなくて、検事側からいろんな質問をいただいて、それに対して私がお答えして、それを一つのセンテンスに全部していただいたのがその調書ですから、そのストーリーも基本的には検事側が書いてくださってそこに署名したと、こういうふうにご理解いただきたい。」(正一平3・7・16付法廷証言58丁表)と、証言しているが、これは右押しつけの事実を裏付けている。

<5> また、正一は伊藤が起訴された平成二年一一月一三日に、有田検事から「・・・現在信幸君が起訴されることが決定された、そしてあなたの調書はまだ完成していない。したがって、あなたの調書自身が信幸君の起訴事実に起因(起訴に影響)するものでないことは、これで分かったでしょう・・・」(正一平3・7・16付法廷証言37丁表)と言われた。即ち、正一は、取調検事から正一の検面調書が伊藤の起訴に影響しない旨告げられたのである。

有田検事の正一に対する右発言は、取調検事が、将来証人となる可能性のある正一に対して、同人の検面調書が、本事件そのものにおいてあたかも意味が無くなったかのような印象を与えた上で、検察官の主張する事実に沿った調書に署名し易く誘導するものであり、調書録取の方法として極めて公正を欠くものであり、憲法が予定する適正な手続の範疇には、到底含まれないものである。なぜなら、起訴後における証拠調べの具体的方法など何も知らない素人の正一は、将来、その調書が法廷で重要な証拠となる可能性があることの予測などつくはずもないから、起訴に影響がないと言われれば、どんな内容の調書であっても、検察官の意に添うべく署名するだろうと推測されるからである。

更に、有田検事が正一に対して、右のような趣旨の発言をしたということは、正一がその時点まで検察官の主張する事実に沿った検面調書を作成することに対して、何らかの抵抗をしていたことを意味する。そして、有田検事の右発言は、その抵抗を排除するためになされたものであり、そのような状況下に録取された検面調書の内容に任意性が認められないことは明らかである。

7 原判決の三ノ上調書と有田調書の比較、引用について

原判決は、「八重子の夫本名正一は、平成二年一一月一三日付検察官調書(甲一二七)において、飛島株などの株取引の主体が八重子であり、その株の売却益も同女に帰属するという被告人の作ったストーリーには同調できないとして、従前の供述(当審で取り調べた本名正一の平成二年一一月八日付検察官調書)を一部変更し、原判示認定に沿う供述をするに至ったと述べるところは、所論にもかかわらず説得的であり、その供述内容に格別不自然、不合理なところはなく、八重子の前記捜査段階の供述を裏付けている。」と述べている(原判決9丁表4行目から10行目)。

(1) 右「平成二年一一月一三日付検察官調書(甲一二七)」というのは、前述した有田調書であり、「当審で取り調べた本名正一の平成二年一一月八日付検察官調書」というのは三ノ上調書である。

右二検察官の作成した各検面調書の作成情況や信用性については、詳細に比較検討したとおりであり、有田調書の任意性および信用性がないことは明らかである。

(2) 原判決は、三ノ上調書を一部変更し、原判示に沿う有田調書が作成されるに至ったと述べるところでは、「所論にもかかわらず説得的であり、その供述内容に格別不自然、不合理なところはなく、八重子の前記捜査段階の供述を裏付けている。」と断定している。

<1> しかし、三ノ上調書と有田調書の内容は「一部を変更」したなどというべきものではなく、一八〇度の変更である。なぜなら、三ノ上証書によっては、伊藤の有罪を認定できないことは明らかだからである。それに反して、有田調書の内容は、同検事が起訴できるような内容を偽計、押しつけなどの方法で作成したことは前述のとおりである。従って、原判決の論旨は外形的、形式的な証拠の辻褄を合わせたにすぎず、経験則や合理性を欠いており、何人といえども到底納得できるものではない。

<2> 原判決は、三ノ上調書から有田調書に変更するに至ったと述べるところは、「説得的であり、その供述内容に格別不自然、不合理なところはなく・・・」と述べている。

しかし、何が「説得的」なのかの説明は皆無である。前述したとおり、少なくとも、正一自身が二度に渡ってチェンジ・マインドをした事情を述べていること、第一のチェンジ・マインドをした後に有田調書の内容と相入れない正一自身の三ノ上検察官に対する上申書や三ノ上調書が存在していること、有田調書の作成過程、内容が正一自身の法廷証言と一致しているとはいえないこと、八重子自身の法廷証言も同女の検面調書とは全く異なること等々、正一や八重子の検面調書の特信情況の不存在を推認させる事実に満ち満ちているのに、それらについては全く言及もしていない。

右のような原判決の認定は、ただ言葉の上で「説得的」とか「不自然、不合理なところはなく」などと述べているにすぎず、関連する他の証拠を検討していないことを証明しているにすぎないといわざるをえない。

<3> また、原判決は、正一の有田調書が「八重子の前記捜査段階の供述を裏付けている」と述べている。

しかし、前述したとおり、八重子の検面調書は同女の法廷証言と異なっていて内容の真実性が否定されるものであり、且つ、その検面調書自体の任意性・証拠能力が否定されるべきものであるから、右原判決の指摘は、任意性についても信用性についても何の検討もしていないに等しい。

<4> そもそも、本件において証拠調べの対象となる事実は、正一について言えば、正一が伊藤及び八重子から飛島株取引について説明を受けた内容及び正一が独自に体験した事実についてのその当時の認識・記憶である。ところが、正一は有田調書について、八重子の逮捕前の認識とは異なる認識が記載されている旨、公判廷で繰り返し証言している。従って、有田調書はその信用性が全くないことも明らかである。

8 結論

(1) 刑事訴訟法三二一条一項二号、及び、憲法三一条違反

以上を総合すると、正一の検面調書はいずれも、正一が有田検事から偽計を用いられ誤導されたため、検察官が指摘する真実でない事実を真実と思うに至ったこと、そのため伊藤や八重子から聞いていた事実に不信感を抱くに至ったこと、八重子の早期釈放を願う気持ちが強くその目的のためには自分の記憶や認識と異なる事実を指摘されても検察官に迎合する心境に至ったこと、伊藤の起訴後に作成された調書は本事件そのものとは関係がないと誤信していたこと等が認められ、そういう状況の下で、正一は有田調書に署名したものと認められる。

ゆえに、それらの有田調書の記載はいずれも、正一のもともとの記憶や認識に基づいて作成されたものとは言えず、有田検事の偽計、押しつけによって作成されたことは明らかであるから、いくら正一の署名があっても任意性を欠く違法な証拠であることは明らかである。また、虚偽排除を強調する立場からいっても、正一の有田調書の内容は、本人自身や八重子の法廷証言と異なっていること、伊藤や他の親族らの証言とも真向から食い違いを見せていること、伊藤の無罪を証明すべき遺産分割協議書・相続税申告書・二種類の金消契約書・その他証券会社やライフ関係の書類等多数の客観的証拠があること等を勘案すれば、正一の有田調書の内容は真実と異なることも明らかである。

(2) なお、原判決は客観的証拠はすべて偽装工作であるという立場に立っているといわざるをえないが、しかし、原判決の論法に従えば、社会生活上のあらゆる人間の行為も、白を黒とする牽強付会の論がなりたつことになる。本件では、正一、八重子はもちろんのこと、他の親族らがこぞって詳細な事情を説明しながら名義貸しを否定する証言をしているのであるから、それとの兼ね合いで証拠評価をすべきである。そのときは、もし客観的な諸証拠が真実であったとしたらどうか?という点からも正一の上申書や八重子、ハツ江、親族らの証言を評価し直すべきであり、また、伊藤や本人やふみ、和代、光江ら多くの者が何故取調べ段階で名義貸しを否認し通し得たかの理由は、真実名義貸しの事実が無かったからであるとの、真実の事実が歴然と認識できるのである。

(3) 要するに、正一の検面調書は刑事訴訟法三二一条一項二号により証拠能力を欠いており、この検面調書を証拠として採用した原判決は違法であり、憲法三一条の適正手続に違反しているものというべきである。

また、原判決が正一の検面調書を証拠として事実を認定したことは、経験則に反して不合理な証拠の取捨選択ならびにその評価を誤ったものであるから採証法則に関する判例違反であるとともに、その結果著しく正義に反する重大な事実誤認を犯したものである。

第三点 判例違反

原判決には、最高裁判所及び高等裁判所の判例と相反する判断をした違法があって、この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、破棄を免れ得ない。

第一 はじめに

原判決は、前記第一点「著しく正義に反する重大に事実誤認」において詳述したごとく、伊藤の捜査段階及び公判段階を通じての一貫した主張及びそれを裏付ける親族らの公判廷における供述並びに多数の客観的証拠を無視しあるいはその趣旨を恣意的に解釈するなどしてこれを排斥した上、前記第二点において詳述したようにその任意性及び信用性に疑いがあり、到底措信し難い八重子、正一、ハツ江の捜査段階における供述を安易に採用し、かつ、その内容を無批判に容認して有罪を言い渡したものである。

右判断は、要するに経験則に反して証拠の取捨選択並びに事実の認定を行い、その結果重大な事実誤認を犯したものであって、このことは、昭和二三年一一月一六日最高裁判所第三法廷における「証拠の取捨選択並びに事実認定に当たっては、経験則に反してはならない」旨の判決(刑集二巻一二号一、五四九頁以下)及び右判決の趣旨を受けた昭和三七年一月二三日東京高等裁判所第一〇刑事部における「自由心証は裁判官の恣意を意味するものではなく、論理の法則、経験則に基づく合理的なものでなければならない」旨の判決(下級刑集第四巻一・二号一六頁)並びに昭和二三年一二月二三日最高裁判所第一小法廷における「証拠の趣旨を変更して事実認定の資料とすることは結局虚無の証拠によって事実認定をすることに帰着し、許されない」旨の判決(刑集二巻一四号一、八五六頁以下)及びその趣旨を受けた昭和二五年六月二八日福岡高等裁判所第三刑事部における「一つの事柄に対する同一時における供述を擅に切断して該供述に特定の意味を附することは許されない」旨の判決(高判特報一三号一四九頁以下)など確立した判例の考え方に反しているものというべきである。

原判決が、右各判例に違反した判断を行っていることについては、第一点「著しく正義に反する重大な事実誤認」において既に触れているところではあるが、ここでは原判決の認定事実ごとに判例違反につき、弁護人らの主張を述べることとする。

第二 昭和六一年一月に購入された伊三郎及びふみ名義の飛島株取引について

一 原判決の認定事実

1.原判決は、(1)昭和六一年一月当時、ライフの伊三郎名義の融資枠を利用した株の購入は、実質上伊藤の計算により行われていたこと(原判決12丁表8行目から10行目)、(2)その株の売却代金が伊藤によって使用されていたこと(原判決12丁表10行目から11行目)、(3)右株購入が第一証券とは別にコスモ証券池袋支店で行われ、その各株取引口座の開設手続、株の買付け、売付けの注文はすべて伊藤が自分の判断で行っていること(原判決14丁表10行目から同丁裏2行目)及び(4)昭和六一年に購入した飛島株が急上昇しない状況にいらだちや不安感を抱いて同株全部を売却した伊三郎が再度大量の飛島株を購入したというのは不自然であること(原判決14丁裏3行目から7行目)との各事実を積極的に認定することによって、昭和六一年一月に購入された伊三郎及びふみ名義の飛島株取引は、実質的には伊藤の取引であり、その売却益も伊藤に帰属したものと結論付ける。

2.他方、原判決は、控訴趣意書において弁護人らが昭和六一、六二年に購入された伊三郎名義の飛島株取引が伊三郎の独自の取引であるとの根拠として極めて重要な証拠であると指摘した伊三郎の遺産分割協議書及び相続税の申告書について、(1)伊三郎の相続財産とされた債権債務は、同人名義によるライフからの融資金のうちの返済未了分が実質的に同人の負債であるとの前提に、振り分けて計算上整理したという以上のものでないとか(原判決15丁表1行目から同丁裏8行目)、(2)被告人が支払うべき相続税が一五五〇万円以上多くなった点については、経済的痛痒を感じるほどのことではない(原判決15丁裏9行目から16丁裏3行目)としてその証拠価値を否定している。

二 原判決の個別認定事実が第一の各判例に違反していること

しかし、原判決の認定事実は、すでに第一点において詳述したとおり、その前提事実において明らかな事実誤認があるだけでなく、以下に述べるとおり、裁判官による恣意的な証拠の取捨選択が行われ、かつ、論理の法則、経験則に基づく合理的な心証形成がなされていないため、第一の各判例に違反していることは明らかである。

1 昭和六二年一月当時、ライフの伊三郎名義の融資枠を利用した株の購入は、実質上伊藤の計算により行われていたとの認定について

(1) 昭和六一年四月二六日、ライフの伊三郎名義融資枠の保証金として誰の資金が入金されたか。

<1> 原判決は、昭和六一年四月二六日、伊三郎のライフの五倍融資枠の保証金として入金された合計一〇〇〇万円はその出所が小倉硝子工業や協和ファクターであることのみを根拠として伊藤の資金と認定(原判決12丁裏1行目から5行目)し、同融資枠を利用した株の購入が実質上伊藤の計算で行われたことの根拠としている。

<2> しかし、伊藤は、捜査段階から一貫して「右合計一〇〇〇万円は、伊藤が飛島株二万六〇〇〇株の購入資金として伊三郎から借り受けた買付資金一〇三八万円余を伊藤の小倉硝子工業や協和ファクターに対して有していた貸付金の返済を受けて伊三郎に返済したものである」と主張(伊藤平2・11・9付検面調書16頁から17頁まで)しているのであるから、伊三郎から伊藤が右買付資金を借り受けた事実の有無及び右合計一〇〇〇万円がその返済と評価できるか否かについて、検討することなく伊藤の資金と断定することは許されない。

<3> 特に、昭和六〇年九月三〇日決算の協和ファクター修正申告書(弁一一〇)によれば、飛島株取引を開始する前年である昭和六〇年九月三〇日時点において、伊三郎が伊藤乃至伊藤の経営する協和ファクター等の会社に対して少なくとも五二〇〇万円以上の貸付金を有していた事実が認められるのであるから、伊藤が経営する協和ファクター及び小倉硝子工業よりライフの伊三郎口座に金員が入金されたからといって、同金員は伊藤から伊三郎に対する返済金(すなわち伊三郎の資金)ではなく伊藤の資金と認定することは経験則に明らかに反するものである。

<4> そして、前記<2>の「右合計一〇〇〇万円は飛島株二万六〇〇〇株の買付資金として伊三郎から借り受けた一〇三八万円余に対する返済金として伊三郎に支払ったものである」との主張を裏付ける証拠が次のとおり存在している。

すなわち、野村証券作成にかかる伊藤宛売買報告書三通(乙8・伊藤平2・11・8付検面調書添付)のうち昭和六一年四月八日約定日の売買報告書には、伊三郎の手持ちのキリンビール一三九九株(伊藤は同日付飛島株購入が最初の株取引であるからキリンビール株は伊藤のものではあり得ない。)の売却代金一四七万円が伊藤の飛島株購入資金に充当された旨記載されており、伊三郎が手持ち株の売却代金を伊藤の飛島株購入資金として貸し付けた事実が明確に認められるのである。そして、右飛島株二万六〇〇〇株の購入手続に関する口座開設の手続や買付注文を伊三郎が行ったこと(伊藤が捜査段階から一貫して主張(伊藤平2・11・9付検面調書16頁)し、検察側でもその事実を争っていない事実)を考えると、キリンビール株の売却代金一四七万円を除くその余の飛島株購入資金についても伊三郎から借り入れたとの伊藤の主張は極めて首肯できるものというべきである。

<5> 従って、これらの各証拠を全く検討することなく、伊藤が経営する会社から入金があったとの一事をもって伊藤の資金と認定した原判決は、伊藤の主張を裏付ける証拠を恣意的に排斥し、著しく経験則に反した推論のみによって誤った判断に至ったものであり、その判断が前記の各判例に相反していることは明らかである。

(2) ライフの伊藤口座を利用して行った親族らの飛島株取引の売却益が昭和六二年三月にライフの伊三郎口座に入金されている事実から、伊三郎の融資枠を利用した昭和六二年一月の伊三郎、ふみ名義の飛島株購入が実質上伊藤の計算により行われていたといえるか。

<1> 原判決は、伊三郎の融資枠を利用した昭和六二年一月の伊三郎、ふみ名義の飛島株購入が実質上伊藤の計算により行われていたと認定する根拠として、伊藤、和代、光江、ハツ江らの名義で購入した飛島株を昭和六二年三月に売却した売却益が(伊藤のライフ口座及び第一勧業銀行駒込支店を経由して)伊三郎の口座に入金されている事実を指摘している(原判決12丁裏5行目から13丁表2行目)。

原判決の趣旨は必ずしも明確でないが、ライフの伊藤口座を利用した右株取引の売却益が伊三郎のライフ口座に入金されている事実は、ライフの伊三郎口座も実質上伊藤の口座であることの証左であるとするものと思われる。

<2> しかし、原判決が指摘する右飛島株売却益がライフの伊三郎口座に入金されたのは昭和六二年四月四日のことであるから、それをもってその二か月以上前の時点(伊三郎及びふみがライフの伊三郎口座で飛島株を購入した時点)におけるライフの伊三郎口座が実質上伊藤の口座とする根拠となり得ないことは論理の法則上明らかである。

また、前記(1)のとおり、その前年である昭和六一年四月に伊三郎のライフ口座に入金された合計二〇〇〇万円(そのうち一〇〇〇万円は伊三郎の一〇〇〇万円の提起を担保とした京葉銀行野田支店から借入金)は全て伊三郎の資金であるだけでなく、その後にライフの伊三郎口座に入金された三〇〇〇万円強の金員も伊三郎が協和ファクターに対する貸付金(弁一一〇-協和ファクターの修正確定申告書)について同社から返済を受けたものであり、かつ、昭和六二年四月四日以前にライフの伊三郎口座に伊藤の資金が入金されたことを示す事実は一切認められない。従って、この点からいっても伊三郎及びふみが飛島株を買い戻した昭和六二年一月段階におけるライフの伊三郎口座は伊三郎の独自口座であることは疑いの余地を入れようがないものである。

<4> 以上のとおり、原判決は、昭和六一年四月四日に親族らの飛島株売却益がライフの伊三郎口座に入金された事実のみを根拠として、それ以前に伊藤の資金が伊三郎の口座に入金されていないにもかかわらず、伊三郎の融資枠を利用した昭和六二年一月の伊三郎、ふみ名義の飛島株購入が実質上伊藤の計算により行われていたと認定するものであって、右認定が、経験則に反する証拠の評価及び取捨選択を行うとともに論理の法則を無視したものであり、前記の各判例に相反していることは明らかである。

2 株の売却代金が伊藤によって使用されていたとの点について

原判決は、昭和六二年一月に購入された伊三郎、ふみ名義の飛島株の購入が実質上伊藤の取引であるとする根拠として、左記イないしホのとおり、飛島株、東洋リノリューム株及び御幸毛織株の各売却代金が伊藤によって使用されたことを指摘する。

イ 伊藤の融資枠を利用して親族らが購入した飛島株の売却益の一部が、昭和六一年中に伊藤名義の信用取引により購入された東洋リノリューム株、御幸毛織株の現物品受代金に使用され、右株株式の売却代金のうち五九七二万円余が伊藤のカードローンの返済、コスモファイブの信用保証金などに使用されたとの事実。

ロ <1>伊藤の融資枠を利用してハツ江、光江名義で購入され、昭和六二年三月売却された飛島株の売却益のうち二億三〇〇〇万円、<2>小林の融資枠を利用して八重子名義で購入され、同年三月売却された飛島株の売却益のうち八〇〇〇万円、<3>伊三郎の融資枠を利用して伊三郎及びふみの名義で購入され、同年三月売却された飛島株の売却益のうち六〇〇〇万円が、それぞれ富士銀行王子支店のコスモファイブの預金口座に振り込まれた後、右金員のうち総額二億五〇〇〇万円が富士銀行王子支店のコスモファイブの通知預金に組み換えられ、東洋電機製造株の購入資金や伊藤がライフから受けた融資金の利息の支払いなどに使用されたとの事実。

ハ 伊三郎の融資枠を利用して昭和六一年に売買された飛島株のうち、同人名義で昭和六一年八月から一一月にかけて売却された分及びふみ、株式会社でっち亭、石幡寛子各名義で売却された分の各売却益に相当する一億八五八一万円余が、一旦はライフの伊三郎に対する融資の保証金として入金された後、そのうちの一億円が小倉硝子工業に貸し付けられているとの事実。

ニ 前記ロ<3>記載の六〇〇〇万円が、伊藤の判断により、前記ロ記載のとおり富士銀行王子支店のコスモファイブの普通預金口座に振込送金され、さらに、送金直後から被告人が経営する各会社へ貸し付けられ、小倉硝子工業の借入金の返済資金などに使われているとの事実。

ホ 和代名義で昭和六二年三月に売却された飛島株三万株の売却代金四〇二八万円余については、そのうち一七二八万円余がコスモ信用組合銀座支店の和代の普通預金口座に振り込まれた後、伊藤と和代間の具体的精算手続は明らかでないが、結局は伊藤が事業資金として使用したものと認められるとの事実。

(1) しかし、ここで問われているのは昭和六二年一月に購入された伊三郎、ふみの飛島株が実質上誰の計算で行われたかであるから、当該飛島株以外の飛島株、東洋リノリューム株及び御幸毛織株等の売却益がどのように使用されたかが直接の証拠となり得ない。

従って、前記ロ<3>及びニ記載の六〇〇〇万円以外の売却益の使用先を伊三郎、ふみの昭和六二年三月に売却された飛島株が実質上誰の計算で行われてたかを認定する証拠としている点は、明らかに論理法則に反する証拠の採用である。

(2) また、次に述べるとおり、原判決の前記イの認定事実には明らかな事実誤認及び評価の誤りがある。

<1> 前記イにおいて、原判決は、伊藤の融資枠を利用して親族らが購入した飛島株の売却益の一部合計一億円が、昭和六一年中に伊藤名義の信用取引により購入された東洋リノリューム株、御幸毛織株の現物品受代金に使用されたと認定しているが、この認定事実は二つの誤りがある。

まず、原判決は、伊藤の融資枠を利用して親族らが購入した飛島株の売却益の一部が現物品受代金に使用されたと認定しているが、右親族らの売却益は伊藤から親族らの従前から使用している預金口座に振込送金され、その後、伊藤が借り入れた金員はすべて富士銀行王子支店のコスモファイブの口座に振込送金されている(甲二八・調査書39頁左上段)のであるから、第一勧業銀行駒込支店の伊藤の口座から伊三郎の口座に入金された右合計一億万円は明らかに伊藤自身の株売却益である(甲二八・調査書39頁の下段・42頁左下段)。

また、右売却益により現物品受されたのはコスモファイブが伊三郎の融資枠を利用して購入していた東洋リノリューム一〇万四〇〇〇株(甲二八・調査書42頁中下段)であり、伊藤が購入していた東洋リノリューム一四万株と御幸毛織五万株(甲二八・調査書41頁)ではない。

<2> そして、伊藤の売却益がライフの伊三郎口座に入金されてコスモファイブの東洋リノリューム株の現物品受代金として利用されたのは、伊藤が得た飛島株の売却益により、コスモファイブの東洋リノリューム株を現物品受した方がライフに対する借入金利を支払わなくて済むと考えたからであり、右金員は、伊藤がコスモファイブに貸し付けたものである。

すなわち、伊三郎は、コスモファイブ(旧商号でっち亭)の王子信用金庫等からの借入について不動産担保提供をしていたことから、同社にも飛島株取引により利益を出させて右借入金を返済させたいと考え、伊三郎のライフの融資枠を利用して同社に転貸融資をしていたものであるが、飛島株取引により利益を得た伊藤は、ライフからの転貸融資に対する利息を節約するために同人の売却益を伊三郎のライフ口座に返済することによって、コスモファイブに代わって右転貸融資の返済をしたものである。そして、その結果、伊藤はコスモファイブに対し、九四五七万円余の貸付金債権を取得したものである。

<3> 原判決は、右東洋リノリューム株の売却代金のうち五九七二万円余が伊藤のカードローンの返済、コスモファイブの信用保証金などに使われている事実を伊藤の名義借りの根拠として指摘するが、右<1><2>の各事実を前提とすれば、コスモファイブの東洋リノリューム株の売却代金から伊藤が貸付金九四五七万円余の一部五九七二万円余の返済を受けて同人のカードローンの返済をしたり、コスモファイブが同社の信用保証金として使用することは極めて自然なことであり、伊三郎のライフ口座が実質的に伊藤のものであるとか、伊三郎及びふみの昭和六二年一月の飛島株取引が伊藤に帰属するとかの根拠となり得ないことは明らかである。

(3) 前記ハにおいて、原判決は、伊三郎の融資枠を利用して昭和六一年に売買された飛島株のうち、伊三郎名義で昭和六一年八月から一一月にかけて売却された分(同年一二月に売却された分の売却益は伊三郎が受領したことが明らかであることから除外している)及びふみ、株式会社でっち亭、石幡寛子各名義で売却された分の各売却益に相当する一億八五八一万円余が、一旦はライフの伊三郎に対する融資の保証金として入金された後、そのうちの一億円が小倉硝子工業に貸し付けられているとの事実を、伊藤がライフの伊三郎口座を利用して実質的に株取引をしていたとの根拠として指摘している。

<1> しかし、石幡寛子名義の飛島株取引の売却益は石幡寛子に全額支払われており、その後、伊藤が借用した事実もないため、検察側も起訴事実から除外しているのであるから、この点は明らかな事実誤認である。

<2> でっち亭については、法人の株売却益についてはいわゆる非課税枠がないため、でっち亭の飛島株売却益は同社の所得として税務申告しており、その売却益が同社に帰属しているのは疑いの余地がないものである。さらに、前述のとおり、でっち亭(現商号コスモファイブ)の株取引は伊三郎が実質的に担当していたのであるから、その意味においても、伊藤が実質的に株取引を行っていたとの認定は事実に反している。

<3> そして、伊三郎のライフ口座から小倉硝子工業に送金された一億円については、伊藤が、伊三郎から約三〇〇〇万円を、ふみから約七〇〇〇万円を借り入れて小倉硝子工業に転貸融資したものである。そして、右借入金を含む伊三郎及びふみからの借入金の返済として、伊藤は、まず、昭和六一年一月二七日に六〇〇〇万円を伊三郎に送金する方法で、次に、同年三月一一日ふみに一億四七六六万四〇〇〇円、八重子に二九七万三〇〇〇円をそれぞれ送金する方法で返済したと供述し(伊藤平4・11・5付法廷供述18丁表1行目から19丁10行目)、それを裏付ける証拠が認められる(甲二八・調査書46頁、39頁)のであるから、その点について子細に検討することなく、伊藤に不利に引用することは理由がない。

(4) 原判決は、前記ロ<3>及びニ記載の六〇〇〇万円が、『伊藤の判断により』、前記ロ記載のとおり富士銀行王子支店のコスモファイブの普通預金口座に振込送金され、さらに、送金直後から被告人が経営する各会社へ貸付られ、小倉硝子工業の借入金の返済資金などに使われていると認定している。

<1> しかし、伊藤は、一貫して右六〇〇〇万円は伊三郎から伊藤が借り受けたものであると主張し、かつ、まさにその点が本件事件の争点でもあるのだから、何らの根拠を示すことなく、『伊藤の判断により』コスモファイブの口座に送金されたと認定することは許されない。

<2> すなわち、伊藤は、昭和六二年三月一〇日に伊三郎と伊藤と間でそのときまでの伊藤の借入金約一億五〇〇〇万円(ふみからの前記借入金約七〇〇〇万円を含む)を返済するとともに、新たに伊三郎から六〇〇〇万円の借入れをする旨合意し、その返済方法として、伊三郎がふみ及び八重子に転貸融資したことから伊三郎が保管し、ふみ及び八重子に支払わなければならない飛島株売却益を伊藤が伊三郎に代わって返済するものとし、伊三郎は新たに自己の飛島株売却益から六〇〇〇万円をコスモファイブの富士銀行王子支店の口座に送金して伊藤に貸し付けることとしたものであると主張しているのであるから、その資金の移動状況の相互関係及び意味内容を確定することなく、伊三郎から伊藤に対して右六〇〇〇万円が流れたのは、伊三郎が伊藤に貸し付けたのではなく、伊藤の借名分の売却益を取り戻した行為にすぎないと一方的に認定することはあまりにも片面的な見方であるといわざるを得ない。

(5) 前記ホ記載の和代の売却代金についても、和代が伊藤に対して右売却代金を貸し付けたと主張しているのであるから、伊藤の事業資金として使用されたこと自体は何ら不自然ではない。また、両者間の精算に関する書類及び資料は全て国税局及び検察庁により押収されているため、伊藤において右事実を明らかにできなかったにすぎないのであるから、その立証の機会を伊藤に与えることなく、伊藤に不利に引用することは相当でないものである。

(6) 以上のとおり、原判決の認定根拠は、つきつめるところ、株取引の売却益を伊藤乃至伊藤の経営する会社が『事実上利用した』との一事のみを頼りにすべての株取引が『実質上伊藤に帰属する』ものと認定するものといわざるを得ない。

しかし、『法律上(実質上)の売却益の帰属』が『事実上の売却益の利用』と明確に区別されるものであることは前記第一点 第一〇 一 二 三のとおりである。

3 伊三郎とふみ名義での昭和六二年一月の飛島株購入が第一証券とは別にコスモ証券池袋支店で行われ、その各株取引口座の開設手続、株の買付け、売付けの注文はすべて伊藤が自分の判断で行っているとの点について

(1) 原判決は、右各株取引について、その各株取引口座開設手続、株の買付け、売付けの注文はすべて『伊藤が自分の判断で行っている』と認定しているが、前述のとおり、コスモ証券の口座開設にあたり、伊三郎、ふみの実印が使用されていること(第一点 第六 二 3 (2))、伊三郎、ふみの購入資金がいずれも伊三郎、ふみの資金を保証金として伊三郎がライフから借り入れたものであり、いずれにしても伊藤の資金が購入資金に充てられておらず、伊藤がライフから借り入れたものでもないこと(第一点 第六 二 4 (1) (2))、ライフから融資を受ける場合、ライフは直接伊三郎に貸借関係発生に関する確認をとり、伊三郎がライフの借用証書に届け出印鑑である実印を捺印するのが手続であり、実際も伊三郎は実印を捺印した借用書をライフに差し入れしていることは間違いがない(検察庁が資料をすべて押収してこれを提出しないのは遺憾である。)のであるから、これらの手続、注文をすべて『伊藤が自分の判断で行っている』とする認定は、明らかに経験則に反するものである。

(2) また、伊三郎、ふみが昭和六二年一月に飛島株を買い戻した証券会社が、前年に使用した第一証券池袋支店からコスモ証券池袋支店に変更となったのは、前述のとおり、ライフからコスモ証券とも取引の付き合いをしてほしいとの依頼があったためであり、これは中塚証人も認めている(第一点 第六 二 3)ところであるから、伊藤自身の取引であろうと伊三郎、ふみの取引であろうとコスモ証券を利用することになったものと考えられる。従って、証券会社が変更になったことをもって『伊藤が自分の判断で行っている』ことの根拠とする原判決の判断も経験則に反した事実誤認である。

4 昭和六一年に購入した飛島株全部を売却した伊三郎が再度大量の飛島株を購入したというのは不自然であるとの点について

(1) 右認定は、原判決の中でも特に、経験則に反して不合理・不自然な心証形成がなされた部分である。

原判決は、<1>伊三郎が飛島株の株価が急上昇しない状況にいらだちや不安を抱き、伊藤からの株価上昇の情報を信用できずに同株全部を売却したこと、<2>売却後僅か一か月程で、しかも同株の株価が下落しつつある状況の中で、再度大量の飛島株を購入したというのは不自然であると認定している。

(2) 確かに、長年の株取引の経験を有する伊三郎が、伊藤の情報程に株価が急上昇しないことから利益が出るうちに一旦全部の株を売却したことは容易に理解できる。しかし、だからといって、再度、飛島株を購入したことが不自然と認定することは論理の飛躍があり、経験則に反する心証形成である。

伊三郎は、昭和六一年中の飛島株取引により合計三九五五万円の利益を出している(甲二八調査書・38頁)のであるから、伊藤の情報程に同年の株価が急上昇しなかったとしても、飛島株を二度と購入しないとまで考えての売却行為であると認定することはできない。むしろ、三九五五万円もの売却益を得た伊三郎は、株価が上昇する状況になれば再購入しようと考えていたと評価するのが自然である。

(3) また、原判決は、株価が下落しつつある状況の中での再度の購入と認定しているが、これは明らかな事実誤認である。

伊三郎が昭和六一年一二月二日に飛島株を売却した単価は七九〇円であったところ、同人が昭和六二年一月二七日に二万七〇〇〇株を買い戻した単価は約一〇〇円高の八九八円であり、その三日後の同月三〇日に七万三〇〇〇株を買い戻した単価は一〇二〇円とさらに一〇〇円以上値上がりしている(別紙取引一覧表のうちNo.13伊三郎欄の売買単価参照)のであるから、伊三郎の再度購入は、飛島株の株価が急上昇しつつある局面で行われたことは明らかである。

そして、このように、飛島株の株価が急上昇しつつある局面であることを前提とすれば、売却後僅か一か月程であっても、伊三郎が再購入したことは何ら不自然とはいえない。

(4) そした、飛島株の再購入に際し、飛島株を非課税限度枠一杯まで購入することなく一〇万株にとどめたこと、それも一度に購入することなく、まず、二万七〇〇〇株だけを購入し、急騰するとみるやその三日後に七万三〇〇〇株を購入しているところ、このような株取引の仕方は、まさに豊富な株取引経験と慎重な性格を有する伊三郎特有のものである。

(5) さらに、前記第一点 第一四 一 二 四で詳述したように、伊三郎は、伊藤の株情報により、昭和六一年八月に東洋リノリューム株を購入し、これを昭和六二年五月まで売却せずに保有していたこと、また、原判決も認めるとおり(その経緯は第一点第一五記載のとおり)、昭和六二年四月には、やはり伊藤の株情報により、東洋電機製造株を購入しているのであるから、伊三郎が昭和六一年八月から昭和六二年五月までにわたって伊藤の株情報に基づく株取引をしていたことは明らかであり、伊三郎が伊藤の株情報を信じなくなったとの原判決の認定に明らかに反する事実が確認されるのである。

(6) 従って、これらの事実を無視し、伊三郎が昭和六一年に一旦飛島株全部を売却した事実のみを根拠として、昭和六二年一月に伊三郎が飛島株を際購入したことは不自然であると認定した原判決は、株価が下落しつつある状況との明白な事実誤認を前提とし、恣意的な証拠の取捨選択及び評価を行い、かつ、著しく経験則に反する心証形成を行ったものといわざるを得ない。

5 伊三郎の遺産分割協議書及び相続税の申告書について、伊三郎の相続財産とされた債権債務は、同人名義によるライフからの融資金のうちの返済未了分が実質的に同人の負債であるとの前提に、振り分けて計算上整理したという以上のものでないとの点について

(1) この点についての原判決の論旨は必ずしも明確でないだけでなく、論理法則に反した理由付けがなされるとともに、理由付け間の明らかな矛盾が認められる。

(2) 原判決は、小倉硝子工業から昭和六二年一月二七日に伊三郎の預金口座に振り込まれた六〇〇〇万円は、もともとライフの同人に対する融資枠を利用して昭和六一年に購入、売却された同人や株式会社でっち亭、ふみ、八重子、石幡寛子名義の飛島株の売却益の一部であり、その取引自体伊藤が右の者らの名義で行った可能性が極めて高いと認定している(原判決15丁表1行目から5行目)。

<1> しかし、原判決が指摘する右六〇〇〇万円(昭和六一年の右各人の売却益から小倉硝子工業に貸し付けられ一億円に対する返済金、甲二八調査書・46頁)は、伊三郎から伊藤に対する貸金として相続財産に組み入れられている六〇〇〇万円(昭和六二年三月の伊三郎とふみの売却益からコスモファイブに送金されたもの、甲二八調査書・38頁中段やや下の62・3・11)とは別の六〇〇〇万円であり、何故に、別個の資金の流れを引き合いに出しているのか全く理解できない。

<2> 従って、ここでの原判決の認定は、ライフの伊三郎口座を利用して昭和六一年に購入、売却された飛島株取引も伊藤が親族、でっち亭及び石幡寛子らの名義で行った可能性が高いといきなり何らの根拠を示すことなく結論付け、それをもって、伊三郎の昭和六二年の飛島株取引も伊藤に帰属すると強引に認定しようとするものと考えられる。

しかし、ライフの伊三郎口座を利用して昭和六一年に購入、売却された飛島株取引については、いずれも起訴されていないだけでなく、そのうち、伊三郎名義の取引については第一審判決も明確に伊三郎の取引であることを認めているのである。

<3> 原判決の右認定部分は、昭和六一年に購入、売却された伊三郎の飛島株取引自体伊藤が伊三郎の名義で行った可能性が高いとしているが、原判決は、別の箇所において、伊三郎が購入した飛島株の株価が急上昇しない状況にいらだちや不安感を抱き、伊藤からの株価上昇の情報を信用できずに同株全部を売却した(原判決174丁裏3行目から7行目)と認定し、昭和六一年の伊三郎名義の飛島株取引が伊三郎に帰属する取引であることを積極的に認めている。

従って、原判決の右認定部分は、前記第一点 第一三 二 4 (1) に詳述したとおり、明らかにそれ以前の認定事実と齟齬を生じている。このような理由中の判断の齟齬が生じたことは、論理法則、経験則に従った合理的な心証形成をしていないことの証左である。

(3) また、原判決は、『和代名義で昭和六一年、六二年に購入された東洋リノリューム株や、伊三郎を除く光江ら親族の名義による東洋電機製造株の購入資金にも、もともとライフの伊藤の融資枠を利用して伊藤自身や、和代、光江、ハツ江の名義で、あるいは小林の融資枠を利用して八重子名義で行われた飛島株の昭和六二年三月の売却益が用いられているから、右飛島株の取引は伊藤が右の者らの名義を使って行ったものとみるのが自然である(原判決15丁表5行目から10行目)と認定する。

しかし、右認定には、次のような明らかな事実誤認、論理法則及び経験則に反する心証形成が認められる。

<1> まず、原判決は、和代名義で昭和六一年に購入された東洋リノリュームの購入資金にも昭和六二年三月の親族らの飛島株売却益が用いられていると認定しているが、昭和六二年三月の売却益がその前年である昭和六一年の東洋リノリュームの購入代金となり得ないことはいうまでもないことであり、これは、論理法則に反した明白な事実認定である。

<2> また、和代名義の右東洋リノリューム株が現物品受されたのも昭和六二年一月八日である(乙二八調査書・45頁)から、同株の現物品受代金としても昭和六二年三月の売却益は利用されることはありえない。

従って、原判決の右論旨は、和代が昭和六一年中に購入した東洋リノリューム株の購入資金のことをいっているのか現物品受代金のことをいっているのか不明確であるが、いずれにしてもその後である昭和六二年三月の売却益が利用されることはないのであるから、論理法則に反した論旨である。

<3> 因みに、昭和六二年一月八日、和代の右東洋リノリューム株及びでっち亭の御幸毛織株の現物品受代金として用いられた金員は、伊三郎のライフ口座の保証金一億三〇〇〇万円余(甲二八調査書・45頁左上段)である。そして、検察側は、右金員が伊藤の資金であるとの主張をしていないだけでなくそのことを示す何らの証拠も提出していない。これは、右保証金が明らかに伊三郎の資金であって伊藤の資金でないことを検察側も認めざるを得なかったからに他ならない。

従って、伊三郎が自己の資金をもって積極的に親族らの株取引に関与していたことを示す右事実については、何ら検証することなく、ことさら無視し、すべての株取引が伊藤の取引であるとの重大な偏見のもとに事実認定を行っている原判決は、恣意的な証拠の取捨選択及び評価を行い、経験則に反する心証形成を行っているものといわざるを得ないのである。

<4> 以上によれば、原判決の右論旨は、ライフの伊藤及び小林口座を利用して購入し、昭和六二年三月に売却した和代、光江、ハツ江名義の飛島株取引は伊藤に帰属するとの認定事実から、直ちにライフの伊三郎口座を利用した和代名義の東洋リノリューム株や伊三郎を除く親族名義の東洋電機製造株の各株取引も伊藤に帰属すると結論付けるものにすぎず、これは、本来なされるべき個別の事実認定作業を回避するものであり、それぞれの事実によって異なる個別要因を排斥して事実認定しているとの非難を免れない。

(4) 原判決は、伊三郎の遺産分割協議書及び確定申告書記載の債権債務は、独立して伊三郎から貸し付けられたことを示す明確な資料がないとした上、結局のところ、伊三郎が死亡した時点における同人名義による債務からの融資金のうちの返済未了分が実質的に同人の負債であるとして、振り分けて計算上整理したというもの以上のものでない(原判決15丁表1行目から同丁裏8行目)と認定する。

<1> しかし、原判決の『振り分けて計算上整理した』という理由付けは必ずしもその意味が明確ではない。

伊三郎がライフから融資を受けて返済未了となっていた一億三八〇〇万円余の債務と伊三郎のコスモファイブに対する七六〇〇万円余、和代に対する三二〇〇万円余、光江に対する三〇〇〇万円余の融資金については、転貸融資の性質上、計算上振り分けたとの認定もその範囲において理解できなくもない(伊三郎がライフからの借入金をコスモファイブらに転貸融資している以上、このような記載となるのはむしろ当然である)が、伊藤に対する六〇〇〇万円及び二四〇〇万円の各貸付金については、伊三郎の伊藤に対する同貸付金に見合う反対債務もないのであるから、原判決の『振り分けて計算上整理した』という理由付けは全く意味不明といわなければならない。

<2> 原判決は、伊三郎から伊藤に貸し付けた明確な資料はないというが、六〇〇〇万円については昭和六二年三月一一日に伊三郎が同人及びふみの飛島株取引の売却益をコスモファイブの口座に送金しているとの明確な資料が存在しており(甲二八調査書・38頁)、伊三郎が伊藤に貸し付けたものであることについては前記第一点 第一三 二 3及び二 2 (4)において詳述したとおりである。

<3> また、伊三郎から伊藤に多額の貸付金をしても何ら不自然でないことを窺わせる資料として、過去にも伊三郎が伊藤の経営する協和ファクターに五二〇〇万円の貸し付けを行っていたこと及びやはり伊藤が経営するでっち亭のために自宅などを不動産担保(被担保債権額八〇〇〇万円)として提供していた事実(弁五七~六〇、六一)が認められるのである。

<4> そして、何よりも明確な資料として遺産分割協議書及び相続税の申告書の存在が上げられる。

後記三 1 (5)記載のとおり、右遺産分割協議書及び相続税の申告書の記載内容は、伊三郎が昭和六一、六二年の飛島株取引等によって取得した売却益が同人の昭和六一年四月当時の資産に上乗せされて記載されていること、同書類が本件が摘発されるずっと以前に作成されていること、その内容に基づく相続税二一一七万円が納付されていること等の事実が認められるのであるから、これは明らかに客観的かつ合理的資料と言うべきである。従って、それ以外に明確な資料がないとして遺産分割協議書及び相続税の申告書の内容が事実に反していると認定することは、極めて恣意的に証拠の評価及び論理法則に反する事実認定を行ったというべきである。

<5> 以上のとおり、原判決は、右遺産分割協議書及び相続税の申告書の記載内容は偽装であると断ずるが、そこに記載されている伊三郎から伊藤への右貸付金六〇〇〇万円及び二四〇〇万円の存在を裏付ける明確な資料・根拠としては、イ・伊三郎が伊藤又は同人が経営する会社に対して以前から多額の貸付乃至担保提供をしていた事実が認められること、ロ・右各貸付金のうち六〇〇〇万円については、伊三郎からコスモファイブの口座に送金された事実が認められること(甲二八調査書・38頁)及び、ハ・遺産分割協議書及び相続税の申告書には右六〇〇〇万円及び二四〇〇万円が伊三郎から伊藤に対する貸付金である旨明記され、かつ、これらの書類は、本件嫌疑がかかるずっと以前に作成された飛島株取引による資産の増加と内容的にも合致する明確な書証であること、ニ・この申告書に基づく相続税が支払われており、右書類が単に当事者間における書証に止まらないで税務署に提出済の公の文書であること等が認められる。従って、これら事情を総合すれば、右各貸付金が伊三郎から伊藤に貸し付けられたことは明らかというべきであり、右事情を充分に考慮することなく、『貸付金である明確な資料』が存在しないとしてこれを否定した原判決の認定は、著しく経験則に反する事実誤認というべきである。

6 被告人が支払うべき相続税が一五五〇万円以上多くなったとしても経済的痛痒を感じるほどのことでないとの点について

(1) まず、原判決は、『伊三郎と伊藤が、昭和六二年七月頃に一度精算したとの供述があるのに、その時点で伊三郎から伊藤に貸した六〇〇〇万円を精算しなかったのか疑問である』旨(原判決16丁表2行目から5行目)論ずる。

その趣旨は必ずしも明確でないが、昭和六二年七月頃に精算したのに六〇〇〇万円の貸金が存在しているのは不自然であるとの趣旨であると思われる。しかし、実際には、右貸付金六〇〇〇万円の他の貸借関係を精算して二四〇〇万円の貸付金を確認し合ったものであり、何ら不自然ではない。

そもそも、貸借の精算というものには全額を返済して債務を精算する場合だけでなく、これまでの複数の貸借を精算し、利率を異にした二本の貸借額にまとめることも含まれるのであるから、精算したとの供述のみを根拠に原判決の如き右認定をすることは明らかに経験則に反する事実誤認である。

(2) また、原判決は、伊三郎が伊藤に貸したと主張する六〇〇〇万円は、伊藤がライフの自分の融資枠を利用し、信用取引により購入した東洋リノリュームや御幸毛織の株の品受代金に充てられ、右各株の売却代金が証券会社の保証金としてライフの口座に入金されており、この時点での計算上の売却益は五八六〇万円余であることから、伊藤とライフとの間で精算することが予定されていたものとしたうえで、右六〇〇〇万円を伊三郎の相続財産として相続税の対象としたからといって経済的に痛痒を感ずるほどのことではない(原判決16丁表5行目から同丁裏3行目)と認定する。

<1> ここでも、原判決の趣旨は必ずしも明らかではないが、伊三郎から伊藤に貸した六〇〇〇万円が伊藤の東洋リノリュームや御幸毛織の株の品受代金にも充てられていること及びそれらの売却により右六〇〇〇万円とほぼ同額の五八六〇万円余の株売却益を伊藤が得ていることから、一五五〇万円程度の相続税額の増加は痛痒を感じるほどではないとの論旨であると思われる。

<2> しかし、原判決が右株取引において五八六〇万円余の株売却益が発生しているとする点は、前記第一点 第一四 四 3においても論述した明らかな事実誤認である。

すなわち、株式現物取引損益計算合計表(六二年分、甲二八調査書・12丁)によれば、東洋リノリュームの株取引による利益は、伊藤と和代の取引を合わせても一二八三万七四七六円にすぎないのであり、また、昭和六三年に売却した御幸毛織株は損をして売却しているのであるから、伊藤の東洋リノリューム及び御幸毛織の株取引だけで五八六〇万円余もの売却益が発生したとの右認定は明らかな事実誤認である。

原判決の計算ミスは、推測するところ、飛島株売却に関する資金の移動状況(甲二八調査書)の四一頁中記載の東洋リノリューム及び御幸毛織株の売却代金額から品受代金額を単純に差し引いたものと考えられるが、右東洋リノリューム株の売却代金には品受代金には含まれていない松尾治樹の三万株が含まれており、また、御幸毛織株の売却代金には品受されていない残りの二万五〇〇〇株の売却代金も含まれているのである。

<3> また、原判決は右東洋リノリューム及び御幸毛織の株取引に要した経費等を無視している。

従って、東洋リノリューム及び御幸毛織の株取引で多額の売却益を得ているのであるから一五五〇万円程度の負担をしても痛痒を感じないとの原判決の論旨は、明らかに証拠の取捨選択及び評価を誤って単純な計算ミスを犯したことによる明らかな事実誤認に基づく経験則に反した心証形成である。

三 昭和六二年一月に購入し、同年三月に売却した伊三郎及びふみの飛島株取引に関する原判決の事実認定が全体として第一記載の各判例に違反していること

伊三郎、ふみの右飛島株取引を伊藤に帰属する取引とした原判決の個別事実ごとの事実認定が第一記載の各判例に反していることは前記一 二において詳述したとおりであるが、ここでは、さらに、伊三郎及びふみの右飛島株取引の実体を全体として総合的に検証することによって、伊三郎及びふみの右飛島株取引が伊藤に帰属するものではなく各人に帰属することを明確にし、伊三郎及びふみの右飛島株取引が同人らに帰属するものであることを論証し、原判決に証拠の取捨選択、評価に関する判例違反があることを明らかにする。

1 伊三郎の右飛島株取引

(1) 資産、株取引の経験の有無

<1> 原判決は、昭和六一年四月当時、和代、八重子、光江、ハツ江が、いずれもさしたる資産は持たず、株取引の経験もなかったとし、これらの事実を伊藤の名義借りの根拠としている。

<2> しかし、そうであるなら、約三億円の資産を有しており、長年にわたって株取引を行っていた伊三郎には、明確に反対の事実が認められる。

すなわち、伊三郎が長年の株取引の経験を有していることは原審も認めるところであり、また、昭和六一年四月当時、伊三郎が約三億円の資産を有していたことは、ライフに対する証券ローン申込書(弁一一二)、協和ファクターの修正確定申告書(弁一一〇)、遺産分割協議書(弁一三三)及び相続税の申告書(弁一三四)から明らかである。

<3> 従って、このような伊三郎が独自の取引を行っていたことを根拠付ける各事実をことさら無視した原判決の認定は、恣意的な証拠の取捨選択が行われたとの非難を免れないものである。

(2) ライフの保証金も伊三郎の資金であること

<1> 第一審以来、右飛島株取引を含む本件各株取引は誰の損失負担のもとに行われたかが問題とされているところ、前述のとおり、昭和六二年三月まで、ライフの伊三郎口座の保証金として入金されていた資金はすべて伊三郎の資金であり、これ反して伊藤の資金であることを示す証拠は一切存在していないのである。従って、伊三郎の融資枠を利用して伊三郎がライフから借り受けた資金を購入資金とする株取引は、伊三郎の損失負担のもとに行われたものと認定するのが経験則上当然であるところ、伊三郎の損失負担のもとに行われたものでない特段の事情の存在を明確にすることなく、いきなり伊藤の損失負担による取引であると認定することは著しく経験則に反する心証形成といわなければならない。

<2> 原判決は、右の批判を避けるためか、前記のとおり、伊三郎のライフ口座が実質的には伊藤の口座であるとの結論を導こうとして、当初の保証金二〇〇〇万円のうち一〇〇〇万円は伊藤が入金した(原判決12丁裏1行目から5行目)等と様々な論証を試みている。しかし、それらはいずれも明らかな事実誤認であったり、その誤った認定事実を前提とした推論であったり、著しく経験則に反した証拠の取捨選択や評価にすぎないことは前記二 1及び2のとおりである。

(3) 伊三郎名義で昭和六一年中に売却した飛島株、昭和六二年四月に購入し、同年七月に売却した東洋電機製造株及び昭和六一年八月及び昭和六二年三月に購入して昭和六二年五月に売却した東洋リノリューム株は伊三郎の取引であることとの整合性

<1> 伊三郎が昭和六二年一月に購入し、同年三月に売却した飛島株取引に関する原判決の事実認定が誤っていることは、伊三郎の右(3)記載の各株取引の帰属主体が伊三郎であることとの整合性からも論証することができる。

<2> すなわち、原判決は、伊三郎名義で昭和六二年四月に購入し、七月に売却した東洋電機製造株は伊三郎の独自取引であると積極的に認定し、さらに伊三郎名義による昭和六一年中の飛島株についても第一審判決と動揺に伊三郎が昭和六一年中に自己の判断で飛島株を全部売却した旨認定している(原判決14丁裏3行目から7行目)のであるから、この限りでは、伊三郎の独自取引と認定しているものと思われる。

<3> また、前記第一四 二のとおり、原判決は、伊三郎が東洋リノリューム株取引を行っていることを見落としているが、同株が三洋証券野田支店で取引されていること及びその売却代金一二一一万〇一二五円の昭和六二年五月一三日付領収書に伊三郎の直筆の署名がある(高裁弁一)ことから、この取引も伊三郎の独自取引であることは客観的な証拠上明白である。

<4> このように、右<2>及び<3>の株取引は伊三郎の独自取引であることは疑う余地もないところ、これらの株取引と昭和六二年一月に購入し、同年三月に売却した伊三郎名義の飛島株取引とがその帰属主体において異なる合理的根拠は何ら示されていないのである。

唯一、右(3)記載の各株取引と昭和六二年一月に購入し、同年三月に売却した伊三郎名義の飛島株取引とで異なっている点は、飛島株を購入した証券会社がコスモ証券池袋支店であることのみであるが、それはライフからコスモ証券とも取引をしてほしい旨の依頼があったためであり、昭和六一年中にライフとの取引を繰り返し行っていた伊三郎がコスモ証券で取引をしたことは何ら不自然ではない(ここでの口座開設、売買注文手続等の経緯については前記第一点 第六記載のとおりである。)。

<5> 従って、伊三郎の昭和六二年一月に購入し、同年三月に売却した飛島株のみを同人の前記(3)記載の各株取引と区別し、伊藤に帰属する株取引と認定したことは証拠の取捨選択及びその評価を誤り、結局、経験則に反する心証形成をしたものである。

(4) 伊三郎の株取引の特徴について

<1> 長年の株取引の経験を有する伊三郎が行った伊三郎名義のすべての飛島株取引については、伊藤及び伊藤の情報に従って飛島株取引をした親族らとは明らかに異なる株取引の特徴がある。

<2> すなわち、伊三郎は、前記のとおり、自己の株取引と同時にでっち亭での飛島株取引を任されて行っていたところ、それらの株取引には、他の取引と異なり、購入または売却しようと考えた株数の注文を一度に出すことなく、株価の経過を見ながら数万株づつ売買注文を出すなど、株取引の経験者としての特徴が見られるのである。

<3> そして、昭和六二年一月の飛島株購入においても、伊三郎は、株価を確認しながら、ふみと同時に購入することはせず、値上がり状況を確認してまず二万七〇〇〇株だけを購入し、その後三日ほどで株価が一〇〇円以上も値上がりして急騰すると判断した時点でさらに七万三〇〇〇株を追加購入している状況が確認できるのであり、情報だけでなく株価の経過を見ながら買い注文を出す伊三郎の株取引の特徴が認められるのである。

<4> 従って、このことからも、昭和六二年一月に購入し、同年三月に売却された伊三郎名義の飛島株取引が伊三郎の計算のもとに行われたことは明らかなのである。

(5) 遺産分割協議書及び相続税の申告書について

<1> 原判決は、遺産分割協議書及び相続税の申告書に伊三郎の飛島株売却益六五〇〇万円のうち六〇〇〇万円が記載され、それを相続した伊藤が相続税を納めている事実について、前記二 5および6のとおり、事実誤解の事実を前提とする推論及び著しく経験則に反し、かつ、意味不明の推論等に基づき、否定乃至無視しようとしている。

<2> しかし、そもそも、右協議書及び相続税の申告書が伊三郎の飛島株取引の帰属を認定する根拠とならないとするためには、伊三郎の飛島株取引等の売却益が右協議書及び相続税の申告書に記載されていないことを認定するべきであるにもかかわらず、原判決は、その点について何ら検討することなく、右各証拠は証拠価値を有しないとか偽装工作によるものとか結論づけるにすぎないものであり、根拠のない憶測に基づく認定といわなければならない。

<3> そして、次のとおり、右協議書及び相続税の申告書には、明らかに、伊三郎が飛島株取引によって取得した売却益が記載されているのである。

イ まず、伊三郎の貯蓄金として合計五〇五〇万四五〇八円、貸付金として、二億二二九五万〇六〇二〇円の合計二億七三四五万五一二八円の存在がそれぞれ記載され、同人の債務としてはライフからの借入金一億三八九五万〇六二〇円と伊三郎が入院していた小張病院に対する未払金三五万四四一〇円の合計一億三九三〇万五〇三〇円しか記載されていないことから、伊三郎の死亡時である昭和六二年八月時点において、伊三郎が不動産以外の資産として右の差額である一億三四一五万〇〇九八円相当の金銭的資産を有していた事実が認められる。

ロ 次に、昭和六一年四月当時、伊三郎が有していた不動産以外の金銭的資産としては、ライフに対する証券ローン申込書(弁一一二)に自ら記載した預貯金二〇〇〇万円、株券五〇〇万円と協和ファクターの修正確定申告書(弁一一〇)に記載されている協和ファクターに対する五二〇〇万円(伊藤の記憶に基づく供述によれば、伊三郎から伊藤、協和ファクター及び小倉硝子工業に対する貸付金は合計約六〇〇〇万円)の存在が確認されており、その合計は七七〇〇万円(伊藤の供述によれば約八五〇〇万円)であった。

ハ よって、右イの伊三郎の死亡時の金銭的資産額一億三四一五万〇〇九八円から右ロの昭和六一年四月時点の伊三郎の金銭的資産額七七〇〇万円(伊藤の供述によれば八八〇〇万円)を差し引くと五七一五万〇〇九八円(伊藤の供述によれば四九一五万〇〇九八円)となる。従って、右協議書及び相続税の申告書には、昭和六一年四月以降に伊三郎が取得した増加資産が記載されているのである。

ニ そして、その間、伊三郎が胃ガンの手術を行い、その入院費及び伊三郎とふみの生活費として多額の出費(約二〇〇〇万円程度と考えられる)があった事情を勘案すると、伊三郎に野田のアパートの賃料収入があるとしても、右約五七〇〇万円(伊藤の供述によれば約四九〇〇万円)に及ぶ資産増加は伊三郎の飛島株取引等の売却益によるものあることは疑いの余地がないものであり、かつ、増加した資産額も伊三郎が得た飛島株等の売却益金額と合致しているのである。

<3> 従って、右協議書及び相続税の申告書には伊三郎の飛島株取引等によって得た飛島株取引の利益が伊三郎の資産の増加分として記載されており、かつ、その増加分に対応して増加した相続税額が申告されて納付された事実が認められのであるから、原判決が述べるように単に計算上振り分けたものでないことはこの点からも明らかである。

<4> 以上の事実によれば、右協議書及び相続税の申告書の記載内容は虚偽と評価できないことは経験則上疑う余地のないものであり、右事実を示す明確な証拠が既に提出されていたにもかかわらず、ことさら、伊藤の言い分を客観的に裏付ける証拠を理由なく否定することに終始している原判決は、恣意的な証拠の取捨選択及び評価を行い、かつ、著しく経験則に反する心証形成を行ったものである。

(6) 税務実務に反する事実認定について

原判決は、伊三郎の飛島株取引等による売却益を正直に伊三郎の相続財産に加え、増加した相続税額(伊藤分の増加税額は約一五五〇万円である。控訴審弁三)をキチンと納付しているにもかかわらず、これを虚偽の申告であると断定したり、でっち亭が同社の株取引による売却益を同社の所得として申告しているために起訴されていない事実があるにもかかわらず、同社の取引も伊藤の名義借りであるかの如き推測しているが、これらの心証形成は、税法に従って真面目に申告した行為の意味内容を何ら合理的理由なく歪曲するものであり、税法違反が問われている本件の認定方法としては著しく正義に反する不相当なものといわなければならない。

このような無理な証拠評価にもとづく論旨展開をしなければ伊三郎の飛島株が伊藤に帰属していることを説明できないということ自体、原判決の事実認定が誤っていることの証左である。

(7) 伊三郎に関する資金の流れについて

<1> 国税局及び検察側は、伊藤及び伊三郎(でっち亭及び石幡寛子などについても同様である)に関するすべての資金の流れを調査により把握しているものであるところ、本件事件では、検察側に有利な資金の流れのみをチャートにして提出している(甲二八調査書)。従って、伊藤の犯罪立件に不都合又は無関係と思われる資金の流れは右チャートに記載されていない。

<2> そうであるから、原審裁判所は、検察側提出のチャートに記載のない資金の流れについては慎重に検討する必要があり、右チャートで不明確な事実については検察側に釈明するなどして事実認定を行うべきところ、原判決は、前記二 1及び2のとおり、伊藤に不利なように資金の流れの意味内容を恣意的に歪曲して理解し、『伊藤の融資枠を利用して購入した飛島株の売却益がライフの伊三郎口座に入金されているのは同口座が伊藤に帰属しているためである』等と評価している(原判決12丁裏5行目から9行目)点において、証拠の評価に際して合理的な疑いを持つべき点を見逃し又は敢えて無視した結果、証拠の評価を誤り、かつ、経験則に反する心証形成を行ったものである。

<3> そして、弁護側は、原審裁判所が前記の如き明らかな事実誤認及び証拠の誤った評価を行っていることを知ることができなかったため、それに対する反論の機会を与えられることもなく原判決が言い渡されているのである。

<4> しかし、繰り返して述べるが、少なくとも、伊三郎については、昭和六二年三月までは、伊三郎が伊藤に対して、自己の資金(前記のとおり昭和六一年四月当時、伊三郎には約八五〇〇万円の金銭的資産があったのである。)を提供した事実はあっても、その逆は認められないのであるから、伊三郎のすべての株取引は伊三郎の自己資金において行われているのである。

(8) 伊三郎が伊藤に売却益を貸し付けたこと

以上述べたところによれば、つきつめるところ、昭和六二年一月に購入され、三月に売却された伊三郎名義の飛島株取引が伊藤に帰属するのではないかとの疑いは、同株の売却益が伊三郎から伊藤に貸し付けられている一事から生じているものというべきである。

しかし、この点についても、昭和六一年四月以前から伊三郎は伊藤及び同人が経営する会社に対して金銭消費契約書等を作成することなく、当事者間の手帳の記載による確認のみの方法で多額の貸付を行っていたこと、昭和六一年中に売却した伊三郎の飛島株の売却益も伊藤に貸し付けていることなどの事情が認められるのであるから、昭和六二年一月に購入し、同年三月に売却した飛島株の売却益の貸付のみが真実の貸付でないとする合理的理由は何ら認められないのである。

(9) まとめ

従って、伊三郎名義の昭和六二年一月に購入し、同年三月に売却した飛島株取引が伊三郎に帰属することは明らかであり、これに反する事実認定を行った原判決は、前記第一記載の各判例に違反していることが明らかである。

2 ふみの右飛島株取引

右1のとおり、昭和六二年一月に購入され、三月に売却された伊三郎名義の飛島株取引は伊三郎に帰属していることは明らかである。そして、次に述べるとおり、伊三郎の妻であるふみ名義の昭和六二年一月に購入され、三月に売却された飛島株取引もふみに帰属しているものである。

(1) 基本的な考え方

これまで述べたように、本件飛島株取引について、伊三郎は伊藤とともにライフの保証金を提供したり、親族らの株取引を勧めるなど中心的役割を担っていたことは疑う余地がないものである。そして、伊三郎の妻であるふみは、伊藤ではなく伊三郎の勧誘に基づき飛島株取引を開始したと認定するのが経験則上自然である。

(2) 資金

繰り返し述べるように、少なくとも昭和六二年一月まではライフの伊三郎口座に伊藤の資金は一切入金されていないのであるから、ふみ名義の昭和六二年一月に購入し、同年三月に売却した飛島株取引についても、伊藤の資金ではなく伊三郎の資金(昭和六二年中のふみの売却益を含む)が使用されているのである。

(3) 株取引の特徴

ふみ名義の本件飛島株取引の売買状況は、昭和六一年中に飛島株を一旦全部売却している点及び昭和六二年一月に再購入して三月に売却している点など基本的に伊三郎と同様であり、伊藤とは異なっている。

(4) 昭和六一年中のふみ名義の飛島株取引が起訴されていない事実

ふみ名義の飛島株取引を含めて昭和六一年中にライフの伊三郎口座を利用して行われた株取引は一切起訴されていないが、それは、前記のとおり、形式的にみても伊三郎の資金による取引(実質的には各人の借り入れた資金による各人の取引である)であり、その取引における売買の判断も伊三郎を中心としてなされていることが明らかであるためと思われる。

そして、そうであるなら、ふみ名義の昭和六二年一月に購入され三月に売却された飛島株取引も前記のとおり伊三郎名義の同時期の飛島株取引が伊三郎に帰属する取引である以上、少なくともいきなり伊藤に帰属する取引と認定することは著しく経験則に反する心証形成であるといわなければならない。

(5) まとめ

<1> 前記第一点 第六 二において詳述したとおり、ふみ名義の昭和六二年一月に購入され三月に売却された飛島株取引はふみに帰属している。

<2> そして、原判決には、ふみ名義の昭和六二年一月に購入され三月に売却された飛島株取引が誰に帰属するかを認定するに際し、伊三郎に帰属する可能性を検討することなく、いきなりふみではなく伊藤に帰属するとの認定を行っている点において明らかに経験則に反した心証の形成過程が認められる。

すなわち、前記のとおり、伊三郎名義の昭和六二年一月に購入し三月に売却された飛島株取引が伊三郎に帰属するものである以上、万一、ふみの飛島株取引がふみ以外の第三者に帰属する取引であるとしても、それは伊藤ではなく伊三郎が帰属する取引と考えるのが経験則上自然である。にもかかわらず、その点を何ら検討することなく、伊藤に帰属する取引であるとの結論を導き出している原判決には、著しく経験則に反する重大な事実誤認があるといわざるを得ないのである。

<3> むしろ、第一審及び原審には、ふみ名義の右飛島株取引がふみ又は伊三郎に帰属しているものであって伊藤に帰属するものではないとの結論を避けようとするあまり、前記のように明らかに伊藤に帰属すると認定できない伊三郎の飛島株取引に帰属する取引であるとの著しく正義に反する重大な事実誤認に陥っているとさえ思われるのである。

これは要するに、証拠の取捨選択及び評価を誤って著しく経験則に違反する心証形成を行った結果であり、第一記載の各判例に違反している。

第三 和代名義の東洋リノリューム株取引について

一 原判決は、和代名義の東洋リノリューム株取引について、(1)さしたる資力のない和代が、伊藤と同時期に、しかも、同株を購入しない伊三郎から多額の借金を重ね、投機性の高い信用取引の方法で八万九〇〇〇株もの東洋リノリューム株を購入したと考えられないこと、(2)和代名義の東洋リノリューム株一〇万株の売却代金が伊藤の預金口座に入金され、伊藤と伊三郎間に右売却代金について消費賃貸契約が行われたり、以後和代がこれを使ったことを窺わせる資料はないことを根拠として摘示する。

二 しかし、前記第一点 第一四 四に詳述したとおり、(1)伊三郎が東洋リノリューム株を購入していないとの点、(2)和代が信用取引の方法で購入したとの点は客観的な証拠に反する明らかな事実誤認である。

三 また、和代名義の右東洋リノリューム株は前記第一点 第一四 四記載のとおり、ライフの利息・手数料などの経費を含めれば損が生じているのであるから、以後和代が使ったことを窺わせる資料がないことはむしろ当然であり、何ら伊藤の取引であったころを理由づけるものではない。

四 さらに、伊藤と伊三郎間に和代名義の東洋リノリューム株の売却代金について消費賃借契約が行われていないとの根拠については、その趣旨が必ずしも明確ではないが、前記第一点 第一四 四 2に詳述したとおり、伊藤と伊三郎間では、昭和六二年一月八日の現物品受代金分を、昭和六一年三月一一日、ふみへの送金の方法により精算したものであり、同時点では、伊三郎の伊藤に対する六〇〇〇万円の貸付金のみとなっていたのであるから、和代の東洋リノリューム株の売却代金について消費賃借契約が行われていないからといって、右取引が伊藤に帰属する根拠となり得ないことは経験則上明らかである。

五 因みに 昭和六一年中の東洋リノリューム株の購入は、伊藤名義及び和代名義を合計しても一五万九〇〇〇株(伊三郎名義分を含めても一七万三〇〇〇株)であって非課税枠の株数を下回っている。また、伊藤は昭和六一年中に東洋リノリューム株を六万株しか購入していないが、それは、同人の資金では同株をそれだけしか購入できなかったためである。従って、昭和六一年八月当時、伊藤が和代の名義を借りて株取引を行う必要はまったくなく、伊藤に和代の名義を借りて株取引を行う意思がなかったことは明らかである。

六 そして、和代名義の東洋リノリューム株の購入源資は、当初伊三郎のライフ口座からの借入金であり、ライフから融資を受けるために必要な保証金を出しているのは伊三郎であるから、購入資金も保証金も提供していない伊藤の取引であったと認定できるだけの積極的根拠が示されなければならないところ、そのような根拠はまったく示されていないのである。

万一、伊三郎において、伊藤名義の東洋リノリューム株購入のためにライフの枠だけでなく、その保証金まで提供して名義借り取引に協力しているというのであれば、伊藤としては、なにも和代の名義を借りる必要はなく、伊三郎の名義を借りて東洋リノリューム株を購入すれば足りた筈であるから、和代名義の東洋リノリューム株取引が伊藤の取引であると認定するためには、伊藤が伊三郎ではなく和代の名義を借りた点についても合理的根拠が示されなければならないが、この点についても、原判決は何ら合理的説明をしていない。

七 従って和代名義の東洋リノリューム株取引に関する原判決の認定事実は、明らかに複数の事実誤認を前提とする著しく経験則に反し、かつ、伊藤に帰属するとの根拠が何ら示されずに行われた事実誤認であり、前記第一記載の各判例に違反するものである。

第四 親族ら名義の東洋電機製造株取引について

一 原判決は、親族ら名義の東洋電機製造の株取引について、(1)各親族らが同株の売却代金を最終的に処分した形跡が窺われないこと、(2)さしたる資力のない親族らが、東洋リノリューム株の場合と同様、伊藤や伊三郎から多額の借金を重ねて大量の東洋電機製造株を購入したとみるのは不自然であることを根拠として、これらは伊藤の取引である(原判決17丁裏4行目から18丁表10行目)と認定している。

二 しかし、前記第一点 第一五にも記載しているとおり、親族らは、飛島株取引により多額の売却益を得ているのであるから、『さしたる資力のない親族』との認定は事実誤認である。

また、親族らは、飛島株取引による利益を伊藤に貸し付けていたため、それとは別個に伊藤又は伊三郎から融資を受けて東洋電機製造株の取引をしていたのであって、多額の借金を『重ねて』との認定もまた事実に反している。

そして、東洋電機製造株の取引は、親族らが伊藤又は伊三郎から融資を受けて購入していたため、その売却益についても伊藤又は伊三郎との間で精算されているのであり、親族らが最終的に処分していないとの認定もまた誤りである。

三 原判決は、第一審において伊藤の名義借り取引であると認定されていた伊三郎名義の東洋電機製造株二万二〇〇〇株についてのみ、「口座設定及び印鑑登録申込書」や領収書の署名が伊三郎の筆跡であること等から伊藤の取引でないと認定している。

しかし、このように疑う余地の全くない証拠がある場合に限って伊藤の取引でないと認定する姿勢は、まさに「疑わしくは被告人の利益に」との刑事裁判の大原則に反すると認定といわざるを得ない。

第五 ふみ名義の堺化学工業株取引について

一 原判決は、ふみ名義の堺化学工業株取引について、(1)伊藤に頼んで都内の証券会社に取引口座を設定していること、(2)遺産分割協議書の記載自体の信用性に疑問があること、(3)伊藤が同時期に多量の同一銘柄株の取引をしており、非課税取引限度枠を意識していても不自然でないこと、(4)ふみが伊藤からの情報で堺化学工業株を購入したと供述しているのに対し、伊藤が公判廷において親族らに堺化学工業株を勧めたことはないと供述していること等を根拠として伊藤の取引であると認定する。

二 しかし、原判決が、伊三郎の資産内容に合致し、かつ、それに基づく相続税を納付している右遺産分割協議書の記載自体の信用性を否定することは前述のとおり極めて不当な判断である。そして、原判決の右(2)の理由は、ふみが多額の銀行預金を相続したこと及びふみが相続した銀行預金を堺化学工業株の購入資金としたことまで否定する趣旨と思われるが、それを裏付ける根拠は何ら示されていない。

1 ふみは、遺産分割協議書記載のとおり、亡伊三郎名義の不動産についてはふみ名義への所有権移転登記手続を行い、銀行預金についてもふみの名義に変更する手続を完了しているのである。にもかかわらず、ふみが銀行預金を相続したことが信用できないとする原判決の右認定は、何らの合理的根拠なく、ふみの独立した人格を否定し、ふみの経済活動はすべて伊藤に帰属するとの視点に立脚した心証形成であって極めて経験則に反する独断としか言いようのないものである。

2 ふみは、伊三郎から相続した預金約五〇〇〇万円のうち約三〇〇〇万円で堺化学工業株を購入している(弁一三三-遺産分割協議書・ふみ平4・4・24付法廷証言44丁裏末行から46丁表1行目)のである。従って、同株取引がふみに帰属する取引であることは明らかである。

右遺産分割協議書が事実である以上、飛島株取引において親族らに購入資金がないことを伊藤の取引と認定する主要な理由としておきながら、ふみが自らの資金で購入しているふみ名義の堺化学工業株についてその点をまったく無視する原判決の判断一貫しない認定方法であるとの非難を免れない。このことは、原判決が、多数の客観的な証拠の評価及びこれに基づく個々具体的な事実認定を軽視し、合目的かつ恣意的な証拠の選択とこれに基づく誤った心証形成を行ったことを端的に示すものである。

三 また、伊藤が非課税取引限度枠を意識し、ふみの名義を借用しようと考えていたならば、ふみが購入した二万株という株数はあまりにも少なすぎるものであって不自然・不合理といわなければならない。

四 さらに、原判決は、ふみが伊藤に頼んで都内の証券会社に取引口座を設定して信用取引をしていることや堺化学工業株を伊藤がふみに勧めたか否かについての両者間の供述が食い違っていることをふみ名義の堺化学工業株が伊藤に帰属していることの根拠として指摘するがその趣旨は必ずしも明確でない。

堺化学工業株を勧めた息子に対して母親がその口座開設及び信用取引による購入手続を依頼したことは、取り立てて問題とすべき事実とはいえず、また、何年も前の出来事である堺化学工業株を伊藤が勧めたか否かは、数年経た後において当事者間に記憶違いがあっても何ら不思議はないことがらというべきであるから、これらをことさら理由として取り上げるのは経験則上相当ではない。

五 原判決は、『なぜ、信用取引の方法で堺化学工業株を購入したのか、同株の売却益について借用書も取らずに被告人に貸したのか不可解である』と指摘するが、株式情報が伊藤からもたらされたものであり、かつ、信用取引の方法によればふみ所有の現金約三〇〇〇万円を効率的に運用できるとの勧めがあったためその勧めに従い、別の口座開設と売買注文手続を伊藤に依頼したものである。

購入資金を捻出し、損失負担を覚悟して依頼したのがふみである以上、ふみの株取引であることは間違いない。その後、売却益を借用書もなしに伊藤に貸し付けたからといって、母子関係における賃借として必ずしもあり得ないことではない。購入原資がふみのものであるという事実が認定される限り、原判決の理由は理由たり得ないものばかりである。

六 ふみは、昭和六二年五月頃から、野田の東武証券や池袋の大和証券で日立製作所、川崎重工、神戸製鋼等多くの銘柄の取引をしており(ふみ平4・4・24付法廷証言39丁表以降)、ふみの手帳(甲一四九)には、昭和六三年から平成元年にかけて、ふみが、川崎重工、安川電機、神戸製鋼、石原産業、富士通ゼネラル、井関農機及びにっかつなどの多数銘柄の株取引を行い、一二九三万五〇〇〇円を支出していたことを示す記載がなされている(同手帳の表紙のコピー参照)のであるから、昭和六二年八月以前よりふみが自ら主体的に株取引をしていたことは明らかなのである。

(弁論要旨219頁の<4>)

七 従って、ふみが伊三郎から相続した金員をもって購入した堺化学工業株がふみの取引であることは疑いの余地がないものであり、右事情を考慮せず、前記のとおり何ら合理的理由を示すことなく、伊藤に帰属する取引であると認定した原判決は、恣意的な証拠の取捨選択及び評価を行い、著しく経験則に反する心証形成をしているものであって前記第一記載の各判例に違反していることは明らかである。

第六 松尾、小林の検面調書による事実認定の違法について

一 原判決の心証形成の方法について

松尾、小林の第一審公判廷の各供述は、信用性が十分認められ、これを裏付ける他の客観的な証拠が十分に存在しているにもかかわらず原判決は、これを恣意的に無視し、これと内容的に齟齬する同人らの信用の乏しい検面調書に基づいて事実認定をなしたものであるが、右判断は、経験則に反した証拠の取捨選択並びにその評価を行い、その結果、著しく重大な事実誤認を犯したものであって、この心証形成の方法は前述した最高裁判所の諸判例に反しているものというべきである。

以下、原判決による松尾、小林の検面調書や法廷証言を摘示したうえで、伊藤と松尾、小林との交渉の事実内容を述べ、更に、松尾、小林の法廷証言を検証しつつ、原判決の判断が判例に違反している理由につき、弁護人の主張を述べる。

二 松尾、小林の検面調書による原判決の事実認定について

1 原判決は9丁表末行から10丁表にかけて、松尾、小林の検面調書を証拠採用して事実認定に供しており、同人らの公判廷における極く一部の証言に対する判断も述べている。

その内容は、

イ 検面調書については、

「・・・右両名とも、捜査段階においては、被告人から脱税指導を受けたことを認め、その指導内容として、右両名が妻や親族らの名義を使用して株の取引をする場合、その取引名義人ごとの取引数が二〇万株を超えなければ、家族全員の取引総数が二〇万株を超えても課税されないこと、株購入資金の借入、取引口座の設定、売却益の管理などについて、それが取引名義人ごとの取引であることを示す資料が揃ってさえいれば、国税当局は、株の売却益が取引名義人以外の者、つまり小林や松尾自身に帰属すると取り扱うことはできない旨教示されたことを具体的かつ明確に供述している。」(9丁裏)

ロ 公判廷の供述については、

「もっとも、両名は、原審公判廷においては、本件株取引に際して、被告人から、『妻や親族の名義を使った株取引による利益について税金を誤魔化そうと言われて脱税指導を受けたことはない』旨供述しているが、被告人からこのような話があったこと自体は認めており、また、家族らの名義で行われた飛島株の取引が、実質的には自分達の取引であり、その株売却益が家族ではなく自分達に帰属するものであることを明確に認めている。」(10丁表)

というものであり、これらの判断を根拠に、伊藤が脱税指導したこと、ひいては伊藤に脱税の故意があったことを認めている。

2 原判決の右証拠による認定の違法な点

右原判決が、『松尾、小林両名は脱税したことを認めている。そして、右両名は検面調書において、伊藤から脱税指導を受けた旨供述している。故に、右両名に脱税指導をした伊藤も同じ方法で脱税するつもりだったに違いない。』という三段論法の論理によって伊藤の故意ないし有罪を認定していることは明らかである。

この原判決の認定は以下の点で違法である。

<1> 第一点は、原判決は、「・・・家族らの名義で行われた飛島株の取引が、実質的には自分達の取引であり、その株売却益が家族ではなく自分達に帰属するものであることを明確に認めている。」として、これを根拠の一つとして、伊藤も脱税をしたものと認定していることは明らかである。

しかし、松尾、小林が脱税したことを認めているからといって、必ずしも伊藤が脱税をしたといえないことはもちろん、伊藤に脱税の意思があったともいえないこと等は経験則上理の当然である。

松尾、小林の脱税と、伊藤が両名に対して飛島株購入を勧めたときの説明内容を、両名の公判廷における「実質所得者課税の原則の説明を受けた」などの証言等、もう少し他の証拠と注意深く比較検討すれば、伊藤が両名に脱税指導などしていなかったこと、且つ、伊藤自身も脱税をする意図が全くなかったこと等は容易に分かるものである。

<2> 第二点は、両名が検面調書において、伊藤から脱税指導を受けた旨供述しているとの点を、両名の公判廷の証言を無視して安易に伊藤の有罪認定の根拠にしていることである。

ことに、後述するとおり、松尾、小林両名は、公判廷の証言で、伊藤から脱税の指導を受けたことはないこと、実質所得者課税の原則の内容について詳しい説明を受けていたこと等、伊藤が両名に脱税指導をしたとの事実を否定する合理的で説得力のある証言をしているのであるから、ますます松尾、小林の脱税が伊藤の脱税の根拠に成りえないことは明らかである。

原判決は、検面調書には触れられていない、実質所得者課税の原則の説明を無視しているが、これは恣意的な認定であり、経験則に反した証拠採用・証拠評価である。

<3> 第三点は、原判決は、松尾、小林が公判廷で、「両名は、原審公判廷においては、本件株取引に際して、被告人から、『妻や親族の名義を使った株取引による利益について税金を誤魔化そうと言われて脱税指導を受けたことはない』旨供述している」ことを認めながら、しかし「被告人からこのような話があったこと自体は認めて・・」いるとしている。原判決がいう「このような話」というのは、判旨の流れからみて脱税指導の具体的な話を意味することは明らかである。しかし、これは全く不当な指摘である。

なぜなら、公判廷では両名とも、脱税指導を受けたことを否定するとともに前述した実質所得者課税の原則の内容について詳しい説明を受けていたことを証言しているのであるが、この実質所得者課税の原則の説明は、それ自体としても脱税の指導とは相入れない事実だからである。これを無視して、安易に「被告人からこのような話があったこと自体は認めて・・・」いることを伊藤の有罪の根拠とする原判決は、著しい経験則違反の論理と言わなければならない。

<4> 第四点は、右松尾、小林の各検面調書の内容は、その内容自体が、明白に脱税指導の内容を示しているとは読めない。少なくとも非常に微妙な文章である。例えば「・・妻や親族の名義を使用して株の取引をする場合、・・云々」とあるが、その点が「・・妻や親族がその名義で株の取引をする場合、・・云々」とあれば、明らかに主体は妻や親族である文章になる。すなわち、検面調書の言葉使いは言葉の綾ともいうべき曖昧な記載であるというべきである。

少なくとも法律の素人は「親族の名義で買う」という用語法は、「親族が自分自身で買う」意味であると認識することが通常である。松尾の公判廷における証言を通覧すると、同人はその両方の用語法を同一の意味と理解し混同していることは明らかである。この点については後に詳述する。

<5> しかし、松尾、小林両名は、自らが被疑者として取調べを受けているのであるから取調検事に対して弱い立場にあり、且つ、税理士たる伊藤に罪を転嫁することによって自らの罪を軽くしたいと願わざるを得ない立場にあり、しかも両名は法律の素人であるから、検面調書の前述のような微妙な言葉使いの違いなどには気もつかないことが容易に推認されるし、また、自分の述べた事実と多少ことなるとおもっても他人(伊藤)の責任に関することなので積極的に取調検事に異議を述べて取調検事の心証を害するなどという気持ちにはならない立場であったことは明らかであるから、両名の検面調書のうち伊藤に関する内容はもともと疑わしいものである。

よって、なおさらのこと、同人らの他の供述、殊に公判廷における証言や供述の内容を慎重に比較検討して、検面調書の信用性については慎重でなければならない。しかるに、原判決にはそうした考慮は全く無い。

三 松尾の検面調書が信用できないことについて

1 伊藤が松尾の妻に対して飛島株の購入を勧誘した経緯

(1) 松尾本人に対する飛島株取引の勧め(昭和六一年四月一八日頃)

小林は伊藤に対し、後述のとおり小林の妻の購入に関する協議の後、松尾にもアーバンの資金二〇〇〇万円をライフの保証金として貸して上げることを提案し、伊藤もこれに直ちに同意した。その理由は、松尾が飛島株情報を提供してくれたことに対する感謝の気持ちからであった。

(2) 松尾本人に対する飛島株取引の勧めと松尾の購入

同日、伊藤と小林が松尾に対し、飛島株の購入を勧めたところ、松尾も非課税枠内で買う決意をした。しかし、松尾が、ライフのような証券金融会社だと三井信託銀行から知り合いが出向している可能性があるので、ライフから直接融資を受けることは好ましくないと話したので、伊藤は転貸融資を申し出た。すると松尾はそれなら都合がいいので、そうして貰いたいと依頼した。その結果、松尾は伊藤からの転貸融資で、四月二三、二四日に一六万四〇〇〇株を買付けた。

(3) 伊藤、小林間の、松尾の妻にも飛島株購入を勧める相談(四月二四日頃)

伊藤は、和代や小林の妻が飛島株を買付た直後の同年四月二四日頃、小林に対し、松尾にはいろいろ世話になっているので、松尾の妻も買うかどうか勧めてみようと提案した。

すると、小林は、そういうところが伊藤の優しくていいところであるなどと言いながら賛成した。そのため、伊藤は小林に対して、もし松尾の妻も買うということになったら、小林から転貸融資して上げて貰いたいと頼んだところ、小林は直ちに了承した。この勧誘の理由は、伊藤や小林の妻達も買ったので、松尾の妻にもチャンスを与えて上げないと申し訳ないという気持ちから発したものである。また、そうすることによって、今後の飛島株情報の入手や、今後の小倉硝子やアーバンの銀行融資取引が円滑・有利になるのではないかとの期待もあった。

(4) 松尾の妻に対する飛島株購入の勧め(四月二五日頃)

伊藤と小林は松尾に対し、「松尾さんの奥さんもどうですか」と勧誘した。(松尾平3・5・8付法廷証言3丁表)

すると、松尾は、次の点についての心配を表明した。

<1> 女房に買わせて大丈夫か。

<2> 収入のない女房が一億円も借金して大丈夫か。

<3> 女房には担保に出す資産がない。

そこで、伊藤は、松尾が税務署から名義借り取引と疑われることを心配しているものと理解し、松尾に対して次のとおり助言した。

<1> 奥さんが自分の意思で、奥さんが自分で借入れをして、利得が出たら奥さんが享受するということであれば、奥さんの取引であるから大丈夫。

<2> 収入のない奥さんに対してお金を貸す、貸さないというのは、貸す人の自由だから、そのことは別に心配することはない。

<3> 奥さんに資産がなくとも、株券が担保に入るし、貸す人の自由である。

<4> 小林が奥さんに対して転貸融資し、金銭消費賃借契約を締結して、確定日付をとっておくといい。

<5> 奥さんは小林から融資を受け、松尾は伊藤から融資を受けるので、奥さんの借入は松尾の借入でないことがはっきりするからいいこである。

<6> 利益が出た場合、当然奥さんが自由に使えるお金だから、松尾の所得と混同してはいけない。将来、例えば不動産を二人で買う場合共有登記しないと奥さんからの贈与の問題が出る。

この間、伊藤は松尾に対し、『実質所得者課税の原則』の説明をしながら、松尾が疑われることを心配している名義借り取引と松尾の妻自身による非課税枠取引との違いを詳しく説明した。小林も、その間、同席を続けて相づちを打ったりしていた。

(5) 松尾の対応

松尾は、伊藤の説明を了解し、妻とよく相談して、明日返事をするとの対応であった。

(伊藤平4・10・22付法廷供述1丁表から27丁表まで)

(小林平3・5・21付法廷証言19丁裏から21丁裏まで。37丁裏から42丁表まで。46丁表)

(松尾平3・5・8付法廷証言1丁表から61丁表まで)

2 『実質所得者課税の原則』という言葉

伊藤は松尾に対し、右当日、

<1> 所得税には実質所得者課税の原則があること、

<2> この原則は、実際、誰が所得を得たか、それによって所得を得た人に税金が課税される制度であること、

<3> 従って、奥さんが自分の取引で所得を得た場合は、非課税取引として課税されない。しかし、仮に松尾が奥さんの名義を借りた場合は、当然その所得は松尾が取るわけだから、そのときは、松尾は既に一九万九〇〇〇株買っているので、全体が課税対象取引となって、申告しなければ脱税になること、

などを説明した。

伊藤からこの言葉が出た経緯は、松尾が、実質上は奥さんが奥さん名義で買っても、税務署から松尾の名義借り取引と疑われるのではないかと、心配していたためである。つまり、松尾自身が脱税になると心配していたのではなく、税務署から疑われること自体を心配していたものと認められる。

そこで、伊藤は松尾に対し(買付名義のことは念頭に置かずに、)「実際に奥さんがお金を借りて買ったり、その利益も奥さんが自由に享受するようにすれば、実質所得者課税の原則上、問題がない」旨、説明したものである。

すなわち、伊藤としては、右<1>ないし<3>の如く理解して、実質的に所得を得た者に対して課税されること、その者が非課税枠取引の要件を充たしていれば課税されないことを説明したのである。

換言すれば、伊藤は松尾から、どのような要件で誰に対して課税されるのかとの趣旨の質問を受け、実質所得者課税の原則の言葉を使って説明したものであり、課税処分庁側が、名義と実質とが一致しない場合に、実質所得者に対して課税するために適用する原則という意味に理解していたものではない。

(伊藤平4・10・22付法廷供述8丁裏から9丁裏まで。12丁裏から16丁裏まで。22丁裏から26丁裏まで)

(松尾平3・5・8付法廷証言21丁表から22丁表まで。同3丁裏)

3 松尾証言とその評価

(1) 松尾の公判廷における証言の内容

<1>(昭和六一年四月二五日頃、三井信託銀行渋谷支店の近くの喫茶店で、私と小林と伊藤と三人で、私の妻の株取引の話しをしたとき、伊藤から、妻の名義を借りて脱税しようとか、脱税してもばれないとか、の言葉は出てましたか。との問いに)

もちろんありません。そういう言葉がもしあったら、私、銀行員ですし、そんなことをやる気、またそんなにそこまでしてお金儲ける必要もありませんから、そういうお話しがあったんだったら、逆にやりませんから、それは絶対にないですね。

(松尾平3・5・8付法廷証言16丁表から18丁裏まで)

<2>(伊藤の立場として、あなたに対して脱税指導を当時行う必要性とかメリットというのはあったでしょうか。との問いに)

それはないと思いますけどね。

(伊藤に、脱税指導料的な金銭なりその他の利益をこの件で渡していますか。との問いに)

いや、そういうお金のやりとりは一切ありません。

(大分儲けたんだから指導料、アドバイス料を寄越せと要求はありましたか。との問いに)

いや全くありません。

(以上、松尾平3・5・8付法廷証言1丁表)

<3> 妻名義でやると非課税の範囲を超えることが心配なので、女房名義でやっても大丈夫なのかと尋ねた。すると、伊藤は、奥さんが借入でもって奥さん自体の意思で奥さんに取引が帰属するなら、それは奥さんの取引と見なされますから大丈夫ですよ、ということを言われました。

(松尾平3・5・8付法廷証言3丁裏)

<4>(実質的には自分が四〇万株近くの株を買ったように評価されてしまうんではないか、という心配はなかったですか。との問いに)

いや、それは当初は全くございませんでしたけどね。・・・飛島建設を(自分と妻名義で)約四〇万株未満ですけど買った時点では、そのようなことは思いませんでした(松尾平3・5・8付法廷証言11丁表)

<5>(実質所得者課税の原則という言葉が伊藤から出たことはありましたか。との問いに)

一応はそのような言葉を聞いた記憶があります。・・・ともかく最終の利益を受ける人が実質的な所得者であり、その人が株でいえば要件をオーバーしてたら税金を払わなくちゃいけないと、そのようなことを聞きました。(松尾平3・5・8付法廷証言21丁表)

(あなたが、妻名義を借りて実質上取引をやって利益を取れば、これは課税対象になる取引になりますよと、既に松尾さんはもう二〇万株近い枠の中で取引しているんですから、というような話しはあったでしょうか。との問いに)

その通りかどうかちょっと分かりませんけど、そのような話しはありましたですよ(同21丁表から22丁表まで)。

<6>(検察官の「これは、なにがきっかけで妻名義の株の買付けをすることになったんですか」との問に)

伊藤さん、小林さんの方から、我々も妻名義で株を買うんで松尾さんもいかがですか、(松尾平3・5・8付法廷証言3丁表)。

しかし、右証言において、松尾は「妻名義で」と「妻が妻名義で」との用語法を混同して同一の意味と誤解していることは明らかである。松尾が意味するところは、『伊藤らが妻から名義借りして株を買うから、松尾も妻の名義借りで買ったらどうか』というのではなく『伊藤らの妻も株を買うから松尾の妻にも勧めたらどうか』ということである。このことは松尾の証言の他の部分から明らかである。例えば、

(検察官の「・・・証人の妻名義の株取引、これはだれの取引でしたか。との問に)

当時は、もう妻の利益は妻のものと思っていましたから、もう妻の、要するに、妻のもんだと思っていました。(松尾平3・5・8付法廷証言10丁表)と証言している。

このことから松尾の混同した理解が推認される。なお、松尾は証言の至る箇所でこの混同を犯している。よって、松尾がどちらの意味で理解しているかは、形式的な「○○名義」というのではなく「誰の取引だったか」というように、松尾が考えている具体的な内容で判断しなければ、まとはずれな判断となることは明らかである。

(検察官の「実質的には自分が四〇万株近くの株を買ったように評価されてしまうんではないかと、そういう心配はなかったですか。」との問に対し)

いや、当初は全くございませんでしたけどね。・・・(当初というのは)飛島建設株を約四〇万未満ですけど買った時点では、そのようなことは思いませんでした。(松尾平3・5・8付法廷証言11丁表)

(検察官の「証人はこの関係で最初に所得税の確定申告されたのは昭和六三年三月一〇日なんですが、今おっしゃったような気持ち(注・妻の株取引は実際は松尾がほとんど銘柄を決め・・・課税条件を免れるためというようなことではなくて、私がやっているようなもんだなあと感じた、ということ)というのは、この確定申告をする以前に既にそういう気持ちがあったとお伺いしてよろしいですか。」との問に)

まあ、時折そういう気持ちになったんですから、いつ時点と特定はできませんけど、それ以前だったかもしれないですし、それ以後二回目のあれだったかもしれません。」(松尾平3・5・8付法廷証言1丁裏)

この証言からも、少なくとも、伊藤から松尾の妻に買うよう勧められたことによって、松尾に脱税の意思が生じたものではないことは明白である。

(検察官の「端的に聞きますがね、こういうやり方をとれば脱税になるかもしれないと思ったの、それともならないと思ったの。」との問に)

最初はというか、全くならないと思いましたね。脱税をする気でそういうことを教えてくれるとは思いませんから。それは思いませんでした。

(松尾平3・5・8付法廷証言12丁表・裏)

(検察官の「(検面調書には)税務署の関係で誤魔化すことが出来ると思ったという表現があるんですよ。これはいかがですか。」との問に)

誤魔化すというよりも、税務署はクリア出来ると、こういうふうに僕は思いましたけど。結果的にはそれはこういうふうになった(注・松尾が修正申告をし、逮捕されたことなど)ということは誤魔化すことが出来るというようなことだとは、それは思いましたけどね。(松尾平3・5・8付法廷証言14丁表)と述べている。

このことからみて「誤魔化す」という言葉は取調検事に対して松尾が述べた言葉ではなく、取調検事が考えた言葉であることは明らかである。

(弁護人の「・・・妻の名義を借りて脱税しましょうよとか、脱税してもばれないとか、こういう発言は伊藤さんの口からあなたに向かってなされたことがあるんですか。」との質問に対し)

もちろんありません。もしそういう言葉があったら、私、銀行員ですし、そんなことやる気、またそんなにそこまでしてお金儲ける必要もありませんから、そういうお話だったら、逆にやりません、それは絶対ないですね。(松尾平3・5・8付法廷証言18丁表・裏)

と明確に、伊藤から脱税指導がなされたことを否定している。

<7> 右、松尾の証言は、当然のことながらその他にもいろいろな観点からなされており、ことに検面調書の記載についても、何故、伊藤から脱税を勧められたような内容になっているかについても、伊藤から妻に飛島株取引を勧められた当時には思ってもおらず、後日、本件が問題になってから修正申告をしたり逮捕勾留されたりする段階になって思った主観的な事実が、伊藤から妻に飛島株購入を勧められた時点にすでに存在していたかのごとく時間を遡らせて記載されていること等が明確に認められる。この点について、松尾は、

(検面調書は)・・・時点時点で考えが新しく浮かんでくることがありますね。例えば、当初はこういうふうに思わなかったけど、後で考えてみればこういうふうに思った、というような時間的なずれが、うまく(検面調書の)表現の中で入ってないことがある、と。」(松尾平3・5・8付法廷証言49丁表・裏。以下、松尾が認識した時点が検面調書上遡って記載された例について、同法廷証言51丁表まで数例ある。)と、証言している。

<8> もっとも、松尾自身は、

「(問・妻に儲けさせてやったんだという気持ちは)そもそも趣旨がそうですから。金の流れを調べていただけば分かりますけど、僕は一銭も使ったことはないですしね。妻のものを。」、「(問・それが国税には通らないと思ったのか)それはそう思いました。」

「(問・徹底してやれば、おれはちゃんと、そんなつもりじゃないと言いたい気持ちもあったんじゃないの。)まあ、・・・そこになると分からないですけれど、とにかく早くすっきりしたいという気持ちはありましたね。」

(以上、松尾平3・5・8付法廷証言47丁裏から48丁表)

<9> 確定申告をして言わば自ら有罪を認めるに至った経緯について

イ 「それは伊藤さんの税務調査のときに私も参考人として呼ばれまして、税務署の方とのやりとりの間で僕も不安になりまして、知っている税理士の方三人に意見を聞いたところ、その三人の税理士の方が、いろいろ私は包み隠さず、こういうふうな取引でこういうふうにやって、こういうことだといったら、それでしたらちょっと、その税理士の方が、これは松尾さん自身の取引というふうに感じられる、詳しくはそんなにあれなんだけど、かなりその確度が高いから、すぐ修正申告しなさいと言われまして、私の意思で、その三人の税理士さんもそういうふうにおっしゃいますし、それなら私もしようということで、私の意思で修正申告しました。」(松尾平3・5・8付法廷証言15丁裏から16丁表)

ロ「国税局出身者の三人の他の税理士に相談したところ、・・・夫婦の間ではよくわからないところがある、とういうことをまず言われましたね。それで、・・・立証するには証券会社に注文をだれがしたのかとか、例えば銘柄の決定はだれがしたとか、そういうようなことに結局はなる、というようなことをおっしゃいました。それだと、やはり僕が電話しているのが多いなと、九割以僕がやってますからね。そうなると、やっぱり私の取引かな、というようなことをいろいろ考えまして、まあ、いずれも国税の出身の税理士の方だったもんで、そういう方三人がそうだというふうにおっしゃるんだったらそれが正しいんじゃないかと思いまして、自分で申告した、と。」(松尾平3・5・8付法廷証言46丁表)

と証言している。いずれにしても、これらの証言でも、伊藤が脱税指導をしたことを窺わせる内容は皆無である。

<10> 検面調書の内容が、松尾の喋ったとおりの文言で記載されているかというような点について、松尾は次のとおり証言している。

(本日〔注・第一審の公判廷〕ここで証言した内容を検察官の取調べのときに、同じようなことを言いましたか。との間に)

基本的は同じだと思います。ただ、一字一句僕も全部調書を、一回は読み直しましたけれども、全部が全部覚えているわけじゃありませんから、若干の食い違いがあるところ、もちろんあるかもしれません。ただ、基本的に今日言ったのが間違いございません。」(松尾平3・5・8付法廷証言40丁表)

(検察官の「そういう調書にあなたが当時納得して署名された理由というのは、どういうことなんですか。」との問に)

やっぱり、それはその時点で調書作られた時には、やっぱり一部、全部が全部それは正しいわけじゃないですけど、やっぱり根底には、少しはこうやれば非課税になると、要するに、悪く言えば税金は逃れられるというようなところがやっぱり少しはあったと思うんですね。全部が全部そんなことは思っていませんけど。だから、そういう点では納得して押したというところはありますね。全部が全部正しいというわけではないですけど、おおむねそんなようなとこです。」(松尾平3・5・8付法廷証言53丁裏)

右証言のうち、傍線部の部分の意味は、検面調書の内容が「全部が全部正しいというわけではないですけど、おおむねそんなようなとこです。」という趣旨であることは明らかである。これは同時に、松尾が検面調書作成当時は松尾の言ったことと違いがあっても、松尾の判断として、自分の処分にとって大勢に影響がないと感じたこと、その時点ではすでに修正申告をしており、検察官に抵抗することなく早期釈放や執行猶予を目指していたことは明らかであること等から検面調書を納得して署名したことは明らかである。

これを、右証言で「基本的に今日言ったのが間違いございません。」との部分と比較検討すると、公判廷の証言の方が正しく、そうした供述を取調検事の前でした結果が、検面調書の記載になっていることは明らかである。よって、検面調書と証言の内容が食い違うときは、松尾の「おおむねそんなところ」という検面調書よりも、証言の方が正しいものと判断すべきである。

(2) 松尾証言の評価

<1> 松尾の法廷証言は、同人の検面調書の記載内容と比較すれば、ごく自然で信用のできる内容である。伊藤の法廷供述の内容とも殆ど一致している。

また、松尾は他方で自らが脱税の被告人として起訴されている身であるから、宣誓をした公判廷の証言で、検察官の問に対して、意識的に虚偽の証言をすることは考えられないことはいうまでもない。

また、松尾自らが検面調書の記載は、自分が言ったとおりが記載されているわけではないと証言していることからみても、松尾の証言は、検面調書よりも信用性が高いことは明らかである。

<2> 以上の次第で、右松尾の証言内容から、伊藤が松尾に対して、脱税指導ないし脱税の教唆をしたとの事実認定は出来ないことは明らかである。よって、原判決が松尾の「妻名義で買うことを勧められた」という一言半句を捉えて、伊藤が松尾に妻から名義借りして飛島株を購入することを勧めたとか、従って名義借りを勧めた本人たる伊藤も名義借りをしていたに違いない、などという認定をしていることは全く松尾の証言を無視しているとしか考えられない。したがって、原判決には証拠採用・証拠評価について著しく経験則に反した判例違反があり、その結果、判決に影響を及ぼすべき著しく正義に反する重大な事実誤認を犯しているものである。

(3) 松尾の検面調書の信用性は乏しいこと

他方、同人の検面調書は、全面的に脱税を認めて早期決着を願い、明らかに取調検察官に対して迎合的な姿勢の松尾に対し、取調検察官が松尾の自らの脱税の故意の発生時点を取調時から伊藤との話のときまでずらす方法や、『妻が購入する。』とあるべきところ『妻名義で購入する』ように勧められた、などと表現を創作する方法で、あたかも専門家の脱税指導があったかの如きストーリーを強引に押しつけて作成したものである。

松尾の検面調書が同人の法廷証言に比較し信用性に乏しいことは一目瞭然である。このことを裏付ける具体的な松尾証言として、例えば次のものがある。なお次に示す各証言は、検察官の質問に対する松尾の証言であることを特にご留意ありたい。

<1>(検察官調書では、奥さん名義の取引は単なる名義借りであって、あなた自身の取引だと思った、と。それで、小林から金を借りるとかいろいろな契約証書を作ったりしたが、これらは税務署を誤魔化すための工作なんだ、と。こういう大きな流れになっているんですよ。この点いかがですか。との検察官の問いに)

それは、やっぱり、その時点では私はそんなことは思いませんでしたけど、後でいろんなことを総合して考えると、そういうこともあるのかな、というような気はしましたけど(同49丁表、裏)。

<2>(表現が多少違うところがあるので確認したいんですがね。(検面調書に)対税務署の関係で誤魔化すことが出来ると思ったという表現があるんですよ。これはいかがですか。との検察官の問いに)

誤魔化すというよりも、税務署はクリア出来るとこういうふうだと僕は思ってましたけど」(同14丁表)。

<3>(『税務署を誤魔化すことが出来る』とか『ばれないだろう』とかの言葉づかいも検面調書にあるが、あなたが検察官の取調べのときに、あなた自身が使った言葉なんですか。との弁護人の問いに)

それは私自身がしゃべったんじゃないですけどね、例えば分からないというと、同義語でしょうとか、そういう感じですね(同57丁)。

4 以上のとおり、松尾の検面調書調書の信用性は極めて乏しく、意味内容やニュアンスが事実と違うことは、松尾の右の法廷証言からも明らかである。それに比して公判廷の証言は、内容が自然であり説得力があることも一目瞭然である。そして経験則上、松尾の公判廷の証言によっては、伊藤が松尾に脱税を教唆したとの事実認定が出来ないことは明らかである。

よって、公判廷の証言を無視して安易に検面調書のみに基づいて事実を認定した原判決は、経験則に反する証拠の取捨選択ならびにその評価をしていることは明らかであって、前記最高裁判所の諸判例に反していることは明らかである。

四 小林の検面調書が信用できないことについて

1 伊藤が小林の妻に対して飛島株の購入を勧誘した経緯

(1) 小林へのライフ利用の説明(昭和六一年四月一八日頃)

伊藤は小林に対し、四月一七日に融資実行された東都信用組合からの融資金五〇〇〇万円を先に借りること、ライフの五倍融資を利用して家族みんなに飛島株を買わせて上げること、そのため購入した株券はライフに担保として預けるから会社の金庫には保管できないこと、ライフの融資システム(金利、融資枠、転貸融資)などを説明し、その承諾を得た。

(2) 小林の発言

この際、小林は、「俺も、女房や身内の名前で買いたい」旨の発言をした。そのため、伊藤は、一瞬、小林が借名取引を考えているのではないかと思い、小林に対し、非課税枠取引の二〇万株未満は一人一人に法律上認められていること、もし小林が既に非課税枠限度額いっぱい買っているのに更に借名取引をすれば、実質所得者課税の原則上、非課税枠取引の要件をオーバーするので課税取引になること、そして利益が出た場合申告しなければ脱税になることなどを注意した。

すると、小林は、「そういう意味ではない。俺も、女房や身内に儲けさせてあげたいんだよ」と返答した。

(3) 伊藤の提案

そこで、伊藤は小林に対し、ライフからの転貸融資分について金銭消費賃借契約書を作成し、確定日付を取るべきことを助言した。その理由は、金額が多いので賃借を明確にするためと、株で儲けたら不動産を買うということなのでその場合、税務署から購入のお尋ねが来るから、不動産を買ったお金は誰が誰から借金して株を買って儲けたお金なのか、その説明資料として用意しておくためであることなどを、合わせて説明した。

更に、伊藤は小林に対し、「小林さんの奥さんが買うんであれば自分の方から転貸融資して上げる」と提案し、「奥さんに聞いて明日返事をして下さい」と言った。その理由は、二人は株式会社小倉硝子の共同経営者なので、会社の資金を理由して株価が安いうちに自分の身内だけ先に買わせるという訳にいかず、公平でないと文句を言われる恐れがあったので事前に自ら提案したものである。

(4) 小林の妻からの返事

翌日、伊藤は小林から「女房も是非買いたいと言ってるから、ひとつ伊藤さん頼むよ」と言われて、伊藤はこれに同意した。

(伊藤平4・9・29付法廷供述64丁裏から73丁裏まで)

(小林平3・5・21付法廷証言5丁表から10丁裏まで。同29丁表から34丁裏まで)

(5) また、小林は、次に述べるとおり、伊藤が松尾に、同人の妻に飛島株取引を勧めるようアドバイスして、実質所得者課税の原則等についても説明したとき同席していたのであり、ここでも伊藤の真意を松尾と一緒に聞いて理解していたものである。

2 小林証言とその評価

(1) 小林の公判廷における証言の内容

<1> 脱税ということは伊藤さんから聞いておりません。要するに、奥さんの名前でやったらどうですかと、非課税枠の範囲内であれば問題ありませんよということを言われていたわけです。(小林平3・5・21付法廷証言32丁裏から33丁裏まで)。

(あなたは、どうして奥さんの名前でやれば、本当はあなた自身が取引するんであっても非課税になるんですか、と伊藤さんに聞かなかったのか。との問いに)

聞かなかったです。

(そういう疑問は持ちませんでしたか。との問いに)

持ってません。

(以上、小林平3・5・21付法廷証言32丁表)

<2>(昭和六三年三月一五日の確定申告に際して、あなたの公盛税理士に対し、この株のことも話したんじゃないですか。との問いに)

しました。・・・これは株でこうして儲けましたと、一応全部公盛さんに説明しました。

(名義を借りたけれども、金銭消費賃借契約書をつくってある、というふうに説明したんですか。との問いに)

いや、そういう説明はしていません。私、自分の都合のいい説明してますから。

(ということは、奥さんが取引したと、こう言ったわけですか。との問いに)そうです。非課税枠の範囲内でやりましたと。

(小林平3・5・21付法廷証言47丁表から48丁表まで)

<3>(〔三人で話し合った〕その場では、税金を誤魔化そうとか、妻名義を使ってお互いに脱税しようとかいった類の話しはなかったと聞いていいんですか。との問いに)

それはありません。絶対ありません。

(奥さんの名義で買っても金銭消費賃借契約書がきちっと整っていれば、脱税はばれないというふうな言い方はどうですか。との問いに)

ありません。

(小林平3・5・21付法廷証言41丁裏から42丁表まで)

<4>(伊藤からどう聞いていたか)

女房の名前を借りてきちっと契約書を結んでおれば問題ないということを、(被告人から)聞いておりました。

(問題ないというのは、あなたが妻名義で取引をしておけば、税務署に実際にはあなた自身の取引であることがばれないという意味じゃないですか。との検察官の問いに)

いや、そういうことじゃないと思いますけど。・・・名義を借りて買えば問題ないと聞いておったんで、私は大丈夫だと思っていました。(小林平3・5・21付法廷証言9丁表から10丁表まで)

<5>(伊藤さんはあなたに、税金を誤魔化す方法、脱税を教えたんじゃあないでしょう?との問いに)

教えません。

(それでしたら、あなたの検察庁の調書では、「私や松尾さんに税金を誤魔化す方法を教えてくれたことも再三お話したように間違いありません」と書いてあるんですよ。この調書の内容は違うんですね。との問いに)

脱税という言葉が出たのは、要するに、私が認めてからですね、結局、脱税という言葉が出たと思います。結果的にはそれは脱税になります、というような僕はこういう発言をしておりましたんで。

(いや、株を買う当時、伊藤さんがあなたに何を教えたか、要するに、脱税指導をしたかどうかがポイントなんですよ。との問いに)

してません!

(してないでしょう。)

はい。

(その確認なんですよ。私としても、伊藤さんが自信たっぷりで脱税をする方法を教えてくれうんぬんと調書にあるのは、これは事実と違うんですね。)

違います!

(以上、小林平3・5・21付法廷証言74裏から75丁表まで)

(2) 小林証言の評価

小林の法廷証言は、結論として、伊藤から脱税指導を受けていないことを断言しており、その限りでは正当である。しかし、小林は、真実は、伊藤から、小林の妻や松尾の妻の飛島株取引について、実質所得者課税の原則という言葉を用いて非課税枠取引の要件に関する正当な説明を受けたにもかかわらず、『書類が整っていれば、女房の名義を借りても脱税にならないと、伊藤から指導された』旨の証言をしている。この証言は、自己の責任を回避するため、伊藤の間違った指導によっていわゆる法律の錯誤に陥ったと主張せんとするもののようでもあるところ、内容的に曖昧なだけでなく、到底信用できない不自然なものである。例えば、「名義を借りて買えば問題ないと聞いておった」との右証言(右(1)<4>)と、「(公盛税理士に対し)私、自分の都合のいい説明してますから」という右証言(右(1)<2>)とは矛盾している。

常識的に考えて、税理士である伊藤が小林に対して、一方で、『書類が整っていれば、女房の名義を借りても脱税にならない』と説明しながら、他方で、『実質所得者課税の原則』の説明をするということは矛盾している。

伊藤が松尾に対し、松尾の妻の飛島株取引について『実質所得者課税の原則』の言葉を使って説明したときに、小林は終始同席していたことは前述のである。また、小林は、伊藤が共同経営者としてパートナーを組む程の人物であるから、伊藤の説明を誤解したとは考えられない。

(小林平3・5・21付法廷証言37丁裏から42丁裏まで)

3 小林の検面調書の信用性に関する結論

要するに、脱税指導に関する小林の検面調書の供述内容は、小林自身の右法廷証言や、松尾の法廷証言及び伊藤の法廷供述と比較検討すれば、極めて信用性に乏しい。

五 伊藤が小林や松尾に対して脱税指導する理由も必要もないこと。

1 松尾、小林の検面調書や法廷証言を評価するにあたっては、伊藤の当時の両名に対する関係を抜きにしては考えられないものというべきである。したがって、この点についてみると、伊藤は、小林及び松尾に対して脱税指導しなければならない理由も必要もないのである。

伊藤にすれば、この飛島株取引は初めての株取引で経験も無いうえ、税理士としての立場もあるので、株取引に伴う脱税指導など思いもよらないことである。

即ち、税理士としての自覚と職業倫理上の自制心からして、また、法律上の刑罰規定による危険性からして、伊藤にとって、脱税指導することなど百害あって一利もないことである。(税理士法三六条、五八条〔脱税相談等の禁止、三年以下の懲役又は百万円以下の罰金〕)

2 また、伊藤は、小林や松尾から『脱税指導料』というべき対価を請求したり受領したりしていない。何の対価もなしに、わざわざ倫理上の法律上も不都合な脱税指導を行うことは不自然である。

3 昭和六一年四月当時、伊藤は小倉硝子及びアーバンの代表取締役であったところ、三井信託銀行(渋谷支店)をメインバンクとして取引をしていた。松尾はその融資担当者であり、小田急電鉄の役員を父に持ち将来を属望された銀行員であったのであるから、そのような松尾に対し、伊藤が脱税指導をすれば、脱税を断られることは火を見るより明らかであり、のみならず、伊藤の人格そのものを疑われ、将来的な取引面でも信用を失うとともに現在の取引も打ち切られる恐れすらある。

そのような状況下で、利益が無いだけでなく、法律上・取引上重大な危険すらあるのだから、脱税指導などすることは考えられない。

なお、松尾が有罪となったのは、その後の松尾自身の伊藤とは関係のない心境の変化によるものであって、伊藤の勧めとは関係がない。そのことは松尾自身の証言から認められるところである。

4 更に、国税局の査察調査が伊藤の他松尾や小林に対して入った平成元年一二月一五日から伊藤が逮捕された平成二年一〇月二三日までの約一年近くの間、伊藤は、松尾からも小林からも、脱税指導をされたためにこのような事態が発生した旨の苦情の申立てを一切受けていない。このことは、伊藤が松尾や小林に対し、非課税取引の要件の説明はしても、脱税指導はしていなかったことを物語る。

5 なお、伊藤は、開業後約一七年間税理士業務を行ってきたが、その間、二〇〇社近くの関与先会社に対して延べ百数十回の税務調査を受けているが、伊藤なりその事務所職員なりが、脱税指導したということで問題が生じたことは一度もない。

(伊藤平4・10・22付法廷供述18丁裏から27丁表まで。同36丁裏から37丁裏まで)

六 伊藤が脱税指導していないこと

1 原判決の論理

原判決は、松尾、小林の各検面調書をその公判廷の証言や伊藤の立場と比較・検討することなく、極めて安易に信用して〔小林及び松尾は、伊藤から助言を受けた結果として、借名取引をしている。従って、助言した本人の伊藤が借名取引をしていない筈はない〕という論理を設定し、その論理に基づいて事実認定をしているものである。

2 小林・松尾の迎合

小林や松尾は、既に自分の脱税行為を認めた以上、取調検察官に迎合して、専門家たる伊藤の指導に責任を転嫁しつつ、自分の情状を有利にしようと意図することは人情として容易に考えられるところである。これらの状況は、現実に、伊藤の法廷供述のほか、小林や松尾の各法廷証言から推認できるところでもある。

3 伊藤からの助言の無視(松尾、小林の犯罪成否と伊藤は無関係)

小林及び松尾の両名が、何らかの理由により、伊藤の助言を無視して、結果として形式的な外観を作出する方法により脱税したとしても、それは伊藤の与かり知らぬところというべきである。外観は似ていても、外観どおりの行為者の意思、実態が伴っている伊藤の場合と伴っていない両名の場合とは峻別されなければならない。

以上のことは、小林証言及び松尾証言並びに伊藤の法廷供述などからも明らかである。

4 原判決に引用された証言・供述は信用性がないこと

原判決は、小林及び松尾が法廷において『妻や親族の名義を使った株取引による利益について税金を誤魔化そうと言われて脱税指導を受けたことはない』(原判決10丁表)旨証言していることを認めながら、両名が『被告人からこのような話があったこと自体は認めており、また、家族らの名義で行われた飛島株の取引が、実質的には自分たちの取引であり、その株の売却益が家族ではなく自分たちに帰属するものであることを明確に認めている。』(原判決10丁)ことを理由に、結局、両名の検面調書に基づいて伊藤の脱税教唆から更に伊藤自身の脱税までを推定して事実認定している。

しかし、松尾、小林両名が伊藤の関係で法廷証言をしたときは、自分自身の脱税については自白としていて自らが有罪判決を受けることは間違いない立場での証言であった。そうした立場の両名は、伊藤を恨む心こそあっても公判廷において偽証罪の危険を犯して伊藤を庇う理由は考えられない。したがって、両名の公判廷における証言は、真実を語っていると考える方が自然であり経験則にも合っている。

以上を要するに、両名の検面調書は、いずれも両名の家族も飛島株取引を買うよう勧めた際の伊藤と両名のやりとりに関するかぎり、内容が信用できないものであるばかりでなく、弁護人の反対尋問で検面調書の意味内容が変更された部分及び弁護人が引用した前記各証言を無視したものである。

七 結論

本件では、右に述べたとおり、松尾、小林両名の検面調書と法廷証言との比較検討が不可欠であるにもかかわらず、原判決は、法廷証言と検面調書の全般的な比較検討を全くしないで、有罪の事実認定にとって都合の良い部分だけを強引に引用しているものである。その事実認定の方法は、経験則に反した証拠の取捨選択並びにその評価を行ったものであり、その結果、被告人に本件各取引に関する脱税の故意も認定するなど、判決に影響を及ぼすべき著しく正義に反する重大な事実誤認を犯しているものというべきである。よって、前述した諸判例に違反していることは明らかであり、破棄を免れないものである。

第七 親族らの取調べ状況や公判廷の各証言を無視した事実認定の違法について

一 ふみ、光江、和代、智一らの取調べ並びに公判廷の証言

1 原判決は、八重子、ハツ江の検面調書、松尾、小林らの検面調書の引用に引き続いて、「以上によれば、八重子やハツ江は、自らの計算つまりは危険負担で本件飛島株を購入する意思を有していなかったものと認めるのが相当であり、和代や光江についても、真に買主となって飛島株を購入する意思があったと認めるべき事情は窺われない。」(原判決10丁表9行目から末行)としている。

これは、八重子、ハツ江の検面調書の記載のみで、両名の伊藤に対する名義貸しを認定するだけではなく、両名の検面調書の記載から、親族である和代、光江の分についてまで、八重子、ハツ江の場合と同様と推論して、伊藤の名義借りを認定しているものである。この原判決の認定方法は、推論に基づく推論であって不合理である。

八重子、ハツ江両名の検面調書は、前述のとおり、証拠能力・証明力ともに無いことが明らかであり、少なくとも、証拠能力・証明力ともに非常に疑わしい状況にあり、伊藤の脱税の故意の存在については合理的な疑いを入れるに十分である。

まして、和代、光江、ふみらは、一貫して名義貸しを否定しており、それぞれ、公判廷においても詳細に各自の飛島株取引に至った経緯・売買状況などを供述しているのであるから、ますます原判決の右認定の方法は違法と断定せざるをえない。

2 光江、和代、ふみ、智一らは、伊藤が逮捕されて以来起訴されるまでの間、東京地検特捜部の検察官から、それぞれに厳しい取調べを受けた。

しかし、みな一貫して、本公判廷に於ける証言と同様の供述をしていた。このことは、この者達(智一も飛島株取引をしているのでこの者を含む)が、真実、自分で飛島株等の各取引をしていたのだという強い自覚に基づく信念があったからであることは明らかである。

この者達は、平凡で善良な、普通の主婦(ふみ、和代)や職業婦人(光江)、あるいは、一般市民(智一)であるが、各自生まれて初めて検察官から厳しい取調べを受けた。それぞれに恐怖・困惑等想像を絶する圧力に耐えながら取調べに応じていたことはもちろんである。

それにもかかわらず二一日間にわたって、特捜部取調検事らの、理に訴え情に訴え、脅したり梳かしたり、あらゆる角度から質問したり、あらゆる取調べ技術を駆使した厳しい取調べに対して、同人らが自分の言い分を立て通し得たのは、真実、名義貸しをしたことはないという事実、本件飛島株等の各取引は真実自己の取引であったという事実、及び、これらの事実に立脚する認識・信念があったことが絶対条件であったことは経験則上明らかである。

二 結論

原判決は、右の取調状況を全く考慮していない。原判決は、少なくともふみ、光江、和代らに関する伊藤の借名取引を本人達全員の否認にもかかわらず、単に、伊藤が同人らの売却益を直ちに借りたいという、外形のみから認定しているといわざるをえない。以上1次第で、原判決が、ふみ、和代、光江、智一らの公判廷における各証言を無視して事実を認定していることは、証拠の取捨選択や心証形成が著しく経験則に違反し、合理性を欠いていることは明らかであり、前述した最高裁判所の判例に違反していることは明らかである。

第八 まとめ

原判決は、伊藤の親族ら各名義人の株取引による売却益の外形的な流れ及びハツ江らの捜査段階における各供述のみを根拠に伊藤は有罪であると認定したものであるところ、右事実認定が、証拠の取捨選択及びその評価並びに事実認定は論理の法則及び経験則に従って行わなければならないとの第一記載の各判例によって確立されている刑事裁判の基本原則に反し、全証拠を総合して判断することなく、更には、伊藤の弁解に沿う客観的証拠を無視または歪曲し、かつ、右ハツ江らの捜査段階における各供述の任意性及び信用性をことごとく無批判に肯定するなど、証拠の取捨選択及びその評価を誤ったものである。

一 昭和六二年一月に購入された伊三郎及びふみ名義の飛島株取引について

1 昭和六二年一月に購入し、同年三月に売却した伊三郎及びふみ名義の飛島株取引の取引主体が伊藤であり、その売却益が伊藤に帰属し、伊藤に脱税の故意が認められるとの原判決の心証形成は、前記第二に詳述したとおり、いずれも証拠の取捨選択及び評価を誤り、かつ、論理法則及び経験則に反した事実誤認であり、前記第一記載の各判例に明らかに違反しているものである。

2 論理法則及び経験則に従った合理的な証拠評価をすれば、右各株取引を伊藤の借名取引とするには合理的疑いをもたざるを得ない左記事実が認められる。既に、前記第二の三において詳述したところであるが、要点のみを指摘する。

(1) 伊三郎には右飛島株取引を行って何ら不自然でない資産と株取引の経験があること

(2) ライフの伊三郎口座の保証金が伊三郎の資金であることを裏付ける客観的証拠があること

(3) 昭和六一年に伊三郎が大量の飛島株取引を行い、また、同年から翌昭和六二年七月まで伊藤の情報に基づく東洋リノリューム株及び東洋電機製造株の取引を行っていたこと

(4) 右(3)の各株取引には伊藤とは異なる伊三郎の株取引の特徴が認められること

(5) 昭和六一年四月から昭和六二年七月までに伊三郎が伊藤の情報に基づいて行った株取引により取得した売却益相当額約六五〇〇万円が遺産分割協議書及び相続税の申告書の内容に実質的に反映されて、それに応じた相続税が納付されていること

(6) ふみは伊三郎の妻であり、ふみの右飛島株取引の売買状況は基本的に伊三郎と同様であり、伊藤と異なっていること

(7) 昭和六一年中の伊三郎及びふみ名義の飛島株取引が起訴されていないこと

3 右2記載の各事実は、いずれもそれだけで伊藤の借名取引とすることに合理的な疑いを容れるに足る客観的事実であるにもかかわらず、原判決は、これらの各事実をことごとく無視し、又は、理由なく否定しているが、それらが極めて恣意的な証拠の取捨選択及び評価であったり、経験則に反する心証形成であることは前記第二の二で詳述したとおりである。

特に、右2 (5)記載の事実は、伊三郎の独自取引であったことの決定的な証拠であり、これを否定する原判決の心証形成は、証拠を著しく恣意的に歪曲して評価するものであって、到底容認できないものである。

4 従って、右伊三郎及びふみの昭和六二年一月に購入し、同年三月に売却した飛島株取引の取引主体が伊藤であり、売却益が伊藤に帰属するものであって、伊藤に脱税の故意があるとする原判決の判断は、前記第一記載の証拠の取捨選択及びその評価並びに心証形成に関する各判例に明らかに違反しているものであるといわなければならない。

二 前記一記載の伊三郎及びふみ名義の飛島株を除く親族ら名義の飛島株取引について

1 前記一記載の伊三郎及びふみ名義の飛島株を除く親族ら名義の飛島株取引について、原判決は、その株取引の取引主体は伊藤であり、その売却益は伊藤に帰属し、伊藤に脱税の故意が認められると認定する。

しかし、これらについても、前記第一点の全部及び第二点の第三ないし第五に詳述したとおり、左記の如き、証拠の取捨選択及び評価を誤り、かつ、論理法則及び経験則に反した事実誤認が認められるのである。

(1) 伊三郎が証券金融会社を捜す作業を行ってライフを見つけてきたこと(第一点第一の八)、同人が自分の資産と株取引の経験を背景として親族らに対する具体的な勧誘行為を行い(第一点 第一の九)、各人がそれぞれ株取引を行う決心をするに至った経緯・動機・目的(第一点 第一の一〇ないし一四)が公判廷において具体的に証言されていること等、伊三郎と伊藤が中心となって伊藤家の資産を増加させるために行った株取引であり、名義貸しの事実と二律相反する多数の事実が存在しているのに、これらをことさら無視し、右一連の経緯は不自然であって、虚構である(第一点 第二)とした事実誤認

(2) 親族らが『損失負担の意思』をもって伊藤または伊三郎との間で締結した飛島株購入資金借入のための金銭消費貸借契約を、その作成経緯、目的などの事実経過をまったく無視し、かつ、何ら合理的根拠もなく否定した(第一点 第六)事実誤認

(3) 親族らが、昭和六二年三月、自らの判断により飛島株を売却し、その売却益が親族らに帰属した後、伊藤に対して貸し付けたことを証する金銭消費貸借契約書の存在及び右事実を裏付ける親族らの公判廷における証言があるにもかかわらず、これらを無視し、または、親族らから伊藤に飛島株売却益を貸し付けた金銭消費貸借契約を偽装であるとしたうえ、「被告人の指示」または「被告人の判断」によって親族らの飛島株売却益がコスモファイブの口座に振込送金されたと認定して、右各株が伊藤に帰属し、少なくとも、伊藤に脱税の故意があった(第一点 第八)とした事実誤認

(4) 伊藤が金利の支払いができなくなったことについては、不動産融資に対する総量規制及びブラックマンデーと呼ばれる株の暴落があったこと等の客観的諸事情が認められるだけでなく、銀行等から相次いで内容証明郵便による催告を受け、伊藤が弁護士に依頼して『借入元利金の返済猶予の件』と題する書面を作成し、元利金の返済を猶予してもらうために銀行回りしていた事実が認められるにもかかわらず、これらの事実をまったく無視して、親族らから伊藤に対する貸し付けは偽装である(第一点 第九の一)とした事実誤認

(5) 伊藤が、光江、ふみ、和代、八重子及びハツ江から借り入れた飛島株売却益の返済のために、光江が雅叙苑を購入するにあたって同女に三一〇〇万円を返済し、ふみ、和代、八重子、ハツ江に対しても、平成二年二月に札幌市内のマンション「カテリーナ札幌」一棟を譲渡しており、その準備が本件脱税の嫌疑が生じるかなり前から行われていた経緯が認められるにもかかわらず、その経緯を詳細に検討することなく、こららの各事実は伊藤が各親族らから飛島株の売却益の殆どを新たに借り受けたことの証左にはならないと判定している(第一点 第一一)事実誤認

(6) 伊三郎の遺産分割協議において、八重子及び光江は、現預金類を一切相続しておらず、また、伊藤に比べて取得財産が割合的にかなり少ないなど、八重子及び光江が飛島株取引による売却益を取得していると考えなければ、極めて不自然な遺産分割内容となっている事実が認められるにもかかわらず、これらの事実を無視するだけでなく、右遺産分割協議書及び相続税の申告書は偽装である(第一点 第一四の三)とした事実誤認

2 従って、前記一記載の伊三郎及びふみ名義の飛島株を除く親族ら名義の飛島株取引について、その株取引主体は伊藤であり、その売却益は伊藤に帰属し、伊藤に脱税の故意が認められるとした現判決の判断は、右の各事実誤認に基づく著しく経験則に反する心証形成であり、前記第一記載の各判例に明らかに違反しているものである。

特に、前記第二で詳述したとおり、各親族らが飛島株取引を開始するについて、伊三郎が伊藤とともに伊藤家の資産を増加させようと考え、率先して証券担保金融会社を見つけてきたり、親族らに強く勧誘したりしている事実が認められるのであるから、本件飛島株取引を始めとする各株取引について、少なくとも、伊藤に脱税の故意があると認定することには合理的な疑いを容れる余地があることは明らかである。

三 その他の株取引について

原判決は、和代名義の東洋リノリューム株取引、親族ら名義の東洋電機製造株取引、及びふみ名義の堺化学工業株取引についても、それらの株取引の取引主体は伊藤であり、その売却益は伊藤に帰属し、伊藤に脱税の故意が認められると認定する。

しかし、それらの心証形成が、多数の客観的な証拠を取捨選択及び評価を誤り、著しく経験則に反するものであることは前記第三ないし第五において詳述したとおりである。

四 関係者の検面調書について

1 ハツ江、八重子、正一の各検面調書

ハツ江、八重子、正一の原判決に引用された各検面調書に証拠能力が認められないことは第二点において詳述したとおりであるが、仮に、証拠能力が認められるとしても、それらの各検面調書の記載内容は、ハツ江、八重子、正一及びその他の関係者の公判廷における各証言並びに多数の客観的証拠に照らし合わせて、明らかに信用性が乏しいものである。

原判決は、右各検面調書の都合のよい箇所のみをつまみ出して原判決に引用し、かつ、何ら個別具体的な検証を加えることなく、ハツ江、八重子の各検面調書の記載内容が同人ら以外のふみ、和代、光江についても同様の事実であると断じるものであるが、これらの事実認定は、恣意的な証拠の取捨選択及び評価を行い、親族らの個別要因を一切無視して形式的なあてはめを行ったにすぎないものであり、著しく経験則に反する心証形成であって、前記第一記載の各判例に違反している。

2 松尾、小林の各検面調書

松尾、小林の各検面調書の信用性については、前記第六において詳述したとおりであり、原判決は、伊藤から脱税指導を受けていないとの松尾、小林の公判廷における各検面調書の内容に反する具体的証言があるにもかかわらず、同人らの各検面調書の都合のよい箇所のみをつまみ出して、原判決に引用している。

しかし松尾、小林の各検面調書は、同種の嫌疑を受けて逮捕・取り調べをうけている者の供述であり、自己の責任を軽くするために共犯的立場にある者に不利な供述をする恐れが極めて高いものであるから、特段の事情が認められない本件において、同人らの公判廷における証言を排して捜査段階における右各検面調書を引用することは、著しく経験則に反する証拠の取捨選択がなされた典型的な場合であり、前記第一記載の各判例に違反している。

3 ふみ、和代、光江、智一の各法廷証言

原判決は、伊藤の主張と整合性を有し、かつ、多数の客観的証拠に合致するふみ、和代、光江、智一の公判廷における各証言があるにもかかわらず、これらを無視し、前記のハツ江、八重子の検面調書を他の親族に形式的にあてはめて、ふみ、和代、光江の各株取引も伊藤の取引であると認定しているが、これらは、恣意的な証拠の取捨選択及び評価を行った結果であり、著しく経験則に反し、前記第一記載の各判例に違反している。

4 結論

被告人の捜査段階及び公判段階における供述には終始一貫性が認められ、かつ、これを裏付ける多数の客観的証拠が存在しているのに対して、ハツ江、八重子、正一、松尾、小林らの捜査段階における各供述は、任意性、信用性が認められないばかりか、同人らの公判段階における各証言とも明らかに矛盾し、かつ、ふみ、和代、光江の公判段階における各証言並びに多くの客観的証拠に反している。要するに、原判決は、伊藤の弁解に沿う客観的証拠を無視もしくは歪曲して解釈するだけでなく、右ハツ江らの捜査段階における各供述(原判決5丁裏1行目から10丁表8行目)の任意性及び信用性をことごとく肯定するなど、証拠の取捨選択及びその評価を誤ったものである。従って、原判決には、前記第一記載の確立された各判例に違反している違法が認められる。

第四点 著しく正義に反する量刑不当

弁護人は、以上のとおり、本件取引全部、特に前記<2>の伊三郎、ふみ名義で昭和六二年一月に購入され、同年三月に売却された飛島株の取引については、被告人に脱税の故意があったと断定するには合理的な疑いを容れる余地があるから無罪の言い渡しをすべきものと確定する。にもかかわらず、原判決が、一般予防的見地から被告人の脱税の故意を強引に認定したとすれば、次に述べるとおり、結局その実質において結果責任を問うものであり、罪刑法定主義(憲法第三一条)に反するのみならず、著しく正義に反する甚だしい量刑不当になると言わなければならない。〔刑事訴訟法第四一一条第二号〕

また、仮に、被告人が有罪であると仮定しても、次に述べるとおり直後の税制改正によると脱税額は比較的極めて少額になることに照らせば、『判決があった後に刑の廃止若しくは変更又は大赦があったこと』の場合に準じて、若しくは一般的に、量刑上考慮すべきであるところ、その点を全く考慮していない原判決は、著しく正義に反する甚だしい量刑不当になると言わなければならない。〔刑事訴訟法第四一一条第五号第二号〕

第一 結果責任を問うものであること

一 本件発生の主たる原因

本件が発生した主たる原因は、被告人が親族らから売却益を借用したことにあることは論ずるまでもない。しかし、この借用の事実は、第二章(上告の理由)、第一点(著しく正義に反する重大な事実誤認)に詳述した経緯によるものであり、それ自体は何ら違法行為でないこと明らかである。

二 有罪とされた従たる原因

1 国税局が捜査調査する場合、出来るだけ「資金の流れ」を客観的、外形的に把握し、そこから脱税か否かを迅速に認定処理しようとすること自体は理解できないことではない。そして、本件は、ライフが『女性に口座開設を認めない』が『転貸融資は構わない』という取り扱いをしたため、ライフ口座を基準に資金の流れを見ると、一見借名取引の如く見えるところに問題の出発点があると思われる。

2 しかし、東京国税局、検察庁は、松尾や小林の関係もあってか、主観的、内部的な事実関係、即ち、流れた資金の性格、飛島株取引開始の経緯、売却益の借用の経緯、各親族らの主観、動機、言い分などを、十分に分析、検討することなく、一定の先入観を持ってストーリーを作り、右借用の事実を強引に否定し、それに合わせて証拠の収捨、評価をしたうえ本件起訴を行ったものである。そして、第一審判決及び原判決は、これを無批判的に追認してしまったものと言える。そのため、原判決は、結局のところ、飛島株の購入原資の貸借並びに売却益の借用の事実を経験則に反する極めて不自然な心証形成の方法で否定もしくは無視したうえ、被告人が売却益を取り戻したと評価出来そうな資金の流れがある分について、結果的に、遡って被告人の借名取引であると認定し、脱税の故意を認めるものでしかない。

三 被告人の認識と結果責任

被告人の認識としては、すでに詳述したとおり、飛島株取引開始時においては、借名取引を行う認識も、各名義人から売却益を借り入れる認識も全くなく、その後各名義人から売却益を借り入れた時点においても、各名義の売却益を『事実上利用』させてもらうが、売却益は各名義人に『実質上帰属』しているとの認識を有していたのであるから、結局、被告人に脱税の故意はないと言わなければならない。

しかるに、原判決が、右二記載の如く被告人に脱税の故意を認定していることは、結果責任を問うことと同視されるのであって、一種の過失責任を問うことになる。

四 結論

原判決は、結局のところ、被告人に脱税の故意があったと断定するには合理的な疑いを容れるに足る客観的な諸証拠が多数あることについては、明快な合理的な論証を行うことができないため(前記第三点・判例違反で詳述)、『犯行の動機、経緯に酌むべきところがないこと、税理士としての知識や経験を悪用しての所得秘匿の手段・態様が巧妙なものであること』(原判決21丁裏4行目)などとして、その実質において結果責任を問うものであり、罪刑法定主義(憲法第三一条)に反するのみならず、著しく正義に反する甚だしい量刑不当になると言わなければならない。

第二 直後の税制改正によると脱税額は極めて少額であること

一 原判決の認定した脱税額

原判決の認定した脱税額は、『金四億七五九三万四五〇〇円』である(原判決20丁裏9行目。原判決別紙2のほ脱税額計算書)。

二 直後の税制改正

1 上場株式等に係る譲渡所得等の源泉分離選択課税

有価証券の譲渡による所得については、平成元年四月一日より、上場株式等に限って源泉分離課税を選択することができるようになり、その場合には、その上場株式等の譲渡による譲渡利益金額(原則として譲渡代金の5%相当額)に対し二〇%の税率による源泉徴収だけで納税を完結させようとすることになり、住民税も課税されない扱いとなった(租税等特別措置法三七の一一<1><2><4>)。

2 制度創設の趣旨

税制の抜本的改革に当り、税負担の公平の観点から長らく問題とされていた有価証券の譲渡所得を原則として非課税とする制度は廃止され(本件は、言うまでもなく、非課税枠二〇万株であるところ、借名取引により非課税枠を超えたか否かが争点となっている)、全面的に課税の対象とすることとされた。しかし、直ちに総合課税に改めるについては問題が多く、<1>有価証券取引を把握する体制を整備しないまま、総合課税を採用するとかえって実質的な公平確保の面で問題が生じること、<2>総合課税に移行することによる急激な税負担の変動が証券市場に多大な影響を及ぼすことになりかねないこと、<3>すべての投資家に適正な取得価格の計算等を期待することは無理があること等が考慮され、また譲渡損失の扱いとの関連で、当面の措置としては、公開株式等については申告分離課税方式と源泉分離課税方式との選択制として、非公開株式等については申告分離課税とすることが最も好ましい措置と考えられたものである。(「税務研究会出版局」発行。平成七年版「所得税の計算と理論。税理士大山孝夫著。一八八頁から一九二頁)

三 直後の改正税制により計算した場合の『源泉分離課税額』

1 『源泉分離課税額』とこの計算式

直後の改正税制により計算した場合の『源泉分離課税額』は、前記認定の脱税額である『金四億七五九三万四五〇〇円』ではなく、以下の計算式により、右金額と比較すると極めて少額である『金二七八七万九六三四円』で済むことになる。

右の計算式は、

源泉分離課税額=譲渡利益金額(株式の売却価額×五%)×二〇%(税率)

である。

2 本件各取引に係る全部の株式の売却価額など

本件各取引に係る全部の株式の売却価額は現物取引分金二四億一五五一万三四五七円(甲二八・調査書一二丁。「株式現物取引損益計算合計表(六二年分)」のうち売金額欄の合計額と同じ)及び信用取引分金三億七二四五万円(同調査書三六丁、三七丁。「株式信用取引損益計算合計表(六二年分)」には売却価額の記載がないため、甲二九の「取引回数計算調査書」中の各「取引一覧表」に基づき信用取引による銘柄・株数・単価を参考に集計したものである)の合計金であり、総合計金二七億八七九六万三四五七円となる。そして、譲渡利益金額は、右売却価格の五%とみなされるので、金一億三九三九万八一七二円となる。この譲渡利益金額に対する二〇%(税率)が、源泉分離課税額となるところ、その金額は、金二七八七万九六三四円となる。

四 結論

以上、仮に、被告人が有罪であると仮定しても、右に述べたとおり、借名取引による脱税があったとされた昭和六二年分の所得(昭和六三年三月申告)が生じた直後の税制改正によると、脱税額は比較的に極めて少額な『金二七八七万九六三四円』になる。このことに照らせば、『判決があった後に刑の廃止若しくは変更又は大赦があったこと』の場合に準じて、若しくは一般的に右事情を量刑上考慮すべきであるところ、その点を全く考慮していない原判決は、著しく正義に反する甚だしい量刑不当になると言わなければならない。

第三章 むすび

以上のとおりであるから、刑事訴訟法第四〇五条第一号第二号、第四一〇条第一項本文及び第四一一条第三号第二号により、原判決破棄のうえ、相当の裁判を求めるため、本件上告に及んだ次第である。

以上

飛島建設(株)の名義人別の取引結果

<省略>

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